ガールズ&ボトムズ   作:せるじお

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第39話 『共闘』

 

 

 新月は密かに動くにはもってこいの夜である。

 ましてや、今夜みたいに雲の多い日は格別だった。僅かな星明かりすらも、雲の帳が遮ってしまうから。

 墨を流したような漆黒の闇を前にすれば、一人乗りの小型ヘリなど容易く全て覆い隠されてしまうのだ。

 『ATフライ』の操縦席に座り、前方180度見渡せるキャノピー越しに夜空を眺める。

 パイロット用のバイザーには無線機と暗視装置が内蔵してある。こんな夜でも人の目には捉えられない光はあるもので、暗視装置はそんな光を拾い上げ画面へと薄緑がかった景色を映し出す。

 バイザー越しには小さな白点と映る小島が、視界の端に入り込んできた。

 進路を修正、機首をその小島の方へと向けた。

 

「逸見副隊長、目標地点まであと5000。降下準備、最終確認をお願いします」

 

 ATフライのパイロット、赤星小梅は機体下部にフックとチェーンで吊り下げた一機のATへと無線で呼びかけた。

 この小型ヘリは小型ながら高い馬力を誇り、AT一機程度なら吊り下げて輸送することが出来るのである。戦地はもとより、装甲騎兵道でも遠い試合場へとATを持ち込む場合はたびたび使われる乗り物であった。

 

『マッスルシリンダー、動作快調。ハイドロジェット……動作確認。エアーも満タン。システム、オールグリーン。最終確認終了。小梅、問題はないわ』

 

 さて件のATの方からは、スピーカーからいつも通りの凛々しい声が聞こえてきる。

 ATのパイロット、逸見エリカの声色は落ち着き払い、冷静そのものだった。

 あの警備の硬いプラウダ高校にこれから単独潜入しようと言うのに、加えて夜の海での潜水作戦だと言うのに、流石はエリカさんだなぁと小梅は思った。自分など、慣れない夜間飛行というだけで緊張しているのに。

 

『いい。手はず通り島の監視網ぎりぎりまで接近、私を降下させて小梅は即帰還よ。あとはコッチでやるわ』

「迎えは明日の午後6時半、あの小島……であってますよね?」

『ええそうよ。そして5分待って私が現れなければ、貴女はそのまま引き返す。それを忘れないで』

「でも……」

『でもも何もないわ。万に一つ私がしくじってプラウダに捕まっても、決勝戦まで拘束されるだけ。心配は無用よ。まぁ、重ねて言うけどそんなこと万に一つもありえないけど!』

 

 その点に関しては小梅も心配はしていなかった。

 エリカ副隊長は勇敢で、しかも優秀だ。自分と違って肝心な時にヘマをやらかすようなことはしないだろう。

 

『合流ポイントに着いたら軍用の発光信号を送るから、それが目印よ』

「解ってます」

『……』

「……」

 

 互いにそこで言葉が尽きた。

 ヘリは淡々と目的地へと近づき、時期に降下ポイントのすぐ手前までやって来ていた。

 小梅は徐々に高度を下げた。風も強くない。制動は安定している。

 

「降下ポイントに着きました。秒読みを開始します。着水時の衝撃に備えて下さい」

『万事問題はないわ。始めなさい』

「はい。秒読み始めます」

 

 十、九、八、七……――。

 

「ゼロ! 降下!」

 

 小梅がカバーを開いてトグルスイッチを入れれば、カシンと音が鳴ってフックが外れる。

 ATは一直線に海面へと落下し、水しぶきを立てた。

 小梅がシートから身を乗り出して海面を覗けば、湧き出る白い泡の中から光る三連レンズが顔を出す。続けてATの右手が突き出て、親指を小梅の方へとグッと立てた。それを見てホッとした。ATは正常通りに機能しているらしい。まぁエリカのATは彼女自ら手を入れたカスタム機だ。滅多なことはないだろう。

 深い青色に塗られたATは夜の海の黒に呑まれてすぐに見えなくなった。

 水中戦用にハイドロエンジンを搭載し、表面を青く塗ったスタンディングトータスのカスタム機、通称『スナッピングタートル』は、エリカが一年生の頃に愛用していたATだった。それを今度の作戦のために引っ張り出して来たのである。

