「ふむり、どうしたものか」
一夏は仕事で二、三日帰らぬ、私も締め切りにはまだ余裕がある。
猫の奴でもからかいに行こうかと思ったが、家を出る気にはなれぬ。
有り体に言ってしまえば、暇の一言ぞえ。
ここは一つ、ぱそこんを使ってみるかとボタン幾つか押しても、画面が青くなるだけでつまらぬ箱ぞ。テレビを見習わぬか、テレビを。
一夏と猫の奴は、これが便利と言うのだから分からぬものぞえ。
あやつらには、この青くなるだけの画面に何か見えておるのかえ?
「ヒョッ!?」
こやつ、青くなるだけでは無かったのかえ。妙な音まで出しよったわ。
おお、中々に面白い。成る程、あやつらはこの音を楽しんでおったのか。変わり者よのう。
しかし、この箱のどこが便利だと言うのか、まるで分からぬ。青くなって妙な音を出すだけぞえ。
しかし、この箱が便利だと一夏が仕事で向かい合っているのは事実ぞ。
うぬぬ、何だか口惜しいぞえ。言ってしまえば、この箱に私の一夏を取られておるのだ。
こんな物のどこが良いのだえ、一夏よ。
「おのれ、箱めが」
少し叩いてみるかの。
「織斑先生、どうしました?」
「え? ああ、山田先生」
いかん、ボーっとしてたみたいだ。
山田先生に心配させてしまった。学生時代から心配させっぱなしだったのに、教員になってもこれでは、霧絵に笑われる。
「奥さんが心配ですか?」
「ええ、まあ」
「分かりますよ。病気の治療から漸く帰って来たんですから」
霧絵が行方不明になっていたのは、病気や怪我の治療という事になっている。山田先生の中では、病気という事になっている様だ。
まあ、色んな憶測が飛び交ったりしたけど、今はそれで落ち着いている。
と言うか、俺は山田先生が心配だ。一も二もなく、すぐにこの話を信じて泣いてくれてた。詐欺とかに引っ掛からないか心配だよ、山田先生。
「でもですよ、織斑先生」
「はい?」
「今は仕事中です。奥さんが心配なのは分かりますが、今だけは仕事に集中しましょう」
「はい」
鼻を鳴らしながら、山田先生が諭してくる。
少し怒っているみたいだけど、俺が学生の頃からまるで見た目が変わってないから、迫力に欠ける。
学園七不思議の一つとして、『容姿の変わらないただ一人の先生』と語られているのは、内緒にしておこう。
結婚して寿退職した千冬姉は、この話を聞いて大爆笑してたけど。
それよりも、霧絵だ。
最近、パソコンに興味を示していたから、下手に触ってブルースクリーンにするとか普通に有り得る。
しかも、それが通常だと勘違いして、『こんな物が便利なのかえ?』とか言いかねないし、その時に出る音を面白がって、矢鱈滅多に弄りそうだ。
最悪、叩き出しかねない。
「織斑先生、これですけど」
「ああ、それはですね」
早く仕事を終わらせて、一日でも早く帰ろう。
パソコンとか抜きにして、俺が早く霧絵に会いたい。
「ふむり、この箱め、うんともすんとも言わなくなりおったわ」
勝負は、私の勝ちぞ。
ふむり、しまったぞ。暇潰しが出来なくなってしもうたわ。
さて、どうしたものぞえ?一夏が居らねば、暇で仕方がない。
買い物にでも行くかえ? 家から出るのが面倒よのう、一夏が居れば話は別なのだがの。
「おやぁ?」
にゃ~
「おうおう、道に迷いでもしたのかえ?」
にゃ~
「コココ、良い良い。近う寄るが良いぞえ」
良い良い、素直な猫よ。喉を鳴らして寄って来よるわ。
何処から迷い込んで来たのかのう?
コココ、三毛の毛並みが心地良いのう。
「素直な子よの。私の知っておる猫は、意地っ張りでのう」
にゃ~?
