挿し絵とか地味に欲しい(身の程知らず
「はい、確認しました」
峯岸は分厚い原稿を整え、茶封筒に詰めた。二千を越える枚数の重さが、確りと手に掛かる。
「いや、しかし評判いいですよ。前回の作品」
「ココ、元寇は受けがいまいちと聞いておったが、どうして中々」
「先生の作品は歴史マニアから、一種の資料扱いされてる節がありますから」
峯岸の言葉に嘘は無い。事実、霧絵の作品はマニアから、歴史資料や論文の様な扱いを受けている。
「資料のつもりで、書いた覚えは無いぞえ」
「それだけ考察が的確で、斬新という事だと思いますよ」
「そうかのう」
己が嘗て見たものを、現代の資料を用いて肉付けし、形を整え、そして文字に起こし、言葉という力を与える。
霧絵にとって、歴史小説の執筆作業とは、嘗ての想起を指す。
大妖狐であった遠い昔、人々は今よりも少なく、しかし今よりも強かった。
「あの防人のシーンなんて、屈指の名シーンだって、映画化の話も出てますよ」
「ココ、峯岸。やるなら、あ奴の役者は並では赦さぬぞえ」
「いや、そこは監督次第ですけど、伝えておきます。並の役者を配役するなら、この話は無かった事にと」
「コココ、それでよい」
海を地を埋め尽くす敵兵に向かい、幾千幾万の刀に斬られ、槍に貫かれ、矢に射抜かれて、それでも折れず立ち向かい、最期は首だけとなっても、敵の喉笛を噛み千切ってみせた。
「あれだけの覚悟、演技とはいえ、魅せれぬ役者では話にならぬ」
「ははは、厳しいですね。しかし同意です。では、私はこれで」
「うむ、気を付けての」
峯岸を見送り、ふと時計を見れば、もう昼過ぎ。一夏は何やら学園でトラブルがあったらしく、もしかすると帰るのは明日になるかもしれない。
さて、どうしたものか。昼はまだ食べておらず、確か買い出しも抜かっていた。つまり、何も無い。
「何処かに行くとするかの」
羽織を纏い、財布を手に、玄関を潜る。外は晴れで、僅かに雲がある。だが、仕事終わりとして悪くない。
さあ、何処へ行こうか。商店街を歩いての買い食いも良いし、少し遠出して、更識の系列の料亭に行くのも悪くない。
――久々に猫の奴でもからかうかえ?――
仕事が忙しいのか、はたまた婚活が忙しいのか。楯無は最近とんと姿を見せない。互いに良い歳だ。楯無にもそろそろ、落ち着ける場所があってもいいかもしれない。
しかし、あの楯無に釣り合う相手が居るのかと、少し思案すれば、あまり居そうにない。
ふと、峯岸の奴でも紹介するかと考えたが、そんな可哀想な真似は出来ない。峯岸には未来があるのだ。
と、楯無に未来が無いと言いたげな事を考えていると、どうやら道を間違えたらしく、商店街へ続く道から外れていた。
「おや、こんな所に壁が?」
だが、何か妙だ。いくら道を間違えたとはいえ、この辺りは家の近く。道を覚えていない訳ではない。
霧絵の記憶が確かなら、この道は真っ直ぐに繁華街に繋がっていた筈。だが、今は壁が立ちはだかっている。
「はてさて、どうしたものか、の?」
余裕を崩さず、霧絵が目を弓にすると、壁は苛立った様にその存在感を増した。だが、そんな壁を知ったことかと、霧絵は周囲を探り、手頃な木の枝を手にする。
「ほれ」
軽く壁の〝足元〟を払ってやれば、壁は霞の様に消えて、繁華街へ続く道が見えた。
「化かすに焦りは禁物ぞえ?」
地蔵の影に隠れた、膨れた黒っぽい尻尾を見送ると、機嫌良く道を行く。
帰りに何か供えてやるのも悪くないと、気の向くままに足を運び、呼び込みに耳を傾ければ、ふと良い匂いが鼻を擽った。
「ふむり、焼き鳥」
買い食い用か、店先のベンチに座り、ももとねぎまを塩とタレで、二本ずつ頼む。
何故か通行人が此方を見てくるが、そんな事は構わない。
今はこの焼き立ての焼き鳥の方が大事だ。
