こんな山の中にでも、救急救命はすぐにやってきた。しかし、それを待っている長くないはずの時間は、ヴァイユが今まで過ごしたどんな時間よりも長く感じた。
「どういうことなんだ、スカースナが……レロド・フォン・イェテザルが……」
「レロド・フォン・イェテザル……イェテザルに勢力を持ってる、まあそういう団体だよね」
一行が敵に回してしまったのは、不正な金を取引し、麻薬の売買まで行う、いわば『社会の裏側』の人間だ。実態は掴めず、またいずれ襲撃があるかもしれない。
「ies, ies rof...hue seu oum...」
セプロノは魂ここに在らずといった表情で、ただ虚ろに呟き続けるだけである。
無理もない。ウルグラーダとその関係者に対する報復宣言は、セベリス王家の殺害予告を意味する。
それは彼女の民族としての象徴を、踏みにじることに他ならない。
「――このままじゃ埒があかないよ。クアの行方も分からないんだし……今はとりあえず神社に向かって、少しでも情報を集めよう?」
ヴァイユは親友を気にかけるあまり周りが見えていない。セプロノも正気を保てる状態ではない。
こんな時こそ、自分がしっかりしなければ。そう思いつつも、レフミーユは必死に平静を装っていた。
「しかし、ここを離れるわけには」
ヴァイユが血まみれの食堂に目を向ける。救命士が大勢集まって、手当てを行っている。その一人がヴァイユの様子に気づいたらしい。
「ご友人様のことはどうかご心配なく。私どもにお任せくださいますよう」
「……わかった。ファリシーヤを……スカースナを、宜しく頼む」
「ありがとう。行こっか?」
レフミーユが無理をした笑顔を浮かべる。ヴァイユはうつむいたまま、それを見ることはなかった。
「行きます……私も。王女、私たちの……私が、守りたいから」
やがて、セプロノも二人に向き直る。先程とは違う、凛とした決意の眼差しだった。それを見て、レフミーユは少しだけ表情を緩めた。
~
翌日。
三人は旅館に別れを告げ、昨日と同じ道をまた行くことにした。ファリシーヤは集中治療のため、別施設に搬送された。
「私は下の食堂に降りるクアを見たんだ。悲鳴が聞こえたのはその直後……レフミーユ、下の階でクアを見かけなかったか?」
「食堂からものすごい音がしたから、すぐに行って見てみたけど……血まみれで倒れてるファリシーヤの他には誰もいなかったよ」
『前科』のあるセプロノに代わり、レフミーユが地図を持って先導する。その後ろにヴァイユ、そしてセプロノが後について山道を歩く。
「となると、スカースナを狙った奴等と一緒にさらわれたか、あるいは……」
――クアが食堂に降りた直後、その食堂で悲鳴が上がった。
ヴァイユはそこまで考えて、すぐに首を横に振った。
「……いや、彼女を疑うことはしたくない」
「んっ、彼女……?」
レフミーユが背中越しに不思議そうな声をあげる。ヴァイユはそれに気づくと、気まずそうに瞳を泳がせた。
「あ、あぁ、彼、だな」
「勘違い、クアさん、女の子と……」
中性的で物静かなクアを女の子だと勘違いするのも無理はない。現に、あのファリシーヤもさらりと間違えていた。
「――あっ、そこの横道を左だった」
レフミーユがふいに振り返る。最後尾を歩いていたセプロノの後方に、少しだけ道幅の広い分かれ道があった。三人は引き返し、今までと逆の順番でその道に入っていく。
「うー、良くないと思います……私、先頭に……」
「大丈夫だよ、地図はアタイが見てるから!」
心配そうな足取りのセプロノ。その後ろを歩くヴァイユに、レフミーユがそっと近づいていく。
その道は、二人が並んで歩くのにも十分な広さがあった。そしてそのまま、ヴァイユの右手側にゆっくりと――
「……おい何してるっ!」
ヴァイユの右腕に、レフミーユがぴったりと寄り添う。ヴァイユは反射的に振り払おうとするが、絡む腕がそれを許さない。
「ほら、セプロノさんに見つかっちゃうよ? しーっ」
「何のつもりだ、よせっ」
「レフミーユさん、道、正しいですか……?」
前を歩いていたセプロノが歩みを止めて振り返る。途端、レフミーユはすばやく彼の横を離れて背中に隠れた。その温もりが残る右腕をさすりながら、ヴァイユはなんとか真顔を作った。
「うん、しばらく一本道だよ。そのまま進んで」
「est、分かりました」
セプロノが再び歩きはじめると、レフミーユもまたヴァイユに身を寄せる。
「へへ、こんなスリルもいいかもね?」
「大学時代、それはそれは多くのスリルを経験したが……思えばこんな“スリル”はなかったな」
がっしりとしているわけではないが、筋肉の存在がはっきりと分かるヴァイユの二の腕に、頬を寄せるレフミーユ。その両耳がひょこひょこ動いて、ヴァイユの頬をくすぐっている。
この子はこんな大胆なこともするんだな、と色々な思慮を巡らせるうちに、一つの結論を導き出した。
思えばあの襲撃の後、落ち込んでいた自分を励ましてくれたのは他でもない彼女ではないか。今この道を歩いているのは、彼女が先頭に立って自分を引っ張ってくれたからではないか、と。
レフミーユは自分を励まそうとしてくれているのだ。ヴァイユはそう考えて、照れ隠しかただ痒いのか、右頬を掻きながら、彼女の耳にそっとささやいた。
(ありがとうな)
「ひぁ……!?」
レフミーユが急に調子のはずれたような声をあげたので、ヴァイユもびっくりして思わず立ち止まった。それに気づいた先頭のセプロノも、何事かと振り返る。
「……ありましたか、何か……二人に?」
レフミーユはあわててヴァイユの腕を放して、その手にあった地図に顔を落とした。
「う、ううん! あっ、その細い道を右! もうすぐ神社だよ!」
「よ、ようやくか……着いたら少し休憩しよう」
各々、なんとか誤魔化そうとする二人。セプロノは何も言わずに歩きはじめ、その右へ続く道に進路を変えた。
まもなくして広い階段が現れ、目的のものが徐々に目の前に明らかになっていく。最後尾のレフミーユが、一番先に歓声をあげて飛び出した。
「あ、見えた見えた! やったー!」
階段を勢いよく駆け上がるレフミーユの後ろを、ヴァイユが追いかけるようについていく。
「――Xein bael...þac le――」
数段先をのぼる二人の耳に、その声は届かなかった。
すこし更新の間が空いてしまいました、三番手のらいしゅです。
他の二人の更新ペースについていけていない感が否めませんが、空き時間を利用して更新を続けたいと思っています。
前回のシリアス展開を受けて、すこし早めのブレイクタイムをご用意しました。三の倍数にあたるお話は、基本的に私が書いているシリアスブレイクだと思って、気楽に読んでいただければと思います。
それでは、S.Yさんによる次話更新をお待ちください。