「西住ちゃん、必修科目なんだけどさ、装甲騎兵道取ってね」
降って湧いたような言葉に、みほは目の前が真っ暗になるような思いだった。
虚ろな瞳に映るのはスローモーションに過ぎゆく今のみ。全ては過去に生えて、みほのところには何も残らない。
つまるところ、彼女は午後の授業を何も聞いていなかった。
あんまりにもあんまりな様子だったから、教師にも心配され声をかけられるも、それに対しても虚ろな返事だったのだからみほはすぐに営倉――じゃなかった、保健室行きを命じられた。
『装甲騎兵とは、鍛えられた肉体の更なる延長』
『鍛えるとは単に身体的な面を指すのではない。むしろ、鋼の体を操る心のありようこそが肝要』
『そのための鉄の規律。鉄の掟で心を鍛え、撃てば必中、守りは堅く、進む姿は乱れなし』
『それが西住流――』
みほの眼に映るのは今ではなく過去の風景だった。
何度か壁にぶつかりそうになりながらよろよろと保健室を目指す彼女の耳に、何度も何度も反響を繰り返し飛び込んでくるのは、他でもない母の言葉だった。
『味方の血潮で肩濡らし、連なる犠牲踏み越えて、圧倒的、ひたすら圧倒的パワーで蹂躪しつくす』
『犠牲なくして、勝利はありません。みほ。あなたは――』
『道を誤った』
『道を誤った』
『道を誤った』
『道を誤った』
「みぽりん! 大丈夫!? 顔真っ青だよ! 保健室保健室!」
「沙織さん、落ち着いて。西住さん、大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
「……はぇ?」
みほを現実へと連れ戻したのは、両側から肩を貸してくれた沙織と華の二人だった。
腕から伝わる人間の体温が、過去へと落ちていたみほの意識を覚醒させる。
「武部さん、五十鈴さん」
「んもー沙織で良いっていったじゃん~」
「とにかく、まずは保健室で休みましょう。だいぶ、具合が悪そうですから」
ふたりに連れられ、保健室に入る。ベッドに潜り込めば、みほの気分も少し楽になる。
奇妙なのは別段調子が悪そうでもない沙織と華も左右のベッドに潜り込んできたことだが、聞くに彼女たちも体調不良という建前で、わざわざ追いかけて来てくれたらしい。
……人に心配されるというのも、とても久しぶりな気がする。みほは心が温かいもので満たされるのを感じる。しかし同時に、そもそも自分たちが保健室に来た理由を思い出し、その温かさも急速に冷めていくのも感じていた。
「……」
みほはシーツの下に潜り込むと、ひざを抱えて丸まった。
そんなみほの尋常ではない様子に、左右の沙織と華も心配そうに顔を見合わせる。
「どうしたのみぽりん、なんか様子がおかしいよ? 生徒会長に何か言われた?」
「良かったら、お話してくださいませんか? 私達、ぜひとも西住さんの相談にのりたくて……」
「……」
二人に言われてからも、みほは
みほはおずおずと布団の中から顔を出した。そして、ぽつぽつと事の次第を語り出す。
「選択科目、装甲騎兵道取れって言われて――」
「装甲騎兵道……ってAT使ってなんかドドドバババする、あれ?」
「うん……」
「重々しき歌に送られ、厚い装甲に身を包み、乙女の誇りをかけて競い合うという、あの?」
「……うん」
装甲は全然厚くないと、みほは思わず言いそうになったが飲み込む。
今は、そんなことはどうでもいい事だ。
「あれ? でも選択科目に装甲騎兵道って……うちの学校、装甲騎兵道なかったような」
「今年から、復活するって……」
「ふーん……でもなんで? みほ、ATは全然詳しくないって言ってたじゃん」
「一昔前ならいざしらず、昨今では装甲騎兵道自体、あまり一般的な競技とは言いがたいですしね」
「……沙織さん、ごめんなさい」
「え? なにが? いきなりあやまってどうしたの?」
みほはおずおずと、自分の本当の事情を二人へと話始める。
「実は私、というより私の家は代々AT乗りの家系で……本当はATにもそこそこ詳しくて……」
「ふーん。でも、わざわざ隠すほどのこともないじゃん。よく知らないけど、装甲騎兵道って昔はモテる女の嗜みだったんでしょ?」
「モテるかどうかはともかく、乙女の嗜みと言われていましたね。最近ではややマイナーになってしまった感はありますけれど」
「でもさ、どうせ必修科目なんだから、ちょっとでも得意なほうが良いんじゃない?」
「それに生徒会に直々に依頼されるだなんて、みほさん、もしかして金三十億にも値するような最も高価なワンマンアーミーだったりするのでしょうか」
やや脳天気な二人の言葉に、みほは胃がきゅーっと締め付けられる思いだった。
――金三十億にも値するような最も高価なワンマンアーミー。命無用、情け無用の鉄騎兵。