「抜けておる癖に、策士を気取りたがるしの、コココ」
「……誰が抜けている意地っ張りな策士なのかしら?霧絵ちゃん」
おやぁ?迷い猫がもう一匹居ったのかえ。
「ややぁ? えらく着飾った猫が迷い込んで来よったわ」
「もう、仕事の帰りに寄ってみたら、何もせずに縁側で野良猫と遊んでるなんて……」
「羨ましいのかえ?」
「とてもね」
忙しい猫ぞえ。少し、私と私の膝で丸まっておるこやつを見習えば良かろうにの。
にゃ~
「おうおう、お主もそう思うかえ」
「霧絵ちゃん、猫と話すのは止さない?」
「コココ、猫が猫に嫉妬しておるわ。ココ」
「……もう、いいわ。はい、お土産」
「狐の好みを判る猫は好きぞ?」
「はいはい、お茶淹れてくるわ。霧絵ちゃんは、焙じ茶よね」
ココ、私の好みを判っておるわ。中々に、聡い猫よ。
どれ、猫の土産になんじゃろな、と。
おやぁ?
「あら、行っちゃったわね。嫌われたかしら?」
「あやつは野良猫ぞ?それ故に、自由なものぞえ」
犬は誇り高く、猫は自由気儘に、ならば狐はどうであろうの?
化かしたぶらかし煙に巻く、それが狐の在り方ぞえ。
ふむり、そうぞえ。
「そうよ、猫よ」
「どうしたの?霧絵ちゃん。お茶温かった?」
「茶は丁度良いぞえ。ぱそこんの奴がの、うんともすんとも言わなくなりおったのだ」
「パソコンが?」
「青くなって妙な音を出しての、少し苛ついて叩いたらうんともすんとも言わなくなりおったのだ」
妙な事もあるものぞ。あの箱、何がしたかったのかまるで分からぬ。
おや? 猫よ。何ぞえ、その間抜けな顔は?
『すまほ』なぞ取り出して、どうかしたのかえ?
「もしもし、虚ちゃん? ちょっと、時間大丈夫? うん、霧絵ちゃんの家に来てくれないかしら?」
「猫よ、どうしたのだえ?」
「霧絵ちゃん、パソコン教室始めましょう」
「ヒョ?」
「はい、直りましたよ」
「……手間を掛けさせたわね、虚ちゃん」
「すまぬの」
「いえいえ、気になさらず。では、私は店番がありますので、これで失礼します」
あやつは確か、五反田食堂に嫁いだのだったか。
日々忙しく働き、充実の毎日を送っておるようで、何よりよの。
「で、霧絵ちゃん。何でパソコンを叩いたの?」
「む? 少しの、苛ついての」
「ふ~ん」
む、何ぞえ、その顔は?腹が立つ顔をしよってからに。
「霧絵ちゃん、寂しいんでしょ?」
「コココ、何を言っておるのやら」
寂しい事なぞある訳無かろうに、今は一夏が共に居るのだ。
「え~? だって、霧絵ちゃん。パソコンに嫉妬したんでしょ?」
「おや、猫はこの様な箱に嫉妬するのかえ?」
「愛しの一夏君が仕事の為とは言え、霧絵ちゃんにとって得体の知れない箱に夢中になってる。『ああ、何故ぞえ一夏、何故に私を見てくれぬのだえ』って具合かしら?」
「むぅ」
おのれ、猫の癖に生意気な事を言いよるではないか。
狐を謀るとは、目に物見せてやろうぞ。
「いやはや、あの霧絵稲荷様が、まさかパソコンに嫉妬するなんて……」
「ふむり、そう言えば猫は好い人は見付かったのかえ?」
「うっ!」
「コココ、あれ程語ってよもや、好い人の影すら見えぬとでも言うのかえ?」
コココ、目に見えて悔しがっておるわ。愉快よのう。
猫をからかうのは、これだから止められぬ。
「ぐぬぬ、一夏君なんて超優良物件を、学生時代から手塩に掛けて育てて、自分色に染めてゲットするなんて、逆光源氏計画やった癖にぃ!」
「コココ、あの可愛らしい頃が懐かしいのう。今も中々に可愛らしいがの。それに、その切っ掛けを作ったのは、お主と狼であろうに」
「くそぅ! あの織斑先生でも結婚出来たのに、どうして私には、その影すら見えないの?」
ココ、猫めが。私に敵うと思うでないぞ? お主とは、年季が違うのだえ?
おお、そう言えば、猫の土産を見ておらぬ。
……ふむり、羊羮かえ。これは、一夏が帰ってきてから、共に頂くとしようかの。
「霧絵ちゃん、誰か、誰か知らない?!」
「コココ、必死よのう」
狐村一夏
織斑霧絵
うぬぬ、どちらにするべきか