狐と教え子の物語に後ほんの少しの間、お付き合いください。
ーー本日未明、○○県○○市にて男女5名と思われる遺体が発見されました。遺体は損傷が激しく、県警は身元の確認を急いでいます。
遺体は市郊外にある廃ビルで発見され、第一発見者の管理人が発見し警察に通報した模様です。
○○県警によると、犯行の手口と痕跡から一連の連続殺人事件と何らかの関連があると見て、捜査を進めていくーー
「○○市って、学園と目と鼻の先じゃない」
「うわ、私あの廃ビル知ってる」
「ああ、あの雑誌の廃墟マニア特集のやつ?」
ふむり、最近は物騒な世になったものよの。連続殺人とは、剣呑なものぞ?
しかし、あの廃ビルの傷、まるで百足が這った様ではないか。
「師匠?」
「ふむり、教え子よ。今日の訓練は休みにして、部屋で一緒に微睡むかえ?」
兎の薬の効果かは分からぬが、最近は体の調子が良い。
だが、その薬も残り僅かぞえ。それは私の愛しい教え子との時間も僅かという事ぞ。
「へ?師匠?」
「コココ、どうしたのだえ?教え子よ、師と微睡むは嫌かえ」
ならば、ほんの少しばかりの我儘は許してほしいものぞ?こやつも、少しはやるようになってきた。
だが、師の問い掛けに間抜け顔で返すとは、これは少し灸を据えねばならぬのぅ。
「そうかえそうかえ、教え子は私と微睡むは嫌かえ。ヨヨヨ……」
「あ!織斑君が霧絵稲荷苛めてる!」
「ホントだ! 霧絵御前が泣いてる!」
「織斑君、イケナイ子だ!」
コココ、どうだえ?この迫真の演技、娘共も騒ぎよるわ。
コレ、そこな娘。茶を溢すでない、私は物を粗末にせぬ者が好きぞ?
「オヨヨ、聞いておくれ娘達よ。教え子が、私を苛めるのだ。オヨヨヨ、私の愛しい教え子が鬼になってしまったぞえ」
「えっ? ちょっ!」
慌てよる慌てよる、コココ。愉快よ愉快、これが猫が言っておった愉悦と言うものかのう?
だが、まだよ。もう一押し仕掛けてみねばならんぞ?
「のぅ、お主も聞いておくれや。私の愛しい教え子が……」
「教え子がどうした? 狐村」
やってしまったかの?よもや、狼が出てくるとは思わなんだ。
「ち、千冬姉じゃなかった。織斑先生!」
「お前達、休日と言ってもあまりだらけ過ぎるな。メリハリは大事だぞ」
「コココ、休日までご苦労な事よの。狼」
「狐村、あまりコイツをからかい過ぎるな」
「狐にそれは無理な話ぞえ?」
「はぁ……、この手の話でお前が言うことを聞く訳がないか」
「騙したぶらかしを狐から奪うなぞ、狼から牙を取り上げると同じぞえ」
まあ、この狼から牙を取り上げても、その爪と膂力で組伏せられ斬り裂かれるが落ちであるがのぅ。
『私の一夏』も、何時かは狼のように強くなるのだろうな。
ああ……、出来る事なら、見てみたいものぞ。
凛々しく強く気高く育った『私の一夏』の晴れ姿を。
「師匠、どうしたんですか?」
「ん?どうしたえ、教え子よ」
「いえ、俺の顏を見ながらボーとしてたから」
「ココ、お主の綺麗な顏に見惚れたかのぅ?」
誠に綺麗な顏よ、思わず見惚れてしまうではないか。
「なっ!」
「コココ」
照れる顏も誠に愛しいのぅ。本当に愛しいものぞ、一夏。
私の愛しい愛しい出来の悪い教え子よ。私の愛し子よ、お主は皆と幸せになるのだえ。
私の、この愚かな狐の何よりの願いぞ。
「教え子よ」
「は、はい!なんでしょう、師匠!」
「私の教え子よ」
「はい!」
ああ……、そうだのぅ。
「私はちと疲れた。部屋まで運んでおくれ」
「は?」
「え?」
「霧絵御前?」
「はぁ……、甘え過ぎだ、狐村」
「ココ、このぐらいは許して欲しいぞえ。狼よ」
後、ほんの少し間。私が一夏の師でいられる残り僅かな時間、出来うる限りこやつの傍に居たいのだ。
教え子が、壊れぬように。
こやつが、恨まぬように。
愛し子が、憎まぬように。
一夏が、諦めぬように。
私の愛しい愛しい出来の悪い教え子の傍に居てやりたい。
技だけではない。ほんの少しでも、多くのものを遺してやらねばならぬ。
そう、ほんの少し。塵の一粒でも構わぬ。私が遺せるものを全て遺してやらねば……
「師匠!失礼します!」
「ヒョ?」
おや、何故に教え子の顏がこれ程近くに?
