「ねえねえ、霧絵稲荷。どうしちゃったの?」
「分かんないけど、窓の外をずっと見てるわね」
二年生の教室は、異様な空気に満たされていた。何故なら、学園でも有名な化け狐の狐村霧絵が、息を吐き何を見るでもなく、ただただ窓の外を眺めていたからである。
普段の彼女からは、想像もつかない姿であった。
「ほぅ……」
「いや、あれ、どうしちゃったのマジで」
「私が知る訳無いでしょう、もしかして子狐君と何かあったのかしら?」
完全に子狐で認識されている織斑少年、日々常日頃から、狐の後ろをチョコチョコ付いて回っているのだから、当然と言えば当然である。
「みんな、おっはよう!」
「楯にゃんだ!」
「楯にゃんが来たぞ! これで勝つる……!」
「朝から、どうしたの? 皆」
あれ、あれ!と皆が指差す先には、先程と変わらぬ霧絵がいた。
「なに、あれ?」
「霧絵稲荷」
「霧絵御前」
「うん、それは分かるわ」
分かる、分かるのだが、自分達の知っている霧絵からはかけ離れており、違和感満載で一瞬分からないのだ。
だが、楯無には分かった。頬を赤らめ、ほぅと息を吐き、外を眺め、時折体をモジモジとくねらせる。
間違いない、あれは恋する乙女の顔だ。
根拠は無いが、女の勘が告げている。親友に春が来た、と。
そこからの楯無は速かった。瞬時に霧絵の元へ向かい、話を聞く体勢に。その動きは、培ってきた更識の技の粋を存分に使った動きであった。
「霧絵ちゃん」
「ん? おぉ、猫か」
「話を聞きましょうか」
「何の事ぞえ?」
はっはっはっ、この狐め、惚けよるわ。残念ながら、霧絵ちゃん。ネタは上がってるのよ?
白状しちゃいなさい。
「あ! 一夏君」
「ほ!」
ほ!って言った! ほ!って言ったわ。一夏君を探して、キョロキョロしてる。益々、確信に近付いてるわね!
「ぬ?猫よ、き、狐を化かすとはお主……」
「あの霧絵稲荷様が、まさか、ねぇ?」
「コ、コココ、そ、そんな訳があるまい?この私が、教え子に恋心など……」
「あら?私は、一夏に、なんて言ってないわよ?」
「……ぬうぅ……」
「ほらほら、白状しちゃいなさいな。一夏と何があったのか♪」
ぐぬぬ、おのれ化け猫め。覚えておれよ、この辱しめは忘れぬぞえ!
しかし、私としたことが顔に出してしまうとはのぅ。
「……いや、の。教え子に、抱かれて……」
「抱かれたー!?」
「こ、声が大きいぞえ、猫」
「いやいやいや! 霧絵ちゃん! だ、だかだかだかだかだか?!」
「落ち着かんか、それにはまだ、続きがあるぞえ」
まったく、この猫は。騒ぎ過ぎぞえ、早とちりはいかんぞ?
「抱かれたと言っても、猫が想像する様な艶のある話では無いぞえ。ただ、教え子の腕の中で眠ってしまっただけよの」
「な~んだ、吃驚したわ。霧絵ちゃんったら、紛らわしい言い方するんだもん」
「喧しい猫よのぅ、まったくあやつめ」
「でも、嫌じゃなかったんでしょ?」
まぁ、の。あやつに恋慕の情を抱いておるのは、事実よ。しかし、私はその想いを告げることは出来ぬ。
だが、猫に惚気を聞かせるのは、悪くはないのぅ。
「…………」
「霧絵ちゃん?」
「コココ、昨晩あやつが、慣れぬ考え事をしておっての」
「あの、霧絵ちゃん?」
「疲れたであろうから、狐のクッションで癒してやろうと、抱き寄せてやったのだえ」
「霧絵ちゃーん!?」
「素直に抱かれよって、愛しさのあまりに頭を撫でたら、中々の撫で心地でのぅ。そのまま眠ってしまったぞえ」
「お願いします! 勘弁してください!」
「コココ、何を言うか? 猫が聞いてきたのだろう?」
狐を謀った罰ぞ、たっぷりと聞かせてやるぞえ?
それにしても、教え子の抱き心地もさることながら、抱かれ心地も中々のものよ。
朝起きて、あまりの心地良さに、軽く腰が抜けてしもうたぞ?
かつては災厄として畏れを一身に集めた私に、一人の女として想いを抱かせるとは、いつの間にやら立派になりよって、見違えたのぅ。狐の操、あやつになら惜しくはないかもしれん。
だが、私はあやつと共に居られぬ。あやつを一人遺して、私は先に逝かねばならぬのだ。
出来ることなら、あやつと共に、あやつの側で生きていきたいのぅ。
「それでの、あの時の教え子の顔と言ったら……」
「も~かんべんしてくださ~い」
教え子よ、お主を一人遺して逝く師を赦しておくれ……
せめて、私の持つ全てをお主に遺して逝くから、この愚かで哀れな狐の事など忘れ、お主はお主の未来を生きておくれ。
それが、私の願いぞ。
……一夏
最近、師匠の様子が変だ。訓練で『尾』を滅多に使わなくなったし、使った後は何時もフラフラと何処かに行ってしまう。
それに何故か、俺を抱き付いてきたがるし、頭を撫でたがる。嫌じゃない、むしろ嬉しくなるけど、何故か寂しくて悲しくもなる。
何でなんだろう?
簪やダリル先輩やフォルテ先輩達に聞いても、物凄い顔をされるだけで教えてくれないし、むしろ、怒られたりする。
分からない、分からないのに、いや、分からないから辛い。
師匠は師匠。その筈なのに、師匠が側に居ないと寂しい。師匠が笑ってくれないと悲しい。
何なんだ?この気持ちは?
分からない、分からないよ、師匠。
前から、おかしな夢を見る。師匠によく似た凄く綺麗な九本の尾を持つ狐の夢を見る。
その夢では、何故か俺は白い狐になってて、その綺麗な狐に遊んでもらったり、甘えたりして過ごしていたんだ。
なのに、最近はおかしい。遊んだり甘えたりして最後は、あの綺麗な狐に抱かれて眠る。それが、その夢の終わり方だった。
なのに最近は、あの綺麗な狐が居なくなるんだ。代わりに、俺の尾が十本になっている。俺は何度も何度も繰り返し、遠吠えをあげて綺麗な狐を探す。それでも見付からず、最後は目が醒める。
それが最近の夢。
「師匠……」
嫌だ、嫌だよ師匠。居なくなったりしないで、俺の側に何時までも一緒に居てよ。
師匠が居ないと、師匠が笑ってくれないと、悲しいよ。
側に、側に居てくれるだけで良いから、居なくなったりしないで
……霧絵