これまで、彼の行動に呆れる事は多くあった。――特に、最初の頃は。
それからまだ数カ月しか経っていないというのに、彼は変わらず自分の命を躊躇いなく賭け続けている。
気が付けば呆れは恐怖へと変わり、そして今――浅見透という存在には畏敬の念さえ覚え始めている。
私達が彼の暗殺を計画していた頃でも、恐らくそれを知りつつ堂々と私を相手に交渉を行った。
最近になって公安との繋がりを確認できた。あの時渡した資料から何らかの突破口を見つけ、協力体制を敷く事に成功したのだろう。
未だに背後の存在は分からず、彼と繋がりのあった工藤新一は組織によって殺されている。
CIAは何度か彼を護衛――というより行動を把握するために尾行をしていたが何度も捲かれ……カルバドスの狙撃によって負傷していたときですら彼はこちらの追跡を振り切っていた。
「というわけで安室さん。スカウトした人員は?」
「もうすでに国境近くに待機させている。いつでも潜入させる事ができるぞ。……しかし、よく傭兵なんて雇ったな」
「元々考えていたけど、次郎吉さんが色々冒険仲間の伝手を使って探してくれたんだ。今度美味い酒持って冒険譚に一晩付き合わなきゃな」
随分と砕けた様子のバーボンが、浅見透と恐ろしい会話をしている。
ただでさえ得体の知れなかった男が、ついに自前の戦力を手にし始めたという恐ろしい会話だ。
「隊長……えぇと、キャットAで良かったか?」
「あぁ」
「命令内容は?」
「……結婚式のあれこれで伯爵は守りを城の周辺に固めている。ルパン三世とか妙な探偵気取りのアホが自分を狙ってんならそりゃ怖いだろうさ」
「……つまり、国境の守りに隙が出来る?」
バーボンの言葉に、浅見透はニヤリと笑う。
「最大火力を持って陸路から潜入。念のためにヘリとパイロットは国境外で待機」
「了解」
本当に、バーボンは上手く懐に潜り込んだものだと強く思う。
警視庁の人間からは、同じ『透』という事で『トオル・ブラザーズ』なんて呼ばれているようだけど、あるいは本当に歳の離れた兄弟に見えてしまうほどに仲が良い。
(元々洞察力と観察力に長けたバーボンと、何をするか読めないけど確実な成果のために全力――いや、死力を尽くす浅見君)
悪夢のようなコンビだと思う。もし、この二人を敵に回せと言われたらどう対応すればいいか分からない。
いや、こちらが相手をしようとした時には状況は完全に詰みだったと知っても受け入れられる。死ぬほど驚くだろうが、同時に『あぁ、やっぱり』と思ってしまう。そんな予感がある。
「それで所長。やっぱり結婚式に殴り込むのですか?」
「殴り込む」
「……しかし、防弾ジャケットを抜く程の弾丸を喰らって腹部に穴が空いたばかりですし――」
「殴り込む」
「……いや、でも下手に動いたら塞がったばかりの穴がまた――」
「殴り込む」
「……アクセル役はいないがブレーキ役もいないのだったな……」
頭を抱えている――だが潜入工作に関しては超一流の技能を持つ女性、マリー。いや、キュラソー。
その実、彼を探る組織のスパイである彼女だが、少しずつ彼に影響を受けているのか、彼と同調している気配がある。
そして彼の部下はそれだけじゃない。彼の下には個々でも脅威となる人物が多くいる。
今、この場にいないが……どれもこれも優秀な逸材ばかりだ。
つい先日まで一般人だった人間ですら、少しずつ様々な技能を覚えていっている。
ただの大学生だったはずの恩田遼平が、バーボンやキュラソーと共に爆弾解体の講習を受け、降下訓練や戦闘訓練を行っている姿はどう見てもおかしい。
(とても手に負えないわ……)
感謝はしている。
ピスコの監視の目が無くなっただろうが油断はできない。そう言って念のためにと、公安の護衛を付けてくれたのは彼だ。
今回は彼が急いでCIAと繋ぎを持つ必要があるというためこうして海外に来ているが、日本に戻れば弟へのフォローにも全力を尽くすと約束してくれた。自分との関係の改善も。
信用は、できる。……信頼もしている……と思う。
