こちらに向かってくる銃弾はすべて足か腕を狙う物ばかり。何が狙いかなど一目瞭然だ。
「それでいいのか、キャンティ」
そう尋ねてみる。すると奴は、
「るっさいねぇ! そんなこといちいち聞くくらいならさっさと降参しな!!」
と、この有様だ。
物陰に隠れたおかげで表情は見えないが、恐らく本気で怒っているのだろう。
相手がターゲットならば、イライラしたり敵意を示すことはあってもあんな風に怒ることはない。
いや、そもそも口調がもっと下品になっているはずだ。狙撃に関してはともかく、口調に関しては冷静さをすぐに失う。それがキャンティの悪い癖だった。
(……良い友を持った。俺などにはもったいないほどの……)
自分達は、掃き溜めの中にいる汚物のような人間だ。そんな中、過程はどうあれ本当に組織を抜けた裏切り者。
敵として以外で関わるのはどう考えても損しかない。弁護などしようものならば、それだけで様々なデメリットを背負うことになる。
だと言うのに……キャンティも、コルンも、
(もし、背負う物がなければ……)
女を――宮野明美を無事に逃がす。
他の誰でもない、己で決めた己の任務がなければ、大人しく投降――いや、ピスコの事がある。変に利用されないように自らキャンティかコルンの銃弾の前に身を投げ出す所だ。
「カルバドスさん!」
待っていた声が、遠くの方から聞こえてくる。
むき出しのエレベーターの向こう側、上層へと続く階段。塔の様になっているここを、駆け昇っている一組の男女がいる。
(やはり、来ていたか)
なんとなく、来るのではないかと感じていた男。
裏切り者、FBIの狗、『あの方』が恐れる男、そして――
(赤井秀一……)
スコープ越しではなく、直接目で互いを確認したのはこれが初めてだ。
なぜか白猫が先頭を切っているが、走る彼女の後ろを、後ろからの追手を警戒するように駆けあがっていく。
共に行動しているということは、恐らくこちら側の狙いも把握しているのだろう。
確かに、顔を知られて常に狙われているあの男にはちょうどいいだろう。
「ここはいい! 走れ、赤井秀一!!」
だから、叫んだ。奴に届くよう大きな声で。
そしてキャンティに聞かせるために。
「カルバドス、アンタ……っ!」
一瞬、虚をつかれたのか少しの間無言だったキャンティが、怒声を上げる。
「これで、俺を撃つ理由が出来ただろう?」
状況証拠は揃っている。カルバドスはFBIに通じていた。ここにいるのがジンならば迷わず抹消リストに入れているだろう。
だが、キャンティはそうではないようだ。まぁ当然だ。こんな即興の三文芝居に乗れるほど器用なタイプじゃない。それでも、赤井の名を呼んだのは彼女に『まさか、本当に?』という疑念を植え付けたはずだ。
(まだ死ぬわけにはいかない。ピスコにはツケを払ってもらう必要がある。もう一度、今度は真正面から相まみえたい男がいる)
だが、それでもこう思ったのだ。
「お前とコルンになら……この命、くれてやる」
手柄として。
「……っ、馬鹿かいアンタは!」
キャンティがもう一発、発砲する。やはり、狙いは適当――いや、当たらないようにだ。
本当に、キャンティという女は――。
「スナイパーに標的を諦めろなんて無茶言うんじゃないよ!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――ここはいい! 走れ、赤井秀一!!