もし本当にそうだったなら、どんなに良かっただろう。戦いに飽きて、心が冷えることも無かったのだから。
「私、装甲騎兵道に良い思い出がなくて、それが嫌で、装甲騎兵道がない、この学校に転校した訳で……」
みほは天井を見つめながら、掻き消えそうな弱々しい声で呟いた。
その様子に沙織は、何とも不安な気持ちになってきた。意図せず、地雷を踏んでしまったような心境だ。おそらくは華も、自分と同じ心持ちだろう。
だから彼女は、努めて脳天気に言った。
「だったら良いじゃん、別に」
「え?」
「断れば良いって。だって嫌なものは嫌なんでしょ? 無理にやることないよ。それに今時の女子高生に装甲騎兵道なんて似合わないって」
沙織に合わせて、華も続いて言う。
「生徒会にお断りになるなら私達も付き添いますから」
沙織と華に気を使ってもらい、みほは少し申し訳ない気持ちになった。
自分がこうも弱くなければ、無駄な心配などかける必要などないのに……そう思う反面、気を使ってもらってやっぱり嬉しいという思いもある。
「ありがとう」
だからみほは、今度ははっきりとした声で二人へと告げた。
『全校生徒に次ぐ、直ちに体育館に集合せよ。繰り返す、直ちに体育館に集合せよ』
そして、空気を読まない放送が茶番を濁す。
第2話『帰還』
体育館に集まった生徒たちはみな、度肝を抜かれた。
沙織はうわぉと驚き、華は小さく感嘆し、みほは軽く呆然とする。
それは無理も無いことだった。そりゃ体育館にいきなりATが乗り入れてくれば、誰だって驚く。
大洗女子学園の校章を機体のスカート部に備えたATは、床に敷かれたカーボン加工シートの上をローラーダッシュで駆け抜け、生徒たちのそばを一通り走り抜けた後に、ステージ前へと向かって走る。何度かターンをしてちょうど真ん中の位置に止まる――ことができれば格好いいのだが、そうも上手く行かずちょっとズレて止まる。がしゃがしゃ歩いてステージ前中央までやってくると、ATは正面を向いた。
『静粛に! 静粛に!』
件のATの上で、どよめく生徒一同に向けて吼えるのは、副会長――ぽい見た目だが実は広報担当の河嶋桃その人だった。
拡声器を片手に、よく通る声で呼びかける姿は凛々しい。
しかしみほはそんな桃ではなくて、彼女が乗ってきたATの方へと眼を向けていた。
「カブリオレドッグ……」
それがこのATの名前だった。
ドッグタイプのATのコックピットハッチを頭ごと取り外し、代わりに後部座席もとい上部座席を取り付けた改造機で、基本一人乗りのマシンであるATには珍しく複数人乗り込むことができる。
現に今、ガブリオレドッグに乗っているのは三人。操縦席には本当の副会長、豊満な体つきが眼を惹く小山柚子が、後部座席には河嶋桃と会長の角谷杏の姿が見えた。
本来は軍用品、あるいは競技用の機体であるATを民生用に作り変えた機体であり、もともとは改造機が主流だったが、現在では最初から既成品として流通を始めている。工事現場などでは、比較的良く見かけるATであった。
『これより必修選択科目のオリエンテーションを開始する!』
桃がそう大きな声で告げるのに、みほの意識はATから生徒会のほうへと引き戻された。
ATが仁王立ちする後ろ、ステージ上にはスクリーンが用意され、プロジェクターがそこにひとつの映像を映し出す。
――『装甲騎兵道入門』
それが映像のタイトルだった。
――◆Girls und Armored trooper◆
――嘘を言うなッ! と、いうのが映像を見終わった後の、みほの素直な感想だった。
欺瞞に満ちたその内容に、温厚な性格の彼女ですら猜疑に歪んだ暗い瞳でせせら笑いたくなるぐらいだった。
なるほど、映像そのものは良く出来ていた。
過去の装甲騎兵道の試合映像やバトリングの映像など、様々な素材を繋ぎ合わせて拵えられたソレは、そのまま装甲騎兵道協会のPVに使えそうな出来だった。
あんなものを見せられれば、装甲騎兵道をやりたくなる者が出てきてもおかしくはない。
「私、装甲騎兵道やる!」
そう、みほの目の前ではしゃぐ武部沙織のようにである。
例のPVが終わってから妙に眼をキラキラさせているのに、みほは嫌な予感を覚えていたが、やはりというかやはりであった。
みほは折角友だちになった彼女が、あんな詐欺まがいのプロパガンダに乗せられているのに切なくなった。
まるで悪い男に騙される娘を見る母親のような心境だった。
「最近の男子って強くて頼れる子がすきなんだって! どうせ運転するならダングよりATだよ!」
きゃぴきゃぴと笑う沙織に、みほの眼はゆるやかに死んでいった。
彼女の脳天気な明るさは、みほには眩しいぐらいに好ましいが、今はその明るさに脳が痛い。
