間違った情報に踊らされない様に、ネットやテレビで聞いた話でも、一度落ち着いてよく考えよう。
最近、にじさんじにはまったナマモノでした。
「おやぁ?」
霧絵が書斎での調べ物を終えて、茶を淹れながら、煙草でも呑もうかと、居間に向かうと、卓袱台に何やら見覚えのある包みが置いてある。
「ふむり、忘れて行きおったか」
巾着の口を摘まみ、持ち上げてみれば、当たり前だが中身の重さがある。
はてさて、どうしたものか。
時刻はまだ昼前、学園の昼休みまでは時間がある。
「どれ、まずは……。うん?」
煙草でもと、煙管と煙草入れや小物を入れていた巾着が見当たらぬ。
はて、と首を傾げるも、卓袱台の上の巾着を見て合点がいった。
「間違えて、持って行きおったな」
煙管を入れていた霧絵の巾着は、一夏の巾着を作った時に、余った布で作った同じ柄の同じ様な巾着だ。
違うのは、大きさと紐と飾りだけ。
「だから落ち着けと言うたのに、ほんにしようのない子ぞえ」
大事な職員会議が、急に予定を繰り上げて朝に行われる事になり、一夏は大慌てで支度を済ませていた。
霧絵は、焦ったところで学園島には、時間の決まったモノレールでしか行けないのだから、少し落ち着けと言ったのだが、話を聞くに余程重要な会議だったらしく、支度を終えるやいなや、大慌てで家から飛び出していった。
まったく、昔とまるで変わらぬ。しかし、そこが可愛らしいと、霧絵は喉奥で笑う。
だが、このままでは宜しくない。
「ふむり、時間はあるが……」
以前に、食堂で昼食を摂っていると、生徒が騒がしくてどうにも落ち着けないと、そういう事で霧絵が弁当を拵えているのだ。
特に気にはしてないが、霧絵としてはその絵面は面白くない。
「しかし、どうするか」
学園島へ向かうモノレールに乗るには、教員か島で働く職員、若しくは学園島に出入りのある業者である事を示す登録票が必要になる。
霧絵は嘗て学園に在籍していたが、卒業を待たずに学園を去っており、職もIS業界にも関わっていない。
つまり、正面から学園に入る手立てが無いのだ。
さて、どうするか。
「行って考えるとするかの」
行って駄目なら、辺りを散策して、公園か何処かで弁当を食べよう。
そうと決まれば、霧絵はいそいそと外出の準備に取り掛かる。
財布と、最近持つ様になったスマートホンを懐に入れ、戸締まりを確認して、家を出る。
そして、ある事に気付く。
「ふむ、モノレールの駅は何処だったか」
あのいけ好かぬ神に、この世界に放り込まれてから、在籍中は学園島から出る事は無く、今もあの日に目を開ければ、兎の手により学園の外に居た。
つまり、この世界での霧絵の世界は、自宅の周辺と過去の学園の、非常に狭い世界となる。
「ココ、さて、困ったものよな」
「何が困ったのかしら?」
「ヒョ? おや、猫ではないか」
道が分からぬなら、タクシーを呼ぶかと思案していると、更識楯無がひょっこりと顔を出した。
「あれ、お出掛け? 珍しい」
「やけに決め付けおるではないか」
「巾着持って、玄関から出てきたら、誰だってお出掛けでしょ」
そんなものかと、霧絵は納得し、楯無を見る。仕事中か、フォーマルな格好をしている。間違いなく、休日という姿ではない。サボりか何かだろうが、自己管理の出来ない人間ではない筈なので、霧絵は特に何も言わない。
だが、
「……時に、猫よ」
「ん?」
「お主、確か車持っておったな」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「はあ……」
もうじきに昼時だというのに、暗い溜め息が一つ落ちていた。
目の前の机には、小さな和柄の巾着が一つ。弁当だと思って、急ぎ持ってきたが、中身が霧絵手製の弁当ではなく、喫煙具や小物を入れる巾着だった。
やはり、霧絵の言う通りに、少し落ち着けばよかった。
「どうするか」
緊急だと思っていた職員会議も、実は夜間に起きていた、機材トラブルによるデータ上の間違いであり、実際は明日の朝だった。
これには、教員全員から顰蹙を買い、大至急機材を入れ換える事になった。
「だから、早く替えた方がいいって言ったのに」
しかし、今それを言っても、何も始まらない。今は昼食をどうするかだ。
食堂に行くのは、正直避けたい。恐らく、自分に繋がりを持ちたい国の指示でもあるのだろうが、一夏にとって異性とは霧絵だけであり、それ以外は霧絵以外の個人だ。つまり、小娘共相手に靡く事など有り得ない。
なら、購買か学園島内にある店に行くか。
それでも、問題は無い。だが、学園の購買は品揃えが、やはり女性向けであり、男の一夏としては、少々物足りない。
かといって、学園島内の店は正直、あまり行きたいとは思わない。
当たりの店と外れの店の差が大きいのだ。
学園島という閉鎖空間では、顧客の数が大きく変動する事は少ない。故にか、学生向けのメニューで、値段も安く味もそれなりだった。
しかし、最近は顧客の数に変動が少ないと解ったのか。露骨に手抜きする店が、増えてきた様に感じていた。
――儲けを出さないといけないってのは、解るんだけどさ――
ちょっとだけ納得がいかない。
なら、今日一日は我慢して、味も量も値段以上の食堂に行こう。
そう決めて、しかしやはり憂鬱だと、もう一度溜め息を落とすと、何やら廊下が騒がしい。
普段とは違う、何かはしゃぐ様な騒がしさだ。
何かあったのかと、職員室に居た他の教員数人に顔を向けるが、全員が知らないと首を振る。
喧嘩や言い争いとは違うので、急ぐ必要は無さそうだが、何が起きているのかの確認と、いきすぎる様なら注意も必要だ。
「おーい、どうしたよ?」
「あ、織斑先生」
職員室の扉から顔を覗かせると、丁度よく担当しているクラスの生徒が居た。
「私も何がなんだか」
「だろうな」
廊下が人で埋まっている。いくら人が多い学園でも、これはちょっと異常事態だ。
何が起きているのか確認する為に、人垣の前へと進むと、何か見覚えのある髪色が見える。
「……楯無さん?」
「お、一夏君見っけ」
ごめんねーと、人ごみを掻き分け、楯無が一夏へ向かう。
一体何故と、一夏が問う前に、楯無は手にしたスマートホンで、何処かへ連絡を取る。すると、階下の方から黄色い声が聞こえてきた。
本当に一体何が起きているのか。
疑問を言葉にする前に、また見覚えのある姿が見えた。
「おーう、子狐」
「久し振りッスね」
「ダリルさん? フォルテさんまで、どうしたんですか?」
二人が近々来日する事は聞いていた。だが、学園に来るかどうかまでは聞いていない。
「ああ、オレ達は気にすんな。ただの露払いだ」
「露払い?」
「そうッスよ」
「コココ、ご苦労二人共」
「霧絵?」
「おうおう、一夏よ。忘れ物を届けに来てやったぞえ」
感謝するがよいぞ。
弁当の入った巾着を持った霧絵が、柔らかな笑みと共にそこに居た。