 スコープドッグのカスタム機や系列機で占められていた当時の黒森峰ATのなかではかなり目立つ存在で、実際それ故に試合になると相手からの集中砲火を良く浴びていたものだった。しかし、それはエリカも承知済みのこと。エリカが目立つATで相手を引きつけている間に、その隙をみほの駆るATが突きスコアを稼ぐのは、あの頃の一年生チームの常套戦法だったのだ――。

 

「……」

 

 昔を思い出して、小梅は胸に痛みを覚えた。

 みほはもう、黒森峰にはいない。エリカも、ATを乗り換えてしまった。

 あの敗戦が原因で、色んなものが、色んなことが、ガラリと変わってしまった……。

 小梅は頭をぶんぶんと左右に振って、無理やりそうした感情を脳裏から吹き飛ばし、ヘリの操縦へと専念した。

 機首を回し、黒森峰への帰還コースをとる。

 

「エリカさん……頑張って」

 

 一度だけ振り返り、誰へともなく小梅はそうつぶやくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

  第39話『共闘』

 

 

 

 

 

 

 

「あなたは! 黒森峰の逸見エリカ殿!」

「~ッ!」

 

 あからさまにこちらの事を見知っているプラウダ生徒――プラウダ校の制服を着ているから間違いない――の様子に、エリカは思わず舌打ちしていた。補習島学園艦間の定期便に乗り込む所までは上手く行っていたのに、よもやこんな所で潜入がバレてしまうとは!

 

(どうする? どうする? どうする!?)

 

 相手には対機甲猟兵用のピストルを向けているとは言え、装填されているのは競技用のペイント弾でしかないし、おまけに銃を手にしているという点では相手も同じだ。とにかくハッタリでも何でもかましてこの場だけでも――。

 

「ま、待ってください! 私は敵じゃありませんよぉ! ……少なくとも、今この場では」

 

 だがここで相手のとった行動はエリカの予想から完全に外れていて、呆気にとられたエリカは不覚にも心身共に固まってしまった。相手はリボルバーを収め両手のひらを突き出し左右に振ったのだ。

 敵意はない――ということらしい。何が何だか解らないが、エリカも取り敢えず愛銃をホルスターに戻し、改めて闖入者の顔をまじまじと窺った。……見覚えがある、気がする。だがどこで見た顔だったか。量の多い癖っ毛に、たれ目気味な双眸など、確かにどこかで見た筈だ。エリカは記憶を探り、そしてピンと来た。

 

「貴女……大洗の。しかもみほのチームの娘だったわよね」

「はい。わたくし、秋山優花里と言います! まさか覚えていて下さるとは、光栄です!」

「……別に。仮にもあの娘のチームの一員なんだから、一応チェックぐらいはしてただけよ」

 

 声を聞くうちに、エリカはどんどん優花里について知っていることを思い出し始めていた。

 そうだ。確か例のバトリング喫茶で、みほを弁護して真っ先に食って掛かってきた娘だ。

 サンダースとの試合中は妙なATに乗っていたから印象に残っている。操縦の腕もまずまずだった筈だ。

 

「あ! わたくし、知波単学園や継続高校との試合、衛星放送で拝見させて頂きました! 生は無理だったので録画でしたけど……それでも、逸見殿の活躍はバッチリ映ってましたよ!」

「え……ああ、そうだったかもね」

 

 憧れのアイドルやスポーツ選手を目の前にしたファンのように、妙にハイテンションかつフレンドリーな優花里の姿にエリカは大いに戸惑った。エリカの記憶では、自分は彼女の隊長、西住みほにバトリング喫茶で手酷く接していた嫌なやつ、という印象しか優花里達には無い筈だった。あの場でとった行動が間違っているとは毛ほども思ってはいないが、しかし、ああいうことをすれば人に嫌われることぐらいはエリカにも解る。ましてや大洗の娘らとみほは、とても仲が良さそうに見えたから。

 

「特にストライクドッグを駆り、率先して切り込み隊長を務める逸見殿の姿は、私の目に焼き付いています! ストライクドッグはH級の、しかもスペシャル機。扱いが難しいATなのに、ああも見事に使いこなすとは! 流石は――」

「ストップ! ちょっと待ちなさい!」

「え、あ、はい」

 

 エリカはずいと掌を突き出して優花里を制止する。

 額に指を当て、軽く深呼吸し、混乱を抑え努めて冷静になる。良し。落ち着いた。

 

「いい。貴女と私は敵同士なのよ。それを貴女はなんでそうもフレンドリーに……」

「敵同士……と言われましても。それは試合での話であって、ここは試合場じゃありませんが」

「私は西住みほの敵なのよ! つまりあの娘の味方の貴女は私の敵!」

「そ、そんな……」

「~~っっっ!」

 

 エリカとしては極当たり前のことを言ってるだけのつもりなのに、優花里から返ってくる本気でショックを受けているらしい表情に心が大いに乱される。なんだこれは。これじゃ私が悪者みたいじゃない!

