「今朝はありがとう」
「え? ……ううん。良いよ、別に、あれぐらいのことは」
今朝の事とは低血圧で生ける屍のようになっていた彼女を、みほが学校まで肩を貸して連れて行ったことだった。
――冷泉麻子。
AT探しのために潜った船底の一室で昼寝していた変わり者の才女。武部沙織の幼馴染。それが彼女だ。
果たして、みほは再び彼女と巡りあった訳だが、それは予想だにしないタイミングと場所であった。
「麻子じゃん! こんな所でなにやってるのよ!?」
と沙織がどこかで聞いたように問えば、麻子答えて曰く。
「自主休講だ」
要するにサボりである。相変わらずの自由人っぷりに、みほは乾いた笑いしか出てこない。
「それよりも……」
と、華が心配そうな声で言う。
「今は装甲騎兵道の授業中ですし……このままだと危ないんじゃ」
華の指摘も最もだった。
装甲騎兵道は武道でありスポーツ。安全に配慮されているとは言え万が一ということもある。
「そうだね。本部に連絡して聞いてみる」
ATは基本二人乗りができるようには造られていない。
カーボンコーティングされて安全な機内に入ってもらうということもできそうにはなかった。
「本部へ、こちらA分隊隊長機、応答願います」
『聞こえているわ。何かトラブルでもあったかしら』
装甲騎兵道に使用するATは試合中、通信兵用のATを通さなければ長距離の通信ができないようになっている。これは敢えて安易な通信を不可能にすることで、分隊同士のチームワークにより大きな意味を持たせるためにと決められているルールなのだが、例外は審判本部への通信で、これは試合中どこでも誰でも直通で連絡をとることができた。
「授業を履修していない生徒が一名、試合場に迷い込んでいます。安全に配慮し、一時練習試合を中止してその生徒を本部まで運ぶべきかと」
『なるほどね。その生徒を本部に運ぶことは了解したわ。ただ試合中止は必要ありません』
「え?」
『もう他のチーム同士も戦闘が始まっているから、今は中止をかけるのはタイミング的に無理ね。一機選んで、その子に例の生徒を運んでもらって』
「つまり……一時的にチームから1機減るってことですか?」
『そう。そういうアクシデントも練習のうちよ』
「わかりました……通信、終わり」
みほは通信を切ると、軽く小さな溜息を吐いた。
装甲騎兵道における試合中の一機は思いのほか存在が大きい。
一機ATがいるかいないかで戦術の幅が変わってくるからだ。
「すまんな。何なら私は歩いて出て行くが」
と、麻子が言うのに、みほは慌てて首をぶんぶん横に振った。
「そんなのダメです! 私が運んでいくので何の問題も――」
――『犠牲なくして勝利はありません、あなたは道を誤った』
不意を撃つように、去年の苦い思い出が脳裏に浮かび、慌ててそれを胸の内へとみほは押し込んだ。
去年のことは今は関係ない。ただ今なすべきことをなすだけだ。試合中に一機一時的に抜けるのが何だと言うのか。
「……みぽりん、私が行く!」
「沙織さんが?」
「武部殿がですか?」
みほの様子を見て何か思ったのか、そう言って手を上げたのは沙織だった。
「私のATなら足回りが速いし、それに隊長機のみぽりんや、割と慣れてる秋山さんに行かせる訳にはいかないし」
「西住さん、どうします?」
「西住殿?」
沙織の提案にみほはちょっと考えて、うんと沙織に頷いた。
「わかりました。沙織さん、お願いします」
「うん! 大急ぎで行って帰ってくるから! ほら麻子、とりあえず乗って!」
沙織は跪いて自機の左手を差し出した。
「沙織の運転か。心配だ」
「なによもー! 前に遅刻しそうなときにダング乗せてあげたじゃん!」
「覚えてる。だから心配だ」
「もう、とにかく早く乗ってよ! 急いでるんだから!」
「わかった」
沙織は左手に麻子を座らせると、自機を立ち上がらせてハッチを閉める。
『それじゃ、すぐに戻ってくるから』
「頼みます」
沙織のブルーティッシュ・レプリカはグランディングホイールを増設されたカスタム機であり、その背中は木々に紛れてすぐに見えなくなった。
みほは少しホッとした。ひとまず、これで不安要素がひとつ無くなった訳だ。
意識を切り替え、みほは分隊長として指示を出す。
「……まずは移動します。B分隊が追撃をしていれば、そろそろ追い付かれる頃合いです」
『ファッティーは直線的な移動ならば、ATの中でも随一の性能ですからね』
『でも何処へ? 地図を見た所、川がある場所以外はどこも似たような地形ばかりですし』
華の指摘通り、この試合場は川と吊橋以外は起伏も少なく代わり映えしない。
だがみほの目から見れば少しでも自隊が有利になりそうな場所はピックアップできた。
「B-3地点に少し開けた場所があるから、そこで待ち構えます。小回りが利くスコープドッグなら格闘戦に持ち込めば有利ですし。それに――」
『……みほさん?』
みほは急に言葉を途切れさせ、黙りこんでしまった。
ステレオスコープを左右に動かし、周囲をつぶさに探っている。
(何もない……気のせいかな)
「ううん、なんでもない。B-3地点への移動を開始します」
『解りました。みほさんに続きます』
『了解です、西住殿』
第10話『奇襲』
