悠久たる郷里にて   作:悠里(Jurli)

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らいしゅ


想いのかたちはさまざまに

 旅館の風呂場は“三人”で入るには少し小さかった。さして広くもない空間に、あたたかな湯気がその奥を遮るように満ちている。

「――何故此処え在る……?」

 見通しが悪いせいか、風呂場はどこまでも続いているように見える。クアはそこに一人、“入浴するにふさわしい姿”で、困ったように立ちつくしていた。その手には白い布一枚だけが、不安の拠りどころとして湯気を吸っているばかりだ。

「――クアも早く入ろー!」

「――冷えてしまいます、身体……」

 湯気の向こうから少女の声が聞こえる。水音と混ざり合って浴室に響き、真っ白な視界を華やかに彩る。

「――わぁ男え、あになぁと入るぇ得ると……?」

 クアは浴室から出ようとした。しかし後ろを振り返って見ても、白い空間がずっと続いているのみで出口が見えない。それでも、声のする方を背にして走り出す。

「――クア、良いです……あなただから」

 いくら走っても、その声は徐々に近づくばかり。床は濡れていてうまく走れない。浴室はどこまでも白く霞んでいる。端整な顔に焦りが浮かぶ。

 やがてクアの背中に、ほんのりと温かな手が触れ、

「捕まえたっ――」

 

 

「――輩、……先輩っ」

 ヴァイユの頬が、手の平から勢い良く落ちる。急に開けた視界は勢い良く縦に流れ、

「ユアフィス先輩っ!」

 顔を上げたとき、目の前にいたのは特別警察、ヴァイユにとっては大学の後輩にあたるフィアであった。

 ヴァイユは目を擦りながら辺りを見回す。ここに来たときよりも大勢の警察関係者が、あわただしく駆け回っているのが見えた。

「あ、ああ……?」

「さっき話していた、観光疲れですか? 熟睡してましたよ。先程のお話をしたいのですが……目は覚めました?」

 ヴァイユは大きくため息をついた。自分はいったい、こんな時に何を考えているんだ。自分自身への苛立ちと、失意の念を込めて。

「大丈夫だ。……湯気は晴れたからな」

「は、はあ……? では、こちらで」

 フィアは怪訝に首をかたむけつつ、ヴァイユを連れて旅館を離れた。

 

 

 鑑識や刑事の声が遠くから聞こえる。向かった先は、静かな旅館裏であった。

 ヴァイユはフィアに渡したペンドライブを受け取った。続いて、フィアは透明の袋に入れられた血塗れの手紙を取り出し、ヴァイユに向き直る。

「こんなにすぐ調べられるものなのか?」

「先輩がデータの収集をしてくださっていたおかげです。それに、先輩が居眠りしていたくらいの時間があれば充分ですよっ」

 フィアがいたずらっ子のような顔で微笑む。ヴァイユはその顔を改めて観察してみた。大学時代のあれこれを思い出してみるが、やはり彼の記憶に残っている顔ではなかった。そのまま見続けているうちに、フィアはしだいに頬を赤くした。

「せ、先輩っ、そんなに見ちゃ……あっ、もしかして怒ってます……? 大丈夫です! 寝顔は見てません、見てませんから!」

「それはいいが、本題に入ってもらっていいかな」

「はいっ、只今!」

 フィアは両手を持っていた手紙の入った袋を、ヴァイユの目の前に突き出した。その大声に気づいたのか、関係者らしき一人がこちらを振り向いてすぐに去っていった。

「この手紙……まあ内容についてはここでは触れないでおきますが、鑑識の結果……」

 フィアはわずかに口元を引き締め、真面目な表情に戻る。ヴァイユもそれを感じ、小さく深呼吸をして次の言葉を待った。

「――表面積の四十七パーセントについて提示されたデータ、および被害者のものと一致しない指紋が検出されました。現在、データベースとの照合を急いでいます」

 フィアが鑑識結果をヴァイユに渡す。ヴァイユの指紋が九パーセント、レフミーユ・セプロノ・クアの指紋はゼロ、ファリシーヤの指紋が四十一パーセントとあった。

 そして、確認されていない指紋が大量に付着している。これが何を意味するか。

「手紙は第三者が書いた可能性がある……か」

「被害者の指紋も多く検出されているので、そのどちらかと考えるのが自然ですね」

 ヴァイユはフィアの右のつま先に目を落とし、首をひねって思考を巡らせた。

 

 ファリシーヤがあの手紙を書いていないとしよう。あの手紙は組織の別の人間、おそらく計画犯にあたる何者かによって書かれたのではないか。その手紙を受け取り、イェテザルで計画を実行するのがファリシーヤの役目だった。

 レロド・フォン・イェテザルが目の敵とするのは、ウルグラーダらテベリスの王族や貴族であり、それに協力する者も含まれる。ウルグラーダを恩人と仰ぐレフミーユ、クアは何らかの敵性因子とみなされ、目を付けられた。

 そして、ヴァイユ達と接触、襲撃する臨時任務を与えられたのがファリシーヤであった。彼はその後、予定通りイェテザルへ行くはずであった。しかし任務の執行ができなかった彼を、組織は裏切り者として処分した――。

 

「しかし、妙だ」

 手紙は、ウルグラーダとその協力者である「ネートニアー」に向けられている。ヴァイユ達が標的になるということは考えにくい。

 ヴァイユの頭の中には氾濫した情報が廻り、これ以上の推理を難しいものにしていた。

「それよりも、先輩……」

「ん、何だ?」

 フィアが真面目な表情をやめ、困ったように見つめている。

 我に返ったヴァイユの耳に、聞きなれた着信音がようやく届いた。

 

 

 ホテルに備え付けられた電話を手にとった。もう片方の手には、数字が走り書きされた小さな紙が握りしめられている。その後ろでは静かな面持ちで、二人がそっと見守っている。

「……」

 無機質な呼び出し音が一回、二回。ごく短いはずのその瞬間が、何倍にも引き伸ばされていく。握られた紙切れがくしゃりと音を立てた。空気がまとわりつくように粘っこい。

 ぷつり、と、

『こちらはヴァレス・ユアフィス……』

 電話口からの声が、

「ヴァイユっ!!」

 遮られる。

『……! その声は……。悪いな、少し修理に手間取ってしまって』

「心配しています! 私、いえ、みんなが!」

『申し訳ない……』

 ヴァイユの声には驚きが滲んでいた。これほどまでに大声をはりあげる彼女の姿に、後ろの二人ですらもびっくりしていた。

『もう夜も遅いから、先に休んでいてくれて構わない。今からそっちに戻るよ』

「あ、……」

 再度ぷつりと音がして、声は聞こえなくなった。

 わずかに震える手で受話器を戻す。綺麗に整えられた爪が手の平に深い痕を残した。

 

「嘘……嘘つき、です」

 

 彼女がはじめて見せた、怒りの表情であった。




 更新を滞らせる係になってしまいつつある三番手、らいしゅです。
 このたび、新しく本企画に参加する方が私の後ろ、四番になってしまったので、更新の停滞が進むにつれて罪悪感がつのる今日この頃。
 私も皆さんを見習って、素早くかつ洗練された文を書けるように精進いたします。

 また、活動報告にて行っているキャラクター募集も随時受け付けております。興味を持っていただけた方、ぜひ私達と一緒に作品をつくり上げませんか?

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