「……」
紗希は一人、振り返った。
鼓膜打つ微かな調べは、優しく、そして妖しい。
皆は空から降りてきた紅茶香る聖グロリアーナの一同に釘付けで、気づいた様子はない。
ただ独り、自分だけが気づいているらしい。
「……」
丸山紗希は個性的な少女である。
単に無口で茫洋としているというだけでなく、感性の面でも人とは違うものを持っている。
故に、時に人には見えていないもの、聞こえていないものに気づくことがある。
その事が周りを助ける場合もあれば、逆に振り回す場合もある。だが温和な性格も相まって、彼女のそういう部分は人に好かれてはいた。
そして今回も、紗希のみが格納庫からの奇妙な演奏に気づいたのだ。
「……」
彼女は周りに告げること無く、とてとてと格納庫の中へと歩いていった。
やはり耳のせいなどではなく、格納庫に近づくに連れて奇妙な音色はその大きさを増していく。
紗希にもそれが弦楽器によるものであるということは解った。
だがそこからが問題だ。何の楽器かが解らない。初めて聞く音色だった。
「……」
紗希は音の源を求めて辺りを見渡した。
しかい目に映るのは半壊した大洗のAT達ばかりで、人影はどこにも――。
「……」
『……』
いや、いた。
半壊した、みほのパープルベアーの、その頭の上に見慣れぬ少女が座っている。
水色と白色の布を交互に縫い合わせて仕立てたチューリップハット風の帽子。
やはり水色の布地に白線が染め抜かれた上着。
それらを纏うのは灰色がかった黒髪に、大人びた見目麗しい少女である。
自分達よりも年上と見えるが、今ひとつ外見だけでは年齢が判然としない。
ずっと年上のようでもあり、然程変わらないようにも見える。
膝の上に載せた奇妙な弦楽器を静かに爪弾き続けている。
「……」
『……』
紗希はじっと、と言っても相変わらずのちょっと焦点のぼやけた不思議な目線で謎の少女を見つめた。
謎の少女はと、眼を閉じたまま、一言も発することもなく、弦楽器を奏で続けている。
「……」
『……』
両者ともに、言葉はない。
ただ優しげな調べだけが二人の間を流れる。
ですわーですわーと格納庫の外からは赤毛の少女の元気で威勢の良い声が響いて来るが、二人の耳には届いていないらしい。ただ黙々と、見つめ、奏でる。
――演奏が終わる。
「……」
紗希はぱちぱちと小さく拍手した。
謎の少女は初めて目を見開き、紗希のほうへと視線を向けて、ニコリと微笑んだ。
「……たっ!」
少女は弦楽器――カンテレという――を小脇に抱えると、片手と両足のみで器用にATの頭から滑り降りた。
ストンと軽やかに紗希の前へと降り立つと、紗希とはまた違った意味で不思議な、悪く言い換えるなら得体のしれない眼で見つめてきた。
不意に紗希の右手首を優しく掴むと、自分の方へと引き寄せてジッと見た。
「……いい手だね」
「筋良さそうじゃん」
紗希は彼女にしては珍しく驚いて眼を見開いた。
どこから現れたのやら、紗希の両隣に新たな見知らぬ少女が一度に二人も出現している。
どちらも紗希と変わらぬ小柄な体躯をしていて、どちらも髪を左右二つに結っている。
その違いは容姿と服装。一方は色素の薄いプラチナ然とした銀髪で、一方は赤みがかって鮮やかな栗毛だ。
一方は弦楽器の少女と同じ格好をしているが、もう一方は似たような配色のジャージ姿である。
ジャージの胸元には白で『継』と染め抜かれている。
紗希はそのロゴに見覚えがあったが、しかし何のロゴかまでは思い出せなかった。
「ねぇねぇ」
「よかったらさぁ」
2人は揃いの怪しげな笑顔で紗希の顔を覗き込みながら言った。
