私は今日、お嬢様を殺した   作:ikayaki

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Frantic Doll

湖面に映された蒼い三日月。巨大な夜空の銀幕となった水面は、その幻想的な形貌を何処までも鮮明に射影していた。まるで、鏡の内側の世界を見ているかのようだ。

 

もし上下逆さまになってその鏡を覗いたのなら、私にはそれが偽りの姿だと分からないのかもしれない。何が現実で、何が幻想であるか……、それは正に、湖面に映し出された三日月のようなものなのだろう。現実はいとも容易く崩れ去り、幻想は現実へと肥大していく。

 

特に、この世界、……幻想郷では。

 

窓の外から目線を戻し、再び赤い廊下のその先を見つめた。氷のような静寂の中に、乾いた靴の音を響かせる。窓から差し込む月光が、淡い蝋燭の灯りと混じり合い、幽幽とした廊下を怪しげな灰色に染め上げていた。

 

やがて、目的の部屋に辿り着く。

 

私はいつものように扉を四回、規則正しいリズムでノックした。それから、ゆっくりと扉を開ける。木の軋む音が、悪魔の金切り声のように聞こえた。

 

「…………咲夜、どうしたの?」

 

部屋の中では、ベッドの上にお嬢様が座っていた。窓の無いお嬢様の部屋は、何処か閉塞的で息苦しさを感じる。天井から連れ下げられたペンダントランプが、お嬢様の雪のように白い肌を淡い黄色に染めていた。

 

「少し、お聞きしたいことがありまして」

 

「こんな時間に? ……何かしら?」

 

ピアノの音のように美しく繊細な声で、お嬢様が問いかけた。私は少しの間沈黙を作る。心に決めていたはずの言葉が、いざお嬢様を目の前にすると喉の奥から出てこない。ただ、俯いて黙っていた。

 

「…………咲夜?」

 

お嬢様が怪訝そうに眉をひそめる。

 

そして、時間が止まってしまったかのような沈黙が、私とお嬢様の距離を支配した。私はここに来たことを後悔したが、ここで引き返せばもっと後悔することになると知っていた。

 

だから私は、……大きく息を吸った。

 

「…………フランドール様についてです」

 

私の言葉を耳にして、お嬢様の目線は一層険しいものに変わった。やはり、『フランドール』という言葉には、何か触れてはいけない秘密がある。そう確信した。

 

お嬢様は、ただ私に視線を投げかけるだけだった。まるで、それ以上口を開くな、と、無言の内に云っているかのようだった。

 

けれど、私は口を開かないわけにはいかなかった。

 

「フランドール様は地下室にいらっしゃるのですよね? 何故地上に上がって来られないのですか?」

 

「咲夜には関係が無いわ」

 

「……いいえ。私は未熟者ですが、それでもここでメイドを勤めております。関係が無いとは思いません」

 

私は人生の半分近くをメイドとしてお嬢様のお側で費やしてきた。紅魔館は私にとって、生まれ育った家よりも大切な場所だ。だから……、関係がないはずがない。

 

お嬢様は私の瞳を見つめた。研磨された宝石のように美しく、血のように紅く残酷なその瞳で。

 

……私に引き下がるつもりがないことを悟ると、お嬢様は諦めたように小さく溜息を吐いた。それから、ゆっくりと口を開けた。

 

「……フランは病気なのよ」

 

「病気?」

 

「ええ。貴方がここに来る、ずっと昔からね。今ではベッドの上から起き上がることもできない」

 

「ならば尚更、何故地下室に閉じ込めているのですか? ご病気なら、治療を受けるべきです」

 

「……フランの病気は、他人に移るの。だからフランには誰にも合わせるわけにはいかないわ。パチュリーが薬を作ってくれるまでは、地下室に閉じ込めておくつもりよ」

 

お嬢様は表情を曇らせ、悲哀に溢れる口調で云った。

 

……納得したわけではなかったが、それでもお嬢様のその哀しげな表情を見ると、私はこれ以上質問を重ねることはできなかった。

 

黙って部屋を後にしようとした時、お嬢様の声が私の足を止めた。

 

「咲夜、地下室には近づかないで。私は……、貴方まで失いたくないの」

 

私は「はい」と小さく返事をして、部屋を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

____お嬢様には『フランドール』という妹がいる。その事実は何度か耳にしたことがあった。……いや、何年もここで生きてきて、数度しか耳にしたことがない、と云った方が正しいだろうか?

 

