私は今日、お嬢様を殺した   作:ikayaki

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この小説も、ここで区切りをつけようと思います。今回の話は、私から皆様へのお別れの言葉です。お口に合うかどうかは存じませんが、是非楽しんでください。

Gasshow様にプロット作りを手伝っていただきました。この場を借りて、もう一度お礼を申し上げます。ありがとうございました。

……最後の謎解きですね。幻想に満ちた真実、貴方様に見抜けるでしょうか?


恋しこいし

 幾何学的な曲線を描くテーブルランプ。その中心から放たれる光が、部屋を構成する凡ての色彩を、仄温かい淡黄色に染める。

 孤独な少女のシルエットが、淡く色褪せた壁紙に映った。他には誰もいない。部屋には少女一人だけだった。

 少女は硝子窓に視線を移した。

 暗闇から舞い落ちる雪。部屋の光に照らされ、灯籠のように輝いては、また深い闇に溶けて消える。それは留まることを知らない、まるで、儚き日々の夢のように……。

 少女は窓から視線を逸らし、そっと瞼を閉じた。視界が遮断される。瞼を透かして差し込む光の刺激が神経を伝い、脳に信号を伝達する。肌に伝う冷気が躰を震わせる。決して光が届くことのない世界は、氷のように冷たい。

 少女が一人で生きていくには、それはあまりにも冷たかった。だから、求めてしまった。凍てついた心を溶かす、その温もりを。

 

 

 

 ──おねえちゃん、大丈夫?

 

 

 

 虚空だったはずの場所から聞こえた少女の声に、古明地さとりはパッと瞳を開けた。さとりの顔をジッと覗き込んでいたのは、研磨された宝石のように美しい、翠色の瞳だった。古明地こいし──さとりの妹だ。

 

「こいし、そこにいたの?」

 

「うん」こいしはにっこりと笑みを浮かべた。

 

 さとりはやれやれと溜息を吐いたが、その表情はどこか安堵に満ちていた。

 

「また能力を使って部屋に忍び込んだのね。全く……いくら妹でも、人の部屋に入るときはノックくらいしなさい。心臓に悪いわ」

 

「えへへ」こいしは照れくさそうに灰色の髪を弄った。「気づいたら、お姉ちゃんの部屋にいたの。仕方がないでしょ?」

 

「あんた、反省してないわね」さとりはむっと頬を膨らませた。

 

「ごめんって。怒らないで。おねえちゃんが哀しそうな顔してたから、つい……」

 

「あら、そうかしら?」

 

「うん」こいしはさとりの目の前に、ぎゅっと躰を寄せた。「一人で思い悩んでいる時の顔だよ。おねえちゃん、辛いの? 私でよかったら、聞いてあげるよ」

 

「……こいしには関係のないことよ」

 

「ううん。そんなことない。(さとり)の悩みは、同じ覚にしか判らないもん」

 

「瞳を閉じたこいしに、他人の心を感じる恐怖が理解できる?」

 

 そう言われて、こいしは一瞬だけ応えに躓いた。その刹那の沈黙が、さとりとこいしを隔てる、近くて遠い──そう、まるで月と太陽、或いは、幻と(うつつ)との距離を浮き彫りにした。

 

「……できないよ」こいしはぽつりと呟いた。「けど、みんなに嫌われて、ずっと一人ぼっちで生きる寂しさなら、私にもわかる」

 

「こいし……」

 

「ねえ、おねえちゃん。たまには部屋の外に出てみようよ」

 

「えっ?」こいしの唐突な提案に、さとりは大きく瞳を見開いた。

 

「ほら、おねえちゃんずっと部屋に引きこもったままでしょ? 健康に良くないよ」

 

「でも……」さとりは爪をぎゅっと掌に食い込ませた。「外に出たくないの。誰にも会いたくない……だって、みんな私のことが嫌いなんでしょ!」

 

「そんなことないよ」

 

「なんでわかるの?」

 

「私はおねえちゃんのこと大好きだもん」

 

 こいしは精一杯胸を張って、満面の笑みを浮かべた。さとりは暫しの間、呆気に取られたが、やがて、

 

「…………ふふっ」

 

 吹き出したように、小さく笑みを溢した。「ありがとう、こいし」

 

「おねえちゃんと一緒に歩くなんて、何年振りかなぁ」

 