「私達と組んでひとつ稼いでみない?」
「こう見えても結構評判なんだよ。マッチメーカーとしての腕に関しちゃさ」
そして2人は揃って紗希を握り、交互にカン・ユー……ならぬ勧誘をしてきた。
「聞いたことあるよね、バトリング!」
「ボトムズ乗りならもってこい! お金は入るし、美味しいものも食べられるしで言うことなし!」
「装甲騎兵道から見ればちょっとしたバイトみたいなもんだよね! 気楽だよ!」
「上手くやれば明日から人気者!」
「島田流が新しくバトリングの団体を立ち上げるって話でさ! 筋の良さそうなボトムズ乗りを探してるんだよ!」
「見た感じ、将来有望間違いなし!」
「ほら、ここに契約書もあるからさぁ!」
「サインしちゃいなって!」
キラキラした眼をしながら弾む声と共に、どこからとりだしたのやら、突き出された契約書を紗希は思わず手にとってしまった。気づいた時には、一方の手にはペンが握らされている。
二人の勢いに完全に呑まれている紗希を見て、手近な木箱の上に腰掛けたチューリップハットの少女は、カンテレを改めて爪弾き、言った。
「アキ、ミッコ、刹那主義には賛同できないな」
片目を瞑り、紗希のほうを見る。
「契約書はサインする前にちゃんと読んでおいたほうが良い。さもないと、お尻の毛まで毟られてしまうよ」
紗希が契約書とやらの中身を具に読もうと思えば、アハハと笑って誤魔化しながら栗毛の少女、ミッコが横からかっさらっていって、ビリビリと破いてしまった。
銀髪の少女、アキはと言うとカンテレの少女、ミカのほうをジト目で見て言外に言った。
――もうミカ、いいとこだったのに!
可愛い見た目に反して存外、商売っ気の強い気質らしい。
だが当のミカはと微笑みながらカンテレを奏でるのみだった。
「……いやぁ。ウチの生徒を勝手に勧誘されても困るんだよねぇ~」
ようやく格納庫の闖入者に気づいたか、角谷杏その人が入り口に立っていた。
その傍らではみほが眼を丸くしている。
「貴女がたは……継続高校の……」
継続高校装甲騎兵道チーム隊長、ミカは軽くみほへと会釈した。
「やぁ。こうして会うのは久しぶりかな」
ポロロンとカンテラを鳴らせば、ニコリと不可思議な笑みを浮かべるのだった。
第53話『会談』
場所は変わって生徒会室。
机を挟んで向かうあう、大洗隊長勢と来訪者七名。
ダージリン、オレンジペコ、アッサム、ローズヒップの聖グロリアーナの四人組に、ミカ、アキ、ミッコの継続高校三人娘の合計七名。相対するのは桃、みほ、カエサル、典子、梓、そど子、ナカジマの隊長(含む代理)の合計七名。向かい合った二列のちょうど真ん中上座の位置を、しれっと杏が占めて傍らには柚子が控えている。分隊長以外の大洗装甲騎兵道チーム一同も遠巻きに会談の様子を窺っていた。
「粗茶ですが」
「あら、ありがとう」
華道の家元の娘である華だが、茶道に関しても心得がある。
華が淹れた茶を、沙織と二人して客人へと振る舞った。
みほ達の分は優花里と麻子がテキパキと並べる。
「結構なお点前で」
「まぁ。そうほめて頂けるとは、光栄ですわ」
ダージリンが華へと賞賛の微笑みを送るのに対し、華は上品な謙遜の微笑みを返した。
そんな二人のすぐ隣では、湯のみの中身を一気飲みしたローズヒップをアッサムが顔を真赤にしながら窘めているのはご愛嬌だ。
「……それで。いかなる要件にて本校を訪れたか。その訳を話してもらおうか」
暫し(一部を除いて)静かに五十鈴印の美味しいお茶を楽しんでいた一同であったが、話を進めるべくまず桃が口を開いた。例の割りと簡単に取れる才女の仮面を被って、努めて威厳を出しながらダージリン、そしてミカへと問う。
