◇◇注意◇◇
・この話は、私がとある作者様に差し上げたプロットを、再び練り直したものとなっております(事前に許可はいただきました)。もしかすると、何処かで似たような話を見たことがあるかもしれません。
・今回は激ムズです。……多分。解けた方は探偵様ですね。
二つの結界によって外の世界から隔離された、忘れ去られし妖怪達の最後の楽園、幻想郷。異変、宴会、また異変と、年がら年中騒々しい雰囲気を漂わせるその土地にも、ただ一箇所だけ、もの寂しげな静寂に包まれた場所があった。人里から見える、少し背の低い山の中腹。まるで人々の目から隠されているかのようにひっそりと、けれど沢山の鈴蘭の花々が咲き乱れるその草原は「無名の丘」と呼ばれていた。
結界により隔離される以前、この場所は名も与えられることのなかった幼子達の間引き場所であったと云われる。鈴蘭畑の瘴気が、幼子達を安楽死させるのに丁度よかったらしい。今ではそのようなことは少なくなったというものの、過去の忌々しい伝承があってか、人間は愚か妖怪でさえもこの場所を訪れるものはいなかった。
そんな誰も近寄ることのない草原で、一人の妖怪の少女がひっそりと暮らしていた。彼女の名はメディスン・メランコリー。
……ここで死んでいった幼子達と同じ、人間によって捨てられた、憐れな人形である。
◇ ◇ ◇ ◇
5月中旬。夏の温かい日差しと、春の爽やかな微風が交差する丘の上。金色の細く美しい髪を靡かせるのは、宝石のように蒼く澄んだ瞳を輝かせる陶磁の人形、メディスン・メランコリーだ。
メディスンはその身体に不釣り合いなほど大きな担い桶を地面に置くと、両手でお椀を作って、桶の中から水を汲んだ。零れないように注意しながら、手の中の水を少女の口元に運ぶ。
「どう? ……元気になった?」
「……………………」
少女からの返事はない。無表情のままだ。けど、水はしっかりと喉に通っているらしい。少女の喉仏が上下に動いたのを見て、メディスンはホッと溜息を漏らす。
「今日はお医者さんから薬草も貰ってきたの。……ふふっ、毒の化身である私が薬草を貰うだなんて、おかしな話よね」
メディスンはそう少女に笑いかけたが、少女の瞳は誰もいない虚空を見つめたままだ。それでも、メディスンは少女の手をギュッと握りしめ、少女に語りかけ続けた。それまでにも、ずっと長い間何度もそうしてきたかのように、優しく、温かく、だけど何処か切なく……。
__メディスンが少女を介抱し始めたのは半年前のことだった。鈴蘭の花々に覆われて、生い茂る草の中に隠されているかのように捨てられていた少女を、たまたまそこを通りかかったメディスンが助けたのだ。少女はボロボロに破けた薄い布だけを纏っていて、骨と血管が皮から浮き出るくらい痩せ細っていた。メディスンは死にかけていた少女を精一杯看病し、少女は何とか一命を取り留めた。
……けど、メディスンがどれだけ懸命に介抱しても、少女の容態が回復することはなかった。口を開くことは一切なく、その瞳はただ虚空だけを見つめていた。時折垣間見せる苦痛な表情が、メディスンにはどうしようもなく辛かった。自分も同じ、捨てられた存在だったからだ。
メディスンはいつしか、その少女のことが大切な存在だと感じ始めていた。いつしか、少女の笑顔を見たいと思った。だからメディスンは、少女がどれだけ表情を見せなくても、懸命に介抱し続けた。きっといつか、少女の身体が良くなって、一緒に笑いあえる日が来ることを信じて……。
「…………ぉ、……お、ぃ……え……」
「…………えっ!?」
突然、少女が掠れた、風に掻き消されてしまいそうな声で、言葉を発した。苦しそうに顔を歪ませながら、必死に何かを伝えようとしている。
「…………ぉ、お、……ぃ、…………え……」
「どうしたの? 苦しいの!? ……待ってて! すぐお医者さんを呼んでくるから!!」
悲痛な呻き声を上げる少女をその場に残し、メディスンは丘の麓へと駆け出した。
◇ ◇ ◇ ◇
「…………それで、私に鈴蘭畑までついて来いって?」
「お願い……。お願いだから、あの子を助けてあげて…………」
霧深い竹林に囲まれた和風屋敷、永遠亭。幻想郷内でも名高い医療施設である。そこの主人の従者の兎、鈴仙は暫しの間沈黙を作った。
……メディスンが最近妙に薬草を沢山買い込んでいたのは、人間の少女を助けるためだったらしい。そうならそうと早く言って欲しかったものだ。お師匠様に伝えるべきか……? いいえ、人間の少女一人ぐらい、師匠の手を借りずとも何とかなるか。