 

「……ああもう! なんなのよ貴女。貴女はみほの味方で間違いないんでしょう!」

「それはもう! 私は西住殿を、ボトムズ乗りとしても人間としても、誰よりも尊敬しています!」

「だったらやっぱり私の敵じゃない!」

「それは違いますぅっ!」

「なんでよ!?」

 

 優花里の理論が、エリカには理解できない。

 

「装甲騎兵道は戦争じゃありません! いざ試合となれば全力で戦うのは当然ですが、一旦試合が終わればライバル同士でこそあれ、決して敵同士ではありません。むしろ、同じ競技に身を置く仲間じゃないですか! 確かに私は西住殿を尊敬していますし、去年の決勝戦で西住殿がとった行動は絶対に正しかったって、誰になんと言われようとも断言できます! ですがそれとこれとは問題が別で、競技者としての逸見エリカ殿は私も尊敬しておりますし、あ、いや西住殿には負けますけど、それでも逸見殿は一流のボトムズ乗りでありまして、去年の試合の時点でわたくし、実は注目させて頂きましてそのあうあ……スミマセン」

 

 濁流のような優花里の早口に、エリカがちょっと引き気味になっている。

 それに気付いた優花里の声は急にしぼむように小さくなって、最後は掻き消えるようだった。

 

「……はぁ。良いわ。とにかく今は敵じゃないってことね」

「あ、ハイ」

「まぁ敵地でスパイ同士争ってもしょうがないし……取り敢えず靴を履きなさいよ。そもそもなんで脱いでるのよ貴女」

 

 何とも調子が狂う。

 プラウダの船の底での、大洗の奇妙な生徒との対面に、エリカは何とも形容しがたい妙な感覚を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

 

(なんだか大変なことになってしまいました)

 

 と優花里は思う。何せ傍らでプラウダ高校の制服を着て、変装用の伊達眼鏡にロシア帽姿の逸見エリカその人がいるのだから。脱いだ耐圧服は、船室で入手したズタ袋に入れて背負っている。彼女がなにやら物色していたのは、これの為だったらしい。

 ――逸見エリカ。

 優花里からすれば“あの”黒森峰のエースであり、高校装甲騎兵道きってのボトムズ乗りであり、期待の若手選手として雑誌で特集を組まれたこともある、あの逸見エリカである。

 みほにこそ及ばない――というよりも、秋山優花里の中において西住みほという人間はあらゆる意味で別格なのだが――ものの、エリカも優花里からすれば充分に憧れのボトムズ乗りと言える相手であったのだ。そのエリカと何故か同行することになったのである。

 

『敵の敵は味方。ここは協力して事に当たるわよ』

 

 とまぁそういう理屈である。

 確かに一人よりも二人でやったほうが仕事は早い。だとしても、あの黒森峰のエースが自分の隣にいるというのは何とも妙な感じだった。

 彼女とみほの間に、昨年の決勝戦が原因の確執があるのは知っているし、みほを敬愛する優花里としてはその事に関してもやもやした感情が全く無いわけではない。しかしそれを差し引いても、あこがれのボトムズ乗りと共闘できるという現状は、なんともこそばゆい感触があったのだった。

 

「それにしても意外でした」

「何がよ」

「いえ、あの黒森峰がプラウダにスパイ戦をしかけるだなんて。やはり、今年はプラウダこそが黒森峰の最も警戒している相手ということなんでしょうか」

 

 優花里としてはそこまで深い意図があって発した言葉ではない。

 それだけにエリカの見せた反応には心底驚かされた。

 彼女は優花里の胸ぐらを掴むと、顔をぐいと自分の方へと寄せたのである。驚きに言葉も出ないは優花里へと向けて、エリカはまくし立てるように言い放った。

 