「お、教え子よ! ぬ、主は何を!」
「やだ!織斑君ったら、大胆!」
「霧絵稲荷をお姫さま抱っこ!」
「霧絵御前、顏真っ赤!」
「え、何このカワイイ生き物。ホントに霧絵ちゃん?」
「み、見るな! 見るでない! 猫よ、いつの間に現れよった?!」
ゆ、油断ならぬ猫め、いつの間に現れよった。
しかし、これはマズイ。マズイぞえ。よりによって、猫の奴に見られるとは、どうするべきか。
「では、織斑先生! 自分達は自室に戻ります!」
「ああ、気を付けてな。後、羽目を外し過ぎるなよ」
「な、なななななな!?」
何を言っておるのだ狼よ! 部屋で羽目を外すなどと、何を言っているのか分かっているのかえ?!
そこな主らも、騒ぐでない!
「では、師匠。行きますよ」
「行くとは、ど、何処へぞ?!」
「え? 昼寝するんじゃないんですか?」
「………………ヒョ?」
「ないわ~」
「織斑君、マジないわ~」
「一夏君、残念だわ~」
「はぁ、織斑。さっさと部屋に戻れ」
「え? 何、この流れ」
………………なんぞえ、お主らその顏は?まさか、この私が分かっておらなかったとでも思っておったか?
舐めるでないぞえ、小娘共よ。分かっておった、分かっておったとも。
ただ、の。ただ、ほんの少しだけ残念な気がするだけぞえ。
………………猫よ、何ぞえ?その目は。
「……見なさい一夏君、霧絵ちゃんの目を」
「えっと、師匠?」
「何だえ? 教え子よ」
「どうしましょう更識先輩、師匠めっちゃ拗ねてます」
「……拗ねてなぞおらぬ」
拗ねてなぞおらぬ、子供ではあるまいに。
「部屋に戻れ、織斑」
「お部屋で霧絵ちゃんを、たーっぷり慰めてあげなさい」
「え、いや、でも」
「良いから、行きなさい」
「5秒以内に行け、さもなくば単位は0だ」
「イエスマム!」
「お前達もだ!」
「「「マムイエスマム!」」」
行ったか、折角の休日に済まない事をした。何か、埋め合わせをしなければな。
だがこれも、あの愚弟の為だ。
あの馬鹿め、何を考えているかは知らんが、告白するならとっととすればいいのに、何を迷っているんだ。
「流石のブリュンヒルデ織斑先生も、弟の事は心配ですか?」
「お前と同じだ。弟や妹の心配をしない家族が何処にいる」
「そうですね」
なあ、狐村よ。お前は何を考えている。何故、お前は一夏から離れようとしているんだ?
一夏の想いに、お前は気付いている筈だ。
何かあるのか?一夏から離れなくてはならない理由が。
「織斑先生、そんなに眉間に皺を寄せてると、嫁の貰い手が居なくなっちゃいますよ?」
「余計なお世話だ。私は既に貰われているからな」
「は? え、嘘? え、でも? え? 嘘だ……」
失礼な奴だ。この私が、嫁に行けんと? 一夏に家事を教えたのは私だぞ。大和撫子たる者、武芸百般文武両道が当たり前だ。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
「……いい加減戻ってこい」
なあ、狐村。私はあの夢をただの夢だと思っているよ。
『狼よ、皆に伝えておくれ。私に何かあったら、私の愛しい愛しい出来の悪い教え子を頼む、と』
なあ、狐村、否、霧絵。間違えるなよ、一夏は皆と幸せになるんだ。だが、そこに、一夏の隣にお前が居なければ意味は無いんだ。だから、間違えるなよ。
お前は一夏と幸せになるんだ。
「師匠、着きましたよ」
「………………」
「師匠?」
そうか、そうだのぅ。そう、都合の良いことがある筈が無い。分かっておったのに、気付いておったのに、誠に愚かな狐ぞ。
「教え子よ、石鹸を切らしておっただろう?ちと、買うて来てくれぬかえ」
「はあ? 分かりました」
「頼むぞえ」
コココ、兎の薬は『先伸ばしの薬』分かっておった。
この体も、言わば尽きかけの蝋燭という事かえ。
「ケフッ、ハハ。私でも血は赤いのだな」
これが最期、あやつには八尾まで見せ、受け継がせてある。残すは私の九尾のみ、コココ、誇らしい事ぞえ。
あの神擬きは、私が生き永らえる方法を言っておったが、舐めるでない。
誰が好き好んで、私の愛し子を『殺さねばならぬ』
あやつを、一夏を殺させはせぬ。
誰が相手であろうとの。
「師匠、石鹸買って来ましたよ」
「ご苦労、教え子よ。……ちと、此方へ来い」
「はい、どうしましたって、師匠!」
ココ、一夏の体温の何と心地好い事よ。鼓動の何と耳触りの良い事よ。
「教え子よ」
「は、はい!」
「私の教え子よ」
「はい! 師匠」
ありがとう、一夏。私は満足だ。
「後、ほんの少しだけきつく抱いてはくれぬか?」
「こ、これで良いですか?」
「うむ」
もう、思い残す事は何も無い。後は、私の『尾』を全て受け継がせるのみ、思い残す事は何も無い。
ありがとう、一夏。
「私の愛し子よ」
「師匠?」
お前は、私の宝ぞえ。私の全てぞ。
この愚かな狐を想ってくれて、ありがとう。
「私の愛しい愛しい愛し子よ、巣立ちの時ぞ」
…………………