事実、彼が自分に対して裏切りを働く姿は想像できない。
だが、取る手段や目的がどうにも掴めないため、どうしても警戒してしまう。
同時に、その得体の知れなさがとてつもなく頼もしい。
……なんとも奇妙な存在と知り合ってしまったものだ。
「CIAは、正直信用できない。なんせ向こうが手配した飛行機にいきなり爆弾満載だったんだ。空中爆死は防げたけど……」
「だけど敵は曲がりなりにも国家。こちらのカードは僕達4人とたった7人の傭兵。これで相手を詰ませられるかい?」
「無理です」
浅見透は、自身に不利な事でも断言する。不利な事だからこそ、正確に把握するよう努めていると言うべきか。
「だから、余所から引っ張ってきます」
「……あの銭形というICPOの男の報告を利用するのかしら?」
浅見透の知り合いだという、あの男。銭形幸一。
名前は知っていた。浅見透の過去を調べていた時に引っかかった名前だ。
なにせ、今彼――彼らが住んでいる家を始めとする彼の両親の財産を保護するために色々手を回していた男の名前だったからだ。
「間違いなく、握り潰されるでしょうけど……」
「でも、各国諜報機関は焦るだろうね。自分達が他国に仕掛けた経済攻撃の証拠が明るみに出る可能性が大幅に高まった」
「銭形さん一人を消して済む話じゃないでしょう」
「……後からとはいえ瀬戸さんに彼を追わせたのはそれが理由?」
「まぁ、何事にも万が一はありますので」
浅見は先ほどから延々と何かを食べ続けている。
茹でたソーセージや肉、野菜等に適当に塩コショウを振ってチーズをかけたモノをパクパクと口にして、スープでそれを飲み干す。
本人曰く、失くした血を補充するとか言ってるが機械じゃあるまいし、そうそう簡単に治るはずがない――ハズなのだが……。
そもそも、お腹に大穴が空いてなぜ数日で復活しているのだろうか。
「さて、どこも焦る。そりゃあもう焦る。恐らく、警部からの報告を受けてなすりつけ合いがあったでしょうね」
「報告の際に各国の警察機構が集まるのは確認している。間違いないだろうさ」
バーボンの報告に、浅見透は満足げに頷く。
「いい感じに揉めてくれてるといいんですけどね。そして、各国も何か手を打たなければって焦ってくれると面白い」
「……面白い?」
「自分達が攻撃手段と思ってた偽札が自滅手段になりそうだなんて爆笑モノじゃないですか。お腹が痛くなりますよ。そしていい感じに飯が美味い」
そう言って彼はソーセージにフォークを突き立てる。
……お腹が痛いのは穴が空いているからじゃないだろうか。
「さて、と。そうなりゃどこも犯罪に関与していた証拠なんざ消したくてしょうがない。そうなると藁にも手を伸ばす。自前の戦力でやったほうが防諜になる? 無理無理、国のトップの結婚式っていうイベントがある以上報道の目もある。一刻も早く動きたいのに動けないジレンマは焦りを生む」
ソーセージを口に放り込んで咀嚼し、ソースのかかったマッシュポテトをかきこみ、飲み込む。
「闇が深いと云われている上に弱みも握られているカリオストロ家絡み。下手に動いてバレようものなら手痛い報復がくる」
食事をしながら、浅見透は笑っている。
よく覚えている笑い方だ。
つい先日、見たばかりの――
「そんな時に、リスクの低い手段があれば嫌でも目につく。しかも時間が敵になっている今、判断力は低下している」
自分自身で確認するように、彼は淡々と自分の考えを述べていく。
「即座に切り捨てられる都合のいい戦力が目の前に転がってきたら――ん、来たか」
無線機が、通信を知らせる電子音を鳴り響かせる。
すかさずキュラソーが、受信のスイッチを入れる。
「おう、瑞紀ちゃん。そっちはどう?」
『所長……やっぱり完全に起きてるんですね』
「だいじょーぶだいじょーぶ、今取り敢えず飯食って血と肉を補充してるところだから」
『…………いや、機械とかじゃないんですから』
ですよね。
