私の愛しい愛しい出来の悪い教え子   作:ジト民逆脚屋

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今回はかなり妙な話になってます。


霧絵と一夏の不思議な夢

「ん……」

 

一夏は心地好い眠りから、ゆっくりと、掬い上げられる様に目覚めた。暖かな、柔らかくただ縋っていたくなる。まだ朧気な意識の中、自分が身を任せているものに、そっと指先を這わせて、手に掴めば、優しくその手を包まれる。

 

擽ったさも感じる、柔らかく少しだけ冷たいそれに、ただ包まれ、そっと撫でられ絡まれ、またゆっくりと意識が眠りに落ちていく。このままずっと、このままでいたい。欲求に任せて、体の力を抜いていく。

身を擦り寄せれば、何かとても軽く柔らかく、優しい暖かさにくるまれた。羽毛の様に軽いのに、確りと自分を抱き止める。

母に抱かれる幼子とは、この様な心地好さに包まれ、安らかな思いに浸っているのだろう。

一夏は、柔らかな温もりを抱き寄せ、縋がる様に身を丸めた。

 

「……ヒョッ」

 

すると、微かに聞き覚えのある声が、耳に届く。一体、何だろうか。一夏は跳ねる温もりを更に深く、己の腕の内に抱き込んだ。

落ち着く匂いが鼻に届く。最早、共に在る事が当然となり、側に居て、隣で生きていく。

そう決めた相手が、霧絵が、目を開けば一夏が思う、一番美しい姿で、頭を膝に乗せ、一夏を慈しんでいた。

 

「起きたかえ?」

「うん、霧絵。尻尾と耳」

 

一夏が言えば、霧絵は少しだけ不安気な表情を見せる。

 

「……恐ろしいかえ?」

「凄く綺麗だ。俺だけの、俺しか見えない霧絵」

 

そう言うと、陽の光を背にして、細い狐の瞳が優しく見詰める。金毛の九重の狐尾が揺れ、その数本が一夏を包む。

 

「まだ、昼寝は出来る時間ぞえ」

「そうかな」

 

狐尾から透ける陽の光は、もうすぐ夕方が近付いてきている。狐の耳が動き、そっと頬に指が添えられる。

 

「疲れた男を癒すのも、女の役目ぞえ」

 

微笑み、なぞる様に頬を、顎を、頭を撫でられる。擽ったくも、その手指に頬を擦り寄せれば、子供を愛でる様に頬を摘ままれる。

 

「昼寝は飽いたかえ? なら、何をしてやろうか」

 

少しだけ悪い笑みを湛えて、霧絵が尾を揺らす。一夏の脳裡に傾国の二文字が浮かぶ。

 

「コココ、はてさて、お主はどうされたいのかえ?」

 

意地悪く、唇を摘ままれる。これでは、口が開けず望む事が言えない。一夏が慌てると、霧絵は意地悪い笑みを深くし、尾で叩かれた。

フワフワと軽く柔らかい尾で叩かれても、微塵の痛みも感じない。むしろ、一夏として嬉しさすらもある。

 

「おやぁ? 尾で叩かれて喜ぶとは、奇矯な趣味よの」

「霧絵の尻尾はフワフワで気持ちいいから」

「そうかえそうかえ」

 

喉奥の笑いが耳を擽る。

不意に陽光に浮かぶ、霧絵の狐耳に触れたくなって、手を伸ばそうとするが、尾に巻き付かれて動かせない。

 

「おやおや、悪い子よのう?」

 

全身が包まれ、極楽と言っても過言ではない、柔らかさと温もりが、一夏を溶かしていく。

抵抗する事は無意味だと、抗う必要は無いのだと、己を撫でる手が、己を包む尾が、その温もりが教えてくれる。

 

「霧絵……」

「ココ、中々に切ない顔をするではないか」

 

尾の巻き付きが強くなる。だが、苦しさは一切感じず、逆に安心感を強く感じる。

 

「ふむり、さて、どうしてくれようか」

 

唇を薄く、舌が舐めた。赤々と血の色をした肉が、唾液に妖しく滑り、湿りと熱を塗り込んでくる。

顔が、喉が近い。霧絵の笑いを溢す白い喉が、その下の、着物の襟から鎖骨が、滑らかな胸元が僅かに覗き見えて、一夏の視線を釘付けにする。

 

「これこれ、随分とませたのう」

 

何か言おうと、口を動かそうとして、だが口は動かなかった。

 

「何も、何も言う必要は無いのだえ。お主はただ、私に愛でられておればよいのだ」

 

唇を啄まれ、淡く吸われ、軽く噛まれる。ほんの少しだけ、鋭い痒みに似た痛みが、唇に走り、溢れた迸りを舌先で舐め取られる。

 

「はっぁ……」

 

