河嶋桃という少女は良くも悪くもいつも全力投球である。
根が真面目なものだから、何事に対しても力み過ぎで、故に得てしてそれが空回りへと繋がる。
能力がない訳ではない。いや、身内贔屓抜きにして見ても桃は本当はもっと優秀な筈なのだ。
一直線過ぎる性格が足を引っ張る場合が多いだけで。
『うぎゃぁ!?』
女の子が発するには余りにあんまりな悲鳴を挙げながら機体をふっとばされ、白旗揚げて撃破される桃のダイビングビートルの姿に、杏はふとそんなことを思った。
『会長! 桃ちゃんが!』
「うん。ちょっと不味いかもねぇ~……」
迂闊に飛び出した桃が撃破されたのはある意味当然のことで何もおかしくはない。
問題はその桃を撃破した敵の姿が全く見当たらない、ということだ。
攻め寄せるプラウダ部隊を強引に突破し、ひたすらフラッグ機を求めて突き進んだカメさん分隊だったが、ようやく追っ手を振り切ったと思った所でこれだった。
小さな雑木林を目眩ましに、がむしゃらしゃにむにに突っ込んでくるプラウダ機をやり過ごし、桃は「ようし、相手が明後日の方を向いているうちに後ろから!」と息巻いていた所だった。
不用意に木陰から出たところを、桃は撃破された。
どこからとも無く、銃声を置き去りにする一撃にやられたのだ。
(着弾と銃声のラグは僅かだったから、そう遠くは無いはずなんだけどねぇ~)
しかし飽くまで杏は冷静だった。
飄々としてつかみ所のなく、胡散臭い笑顔の下には常に怜悧なる頭脳が隠されている。
側近の僚機が目前で撃破されようとも、状況をつぶさに分析し、いかに対応すべきか思考を高速で巡らせる。
杏たちの今いる雑木林の向こうは、一面遮るものの無い雪原であるが、敵の姿は見えない。
空は厚い黒雲に覆われて雪まで降っているので薄暗い。遮蔽物はないのに視界は最悪、まさに不意討ちには最適のロケーションだ。
「カメラを精密照準に切り替えてー……と」
杏駆るスタンディングトータスにはドッグタイプのATと異なり『頭』にあたる部分がない。
人間に例えて言うならば胸元に顔が張り付いているような構造になっている。
ターレットリングも存在せず、カメラは完全に機体のメインフレームと一体化している。可動部分や部位同士の連結部が少ない分、ATとしては堅牢な造りになっているわけだが、それ故にパイロットの視界は正面に固定されてしまうという欠点がある。一応機体の左右に覗き窓はあるが、つまりその場で隣を見たければ肉眼でするしかないという不便さだ。
だが、今度の場合はそんな不便さも気にする必要がなかった。
「こりゃあまいったね。どうする小山?」
『どうすると言われましても……』
杏に見えたものが、柚子にも見えたらしい。
風は勢いを増し、降り注ぐ雪は吹きすさぶ雪へと姿を変える。
ブリザード――と呼ぶには大げさにしても、軽い吹雪と呼べる程度には天候は荒れ始めていた。
白い帳に隠された薄暗がりの向こうから、徐々に顕になるゆらめく影はなんだろうか。
その揺らめく赤い紅い影は少しずつ詳細を明らかにした。
長大なる得物を携えた、真紅のATは間違いなく、プラウダ校きってのエースに間違いはない。
『ブリザードのノンナ……』
「ご自慢の狙撃用ライフルと一緒にご登場って訳かぁ。ありゃ随分と射程が長そうだねぇ」
桃を一発で撃破したのはあのライフルだろう。
優花里の潜入偵察や、杏自身が事前に集めた情報によれば、ノンナの駆るチャビィーには特別なカスタマイズが施され、その有効射程距離は普通のATのゆうに数倍はあるという。
遮蔽物のない平野での撃ち合いではまず勝ち目がない。
(でもそれは『常識』で考えた場合……)
あいにくと今の大洗には正攻法を貫くような余裕はない。
一見どれほど奇抜に見えようとも、無謀に見えようとも、少しでも勝ち目があると信じられる戦い方をするしかない。
そう考えが及んだ所で杏はひとりニヤリと、いたずらっぽく笑った。
何ということはない。むしろそういう奇をてらったようなやり方のほうが本来の自分のスタイルじゃないか。
「小山、危ないけどギリギリまで相手に近づくよ」
『会長!? そんなことが可能なんですか!?』
「かーしまには悪いけど、私と小山ならね」
柚子は装甲騎兵道こそ初心者だが、ATの操縦経験に関しては実はそこそこ長い。
カブリオレドッグのような作業用のATが中心だったが、基本的に試合用も作業用も操縦系統には大差がないので無問題だ。そんな柚子の経験と技術が、今杏が
