私の愛しい愛しい出来の悪い教え子   作:ジト民逆脚屋

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やあ、久しぶりだね?
境界線上のホライゾン最終巻、皆は買ったかな?
勿論買ったよね?



霧絵とぱそこん

カチリと、何かを押し込む音があった。音は小さなものだが、静かな部屋に響いた。

光を放つ画面の前に座る人物が眼鏡を外し、首を左右に鳴らして肩を揉む。

右手でマウスを動かし、原稿を保存し印刷する。少しして、横に置いてあるプリンターが動き出し、黒のインクが印字された用紙が吐き出されていく。

 

「…………」

 

それを何やら疑わしそうに、霧絵は眺める。

 

「き、霧絵?」

「…………」

 

一夏がその様子に戸惑いながら、霧絵に声を掛けるが、彼女は反応を示さず、ただ原稿を印刷し続ける機械を見る。

 

「霧絵さん……?」

「………………」

 

無言、無反応。これには流石の一夏も口をつぐむしかなかった。

やがて、プリンターが原稿を全て吐き出し終えると、霧絵はその原稿の束を手に取り、パラパラと捲る。

 

「…………うむ、なにか納得いかぬが、まあよかろ」

 

言葉の通りに、納得いかないと顔をしかめる霧絵が、原稿を封筒に入れる。そして一夏が冷や汗を流す隣で、愛用の文机に鎮座するノートパソコンとプリンターを睨んだ。

あの筋金入りのアナログ派である霧絵が、何故にパソコンで仕事をしていたのか。

事の始まりは、一ヶ月程前に遡る。

 

今ではほぼ完全に、第一線から身を引いた姉である千冬から、食事の誘いがきた。

 

「久しぶり、千冬姉、洋介義兄さん」

「久しいのう。狼、義兄上」

「変わらんな、貴様は」

「ホントよねえ、初めて会った頃と、全然変わらないわ」

 

現役の頃より、幾らか柔らかく印象を変えた姉と、女言葉で話す義理の兄の佐野洋介、そして千冬に抱かれた小さな子が、二人を出迎えた。

 

(まどか)も、大きくなったなぁ……」

「掴まり立ちもまだだがな」

「でも、この前は少し喋ったのよ?」

「ココ、それは重畳」

 

霧絵が手を伸ばし、こちらを興味深げに見詰める円の額を、擽る様に撫でれば、心地良さげに目を細める。

 

「うふふ、良かったわね。叔母さんに撫でてもらって」

「コココ、()い愛い」

「あ、じゃあ俺も……」

 

と、一夏が霧絵に代わり、円の額に手を伸ばした時、その手をとても小さな手が押し退けた。

円だ。先程までの穏やかな表情は何処へやら、両親である千冬と洋介でさえ、驚く程厳しい顔をしていた。

そしてそれは、皮肉にも嘗ての現役時代の、千冬を彷彿とさせるものだった。

 

「コココ、嫌われたのう」

「なんで……」

「あらぁ、この子のこんな顔初めて見たわ」

「こんな顔、出来るんだな……」

 

落ち込む一夏の丸まった背に手を置き、霧絵が慰める様に微笑む。

 

「あらあら、大丈夫よ。こんなのも今だけ、すぐに懐くわよ」

「……本当ですか?」

「………多分、きっと」

 

洋介が顔を逸らし、一夏が項垂れる。だが、いつまでも項垂れてはいられない。

 

「積もる話もあるだろう。食べながらといこう」

「来月に出す予定の、新作惣菜の味見だけどね?」

「これまた、揚げ物祭りかえ」

 

喉奥で霧絵が笑う。霧絵は思いの外、揚げ物等の濃い味付けを好む。

 

――ソースドバァとか、結構好きだよね――

 

血圧上がったりするから、出来れば控えてほしい。

そう思いながらも、ふと横をみれば、半分に切ったメンチカツの片割れに、ソースをたっぷり掛けた霧絵が、何も掛けていない片割れを、口に運んでいた。

 

「肉の味が濃いのう」

「今までのより、挽き肉を荒く挽いて、中に荒微塵にしたのも混ぜてみたの」

「脂身を減らした方がいいかも。肉が強くなった分、脂も強く出てるから、少しくどさが出てるかな?」

「冷めるとダメね、それだと」

 