お嬢様は『フランドール』という言葉を嫌っている……と云うより、むしろ避けているようだった。その紅い瞳は恐怖を表しているようで、慈しみを感じさせる。一体どちらが本物の感情なのか、私には見当もつかない。

 

極稀にだが、お嬢様からフランドール様の話をされることもあった。お嬢様はまるで自分自身の幼き日々のように、フランドール様のお話を語られる。けれど、その会話の中に『今』はない。すべてが過去の話だ。それらは絵本のように美しく、写真のように鮮明だった。そう、まるで、幻想の夢であるかのような……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サラサラと肌を撫でる心地よい微風、七色に咲き乱れる花の絨毯。小鳥達の囀りが奏でるハーモニーは他のどんな音楽よりも美しく、私に春の到来を感じさせた。

 

朝、門番に朝食のパンを届けるのが、私の毎日の日課だ。今日も私は溢れんばかりのパンが詰め込まれたカゴを手に持ち、門番の元へ訪れていた。隅々にまで手入れされた花壇を通り抜けて、木々の間を縫っていく。庭の中では沢山の妖精達が遊び回っていた。春が来たお陰か、自然も妖精もいつもより活発に見える。

 

そんな中、一人の少女が妖精達の様子を端から微笑ましそうに眺めていた。……美鈴だ。

 

「あら、咲夜さん。朝ご飯の時間ですか。わざわざありがとうございます」

 

美鈴は私の姿を瞳に捉えると、すぐに明るい笑顔を浮かべた。

 

「いつものことじゃない。今日はいっぱいあるから、好きなだけ食べていいわよ」

 

「気前がいいですね。では、遠慮なく……」

 

花壇の縁のレンガに腰を落とし、私達は朝食を取った。美鈴がお腹を空かせていたとはいえ、少々作り過ぎたようで、私達が満腹になった頃にはカゴの半分近くのパンが余っていた。それを、妖精達が羨ましそうな目線で見つめていたので、余った分は彼女達に分けてやった。

 

嬉しそうにパンを頬張る妖精達の姿を見つめながら、私は美鈴に問いかける。

 

「ねえ、美鈴。フランドール様って、本当にいると思う?」

 

ポツリと口から出たその言葉。美鈴は大きく目を見開いて私をまじまじと見つめた。

 

「急にどうしたのですか、咲夜さん? フランドール様はお嬢様の妹。確かにお病気ではあるようですが……」

 

「でも、私は今までここに住んできて、まだ一度もフランドール様の姿を見たことがないの。それっておかしくないかしら?」

 

一緒の館に住んでいるはずなのに、まだ一度もそのお顔を見たことがない。例え病気で動けないとしても、その姿一つ見せないなんて……、そんなことあり得るのだろうか?

 

美鈴が珍しく黙り込んでしまったので、私は言葉を継ぐ。

 

「美鈴はフランドール様を見たことがあるの?」

 

「…………ないですね。私は小悪魔さん、パチュリー様の次に古参ではありますが、この目でフランドール様を見たことはありません。ただ……、」

 

「……ただ?」

 

表情を曇らせる美鈴。どこか遠くを見るような眼差しで空を仰ぎ、それから、小さな声でポツリと云った。

 

「フランドール様を見たという方なら知っています」

 

「本当!? 誰なの?」

 

「メイドです。まだ外の世界にいた時の、咲夜さんを雇う前のメイドですよ」

 

美鈴の顔は徐々に哀しげな色を濃くしていった。何か、辛い過去があったのだろうか?

 

「私の、前の?」

 

「ええ。彼女は咲夜さんと同じ、何でも簡単にこなすことのできる優秀な子でした。お嬢様やパチュリー様、みんなが彼女をとても可愛がっていましたよ。

……しかし、ある日、彼女はちょっとした好奇心から、地下室に行ってしまった。多分、咲夜さんと同様にフランドール様のことが気になったのでしょう。そして、そこで彼女は『ある物』を見て、次の日に殺されてしまった」

 

「殺された…………?」

 

「それは酷い死体でした。身体が潰され、壊れていた。まるで古雑巾のように身体ごとギュッと絞られ、それを無理やり元の状態に戻したような、……肉塊でした」

 

私は美鈴の云った通りに死体を頭の中で作ってみる。壊されていた……そんな殺し方ができるのは、お嬢様しかいないはずだ。

 

「……どういうこと? お嬢様がその子を殺したの?」

 

「いいえ。呪われたのです。

____彼女が地下室で見たものは、呪いの人形でした。彼女は『気が狂った人形』と云っていましたね」

 