この作戦は連携が命だ。その点、二人に比べて操縦技量に劣る桃のフォローを考えずに済むのは怪我の功名だったかもしれない。
「さてさて。かーしまもATの中から見てるだろうし、久々にカッコ良い所見せちゃいましょうかね」
『会長……解りました! 指示を下さい!』
柚子も覚悟を決めたらしいのを見て、杏はまたもニヤリと笑い、ペダルを踏み込んだ。
第50話『崩壊』
「さぁ行くよー!」
『はいっ!』
白雪を蹴って二機は駆け出した。
柚子が先行し、杏はちょうどその軌跡をなぞるように間を空けて進む。
くねくねと蛇行し、ターンするときは敢えて急カーブを決めて粉雪の煙幕を跳ね上げる。
どこまで有効かは解らないが、少しでも目眩ましになるならそれで良い。
「……」
操縦技量に優れる柚子を前に出すことで、その陰に隠れられる杏には若干の余裕ができる。
その余裕を杏は、待ち受けるプラウダの紅いブリザードを『観察』することへと全て注ぎ込んだ。
(ライフルを持ち上げた……銃口は下がっているから、まだ攻撃は来ない――)
精密照準のカメラを最大倍率に上げて、全力でノンナ駆るチャビィーの一挙手一投足を注視する。
僅かな動きも見逃すまいと、瞬きするのも忘れて、杏はノンナを観察する。
「!」
僅かに、本当に僅かだが銃口が持ち上がった。
肩部のカメラに、頭部センサーが稼働し、妖しい赤光を放つ。
「小山、用意」
『はい!』
杏は柚子へと呼びかけた。
無線越しに聞こえてくる声はあからさまに緊張に固いが、それでも力強さが優っていた。
これならば、きっと――。
「いま!」
杏の想いは確信へと変じた。
杏の声に従って柚子は、ベストのタイミングで操縦桿を切ったのだ。
機体はフィギュアスケーターのように白い平面上を轍を描きつつターンする。
まさに入れ違いといった調子で、柚子の残像を銃弾が、高速徹甲弾が貫いていく。
杏はニヤリと笑った。
撃った直後の、彼方の相手が動きを止めた意味。それは驚きに違いない。
必殺の一射を、回避された驚きに違いない。
「よーしその調子!」
相変わらず二機は進み続ける。
間合いは少しずつ縮まる。杏はセンサーの倍率を少しずつ落とした。そんなものに頼らずとも真紅のチャビィーの詳細は十分に見ることができるから。
「いま!」
『はい!』
今度は逆回転のスピン。
銃弾は僅かに柚子のトータスの表面装甲を削り、カーボン加工部と擦れて火花を散らす。
距離が縮まっているために回避が難しくなってきている。
だが、まだこちらの間合いに相手は入っていない。つまり、もっともっと近づかなければならない。
「小山! もっと軌道を複雑に相手をおちょくる感じで! ギリギリまで、行ける所まで!」
『――はい会長!』
返事に一瞬の間があったのは、柚子も二回の回避行動で神経をすり減らしているためだろう。
だが後残り一発……いや二発は彼女に凌いでもらわねばならない。
こちらの射程に相手を捉えるためには、それが不可欠だった。
(ここでアイツを撃破しないと駄目だからね~)
恐らくはたったの三機相手ぐらいは自分一人で十分と、相手のノンナは思ったのだろう。
それは確かに事実だ。ボトムズ乗りとしての技量差、ATの性能差、それらにおいて杏たちはあからさまに劣っている。それ故にノンナは単機で自分たちを仕留め、他のATは別の戦線へと向かわせた訳だ。
しかし、自分たちがノンナに劣っているのは『全て』においてではない。
杏は、これだけは自分がノンナよりも、否、誰よりも勝っていると信じられるモノがある。
それは――『洞察力』。
(一対二だからこそ使える戦法。ここでやっつけないと次はない)
例えば、杏はじゃんけんで負けたことがない。
五十回連続でじゃんけんをして、あいこ三回、勝ちを四十七回という驚異的な成績を叩き出したこともある。
それは単に運がずば抜けて良いから――などといった理由では無論無い。
確かに杏は人よりは運は良いほうだと自分でも思っているが、しかし運とは黙っていてあちらから歩いてくるものではない。運はこちらから引き寄せた時、初めて向かってきてくれるものなのだ。
そういう流れを、杏は読む。
持ち前の怜悧な知性で、流れを読み、感情を読み、空気を読み、状況を読んで最善を引き寄せる。
