私の愛しい愛しい出来の悪い教え子   作:ジト民逆脚屋

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わーい、逆脚屋は〝姉なるもの〟を手に入れた。
啓蒙が上がった
正気度が下がった

12/21には、〝あの人の胃には僕が足りない〟の二巻が発売だよ!


霧絵と一夏と来客

「霧絵……!」

「ヒョ?」

 

いきなりだった。陽射しの中、居間で微睡んでいると、一夏が霧絵に突然抱き着いてきた。霧絵が目を開けて、己に抱き着いている一夏を見てみれば、仕事着、スーツのままだった。

庭に目をやれば、昼の盛りだろう陽射しが暖かく、一夏が帰るにはまだ早い時間帯だ。だが、一夏はここに居る。

己に抱き着いて離れない、一夏の頭を撫でながら、霧絵は優しく問うた。

 

「おやおや、甘えたよのう。どうしたんだえ?」

「……仕事がツラい」

 

つらたん……。

一体何処で覚えてきたやら、奇妙な言葉を使う。恐らく、生徒からだろうと、霧絵は抱き着いたまま唸る一夏を、確りと抱き寄せて、幼子をあやす様にして、手を置く様に彼の背を叩いていく。

 

「コココ、そうかえそうかえ。どら、狐が愚痴を聞いてやろうぞ」

「うう……、霧絵ぇ……」

 

一夏の頭を膝に乗せ、指先を額に這わせる。それに、擽ったそうに目を細めながら、一夏はポツリポツリと語る。

二人が居た頃から、学園は国際色豊かだったが、それがここ数年で更に豊かになっており、最早混沌と言って差し支えない。そんな有り様だという。

 

「民族的な問題と、宗教的な諸々が一気にきて……」

「難儀な事よの」

 

流石の霧絵も、この手の問題には頭が痛くなる。嘗て、今より文化文明が未発達で、まだ妖物神仏の実在が信じられていた頃、それらは人が争う理由の最たるものの一つだった。それは今でも変わらないが、少なくとも流れる血の量は減った。

 

「なんで、成績だけでクラス分け決めたんだ……」

「不手際が過ぎぬか、それ?」

 

聞けば、何やらキナ臭い気配のする話の中、一夏の言葉の端々に、見覚えのある青毛の〝猫〟の姿が垣間見えた。

どうやらこの話、あの猫の好物の様だ。

己の大事な大事な愛し人が、胃を痛める前に出張ればいいものを。取り合えず次に会った時は、少々灸を据えてやろう。

 

「なんで、俺の受け持ちに集中させてんだ……」

「なに、気にしすぎは毒ぞ? ほれ、狐の枕は良い枕ぞえ」

「うあー」

 

霧絵の膝枕で気の抜けた声を漏らし、一夏は脱力に任せて、頭を撫でる霧絵の手の感触を堪能する。

柔らかで、少し冷たい指先が額を撫でる度に、甘く心地いい痺れに似た感覚に、ゆっくりと浸かり沈んでいく。そんなぬるま湯の中の様な、自身が解れていく酩酊感。

擽る手指にそのままにされ、狐の瞳に優しく見つめられ、己が堕落していく。

 

――これがダメになる感覚……――

 

もうこのまま、霧絵にダメにされて過ごしたい。

俗世と切り離されて、霧絵と二人、ただ自堕落に放蕩の限りを尽くしてみたい。

だけど、そんな事したら霧絵怒るよな。じゃあダメだ。俺はただ、霧絵に甘やかされて、ぐだぐだにダメにされたいだけなんだ。

 

「ココ、眠るならゆるりと眠るがよいぞ。それとも、幼子は狐の子守唄を所望かえ?」

 

あ、無理。俺、明日から有給取る。もう決めた今決めた。

何が悲しくて、あんな世界情勢の縮図で、無闇に胃を痛めねばならないのか。

もう嫌だ。今は霧絵の子守唄だけ聞いていたい。

 

「眠れ眠れ幼子よ……」

 

ゆっくりと言い聞かせる様な、静かで暖かな言葉が耳に染み込んで、全身に広がっていく。

 

「う、あ……」

「起きたら花咲く笑顔を見せておくれ」

 

抗い難い眠気に、瞼が独りでに下りていく。一夏はその極楽の中、霧絵に抱かれる幼子の様に、体を丸めて眠りに落ちていった。

 