タレは甘口、焦げ目の香ばしさが鼻に通って、酒に合うだろう。塩もまた、振り方が良く肉の味が強く、酒に合うだろう。
「昼間酒とは、ちとはしたないが」
これはいくしかない。追加でつくねと皮、そしてワンカップを頼み、先に頼んだ串を片付ける。
「お待ちどう」
寡黙な店主が紙皿に乗せた焼き鳥と、蓋を開けたワンカップを手渡す。
皮は確りと火を入れてあって、流れ出る脂を酒で洗い流せば、すっきりと酒の味が分かる。
つくねも肉と脂の味がはっきりとしていて、甘口のタレが絡んだそれを噛めば、一緒に叩いた軟骨と野菜の歯応えが心地いい。つまり、酒に合う。
「さて」
串の下の方に残った皮を、真っ直ぐ串ごと喉に入れる。霧絵が軽く喉を鳴らして、淡くすぼめた唇から串を引き抜く。何も残っていない串を、紙皿に置いて、代金を支払う。
口紅よけの技だが、何が珍しいのか。先程からやけに見られている。
「小腹に張ったが、どうにも……」
さて、どうするか。酒が少し入った事もあり、もう少しばかり確りと腹に入れたい。
何かよい店はないか。空腹を抱えて、霧絵がふらふらと街並みを歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あれ、先生じゃん」
「おや、五反田の」
「一夏は、仕事っすか?」
「おうおう、そうぞえ。して、まだ店はやっておるか?」
「ピークは過ぎて店は空いてますよ」
「それは丁度よい。何か適当に見繕っておくれ」
注文を受けた弾の手際は良く、五反田食堂を引き継いで一年足らずとは思えない。
「簡単な野菜炒め定食っすけど」
「よいよい」
日本式中華風の味付けが、米に良く合う。野菜の歯応えも火加減が丁度で損なわれていない。
「そういえば、小僧」
「何すか?」
「女房はどうしたえ? まさか、逃げられでもしたか?」
「まさか、今日は爺さんの付き添いですよ。血圧高いってのに、また薬飲むの忘れてて」
中華鍋を水に浸け、昼からの仕込みを始める。
「そういえば、先生。新作読みましたよ」
「それは有り難い」
「爺さんも、次が楽しみだって言ってました」
「ふむり、だとすると次はどうなるかのう?」
「というと?」
霧絵は一口茶を啜り、湯飲みを置く。
「次は恋の話ぞ?」
「先生の恋愛物って珍しいっすね」
「まあ、歴史小説に変わりはないがのう」
「因みに、時代はいつ頃?」
「コココ、源平の頃よ」
代金を渡し、家路に着く。あの時代は人も妖物も強かった。その人と妖物の恋物語。嘘の様な、幻と消えた、しかし本当にあった、一人の武士と女天狗の恋物語。
「はてさて、今の世にどう写るかのう……」
土産でも買って、一夏に問うてみるか。
地蔵に饅頭を供えた帰り道、少しだけ強い風が、まるで誰かに煽られたかの様に、態とらしく吹く。
「人も妖物も変わらぬものぞ? 一人ではどうにも寂しいものよ」
振り向けば烏の羽根と、やけに磨かれた石ころが足元に転がって、代わりと地蔵に供えた饅頭が減っていた。
霧絵はそれを懐に仕舞うと、
「コココ」
喉奥で笑った。
防人
その男は餓えで死にかけたある日、一人の子供から小さな握り飯を恵まれた。
男の一口にも満たない小さな握り飯、だが男はその握り飯で命を繋いだ。
ある日、海の向こうから敵が来ると聞いた。
己の恩人である子供が住んでいる村が危うい。男は走った間に合わぬかもしれぬ。もう手遅れかもしれぬ。だが男は走った。止まらなかった。
そして、奇跡的に間に合い、男は戦った。全てはある日、己の命を救ってくれた、あの小さな握り飯の恩義を返す為に。
人と女天狗の恋物語
嘗てあった恋物語。けして結ばれぬと知りながら、だがと愛し合った人と女天狗の恋物語。
最期はどうなったのか。それは誰も知らぬが、ただ語られるは、不思議な葉団扇や蓑、その他不可思議な道具を嫁入り道具に、とある武家に嫁入りがあったとか。