あの時と同じ、サングラスに黒いキャップを被った男――カルバドスが向こう側からそう叫ぶ。
「カルバドスさん……」
明美から聞いた話では、そこまで接触はなかったらしいが、それでも一定の信頼は出来る。
今もこうして、敵の注目を一身に集めている。
染めた髪を短く切った女がすばやく狙撃銃をこちらに構えると、その動きを阻害するようにカルバドスが牽制の一撃を叩きこむ。
「大丈夫だ」
不安そうな顔をする明美に、そう声をかける。
「あの男の身のこなし、かなりの物だ。ミドルレンジで、しかも互いが足止めに徹している戦い方をしている以上窮地に陥ることはない」
「互い……あの女の人も?」
「カルバドスという男、人望の厚いタイプのようだな。出来れば組織にいる頃に一度会ってみたかった」
心からそう思う。
あの狙撃の腕前、俺というFBIの狗との繋がりを大声で宣伝しても未だに殺すのを躊躇わせる。決して裏切る男ではないと信じられているのだろう。
なにより、誰も注視していないが……今の所『彼』に膝をつかせた、ただ一人の男だ。
「あの人、死ぬ気なのかしら」
その問いは、返答に困る問いだった。
答えづらいのではなく、分からないから。
「……あの男の生死、その鍵を握っているのは多分自身でもあの狙撃手でも、ジンでもピスコでもないだろう」
唯一分かるのは、あのカルバドスという男が執着し、そして強い影響を受けている男。
きっと、カルバドスの行く末を左右するのは彼だろうという根拠のない、だが強い確信だけがある。
(さて、君はどう動く? 浅見君……いや、所長)
これまで出会った人間の中で最も底が見えない、奇妙で興味深い男。
君ならば――
「ぁ――大君、そろそろ!」
「あぁ、分かっている」
カルバドスの牽制を避けてこちらに一撃を叩きこんできた女性スナイパーに、手にしたライフルでお返しの一撃を叩きこむ。
『目撃者』は一人でも多い方がいい。こちらは当てるつもりはない――が、相手はそうではないようだ。
カルバドスに何か叫んでいる。自分との関係を問いただしているか、あるいは未だカルバドスを説得しようとしているのか……恐らく後者だろう。そんな気がする。
「さぁ、そろそろジン達もこちらに到着する頃合いだろう。舞台を整えなくてはな」
真っ白な大きい布、浅見探偵事務所のマスコット――いや、一員が持ってきたそれを用意しながら、明美と共に先の長い階段を駆け上がる。
舞台まであとわずかだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
もう一人の
なるほど、確かにそうだ。間違ってはいない。
静かに、枡山憲三としてではなく幹部ピスコとして……そう思った。
(浅見透……)
赤井秀一に続く、もう一発の銃弾――だと最近まで考えていた男。
だが、本堂瑛祐やキュラソーからの報告を聞く度にそうではないと強く思わされる。
あの男は銃弾ではない。ただ一発の銃弾等ではない。
あの男は、銀の弾丸――それを放つ銃そのものだ、と。
ただ一人、いや一発を警戒すればいいという訳ではない。
関わり、強い影響を与えた人間全てが『銀の銃弾』になり得る存在になる。
報告にある中では瀬戸瑞紀、アンドレ=キャメル、最近では沖矢昴、恩田遼平。油断できない存在が次々に集まり、あるいは頭角を現しだしている。
安室透……バーボン、キュラソーも。
単独行動が多く、不審な点も見られるバーボンはともかく、『ラム』という恐怖に縛られているキュラソーにも、僅かながら雰囲気に変化が見られる。
奴の所に送り込んでそれほど時間が経っていないというのに。
関われば関わるほど、知れば知るほど、興味が湧く。もっともっと奴のことを知りたくなる。
酒の好み、食の好み、チェスの癖、好みのスポーツ、返答に困ったときに僅かに首を左に傾ける癖、時間を気にしだしたときに手首を撫でる振りをしてこっそり時計を見る癖、会談の時に傍に置いていた秘書を見る目からある程度絞った好みの女の外見。好みの女性の部位、好みの香り、酩酊し始める酒量、満腹感を感じ始める食の量、好みの肉、野菜、味付け……。
戦うには、争うためには、競うには理解が必要だ。浅見透という男を知り、把握し、理解し、思考をなぞる事が出来るように――数少ない機会を利用して全力で観察した。だが足りない。こんな程度では足りない。全く足りない。
危機に陥った時にどのように動くのか。危機を察知した時にどう動くのか。危機を察知するためにどのような策を練るのか。親しい者に順位はあるのか。誰が危機に陥れば全力を出してくれるのか。どのようにして守るのか。どのような人間を信用するのか。
いや、そもそも何があの男の根幹なのか。
どの様に育ったのか。幼小の頃はどうだったのか。数年前はどうだったのか。女の好みは。友人とする者の好みは。交友関係は。今と違うのならどこから変化――いや、変異を起こしたのか。
そうだ、まだまだ自分はあの男が見えていない。観ていない。魅足りない。
分かるのは、一つだけ。
あの男が最も得意とする事だ。
