今回は久しぶりに私一人で考えた話ですね。良くも悪くも私らしい話になったと思います。難易度は……、まあ難しいとは思います。今までとはちょっと違いますしね。
それでは、謎解きの時間です。是非楽しんでいってください。
先を見通すことができないほど、廊下は深い闇に侵食されていた。僅かに足元を照らす、蝋燭の淡い灯りだけが、辛うじてその闇に対抗していた。さながらチェス盤のように、白と黒の大理石が規則正しくはめ込まれた廊下。暗い色彩で構成されたステンドグラスの窓が、モノトーンの床を不気味なほど妖麗に染め上げていた。
……気がつくと、こいしはおぼつかない足音を、大理石の床に響かせていた。額には冷や汗が流れていて、何かに脅されているかのように、その瞳は狼狽の色を見せていた。呼吸は不規則で、肩が激しく上下に揺れている。その足取りがいつ途絶えてもおかしくはなかった。
ふと、誰かがこいしの横を通り過ぎた。こいしは思わず顔を伏せ、その場をやり過ごそうとする。しかし、相手からはこいしが見えていない……ということはなく、その誰かはこいしを呼び止めた。
「…………こいし様?」
声の主はお燐だった。名を呼ばれたこいしは、その場に凍りついてしまったかのように、ピタッと足を止めた。
「お顔があまり良くないみたいですけど、何かありましたか?」
お燐がその赤い瞳でこいしをまじまじと見つめて、言った。こいしは、まるで心の中を覗き込もうとしているかのようなその目線に、僅かな不快感を覚えたが、それを表情に出すことはなかった。
「ううん、何にもない」
こいしは唇に笑みを作って、そう答えた。すると、お燐は少しだけ溜息を吐いて、
「……でしたらいいのですが。いやー、実は灼熱地獄跡の管理について少し報告がありまして、つい先ほどさとり様の部屋を伺ったのですよ。そしたらさとり様の調子が悪くて……いや、顔色が良くないのは元からですけど、それでどうやらさとり様は風邪をひかれたようですね。あまり部屋に近づくなと言われました」
「そうなの……。だったら私もお姉ちゃんの部屋には近づかない方がいいかもね」
「そうですねぇ。看病の方は世話係のペットがしていますし、感染症のようなので、もしこいし様にもうつったりしたら大変ですしね。病気治るまでは、あたいもあまり近づかない方がいいと思います」
「うん、そうする」
こいしの返事に、お燐は満足げに頷いた。それから、少し困ったような表情を見せて、再び言葉を紡ぐ。
「……それとですねぇ、ミィがさとり様の部屋から離れようとしないんですよ。あの子、心配性だからねぇ。病気がうつらなかったらいいのですけど」
いつの日か、廊下でぶつかって泣きそうな顔で謝ってきたミィの姿を思い出し、こいしは小さく笑みを零した。確かにミィは心配性だ。お姉ちゃんが病気と知ったら、居ても立っても居られなくなるだろう。
「分かった。もしミィに会ったら、お姉ちゃんにあまり近づかないように注意しておくね」
「そうしてもらえると助かります」
お燐は深々と頭を下げた。
……それと同時に、何かに気がついたようだ。瞳を大きく見開いて、喫驚した様子で言った。
「……こいし様、そのスカート。血が付いてますよ」
お燐に言われて、こいしは自分もその目線を追った。確かに、鮮やかな緑色のスカートに、黒っぽい血の染みが付いている。こいしは軽くその血痕を指でなぞる。まだ湿っていて、指に薄っすらと赤色が映った。
「多分、どこかでこけちゃったのだと思う。無意識だから分からないけどね」
「すぐに手当しますよ」
「ううん、別に痛くないし、大丈夫だよ。それより、今ちょっと体が怠いの。私、部屋に帰るね。お姉ちゃんの病気がうつっちゃったのかなー?」
「…………分かりました。お体には気をつけてくださいね」
お燐の言葉を聞き終わるよりも前に、こいしは逃げるようにしてその場を後にした。
……再び、凍るような沈黙が廊下を包み込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
こいしの意識と無意識の境界は、いつだって曖昧だ。だからこいしは、気がつけば見知らぬ場所にいたり、知らない人と喋っていたりする。ただ、完全にランダムというわけでもなく、ある程度規則的なパターンがあるようだ。例えば、無意識の始まりは大抵こいしの部屋の扉、終わりはさとりの部屋の扉であるように。
そして、こいしは今、さとりの部屋に立っていた。無意識の終わり、意識の始まりだ。ただ、目の前にある光景は、いつもとは少しばかり違っていた。
……まず初めにこいしの瞳に映ったものは、脳裏に焼きつくような鮮烈な赤色だった。
部屋のあちこちに飛び散った、血の斑点。ドロドロとしたドス黒い血の川が、床に踏み場がないほどに流出していた。吐き気を催すような異臭に、こいしは思わず声にならない悲鳴を上げた。
灯りのない、薄暗い部屋を注意深く観察する。
流れる血は、ある一点から今も溢れ続けていた。……確認するまでもない、それは、さとりだった。腹の辺りから溢れんばかりの血を流して、仰向けで倒れているさとり。その顔は、死んだ時と同じ、目を大きく見開いた、驚愕の表情だった。
「………………お姉、ちゃん……?」
あまりにも唐突すぎる光景に思考が付いて行けず、こいしは思わずその場に立ちすくんだ。膝を折り、地面に付ける。……何かが右手に触れた。無機質で硬い何か。見ると、それは、真っ赤な鮮血で塗りつぶされた包丁だった。また、その近くに紙の束があった。報告書のようだ。間欠泉の異常についてだった。
……突然、ガシャン、と、鋭い音が鳴り響いた。それと同時に、暗澹としていた部屋の中に、一筋の光が飛び込んできた。扉が開かれたのだ。
こいしは首がはち切れんばかりの勢いで、扉の方へ振り返った。
目線の先で、ミィが立っていた。手にはトレーを持っていて、足元に砕けたティーカップが転がっていた。ハーブティーと血の香りが混ざり合い、何とも言えない不快な香りが辺りを漂い始める。
世界が止まってしまったかのような沈黙の後、ミィが震えた声で言った。
「………………これは……? まさか、こいし様が…………?」
こいしは暫く沈黙を作った。そして、一言、「分からない」と呟いた。
ミィは素手であるのにも関わらず、無我夢中で砕けたティーカップの破片をトレーの上にかき集めた。それから、両手を真っ赤に染めたまま、脱兎の如くその場を離れていった。
こいしも急いでその場を後にした。
今回は解答の仕方を私の方から提示させていただきます。
解答には、犯人だと思う人物と、そう思う具体的な根拠を書いてください(勿論、普通の感想や、謎についての考察を感想欄に書いてくださっても大丈夫です)。当てずっぽうで当てられてしまう可能性がありますので……。
解説は、正解者が出てから書き始めます。楽しみにしていてくださると嬉しいです。