じゃんけんで負けないのは、相手の僅かな感情の動きや、気配の変化を観察し、予測して手を決めているからだ。一見ちゃらんぽらんに見える彼女が大洗の生徒会長の職務を見事に務め上げているのも、ひとえにこの洞察力のお陰であった。
それを、杏はノンナの射撃のタイミングを読むのに使った。
ATの僅かな挙動から、その内側のパイロットの感情を読み取る。
今、ノンナはむき出しの殺気に包まれている。相手チームの隊長を撃破したが故だろうか、とにかく相手は攻撃の意志を隠すこと無くこちらに向かってきているのだ。
いかに相手が優れた狙撃技術を持とうとも、性能の高い狙撃銃を持とうとも、撃つタイミングを読んでしまえばその一撃を回避するのは理論上不可能ではない!
(……ま、言うほど簡単じゃないんだけどね)
少なくとも、杏には理論上可能なだけで実現不可能な作戦だった。
例え撃つタイミングを読めても、操縦が思考に追いつかないためだ。
自分であれば例え読めていても、実際には体の反応が伴わずに撃破されてしまうだろう。
だからこその柚子の先行。柚子であれば自分の読みを使えば相手の一撃を避けることができる。
「あと2回。小山、いける?」
『はい。少ししんどいですけど、頑張ります』
少しどころかかなりしんどそうだが、それでも柚子の声には力があった。
やり遂げようという意志……今はそれに賭けるしかない。
(カメラの位置と銃口の位置を修正……構えたまま静止。ベストな射線にコッチが入るのを待つ……)
杏は観察を再開し、相手の挙動から次の攻撃パターンを読み取る。
柚子の動きのリズムと、相手の射線の交差するタイミングを測る。
(5、4、3、2――!?)
『きゃあっ!?』
いまだ! というタイミングの直前、真紅のチャビィーのスナイパーライフルが予期せぬ銃弾を吐き出した。
一撃は柚子のATの右肩へと命中し、彼女のトータスは大きくそのバランスを崩す。
転倒を免れたのは、柚子のもつ操縦技術のお陰。
だが物理的なダメージよりもむしろ、心理的なダメージのほうが大きい。
柚子にとっても、杏にとっても。
(読まれたか~。こっちが逆に)
流石はプラウダ校のエース。一筋縄でいく相手ではない。
だが必殺の間合いにはまだ遠い。
『……会長! 続いてください!』
「小山!?」
意を決したらしい柚子が、猛然と愛機を走らせる。
回避を考えぬ、一直線最大速度の疾駆に、拭きあげる雪煙はまるで瀑布の水しぶきだ。
杏は、柚子の言葉の意味を考え、瞬時に理解し、即座に反応した。
柚子のATの真後ろに、自分のATでぴったり張り付いた。
するとATは自然と、柚子のATの速度が上がるのに合わせてスピードを増していく。
――スリップストリーム。
モータースポーツやロードバイクレースでも用いられる運転技法。それを応用し、二機のATは急速で雪原を駆け抜ける。
『会長!』
「おうさ!」
柚子のATは直撃弾に白旗を揚げて、前のめりに倒れた。
その背中を、杏のATは勢いもそのままジャンプして跳び越える。
自分を狙う銃口、スコープ、そして殺気闘志に真っ向から向かい合う。
着地の瞬間、その硬直を狙われるかと身構えるが、果たして、相手は得物の銃口を若干下げていた。
――弾切れだ。
マグチェンジをする相手の動きを注視しつつ、杏は冷や汗が頬を伝うのを感じた。
スロットルを入れつつ、ひゅぅと口笛をひとつ。
(こえぇ~……)
3年間、常に共に歩んできた自分の『両腕』にも、今度ばかりは頼れない。
1対1の勝負。今この瞬間は他でもない、自分が、角谷杏がなんとかしなくてはならない。
精密照準スコープの倍率をあげ、正面に真紅のチャビィーを捉える。
杏は得物を構えた。GAT-22 ヘビィマシンガン。何の変哲もない一般的なAT用機関銃だが、今はこれだけが自分の武器だ。対する相手は特注製のカスタムスナイパーライフル。この差にはもう笑うしかない。
弾倉交換を素早く済ませ、真紅のチャビィーは得物を構え直していた。
ライフリングが刻まれた、スナイパーライフル銃口の真っ黒い穴は、見ているだけでこちらの意識が吸い込まれそうになる。それを堪え、溢れる冷や汗を拭うこともなく、ただただ愚直に間合いを詰め続ける。
「バルカン・セレクター!」
音声認識でフルオート機構をONにする。
後はトリッガーを弾けば良い。指が強張っているのに気づき、正面を見据えつつ親指だけを左右に動かし解す。
相手の弾倉交換、そして柚子が敢えて無謀な突撃を仕掛けたお陰で距離が稼げた。
あとすこし、あとすこしでコチラの間合い!