 薄暗い部屋に、愉しげな鼻歌が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありとあらゆる負の感情を具現化させたかのような、薄暗く陰鬱で暗澹とした空気。モノトーンの大理石が、さながらチェス盤のように廊下に嵌め込まれている。両端には、古代神殿を彷彿とさせる巨大な正多角形の柱が、等間隔に並んでいた。

 奇妙な足音。コト、コト、と、少女が足を振り下ろす度に、それは静寂に刻み込まれていく。空気の振動が電気信号に変換され、脳に送り込まれる。足音だ。

 こいしは軽く握った拳をぶらんぶらんさせて、「おねえちゃん、今日の晩ごはんはなあに?」と言った。

 

「晩ごはん?」さとりは不思議そうに小首を傾げた。

 

「だって、お腹空いたでしょ」こいしはお腹をさすって笑った。

 

「そうかしら。まだお昼じゃない?」

 

「もう夜だよ、おねえちゃん」

 

「そうなの。……じゃあ、今夜はこいしの好きなハンバーグにしようかしら」

 

「ほんと? やったー。おねえちゃん大好き」

 

 こいしはぴょんぴょんと跳ねて喜びを表した。

 さとりは微笑ましそうにそれを眺めていた。

 ──が、突然、顔を俯け下唇をギリっと噛み締めた。それは、さとりのすぐ横を、幼獣の少女が通り過ぎたのと、ほぼ同時であった。少女の心に真っ黒な穴が空いた。矛盾は加速度を増し、それを正そうとする抵抗が摩擦となって、脳を混乱させる。

 

「……どうしたの、お姉ちゃん?」こいしは膝を曲げ、さとりの顔を心配そうに覗き込んだ。

 

「やっぱり」

 

「…………?」

 

「やっぱり、みんな私を無視するじゃない!」さとりは怒号を上げた。「誰も、私の目を見てくれない。部屋の外に出ても、みんな私を避けていくの。私は嫌われているのよ!」

 

「おねえちゃん、落ち着いて。誰もおねえちゃんを嫌ったりなんてしてないよ」

 

「ねえ、何で誰も私のことを見てくれないの?」

 

「……」

 

「……部屋に戻るわ」さとりはくるりと踵を返した。

 

「おねえちゃん……」

 

「私の居場所なんて、何処にもないもの」

 

 さとりは廊下の奥──深い闇の中に姿を消した。廊下を忙しなく行き来する幼獣たちは、誰もその姿を瞳に入れることさえしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は泣いていた。

 

 誰も、瞳を見てくれない。

 誰も、話しかけてくれない。

 誰も、愛してくれない。

 誰も、存在を認めてくれない。

 いつだってそうだった。みんなみんな、避けていく。離れていく。嫌いなんだ。嫌だ。助けて。お願い。ずっと一緒にいて。大切に愛して。置いていかないで。

 

 ──私を、一人にしないで!

 

 こいしが部屋に戻ると、中は真っ暗だった。耳が痛くなるような、ピリッとした静寂。誰もいないみたいだ。

 手探りで闇の中を弄り、テーブルランプの灯をつけた。パッと広がる視界。床一面に散らばった、ボロボロの紙切れ、ごみ屑……。

 

 部屋の片隅で、さとりが泣いていた。

 

 さとりは嗚咽を漏らしながら、頬に泪を零していた。ポタ、ポタ、と、それは床に落ちて乾いた音を響かせた。こいしはさとりの側に寄り添い、そっと肩を並べた。さとりは泪で潤った瞳で、こいしを見つめた。

 

「こいし……」

 

「大丈夫、おねえちゃん?」

 

「…………ううん。苦しい」

 

「私がここにいるよ」

 

「……分かってるわ。こいしは消えたりなんかしない。ずっと、いつでも、私の側にいてくれるもの」

 

 さとりはこいしの背中に両手を伸ばした。それから、ぎゅっと抱擁した。──何故だか、夢の中みたいに、とても温かかった。

 

「こいし……私の恋しいこいし。消えたりなんかしないよね? ずっと、私の側にいてくれるよね? ずっとずっと、私を愛してくれるよね?」

 

 さとりは縋るように言った。溶けるような、甘い声色だった。こいしは肯いて、無邪気な笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 ──うん、大丈夫だよ。ずっと、私が一緒だから。

 

 

 

 

 

 




さようならです。゚(゚´Д`゚)゚。

……と言っても、解説回が残っているのですけどね。

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