対する二人はと言えば、方向性は違えど平凡には程遠いボトムズ乙女達だ。
桃が厳しい目つきを添えた精一杯の低音で訊けども、揃って平気な様子だった。
「最初に申し上げました通り、皆様と取引をしにまいりましたの」
「取引……と言うと?」
桃に再度問われると、ダージリンは少し間を空けてから言った。
「わたくしたちが持参した三機のバウンティドッグ……」
言いつつ、みほの方を見た。
みほにはダージリンが何を考えているのかが解らない。
人よりも優れた洞察力を持つみほだが、そんなみほから見てもダージリンは中々に謎めいている。
「これら全て、大洗にお譲りいたしますわ」
「……見返りは?」
「見返り?」
桃が当然の問いを返し、ダージリンが小首を傾げる
「そうだ見返りだ! 自慢じゃないが今の大洗に返せるものはそんなにない!」
「そんなにっていうか全く無い?」
「お金もモノもありませんから……」
しらばっくれるなと桃ががなりたて、杏と柚子が相槌打った。
ATの譲渡に見合う程の見返りが用意できるのであれば、そもそもこういう現状にはなっていない。
今の大洗はガス欠寸前であり、かろうじて次の一戦分の武器弾薬の用意するのが限度で、あとはまだ稼働可能なATへの応急修理が関の山。立派なカスタムATに見合うバーターなどあるわけもない。
「別にそんなモノは求めてはおりませんの。大洗の現状がいかなるものか、わたくしたちも充分に存じ上げてるおつもりですことよ」
「……ならばタダで譲るとでもいうのか!」
そんな訳はあるまい、と語気をさらに強くして桃は訊くが、ダージリンから帰ってきた答えはと言えば――。
「その通りですわ」
と、この通りである。
はぐらかされているとでも思ったのか、桃の顔がどんどん険しくなるのに、はたと気づいたらしいみほが二人の会話に割って入る。
「……もしかして、廃棄予定のATの」
「流石はみほさん。ご明察ですわ」
みほの答えに、ダージリンは実に嬉しそうだった。
「廃棄予定の」
「AT……ですか?」
「あんなに綺麗なATなのに?」
会話に入り込むタイミングもなく、黙って他の大洗分隊長一同も、飛び出してきた予期せぬ単語に思わず疑問を口にした。それに答えるように、カンテレの弦が鳴り響く。
「それに関しては私から説明させてもらうね」
だが実際に答えを述べる役はアキであるらしい。
「ATは扱いとしては軽車両だから、普通の一般ごみみたいにポイポイ捨てるわけにはいかない。廃棄処分の代金を役所に支払わないといけないようになってるんだけど、これが結構馬鹿にならなくて。だから、不法投棄のATが後を絶たないんだよね」
みほの脳裏に浮かぶのは、大洗学園艦船倉最深部のAT墓場のことだった。
あそこもまた、処分に困ったジャンクATの不法投棄場所だったのだろう。
あれだけのジャンクを処分するとなると、費用は馬鹿にならない。
「つまり機種転換なんかをやって、大量にいらないATが出てきちゃったら処分にも困っちゃうのよ」
「そこで私らの出番ってわけ!」
アキの説明を、ミッコが引き継ぐ。
「余裕のある学校のATを、余裕のない学校へと回す……その仲介役が私らのお仕事」
「……要するにリサイクル業者ということか」
「風は行先を塞がれれば淀んでしまう……その抜け道を用意してあげるだけさ」
桃が言うのに対し、ミカが解ったような解らないような台詞を口ずさみ、カンテレを鳴らす。
継続高校も大洗に負けず劣らずの貧乏所帯とは聞くが、そんな継続がそこそこの数のATを揃えられるのも、こうしてこまめに小銭を稼いでいるからなのだろう。