「気づかれたかと思った」
『流石は西住流……隙がない』
『このままだと、サーブ権とれないんじゃ』
A分隊が走り去った後、ひょっこりと木陰から顔を出したのはB分隊のファッティー達だった。
みほの予想した通り、ファッティー特有の高機動力で追いついた彼女だったが、先の奇襲が失敗して慎重になっていたのと、精神的支柱であるキャプテンの不在も重なり、攻めるに攻められず遠巻きに眺めていることしかできなかった。みほが彼女たちに気づかなかったのも、ひとえに距離が開きすぎていたのと、ファッティーの装甲が林に溶け込みやすいコバルトグリーン色だったからだろう。
「追いかけよう! キャプテンにリベンジを任されたんだから!」
『でも、迂闊に近づいて全滅したら目も当てられないよ』
『そんなこと言ってる暇があったらひたすらにアタックよ! キャプテンならきっとそう言う!』
運動部(元)らしい元気と思いきりの良さが売りの彼女たちだが、その表情にはどことなく精彩を欠いている。
それも当然、旧バレー部の内、2年生はキャプテンの典子のみで、後の三人は全員一年生なのだ。
常に自分たちを引っ張って来ていた先輩がいきなり離脱したのである、全く動揺するなと言うのがどだい無理な話で、例え学内の練習試合に過ぎなくても、初めて尽くしのAT操縦に彼女たちは戸惑っていた。それでも、典子の激励のおかげで彼女たちは随分と落ち着いてはいたのだが。
「轍が残ってるから、それを追って行くよ」
『あっちは追われてるの気づいてるかな?』
『気づかれてるなら、待ち伏せしてるかも。気をつけないと……』
木々の間を走る轍は、森の奥へ奥へと続いている。
普段ならなんてこと無いただの森も、その向こうに敵が待っているかと思うと何となく不気味に見えてくるから不思議だ。
(……いけない)
妙子は顔をパンパンと叩いて気合を入れ直した。
何ともらしくない。こんな様子を先輩に見られたら、根性が足りていないと怒られてしまうだろう。
「みんな根性見せるよ! ファイトー!」
『『ファイトー! オォッ!』』
分隊長代理の妙子が音頭取れば、忍もあけびも合わせて叫ぶ。
すると不思議と元気が湧いてくる。萎えかけた戦意も改めて燃え上がった。
『いやぁいやぁ元気良いねぇ。感心感心』
しかしいきなり無線から飛び込んできた謎の声に、一同頭に冷水をぶっかけられた気分だった。
大慌てて周囲を見渡せば、ちょうど背後を取る形で、二機のスタンディングトータスが横並びに立っていたのだ。
妙子も、忍も、あけびも急いで得物の照準を相手へと合わせる。
『待って待って撃たない撃たない。今はまだ敵じゃないんだからさ』
落ち着いて見れば、A分隊をやっつけるまでは暫定味方のE分隊だった。
生徒会長の紫色のトータスに、副会長の薄桃色のトータスの二機だ。広報担当のビートルはなぜかいない。
『隊長機がやられて三機か~。ねぇちょうどいいから一緒に行動しない。それで数の上じゃ西住ちゃんに勝るよ』
――◆Girls und Armored trooper◆
予想された追撃もなく、みほ達は予定していた場所までたどり着くことができていた。
木々のトンネルをくぐり抜ければ、小さな空き地へと一行は飛び出す。
「地形の構造上、追撃がくるとしたら南側からです、全機散開して木々の陰に隠れて待ち伏せます」
『配置はどうしますか?』
「私を中心に、右側に華さん、左側に秋山さんがそれぞれ位置についてください。敵ATの姿が見えたら砲火を集中し一気に叩きます」
『解りました!』
『了解です!』
空き地を通り抜けた向こう側の木々の陰に身を隠す。
「攻撃のタイミングを合わせます。私の機体が木陰から出るのに合わせて攻撃を開始してください」
言いつつみほはヘビィマシンガンのセレクターを単射から連射へと切り替える。
予備弾倉のない今回の模擬戦では弾薬の節約が重要だ。しかし待ち伏せ戦法をとる以上は、反撃を許さない為にも攻撃時に最大の火力を用いなくてはならない。幸い、装甲騎兵道は敵ATの武器を奪い取ることがルール上認められている。いざとなればファッティーの武器をいただくとしよう。
「……」
『……』
『……』
しばし、待つ。
みほも、華も、優花里も、誰一人声を発することもなく、木立ちに潜む。
「……」
『……』
『……まだですかね』
もうしばし待つが、追撃者の姿は見えない。
最初に焦れたのは優花里で、声には出さないが華も焦れて来ているらしいのがATの微妙な挙動で伝わってくる。
「……」
『もしかして最初から追ってきてはいなかったのかも』
『西住殿どうしますか? 移動しますか? それとも――』
「ちょっと待って」
華と優花里の言葉をみほは遮ると、急にハッチを開いて身を乗り出し、ゴーグルを取って眼を瞑った。
耳に手を当てて意識を澄ませば、色んな音がよりクリアになって聞こえてくる。
風にそよぐ木々の音、遠雷のように鳴る砲声、そして――。
(ATの駆動音……)
それもローラーダッシュのものではなくて、歩いた時に出る、膝関節の金属同士の擦れる音。マッスルシリンダーの蠢く音。それに重い鋼が地面を蹴るが故のズシンという低い音。微かではあるが、確かに聞こえる。近くに、ATが確実に居る!