「コココ、愛い愛い。本当に幼子の様ぞ」

 

頭を撫で、目を弓にした笑みを浮かべる。こうして、素直に甘えられたのは、何時以来だろうか。今の生活が始まってからは、随分とご無沙汰だった様な気がする。

だからなのか、彼が目を覚ましたら、まずは耳掻きでもしてやろうと、そんな事を考えたのは。

だがそれは、二人だけの時だけだ。

 

「……出歯亀は嫌われるぞえ」

「やっぱり気付かれるか~」

 

柱の影から、水色の不可思議な髪色が、飄々と現れた。

 

「いや、覗くつもりはなかったのよ?」

「悪戯が過ぎる猫は、三味線にでもしてしまおうかえ?」

「あら? かなりお怒り?」

「言うた方がいいかえ?」

 

着物の袖で口元を隠し、狐は猫を睨み付けた。その細目の奥は笑っておらず、楯無は冷や汗を流す。

不味い。非常に不味い。霧絵の目が笑ってない時は、割りと本気で腹に据えかねている時だ。この時は素直に謝るか、一目散に逃げ出せるなら逃げ出して、怒りが治まるのを待つしかない。

だが、体が動かない。まるで〝鉛の塊〟にでも巻き付かれている様な、酷い倦怠感がある。

 

「き、霧絵ちゃーん。もしかして、何かした?」

「コココ、潰そうか呑もうか病まそうか」

「ごめんなさい。代わりに一夏君の問題解決に尽力します……!」

「声が大きいのう」

「……ごめんなさい……」

 

取り合えず、体の重さは無くなった。楯無は安堵の吐息を吐きながら、その場に座った。

 

「問題解決に尽力といっても、その大半は解決したのよね」

「仕事の早い猫は嫌いではないぞえ」

「有難う。でも、割りと根深い問題が残っちゃってて……」

「猫の三味線は、どの様な音色かのう?」

 

素早く頭を下げた。

 

「宗教的な問題でね? 欧州はほら、その辺りがかなり複雑怪奇だから……」

「一度芽生えてしまえば、根絶やしには出来ぬか」

「今までは同じクラスにしないとか、取り合えずの対策は打ってたんだけど、ここに来て担当官がやらかしてくれてね?」

「キナ臭い話よな。素人だったのかえ?」

 

霧絵が問えば、楯無が目を逸らした。

 

「……天下り、それもまったく、そういった話に関わった事の無いボンクラ……」

「ほう?」

 

霧絵の目が細くなる。楯無もこれには、ほとほと参っていた。自分達が卒業して数年、今では黄金時代と謳われる世代の、その殆どが学園に関わらなくなり、あの轡木夫妻も一線を退き、学園は緩んでいた。

その結果、本来は受け入れる筈の無い、外部からの天下りを受け入れ、今回の事態を招いた。

 

「マジないわー、更識も暇じゃないってのにさー」

「であれば、働け。私の一夏が、二度と胃を痛める事にならぬ様にのう」

 

と言っても、楯無も楯無で疲れが見える。やはり、神だなんだのが関わると、碌な事にならない。

 

「ああ~、私も癒されたい。ズブズブに甘やかしてくれる相手が欲しい」

「引く手は数多かろうに」

「ダメでーす。楯無センサーに反応しませーん」

「そんな事をほざいておるから、部下に先を越される」

「言わないで! 惨めになるから!」

 

楯無が耳を塞ぎ、霧絵が眠る一夏の額を撫でた。

 

「ふむり、猫よ。此度の案件、見事解決してみせれば、私が少しばかり相手を都合してやってもよいぞ?」

「……本当?」

「コココ、私に任せるがよい。まあ、猫の眼鏡に叶うかは知らぬがの」

「やるわ。本気でやってやるわ……!」

 

餌で釣ってやれば、すぐに食い付いてきた。こうなれば、この問題で一夏が胃を痛める事は、二度と無いだろう。もし、また同じ事が起きれば、己が出向いてもいい。昔懐かしの学園を訪れるというのも、またいいものだろう。

 

「ところで霧絵ちゃん」

「何だえ?」

「勝負下着は黒がいいかしら?」

「好きにするといいぞえ」

 

煙管で額を小突けば、いい音がした。




耳掻きしようや……

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