「『気が狂った人形』? 呪い? ちょっと話が飛躍しすぎじゃないかしら?」

 

「彼女は現に呪い殺されたのですよ。その人形によって。これはここだけの話なのですが、私はその人形こそが『フランドール』なのだと思っています。……なぜお嬢様は、そのような人形を妹だとおっしゃっているのかは分からないですけどね」

 

『気の狂った人形』……、『Frantic Doll』。

 

美鈴の話は到底信じられるようなものではなかったが、その顔色から冗談を云っているようには思えない。

 

「とりあえず、咲夜さんも呪われたくなかったら、地下室には近づかないことですね」

 

私は黙って肯いた。

 

いつに間にか空になっていたカゴを拾い上げて、私は再び館の中に戻る。つい先日まで家だと思っていたその場所が、今は何故かとても不気味に思えた。

 

 

次に私は、紅茶とケーキを乗せたトレーを手に持って、大図書館へ向かった。大図書館にはパチュリー様という魔法使い、そしてその使い魔であり、図書館の司書でもある小悪魔が住んでおる。

 

朝でも薄暗い廊下を渡り、背丈を優に越すような木製の大きな扉を押し開ける。すぐに、本独特の少しかび臭いような匂いが鼻に纏わりついた。図書館には窓がなく、換気する手立てがないため空気が篭っていて、いつも湿気ている。

 

天辺を目視できないほど、遥か高くまで聳え立つ本棚の壁。それらが幾つも無数に並び立つ光景は、正に圧巻と云ってもいいだろう。

 

本の海を掻い潜りながら、私はパチュリー様の姿を探す。

 

……ドン。

 

何かが私の後ろに降り立った。

 

私は振り返ろうとしたが、その前に何かは私に身体をギュッと抱擁した。太陽を忘れてしまったかのような、白く細い腕。恐る恐る首を回し、顔を確認すると……、

 

私を抱きしめていたのは、お嬢様だった。

 

「え、ええっ!!?」

 

私はドタッとその場で尻餅をつき、目を大きく見開く。お嬢様……、一体何ゆえ私の身体を……?

 

お嬢様は手を唇に当てて、クスクスと笑っていた。……私は違和感を感じる。お嬢様って、こんな下品な笑い方をなされましたっけ?

 

私は後退りしてその場を逃げようとしたのだが、お嬢様はそんな私の身体の上に覆い被さってきた。両手で私の身体を抑え、吐息が感じられるほどに顔を近づけてくる。淡い紫の髪が私の口元にかかった。

 

今の私がどんな顔をしているのかは知らないが、それはそれは真っ赤な梅干しのようだったに違いない。絶体絶命の状況の中、私を危機から救ってくれたのは、パチュリー様の呆れた声だった。

 

「……メイドを苛めるのも程々にしておきなさい、小悪魔」

 

その声を聞いて、お嬢様は頬をプイッと膨らませながら、面白くなさそうに「はーい」と返事をした。

 

「全く、いつまで経っても悪戯が過ぎないわね」

 

「だって、咲夜さんがあんなに面白い顔をするのがいけないのです。真っ赤に熟れた林檎みたいでしたよ」

 

お嬢様はそう云うと、私の身体の上から立ち上がって、パンパンと埃を払った。……その姿は、いつに間にか小悪魔になっていた。私は瞼をパチパチさせて、目の前の小悪魔をまじまじと見つめる。

 

「魔法よ。別に大したことではないわ」

 

私の唖然とした様子を見て、パチュリー様が説明した。「小悪魔は咲夜に魔法をかけたの。咲夜から見て、小悪魔がレミィに見える魔法。一種の幻覚ね」

 

……つまり、私の上に覆い被さってきたのは、お嬢様ではなく小悪魔だったということだ。小悪魔は楽しそうに、蝙蝠の羽をパタパタさせている。

 

「ただ、幻覚を見せるだけで、現実に影響を及ぼすことはない。声や能力はそのままね。視覚以外に情報のない、専ら『物』に対して使われる魔法で、人を偽るのに使う魔法ではないわ。所詮は子供騙しの魔法ってことね」

 

その子供騙しの魔法に顔を真っ赤にしていたと思うと、私は何とも言えない気持ちになった。とりあえず、立ち上がって、小悪魔の顔を睨みつける。

 

「そんなに怖い顔しないでくださいよ。咲夜さんの反応、思わず胸がキュンとしちゃいました」

 