(ローラーダッシュの音は大きい。気づかれないために敢えて歩いてこっちに向かって来てる)
ATの中でスピーカー越しに聞いていれば解らなかったかもしれない。
だがみほは気がついた。おそらく相手はこちらの待ち伏せを予期し、その裏をかいて奇襲をかけるつもりだ。
みほはコックピットに戻ると華と優花里へと新たな指示を出す。
「左右から来てる。こっちに気づかれないように歩いて。数はたぶんだけど右が三機、左が二機」
『え? 追いかけてきているのは三機のはずじゃあ?』
「たぶん別のチームと合流したんだと思う。数が中途半端なのが気がかりだけど」
『西住殿、どうしますか? ここで待ち構えて迎撃しますか?』
「……ううん。打って出て、各個撃破します。敵に気づかれないよう、こちらも歩いて近づきます」
――◆Girls und Armored trooper◆
『会長、そろそろAチームの真後ろに到着します』
「みたいね~。それじゃもう一回、段取りの確認しよっか」
『ええと、私が援護して会長が接近戦に……でも大丈夫なんですか?』
「いいのいいの。私のほうが小山のより足回りが良いんだから」
杏会長と柚子の2人は、ゆっくりと歩きながら森の中を進んでいた。
特に杏のスタンディングトータスはブルーティッシュ・レプリカ同様、大型のグランディングホイールを増設されたカスタム機だったが、今は敢えてそれを使わない。実際操縦してみて解ったが、思った以上にATというやつは音がうるさい。ローラーダッシュをすればすぐに相手に気づかれてしまうだろう。
B分隊と杏らE分隊は、それぞれ左右から待ち伏せているであろうA分隊に、逆に不意打ちをかけるべくふた手に別れて行動していた。あまりひとつに固まると相手にバレるかもしれないからだった。
みほ達の残した轍の方向と地図を見比べれば、相手が攻撃をしかけるならどこを選ぶか、ということは自ずと明らかになる。装甲騎兵道こそ未経験な杏だが彼女は中々の狸少女であり、腹芸には一日の長がある。知識はなくとも知性で後れをとるつもりはない。
「まともに正面からやりあったら勝負にならないだろうし、一気にせめて一気に畳む。まぁこれしかないよね」
『でも相手は西住流ですよ、大丈夫なんでしょうか?』
「戦う前からビビったってしょうがないって~。ぶっちゃけあとは出たとこ勝負かなぁ」
そこまで言った所であった。
爆音と黒煙が、木々の向こうに上がったのが見えたのは。
『会長……あれ』
「あちゃ~やられちゃったかな」
『でも、負けたのはAチームのほうかも』
「希望的観測はむなしいから止めようよ小山」
合流予定のB分隊の居そうな辺りから上がった黒煙だ。意味することは明らかだった。
「ま、取り敢えず行こうよ。まだ生き残りがいたらうまい具合に挟み撃ちにできるかもだし」
『もうローラーダッシュは使っても?』
「隠れる意味もなくなったし、がんがん行こうよ」
いずれにせよいずれぶつかり合う相手。ここは臆して動きを止めれば却って不利になる局面。
今はただ、前進あるのみ。
そんなことを、杏が考えていた時であった。
『会長、右側からなんか来ます!?』
「右?」
杏が自機を右に向ければ、木々の向こうから猛スピードで突っ込んでくるATが一機。
ピンクがかった赤い配色は、A分隊のブルーティッシュ・レプリカ!
「小山、援護」
『はい!』
柚子機がGAT-40 アサルトライフルをぶっ放すのを、ブルーティッシュ・レプリカは細かなクイックターンで避ける避ける。
『あ、当たらない!?』
「……バルカンセレクター!」
音声認識機能を使って、ヘビィマシンガンの連射機能をオンにする。
杏もヘビィマシンガンを向けてフルオート射撃を浴びせるも、木々を盾に使って一発もかすりもしない。
加えてその機動も、林の木や枝が邪魔ですぐに捉えられなくなる。
ターンピックとグランディングホイールを駆使した連続する細かい半回転の軌跡。
まるでフィギュアスケーターのスピンだが、それを足場も悪い木立の中でやるとは。
「っかしいなぁ。こんな操縦できる娘ウチの学校に――」
『会長危ない!?』
柚子の警告は遅きに失していた。
杏が相手にヘビィマシンガンを向けるよりも早く、ブルーティッシュ・レプリカ右腕部の鉤爪が視界一杯に迫って来ていた。