でも、部活帰りの学生は、絶対好きな味だ。濃くて単純な味と確かな量、少し改良すれば必ず売れる。

他のコロッケや鶏の辛子炒め、煮物の味を見ながら、千冬が煮物をつつく霧絵に言った。

 

「しかし、狐村」

「なんだえ? 狼」

「お前、携帯は持ってないのか?」

「要るかえ?」

 

霧絵の言葉に、霧絵以外の三人が嘆息する。霧絵は筋金入りのアナログ派で、扱える電子機器はテレビくらいなもので、彼女個人への連絡方法は直に会いに行くか、宅電か手紙、または一夏しかない。

はっきり言えば、今のご時世では不便の極みなのだ。

 

「要るだろう」

「そうかえ?」

「霧絵さんは、基本家から出ないから、いまいち分からないだろうけど、連絡方法が限定されるって大変なのよ?」

「ふむり……」

 

一夏も出来れば、携帯を持ってほしいとは思っている。学園や外部から連絡を取る為に、いちいち自宅に掛けなくてはいけないし、霧絵が外出している事が極希にあり、電話に出なかった時は、もしや何かあったのかと、白式・九天を展開して、飛び出しそうになった事もあった。

 

「それに、最近のは色々と機能が付いてるから、中々に便利よ?」

「そうは言うが義兄上、私は〝ぱそこん〟や〝すまほ〟は分からぬ」

「……待って、まさかだけど、霧絵さん? 作品資料を全部、紙で?」

「それ以外に何かあるのかえ?」

 

洋介が一夏を見て、一夏が頷いた。霧絵が〝霧村夕狐〟として出している作品の中で、一番評価が高いのは歴史小説だ。

 

〝まるでその目で見て、その身で体験してきたかの様に精緻で、表現に違和感が欠片も存在しない〟

と、数多の評論家に評される程に細かく、またあまり歴史に造詣が深くない者でも、忌避感無く読める様な言葉使いで書かれている。

そしてもう一つの特徴が、一冊一冊が分厚いのだ。

千ページを越える事がざらにあり、慣れた一夏が、

 

「それ、文庫本で出すんだよね?」

「そうぞえ。峯岸の奴が言うておった」

 

そう問う様な分厚さの原稿(二千ページ近く)を、何時もの茶封筒に詰めていた事もあった。

そして、その作品を書くに当たって、重要なのが資料だ。作品が分厚ければ、資料も並の量ではない。担当の峯岸が泣きながら、背中と両手に山の様な資料を抱えて持ってきたのは、つい最近の事だ。

 

「霧絵さん、ちょっと試してみない?」

「ヒョ?」

 

と、この様な流れで、洋介に乗せられ、彼のお古のパソコンを最低限使えるまで、一夏が付きっきりで教えて、気付けば平然と執筆から、印刷までをこなしていた。

 

「何か釈然とせぬ……」

「いや、うん、何時もの万年筆より早くに仕上がったし、まだ慣れてないから、仕方ないかな?」

「ふむり……」

 

一夏が思うに、自分が苦労して書いていた原稿が、パソコンを使えば、キーボードを叩くだけでいいというのが、霧絵が釈然としない理由だろう。

 

「というか、霧絵覚えるの早くない?」

「お主、私を誰と思うておる? お主の師ぞ」

 

煙草盆から取り出した煙管で、軽く額を小突かれる。

 

「まったく、相も変わらず出来の悪い教え子よ」

「師匠には敵わないよ」

「コココ、そうであろうそうであろう。さて、仕事も終わり、師はお疲れぞえ。教え子のする事は何かのう?」

「良い塩鮭と、洋介義兄さんから鶏、後は弾から葱が手に入ったから、串焼きでもどう?」

「酒は?」

「冷やと言う名の常温の辛口」

「ココ、良かろ」

 

さて、支度せよ。師はお疲れぞえ?

そう急かされた一夏が、苦笑混じりに台所に向かうのを見送り、霧絵は電源の落ちたパソコンを見る。

 

「……まあ、悪くはない、かのう?」

 

細く長い紫煙を吐きながら、煙管を片手にそう言った。




佐野洋介
藍越商店街にて、佐野精肉店を千冬と共に営む。喋りはオネェだが、それだけ。

早ければ今年中にもう一つあげたいなぁ……

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