緑茶を飲み終えたダージリンが、ミカに続けて言った。
「ミカさんに相談した所、そうするのが良いのでは、とのことでしたのでわたくし達も継続高校を真似ることにしましたの。聖グロリアーナとしては、エルドスピーネが主力となった現在、使い道のないバウンティドッグを引き取って下さるなら言うことなしでしてよ。ましてや相手が、それを熱烈に欲しているとあればなおさらですわ」
ダージリンのいうことは、要するに古ATの処分代の節約をしたいということだけなのだが、しかし大洗にとっては渡船には違いない。プラウダ戦のダメージによる深刻なAT不足。それをタダで解消できるならば最高だ。
「まぁ、全くのタダというのも芸がないことですから。少しばかり、ささやかなお返しを頂けるとなおよろしいのですけれど」
「……やはりそうか。何が望みだ! もったいぶらずに言ったらどうだ!」
桃が吼えるのにも、ダージリンは動じない。
余裕の表情のまま、ただこう言った。
「わたくしが求めるのは大洗の勝利ですわ」
「……勝利?」
「ええ。大洗の優勝、黒森峰を打ち破ること。それが望みですことよ」
「……それだけか?」
「それだけ?」
桃が呆けた顔で言うのに、ダージリンはわざとらしい驚きの顔を作って返した。
「随分な自信ですわね。大洗としては黒森峰に勝つことは『それだけ』のことに過ぎないといった所かしら……」
「あ、いや、そういうわけでは……」
「ならば問題はない筈でしょう。わたくし達としても元我が校のATが黒森峰を打ち破る姿が楽しみですもの」
ダージリンは口元に手を添えて、上品に笑いながら嘯く。
そんなダージリンの様子に、オレンジペコはどこか呆れた様子でため息をついた。
――手助けするなら手助けするで、そんなもったいぶったやりかたせずにストレートにやれば良いのに。
こんな感じことを思っている顔だった。
そう易易といく話ではないとはペコも承知だが、それでも思わずにはいられぬといった顔であった。
――◆Girls und Armored trooper◆
「そじゃさ。今度は私達のほうの商談ね!」
「損はさせないよ~。なにせ扱ってるモノが良いからね。しかも値段も格安!」
「ATに困ってるっていうなら、実質ウチ以外に選択肢はないぐらい割が良いよ!」
「そこの聖グロリアーナの人たちから事情は聞いてるし、わたしらとしても大洗が黒森峰に勝つのは悪く無いから、色々とサービスも増し増しで!」
聖グロリアーナの要件は終わったと見るや、今度は継続高校のほうがズズイと押し出して来た。
アキとミッコはダージリンとは方向性の違う胡散臭さ溢れる笑顔で、交互に明るい調子でまくし立てる。
「ターボカスタム仕様のスコープドッグに、ちょっと傷んでるけどバーグラリードッグ!」
「ミサイルランチャー他各種武器もオマケでつけちゃうよー! あ、ただし運賃はそっち持ちね!」
「稼働確認は済んでるし、一通りの整備も済んでるからそのまま試合にも出せるレベルだよ!」
「何せ――」
そしてミッコは驚きの一言を口にした。
「元は黒森峰のATだしね!」
「――え?」
みほからは、思わず驚きの声が漏れていた。
それに合わせたわけでもあるまいが、ミカがまたもポロロンとカンテレの弦を弾くのだった。
変わる。変わる。変わる
この世に変わらざるモノなどなく、不動なるモノなどない
人も、組織も、いつかは変わらざるを得ない
だが、かつての母校が、慣れ親しんだ古巣が
見せた我知らぬ姿を目前にしたとき、みほの心に予期せぬ想いが木霊する
それは未練か、郷愁か
次回『分析』。そしてみほもまた、かつてのみほではない