「はっはっは、俺の何倍もでかいジャンボジェットすら一日ありゃ直せるんだ。人も治るさ」
『そんなアホみたいな理屈実践するのは所長くらいですよ』
「大丈夫大丈夫、死なないって決めてるんだから死ぬわけないさ。同じ理由で、さっさと復活するって決めたんだから復活するさ。現に俺起きてるだろ?」
なぜ、今ここに浅見透の家の人間が一人もいないのだろうか。
危険と分かっている場所に彼が身近な人間を連れていくわけがないのは分かっているが、それでもいてほしいと思ってしまう。
『……七槻さんに言いますよ』
「アイツやふなちにそれで閉じ込められたり刺されるんなら喜んで受け入れるさ」
『…………おぉ、もう』
……お願いだから誰か彼を止めてほしい。切実にそう思う。
唯一止められそうなバーボンは、悟りを開いたような面持ちで頭を抱えている。
「で、収穫は?」
『元から依頼者であるCIAはともかくMI6、CSIS、BND……東側はどうやら独自の手段を持っているようですけど、西側はかなり焦ってますね。おそらく、かなりの偽札のやり取りがあったんでしょう』
……頷ける。
敵国攻撃用の紙幣製造は、西側ではまず国内に拠点は持たない。
対して東側は、隠しているとはいえ予算まで出して国内で製造している所が少なくない。超精密な偽ドルとしてスーパーノートなどは有名だろう。
とはいえ、経済攻撃として偽札は有効だ。敵国の紙幣信用を落とすのは常套手段と言っていい。紙幣の電子化が進んでいない国家ならば特に。
「兵力を貸してくれる所は?」
『向こうから言ってきたのは
「……レオナ?」
『お知り合いですか?』
「いんや。で、どう?」
『…………は?』
「美人だった?」
『いますぐ股間のモノ斬り落としてくれたら教えてあげますよ』
「手厳しいねぇ……」
もっと言ってやってほしい。
……いや、女に弱い割にはそういう話を聞いたことは一切ないが。
そもそも、彼は女性とそういう意味ではなく普通に遊んでいる所しか見た事ない。
例外は……あの歴史学者くらいか。
『ともかく、こちらの提案にほとんどの国が賛同してくれました。カリオストロ公国の完全包囲に密かに動いてくれるようです』
「となると、俺たちの動き次第か……」
『どっちにせよ、公国内で伯爵を押さえないと私達が詰みですからね。それにしても、よくこれだけの国家が動いてくれましたね……』
「もしこっちが上手くいけば伯爵を逃がすわけにはいかねぇし、どこもちょうどいいと思ったんだろうさ。上手くいかなければそれはそれで現状維持に動くのは楽だし」
本当に彼はどういう視点で物事を見ているのだろうか。
『それと肝心のICPOですけど、所長と安室さんの推理通り、事前に伯爵家から接触を受けたと見られる人間がちらほら見られます』
「リストアップは?」
『当然。“鈴”も付けています』
「ご苦労」
その連中は、自業自得とはいえ哀れだと思う。
「全部が終わったらいい感じに揺さぶってやるさ。俺も海外での手足が欲しいと思ってた所だ」
『……すでに指名手配のタイミングを遠ざけるように脅しつけておいてなんですがね……』
「お願いを聞いてくれたのは向こうさ。CIAも俺たちが生きていてちょっとビビって後押ししてくれたみたいだしな」
『……こっちに来ているCIAを真っ先につつけって命令出しておいて……』
「各国の目があったから焦ってただろう?」
『悪魔め……』
これからこの魔王に良い様に使われるのだから。
「マリーさん、例の泥棒さん達は?」
「今は所長と同じ様に、明日に備えて回復に努めているようですが……」
「ってことは、一度は起きたのか。早いねー」
貴方が言わないでほしい。
「水無さん、泥棒さん達との連絡役を頼んでもいいですか?」
「えぇ、構わないけど……共闘するつもり?」
「えぇ……向こうは俺が気付いていないと思ってるみたいですけど……」
恐らく意識してか、たんぱく質やミネラルを多く含むものを食べ続けながら、彼は続ける。
「師匠と先生いるみたいだし」
………………師匠? 先生?