熱い吐息が掛かった。吐息というよりも、熱そのものと言っていい様な、熱い姿形の無い薄絹が顔に掛かり、一夏は思わず目を細めた。

すると、もう一度、唇を啄まれ、霧絵が舌先に削いだ紅を乗せ、己の唇に塗る。淡い桜色の唇に、赤々とした紅が差す。

 

「甘露甘露、コココ……!」

 

嗚呼、かの大国の皇帝と、この国のある帝の気持ちが解った様な気がした。彼らも同じ様な気持ちだったに違いない。

己を見詰める双眸に、己だけを写してほしい。

己だけを、己のみを、その宝玉の様な瞳に写してほしい。

独占欲、果たしてこの欲は、独占するのか、独占されるのか。どちらに向いているのか。

妖しく艶やかに、妖艶を絵に描いた霧絵が、妖しく微笑み、溶けた紅が一筋の線となり、彼女の肌を這った。

 

「ケッハ……!」

 

霧絵の口が開いていく。鋭く並んだ狐の牙が、ゆっくりと喉笛へと近付いてくる。顎が閉じていき、徐々に皮膚に肉に、牙が食い込んでいく。

 

「霧絵……」

 

後少し、ほんの少しだけ、霧絵が顎を閉じれば、そこから〝織斑一夏〟という〝命〟は溢れ、零れ落ち、渇れ果て消えていくだろう。

だが願わくば、もし願いが叶うなら、彼女の一部となって、常に共に側に居て在りたい。

 

「いいよ」

 

だから、受け入れる。その痛みも傷も涙も、全て全て全て、何もかも受け入れてしまおう。

 

「……一夏」

 

――愛しているよ――

 

何かが裂け広がって、溢れ出て、零れ落ちて、渇れて果てて、何もかもが遠くに離れていく。そんな朧気で幽かな世界で、確かに彼女の声で、そう聞こえた。

そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちわーっ! 五反田食堂でーす!」

 

よく伸びて響く、しかし何処か疲れた様な脱力感すらある、不可思議な声が玄関の方角から聞こえてきた。

 

「あれ? 聞こえてない系? んじゃ、もういっちょ。ちわーっ! 五反田食堂でーす!」

 

目を明ければ、霧絵の膝に頭を乗せて眠っていた。時刻は夕方の手前、霧絵の尾と耳が夕の陽によく映えていた。

〝そんな夢を見ていた〟

 

「……おや? 二人して眠ってしまっていたかえ」

「……みたいだね」

 

何故か喉笛が痒いが、虫にでも刺されただろうか。

 

「ちわーっ! 誰か居ませんかー?!」

「……おお、そうぞえ。確か出前を頼んでおったのだ」

「じゃあ早く出ないと。もう少し待ってくださーい!」

 

一夏が卓袱台に置いてあった、財布を手に取り、玄関に向かう。

その時ふと、霧絵に違和感の様なものを感じた。

 

「あれ? 霧絵、口紅してたっけ?」

 

あまり化粧をしない霧絵が、口紅を塗っていた。

色鮮やかな、艶のある紅色だった。

 

「ヒョ? ああ、猫の奴の手土産ぞ。何でも、あ奴の傘下の新作らしいぞえ」

「お試し?」

「まあ、そんなものであろ」

「大丈夫ですかー?! 何かありました?!」

「あ、すいません。今行きます!」

 

行って、代金を払い器に入った丼を受けとる。出前を届けに来たのは、最近に五反田食堂に転がり込んできたという、不思議なアルバイトだった。

 

「ではでは、器は後日取りに来ますので」

「はい」

「それじゃ、〝兎印の御守り〟もついでにプレゼント。よく効くとかなんとかかんとかってね」

 

一夏が何かを言う隙すら与えず、彼女は愛車だというベスパに跨がり、颯爽と走り去ってしまった。

手には釣銭と、何やら態とらしい、兎の刺繍がされた御守りが二つあった。

何だろうか。弾も虚も、不思議な娘だが、ギターが上手く悪い子ではないと言っていた。

もしかして、

 

「束さんの知り合いだったり」

 

見上げれば、まだ夕食には幾らか早い。具と飯を分けておいた方がいいかもしれない。

そんな事を考えながら、居間に戻れば、霧絵が首を傾げていた。

 

「どうしたの?」

「それがのう……」

 

何か不思議な夢を見ていた。そんな気がする。

二人でそう言えば、二人で思わず吹き出した。




パンパンと、けたたましくエンジン音が鳴り響き、その中で何処か気怠気な鼻唄が聞こえた。

「ふんふん、ふんふふん。……兎や兎、何見て跳ねるってね」

ゴーグル越しに見る夕焼けは、町を焦がす様に濃い橙色をしていて、影には何かが隠れ潜んでいる。そんな錯覚すらある。
遠く、空を見れば、月が朧気に現れていた。

「跳ねてるかい、束ちゃん」

幸せ兎が跳ねた。そんな気がした。

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