「…………小悪魔の分のケーキはなしね」

 

「えー。酷いですよ。咲夜さんー」

 

パチュリーはふふっと笑みを零した。私は床に捨てられたままのトレーを再び手に持つ。折角綺麗に盛り付けたケーキが、衝撃で斜めに崩れかかっていた。

 

テーブルの上にティーカップとケーキを並べていると、パチュリー様がさっきまでとは面影の違う、真剣な顔つきをして問いかけてきた。

 

「ねえ、咲夜。昨日の夜、レミィにフランドールについて尋ねたらしいわね?」

 

パチュリー様がフランドールという言葉を云ったと同時に、その場の空気が凍りついたようにピタッと固まった。あの小悪魔でさえ、どこか神妙な表情で目線を床に下げていた。

 

「はい。フランドール様が本当に地下室にいらっしゃるのかと、尋ねました」

 

「レミィは何て云ったの?」

 

「フランドール様はお病気で、誰も地下室には近づいてはならないと」

 

「そう。なら、その通りにしなさい。

____この世界には、知らなくてもいいこと、知ってはならないこともあるの。覚えておきなさい」

 

やっぱり、『フランドール』には何か秘密が隠されている。パチュリー様の尋常じゃない様子を見ると、そう思わざる得なかった。

 

だって、あのパチュリー様が、『知らなくてもいいこと』とおっしゃるなんて……。

 

私はまた、黙って肯いた。小悪魔は私の返事を見て、安心したように胸を撫で下ろした。

 

「折角の紅茶が冷めてしまいますよ。辛気臭い話はそこまでにして、早くケーキを食べましょうよ」

 

凍った氷を溶かすように、小悪魔が陽気な声色で云った。ただ、それでも、私の心に蔓延る蟠りは、硬く固まった結晶のように、溶けることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

その夜、満月がちょうど南の空を横切る時刻に、私はベッドから抜け出した。時間を止めて、皆が寝静まっていることを確認してから、私は地下室へと続く階段へと向かう。

 

私は、ただ真実を知りたかった。私には、『フランドール』という言葉が存在しないものに思えて仕方がないのだ。

 

何故、お嬢様は嘘をついているのか?

 

一体何が、……この館に隠されているというのだろうか?

 

不安と恐怖が胸の中を掻き乱す。けれど、足を止めるわけにはいかなかった。ここは私の唯一の居場所。秘密を隠されたまま、それを知らずに生きていくなんて、私には耐えられなかったのだ。

 

深い深い闇の底、私は少しづつ階段を下っていく。振り返って逃げ出したい衝動に襲われたが、それを胸に奥にギュッと押さえつけた。ただ、一歩、また一歩と、闇に引き寄せられるように、階段に足を運んでいく。

 

行き止まりには、朽ちてボロボロになった木の扉があった。手に持った懐中電灯がブルブルと震え、光が小刻みに揺れる。

 

息を飲んで、扉を開けた。

 

部屋の中は真っ暗だった。暗闇が空間を支配していた。懐中電灯の淡い光を当て、隅々まで部屋の中を見渡していく。

 

 

誰もいなかった。

 

 

無残に朽ち果てたテーブルにクローゼット。二度と光が灯ることのない、壊れたペンダントランプ。ベッド、吊り鏡、椅子、ピアノ……、どれもこれも色を失くしていた。灰色の世界だった。ただ一つ、鮮烈な血色で塗り潰された絨毯を除けば。

 

 

……やっぱり、地下室には誰もいなかった。『フランドール』なんて、この館に存在しなかったのだ!

 

 

私は何故か安心感を抱いていた。『気に狂った人形』も、『フランドール』もいない。全ては幻想だったのだ。私は安堵の息を吐き、部屋を後にしようとする。

 

その時、不意に、ある『物』が目に留まった。

 

ベッドの上に、クマのぬいぐるみが置かれてあった。布が裂け、彼方此方から綿が飛び出していた。痛々しい姿だった。

 

私はぬいぐるみを手に取ってみる。

 

足の裏、ちょうど白い生地の部分に、何かの文字が刺繍されていた。あまり上手いとは云えず、目を凝らさなければ何を表しているのか分からなかった。

 

光を当て、文字を読む。

 

それは、私のよく知っている名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Fran』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は久しぶりに自分で納得のできる話になったと思います。6ボスをイメージして書きました(?)。私らしさ全開ですので、まあ灰汁は強いですけどね。


……さて、貴方は真実を見出すことができましたか?

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