「!」
しかし杏は感じ取った。
真紅のATの中に、その得物の銃身の内側に膨れ上がる殺気を。
もう待つことは出来ない。例え間合いの外であっても、もう撃つ他ない。
「西住ちゃん! あとは頼んだよ!」
聞こえるかどうかは解らないが、それでも杏は叫んだ。
彼方で灯ったマズルフラッシュの輝きが見えた時には、杏はトリッガーを弾いていた。
直後、直撃弾。杏のATは横転、白旗を揚げていた。
撃破判定――。にも関わらず、杏はヘルメットの下でニヤリと笑っていた。
――◆Girls und Armored trooper◆
手応えあり!
彼方で雪の上に転がるATの姿を見とめて、自身の感覚が正しかったことをノンナは知った。
しかし獲物を射止めていながらノンナの表情は厳しい。
ただでさえ冷たい表情が、忸怩たる思いか一層強張っている。
たった三機を仕留めるのに、思わぬ時間を食ってしまったばかりではない。
「……」
バイザーモニターに走るノイズと、エラーを知らせる赤い警告表示。
機体の状態データを続けてモニター上に表示すれば、『肩部サブカメラの破損』が明らかになる。
ノンナのチャビィーには3つのセンサーカメラが備わっている。
元々装備してある頭部カメラに、得物の狙撃用カスタムライフルのスコープカメラ、そして背部ミッションパックへとミサイルランチャーと同じ要領でマウントした大型のサブカメラだ。この3つの視界を使い分け、あるいは複合的に使うことでノンナはより精度の高い狙撃を実現させていた。
その3つの眼の、ひとつが潰された。
最後に大洗のトータスが放った機銃弾は、ただ闇雲に撃ったのではなかった。これが狙いだったのだ。
(問題はありません)
まだセンサーは二つ活きている。
確かに精度やロックオン速度が若干落ちるかもしれないが、そこはマニュアルで補えばいい。
だがノンナには嫌な予感があった。
ある種の虫の知らせが、彼女の脳裏を駆け巡る。
カチューシャの撃破に加えての、自機の、それも肝心のセンサー部の破損。
ノンナが思い返してみれば、ここ半年ほど練習試合を含めてもノンナのチャビィーに敵弾が命中することはなかった。ノンナは優秀な狙撃手である。相手がこちらを捉えた時には、相手は既にこちらの射程内だからだ。
にも拘らず今日、今この瞬間、三つあるセンサーのうちの一つを射抜かれている。
「……各機に通達。攻勢を強めなさい。敵に反撃する間を与えず、一挙に勝敗を決しなさい」
ノンナがそんな指示を改めて下したのは、あるいは焦りのためだったかもしれない。
客観的に見て、こちらは依然優勢のままの筈だ。数的差から考えても、各選手の力量差から考えても、決して負けなどありえない筈だ。
だがノンナはどこかで感じていた。
何かが……着実に崩れ始めている、と。
極寒の凍土が、闘志を焼ける
それぞれの望み、それぞれの想い
せめぎ合うプライドと、交差する射線
弾幕をくぐり抜けたとき、突然訪れる運命の時
沈みゆく夕陽に、二つの影が重なる
二つの手が結ばれた時、新たなる旅が始まる
次回『握手』 選手は誰もが愛を見る