「十数年ぶりの再会を祝して共闘ってのも悪くないでしょ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……浅見君、大丈夫かな」
越水七槻は、鈴木財閥の別荘――いや、これからはアメリカでの拠点となる家の応接間の椅子に腰を掛けたままそう呟く。
「依頼内容は不明、行き先も不明。そしてそういう依頼を受けたと言う事を外に明かす事すら禁止。いやはや、相変わらず興味深い依頼に恵まれていますね、所長は」
その呟きに答えたのは、越水の補佐として残った沖矢昴だ。
越水と沖矢の仕事は、主に浅見透が求める人材に当たりを付けておく事だった。
人格面に問題のない退役軍人、元警官、あるいはそれらの人材を有しながら経営の上手くいっていない『警備会社』など。
「……浅見君、何と戦ってるんだろう……」
尋常ではない事態に、あの男が飛び込んでいる。それは分かる。
あの狙撃事件を超える負傷を受け、しかもそれに対して公安が情報を押さえに来た。
「沖矢さんは、彼の敵を?」
「いいえ、全く。……私としても非常に興味深い事柄ですので、是非とも詳細を聞きたいのですが……」
嘘だ。
直感だが、恐らく外れていないだろう。越水は確信していた。
「聞いたら、どうするんですか?」
「所長の判断に従って、全力を尽くすだけですよ」
これは本当だろう。安室透とは違う方向で、この男は浅見透に近い男だ。
忠誠心を持っている人間ではない。アンドレ=キャメルや恩田遼平のようなタイプではない。
だが、浅見と沖矢の二人は、傍から見ても奇妙に噛み合う関係に見える。馬が合うと言うのだろうか。
もっとも、ギリギリの境界を見極めようとする安室と違い、慎重に見えつつも二人で突っ走る傾向があるが……。
「……浅見君は、数を必要としている」
先日、浅見から一つの提案を受けていた。
探偵事務所は今のまま浅見が率いる。
それと同時に、越水に会社を持ってほしいというのだ。
「例の調査会社の話ですね?」
「うん。……それと、アメリカに来てすぐに面接していたあの傭兵達も……」
本名は知らない。
いつでも互いを切り捨てられるように、名前は知らない方がいいだろうと向こう側が言ってきたのだ。
ただコードネームで、キャットA、キャットB、キャットC~~と浅見は呼んでいる。
そういう、自分達の技量に自信があるからのビジネスライクな所が、どうやら浅見は気に入ったようだ。
傭兵7人と酒を入れながら、楽しそうに話していたのを思い出す。
「日本に戻ったら、次郎吉さんのバックアップで僕も人を集める事になる。その際、キャメルさんみたいに少し場馴れした人間が欲しいみたいだけど……」
「所長は恐らく、越水副所長に『第二の警察』を率いてほしいのではないでしょうか?」
沖矢の推測――ひょっとしたら直接聞いていたのかもしれないが――に越水は頷く。
探偵事務所を開き、様々な仕事や事件に接する内に、ある種の共通点が浮かんでくるようになった。
事前に誰かに相談していれば、こんな事にはならなかった――という事件だ。
「……警察に頼るって、人によってはハードル高い事だものね」
世間体を気にする者、状況を楽観する者、警察への不信が強い者。
「市民から警察へのワンクッションとなる、イメージの柔らかい民間向けのいわば『興信所』、対して事務所は、警察機構とその他を繋ぐ機能を強める」
これまでもそうだった。
警視庁の動きを助けるために、浅見透は様々なコネクションを活用している。
大手からフリーまでのマスメディア、各種企業からの聴取や協力要請、まだ使った事はないが、その気になれば政治家にも何人かいるだろう。
公安とも繋がっている男だ。どこと繋がっていてもおかしくない。
「別にそれはいい。それはいいんだ」
浅見透が、自分の見てきた姿を遥かに超えて優秀だった事はいい。むしろ、どこか誇らしいと越水は感じていた。
何を考えているか分からなくなって、しかも無茶ばっかりやって、いつもボロボロで、誰かを守ったり説得するためには身体を斬られたり穴が空く事も厭わない滅茶苦茶な所があるが――いや、それほどまでに優しい男。
少し、見えている物が分からなくて寂しさを感じる事はある。
だが、決して一人で勝手に進む男じゃない。
家ではいつも、良く知っている浅見透として傍にいてくれる。甘えたり甘えられたりするいつも通りの関係に自然に戻れる。
――だから、越水七槻は浅見透が好きだと、いつもキチンと思える。
「会社を分けるってのが……いざっていう時に僕を巻き込まないようにするためじゃないかなっていうのがどうもね……」
ソファの上で膝を抱えている越水からは見えていないが、沖矢が『ほぅ……』と感心した様に吐息を漏らす。
これが当たっているからだ。
沖矢は、これから浅見透が綱渡りをするかもしれない事を聞かされていた。
万が一という時には、法の隙間を縫うような事をするかもしれないと。
――『いざっていうときは俺一人を裁判台に立たせれば済むように場を整えます。俺が表舞台に立てなくなった時は、皆さんで越水を支えてください』
沖矢、安室、瀬戸、キャメルの4人が聞いた言葉だ。
決して、越水とふなちには聞かせるなとも。
(……恐らく今頃死地にいるのだろうが……)
元々、CIAからの依頼だと言う事を沖矢は聞いていた。
というより、計画を立てている所に自分もいたからだ。
計画の全てを知っているのは他に、安室――バーボンと瀬戸だけだ。
そう、聞かされている。
――ちょっとCIAに暗殺されるように仕掛けてくるんで守ってくれませんか?
と、だ。
誰がどう聞いても頭がおかしくなったか、あるいはイカれていると思うような発言だったが……あの場にいた三人はそれを信じた。
やりかねないと思ったのもある。むしろそれが信じた理由の8割だが。
(……帰ったら、日本で待っている中居芙奈子も含めて……フォローが大変だな、君も)