「それに装甲騎兵道やればモテモテなんでしょ! みほもやろうよ! 家元って言ってたじゃん!」
みほはとりあえず沙織に真実を知らせることにした。
真実はいつも残酷だ。それは認めがたくもある。だが、それが真実というものだ。
「……鉄臭い」
「……え?」
「鉄臭いし、狭いし、身動きできないし、怖いし、煙いし、狭いし、揺れるし、むせるし」
「え? え? え?」
「汗臭いし、眩しいし、煙いし、狭いし、うるさいし、むせるし」
「え? 何? みほどうしたの? 急に虚ろな瞳で縁起でもない!」
淡々と事実を告げるみほの様子に、沙織もちょっと怖くなって来たようだ。
ここで畳み掛けよう。みほは決定的な一言を告げることにした。
「沙織さん、ボトムズって言葉の意味、知ってる?」
「え? ズボンとかスカートのこと?」
「沙織さん、それはボトムスでは」
沙織のボケを華麗にスルーし、みほはその意味を教えてあげた。
「ボトムズっていうのは、AT、あるいはAT乗りの呼び名なんだけど……意味は」
「意味は?」
「最低野郎」
「え?」
「最低野郎」
「みほさん、それは言葉通り、最低の人、っていう意味でしょうか?」
華が聞くのに、みほは頷いた。
「乗り手も最低の荒くれ揃いなら、乗ってるATも最低のマシン……それでついたアダ名がボトムズ……」
「えー……なんかイメージとちが~う……」
みほの心底ウンザリした言い方に、沙織は早くも意見を翻しそうになっていた。
だが華は違った。
「素敵じゃないですか」
「え?」
「え?」
「私、もっとアクティヴなことがやってみたいと、前々から思ってましたので」
引き離すために話した中身に、今度は華が引き寄せられてしまった。
キラキラと眼を輝かせ、もっと教えてくださいと自分を見る華の視線に、みほは頭を抱えた。
――◆Girls und Armored trooper◆
結論から言おう。
みほは結局、装甲騎兵道を履修することになった。
神にだって従わない。言うだけならば易いが、そんなことができる傑物は遺伝確率250億分の1の異能生存体かその近似値、あるいは神の後継者たる異能者、触れ得ざる者ぐらいのもので、残念ながらみほはそのいずれでもなかった。
沙織と華こそ必死の説得で思いとどまらせることができたものの、そこでまたも水を差してきたのが生徒会だった。
生徒会の脅迫に、みほは屈した。自分だけならばともかく、沙織と華を巻き込むことはみほには耐えられなかった。
故に、みほはまた生きて『ここ/戦場』にあり。
煙にむせて、鉄の軋みに身を任せる為に、彼女は装甲騎兵道へと戻っていた。
――そしてATの方もまた、彼女のことを待っていたらしい。
「1機だけ?」
「うん。ガブリオレドッグは流石に試合に使えないからね~レギュレーション違反になっちゃうし」
「何より搭乗者が危ないからな」
みほに、沙織に華、そして装甲騎兵道を履修することになった20名弱の生徒たち。
彼女たちが集められた古臭い倉庫の真ん中に、そのATは降着状態で鎮座していた。
杏会長と桃の間から見えるその鋼鉄の佇まいに、みほは強い見覚えがあった。
「パープルベアー……」
ATには珍しいステレオスコープのふたつ目頭は、みほが黒森峰で愛用していたスコープドッグのカスタムタイプと同じ種類のものだ。
違うのは、みほの機体が純然たる装甲騎兵道競技用の機体だったのに対し、これはバトリング用のカスタム機だということだ。
身軽さを追求し、もともと厚くもない装甲をさらに薄くした姿は、経年劣化による錆も加わって一層みすぼらしく見えた。
「1機だけ?」
「ふるーい」
「ぼろーい」
「侘び寂びでよろしいんじゃ?」
「これは只の鉄錆」
パープルベアーの埃臭い姿に、集まった一同が騒がしくなるなか、みほは半ば無意識的にATへと歩み寄っていた。
「みほ?」
沙織が呼び止めるのも聞かず、みほはパープルベアーまで歩み寄ると、コックピットハッチを開けようと試みた。
錆にも負けず、ハッチは無事に開く。
みほは言葉もなくコックピットに乗り込んだ。
そこはみほにとって、皮肉にも懐かしい匂いのするところだった。
手には冷たい鉄の肌触りしかなかったが、慣れ親しんだ感触が蘇ってきていた。
そんな彼女の瞳の色が、普段と若干違うものになっていることに気付いたのは、この段階ではごく僅かだった。
人の運命を司るのは、神か、偶然か
捨てたはずの道に、眼をそむけた筈の道に、みほは再び足を踏み入れる
まず求むるは鋼の騎兵。始まるはアテのない探索行
だが、みほの躰に染みついた硝煙の臭いに惹かれて
変わったヤツらが集まってくる
次回『捜索』 木立の陰から、もじゃもじゃ頭が微笑む