「いい! これは私、逸見エリカの完全な独断専行であって、黒森峰女学院とは一切関係ないわ。ましてや西住隊長とは微塵も、完全無欠に、徹底的に関係は無い! 隊長も学園も関知も関与もしていない! ……解った?」

「ええと」

「解った!?」

「ああはいぃ! 解りましたそれはもう!」

 

 優花里はぶんぶんと首を縦に振って頷いた。

 それをじっと睨みつけ、じっとじっと睨みつけ、ようやく気が済んだのか掴んでいた手を離した。それから自分でも思った以上に乱暴なことをしてしまったと思ったのか、バツ悪そうに乱れた優花里の襟元を直した。

 

「……黒森峰は、西住流は事前偵察などしないわ」

「え? でも事前偵察は公式に認められた――」

「いい? 黒森峰は王者であり、西住流は王者の戦い方よ。だから小細工なんてしないの。どんな敵が来ようとも正面から粉砕するだけよ。……だから、これは私の独断なのよ」

 

 エリカは優花里から目線を外し、苦虫を噛み潰したような顔になっていた。

 強豪校、それも九連覇校故の苦しみしがらみというやつがあるらしい。

 優花里は自身のエリカを見る目が、少しだけ変化したのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

 

 プシュッと音を立ててタラップが学園艦と接舷する。

 安全確認が済み、鉄扉が開けば補修生達は雪崩れ込むようにタラップを駆け抜け、懐かしの学園艦の土を――船なのに土というのも妙な話だが――何度も何度も踏みしめた。焦る理由もない優花里にエリカと、単純に出遅れたニーナは他の補習生がはけた後に悠々とタラップを潜り学園艦へと足を踏み入れる。

 

「じゃあ約束通り、温かいものでも飲みに行きましょうか」

「あ、私、そのココアが飲みたいです」

「はいはい。それじゃあ手近な喫茶店でも――ってルスケさん、何ですか?」

 

 ルスケ――という偽名を今は使うことにしたエリカが、肘で優花里を軽く小突いたのだ。

 優花里が耳を寄せればエリカは囁き声で言った。比較的顔の割れているエリカは、余り大きな声で話したがらず、優花里はニーナに「引っ込み思案で内気な娘なんですよ~」と誤魔化していた。

 

(ちょっと! こんな所で油売ってる暇なんてないでしょ! とっとと本来の目的に移らないと……)

(スパイの基本はまず現地の人間と仲良くなることですよ。特に彼女は装甲騎兵道関係者らしいですから、そうしておいて損はありません。それに――)

 

 この時、優花里がエリカに見せた顔は、ちょっと得意気であった。

 

(スパイとしては私のほうが先輩なんですよ)

 

 それを言われたらエリカは何も反論ができない。

 確かにスパイ戦は黒森峰といえど守備範囲外であるからだ。

 

(解ったわ……この場は貴女に合わせてあげる)

(ありがとうございます。助かります)

「あのぉ~先輩方はなんのお話を~」

 

 ニーナが聞くのに、優花里は満面の笑みを浮かべて答える。

 

「いいえぇ。ルスケさんも甘くて美味しいチョコレートが食べたいって話で」

「チョコレートですかぁ~だったら私、美味しい店を知ってますぅ~」

「ホントですかぁ。ではニーナさんオススメのお店に、ぜひ連れて行ってもらいましょうか」

 

 とてもついこの間まで人見知り気味で他人に話しかけるのを躊躇っていた少女とは思えない。

 秋山優花里の、快活たる姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 ――◆Girls und Armored trooper◆

 

 

 

 

 

 

 エリカはやや仏頂面気味に、ニーナとにこやかに会話する優花里の姿を眺めていた。

 前にサンダースと大洗の試合を見に行った時は、みほの回りでちょろちょろしている変な奴程度にしか思っていなかったが、なかなかどうして芸達者な娘ではないか。

 

(ふん……案外やるじゃないの)

 

 エリカは秋山優花里という少女の名前を、胸に強く刻みつけた。

 大洗には、みほ以外にも見るべき人がいるらしいから。 

 

 

 





 降り注ぐ猜疑、溢れ出る弁明
 学園艦という閉塞空間、逃げ場などどこにもありはしない
 地吹雪のような傲慢が、ブリザードのような冷徹さが
 優花里とエリカの心臓へと突き刺さる

 次回、『狙撃』 銃弾を潜り、秘密を狙う

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