そして何よりも、瞳に涙を蓄えながら必死に助けをせがむメディスンを、鈴仙にはとても無視することなんてできなかった。鈴仙は諦めたように「はぁー」と溜息を吐き、淡い紫の長髪を手で摩る。
「分かったわ。早く案内しなさい。一回切りだからね」
「………………ありがとう」
帰ったらまた説教か、と、鈴仙は軽く苦笑した。
鈴仙とメディスンは共に無名の丘を登り、鈴蘭畑の片隅で寝かされている少女の元へと駆け寄った。西の果てに見える茜色の太陽が、少女の白い肌を黄色く染め上げている。周囲に咲き誇る鈴蘭の花々と相まって、その光景はまるで遺影のように見えた。
鈴仙は「ごほっ、ごほっ」と咳払いすると、少女の隣に腰を下ろした。神妙な顔つきで、少女の容態を確認する。
「ごほっ、ごほっ、………ふぅー。…………………………」
「鈴仙、風邪なの?」
「ん? …………え、ええ、ちょっと……喉がね」
メディスンはそんな鈴仙の様子を心配そうに見守っている。鈴仙は手で口元を押さえながら、黙って少女の姿を見つめていた。……その紅い眼差しは、何処か悲しみを帯びているようにも見える。
「………………ぉ……ろ、………し……ぇ……」
……突然、少女は声を上げた。耳を澄まさないと聞こえないような、か細い声。鈴仙は大きな兎の耳をピンっと立てて、少女の声に意識を集中させる。そうして暫し少女の口元に耳を傾けた後、こくりと小さく頷いた。
「……この子はなんて言ってるの、 鈴仙?」
いまいち状況を掴めていないメディスンが問いかける。鈴仙は慎重に、ゆっくりと言葉を選びながら質問に答えた。
「………………悪い妖怪がいるそうよ。この近くに悪い妖怪がいるから、この子は苦しんでいる。その悪い妖怪をやっつけて欲しいって」
「悪い、妖怪……?」
「ええ。そうね……。…………悪魔のような黒い身体に、狼のような鋭い牙を持った、その存在自体が瘴気を漂わせる、悪い妖怪よ」
「…………そいつをやっつけたら、この子の身体は良くなるのね?」
「その妖怪を殺したら、少女は救われる…………。私に言えることはそこまで。悪いけど、薬じゃどうにもならないわ。後は自分でどうにかすることね」
鈴仙は立ち上がった。それからそそくさと逃げるようにその場を後にしようとする。メディスンの声がそんな鈴仙の足を止めた。
「………………その、ありがとう」
メディスンの純粋な、感謝の言葉。鈴蘭の花言葉は「意識しない美しさ」だ。正に彼女にピッタリな言葉だろう。何処までも純粋で、…………だからこそ残酷だ。
鈴仙はその言葉を聞くと、一瞬だけやりきれないような悲しい眼差しを見せ、そしてまた歩を前に進ませた。
◇ ◇ ◇ ◇
時は深夜。誰も彼もが寝静まり、丘の上では、鈴蘭の花々が夜風にカサカサと靡かれる音だけが木霊していた。
……そんな静寂の中、メディスンは目を覚ました。
異様な気配を感じたからだ。明らかに異質な、これまでに感じたことのないような感覚。しかもそれが、かなり近くまで接近している。
身体を起こし、恐る恐る周囲に目を配らせる。……隣で寝ているはずの少女の姿がない。一体、何処に?
メディスンは少女を探し、辺りを見渡す。狂ったように紅く染まった満月が、鈴蘭の白い花弁を鮮烈な血色に塗り潰している。その光景を目に写すと同時に、耐え難い頭痛、吐き気、目眩が、メディスンの五感を支配した。
「……………………っ!!?」
…………黒い、獣のような何か。唐突に現れたその何かが、少女の寝ていたはずの場所に這いつくばっている。紅い眼光、鋭い牙、悪魔のように黒いその身体。形容し難い姿をしたそれは、正に鈴仙が言っていた「悪い妖怪」、少女を苦しめていた元凶だ!
メディスンは手中に猛毒を圧縮させた弾幕を形成させ、それを妖怪に向けて瞬時に放つ。ほぼゼロ距離で放たれたその弾幕は、容易く妖怪の身体を貫いた。空気を揺るがす爆発音と共に、赤い血飛沫が宙に舞う。メディスンの弾幕は猛毒、擦りでもすればタダでは済まない。並の人間なら即死、強靭な妖怪でも7日はピクリとも動けなくなる。
メディスンはぽっかりと穴が空いた妖怪の身体、そこから吹き出す血の噴水を見て、勝利を確信した。
……これで、もう、あの子は苦しまなくていいんだ。
「やった。…………やったわよ。はは、あははははっ………、
_______えっ?」
氷のように冷たく澄んだ月光が、鈴蘭の花々を青白く残酷に染め上げていた。
◇ ◇ ◇ ◇
無名の丘。そこには、鈴蘭の花々に埋もれるように、二つのお墓があった。誰の目にも映ることのない、石を積み重ねただけの小さなお墓。
その墓に、名前が刻まれることはなかった。
物語の真相、分かりましたか?
解答は出来上がり次第投稿します。