単身で突破する事? 可能だが奴の好みではない。
自身の知能と機転で策を生み出し、型に嵌める? 好みではあるだろうが、少し違う。
奴が最も得意とするのは――
「あ、アニキ! あそこに!」
ウォッカが叫ぶ。その視線は上を向いている。
それに釣られて視線を上に向けたジン。
その口元が、忌々しそうに歪む。
「赤井秀一……っ」
突如、本来ならば想定していなかった『
番狂わせ、ちゃぶ台返し、前提崩壊――おおよそ『予想の外』という所から痛い所を付いてくるのだ。浅見透という男は。
攻撃を仕掛ければその横っ面を殴られる。
それを踏まえての作戦を立てれば、その前に根を叩き潰される。
攻撃の手を止めさせるために一手を打てば、その手を掴まれ、もぎ取られる。
いくつの下部組織を潰され、部下を捕らえられたことか。
取引のあった密輸グループからの信頼を失い、マスコミを経由して評判にダメージを与えようとすればその前に押さえられる。
最後の手段と同居人の
(そうだ、いつもいつも、常に貴様に先手を取られ……)
だからこそ、味わってみたい。
浅見透の見ている世界、その更に先が見えた時の達成感、征服感――月並みだが、勝利の美酒の味という物を。
(赤井秀一という最高の戦力がいても少数は少数。確保したい人員がいる事も合わせて考えるとまとまって動くのが普通。そう、普通だが……)
そもそも、どちらも普通ではない。片や単体での最大脅威となるFBI捜査官、片や、闇を煮詰めた様な男。
そんな時、次々に辺りが照らされていく。モノレールの昇降口、出入り口、非常灯、誘導灯。
最低限の、だが道を把握するには事足りる灯りが次々に点いていく。
(そうか……奴め)
予備電源に火を入れて、最低限のここのシステムを復活させたのだろう。こちらの動きを把握するため――いや、掌握するために。
微かなモーター音と共に金属が軋む音がする。シャッターが閉まり出しているのだ。
ジンはウォッカを伴って、ゆっくりと狭くなりつつある入口の向こうへと足を進めている。恐らく赤井のいる上層へと向かっているのだろう。
(馬鹿め、上に行っても碌な事にはなるまい)
文字通り痛い目を見るか、あるいは――利用されるか。
「ジン、お前達は先行している二人と共に赤井を押さえるといい。いかに奴といえども袋の鼠だ。私はシステムをどうにかする。このままでは脱出にも一苦労しそうだ」
最初のシャッターは二人に続き、その後でそう告げる。
「ふん、執着していた手柄よりもわが身が大事になったか?」
ジンが鼻で笑ってそう言う。
ウォッカは、どう反応すればいいか少し迷い、結局無言を通す。
「手柄に執着した覚えはないよ、ジン。私は、私の成すべき事を成すだけだ」
我ながら白々しい事を口にしていると自覚する。
だがどうでもいい。
計画は元々二段構えだった。それが二段目に移行しただけ。
(いや……内心、こちらの方が実は本命だったかもしれんな)
「それに、あの赤井が不用心に姿を見せるには理由があるはずだ。退路も兼ねる後方の安全を死守すべきではないかね?」
「……ふん。ならせいぜい後ろを守ってもらおうか」
ジンは、相も変わらず自信に満ちた声でそう言う。
傲慢とも言える自尊心。裏だろうが表だろうがある程度は必要な物であるが、過剰に持つ者はそれに値する実力が求められる。
(貴様にそれがあるか、ジン? あの悪魔に愛された直感と頭脳、そして死を恐れぬ――いや愛するような狂気を闇で煮詰めた男と戦うだけの実力が)
だから、見せてもらうとしよう。
「後ろは私に任せて……ジン、君は行きたまえ」
奴が牙を研いで待っている、その口元へ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ジンと別れ、既に閉まってしまった防火シャッターを迂回しながら、前へ前へと進んでいく。
奴がいる。間違いない、奴がいる。
普通、シャッターは全て閉めるはずだ。操作をしている警備室への道だけが開いている。
まるで招き入れるように。待ち構えているかのように。
拳銃のフレームをスライドさせ、初弾が装填されていることを確認する。
いる。いる。いる。
気配を感じる。間違えるはずがない。
奴を屋敷に招き入れる時、今か今かと待ち構えていた時にいつも感じていた気配。
先ほどは虚をつかれたが、こうして集中すれば分かる。肌で感じる!
「ようやく」
銃を構え、角を曲がる。むろん警戒してだ。
「ようやく、こうして――こういう形で相見える事が出来たな」
そして、曲がった先の通路にいたのは――
「私が認めた麒麟児よ!」
その白いマスクで隠された顔は見えない。
だが、待ちくたびれたと言わんばかりに肩をすくめてみせる、ふてぶてしい態度をその男は見せる。
自動車会社会長、枡山憲三。これまで出会った時に付いていた肩書を放り捨て――今ここに、ピスコとワトソンが対峙した。
白髪にサングラスの男が上に行っちゃったので最短の脱出路を開けてさっさとお外にフライアウェイしようとしたらサイコスマイルを浮かべる枡山さんと遭遇してシステムエラーを起こしたワトソンの図。