平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

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048:集結

 誰も人が通っていない、とある道路。そこに止められている一台の車に男女が乗り込んでいる。

 その車には灯りは一切ついていない。暗くなりかけているにも関わらずだ。

 運転席に男がいるが、席に座っている訳ではなく、本来ならば足がある所に潜り込み、なにやら操作をしていた。

 

「貴方が言った通り、警戒が薄かったわね」

「逃げれば完全に裏切り者。どう足掻いても弁明は不可能だし、これで何を言っても説得力はない。そこまで計算していたのだろう。……これで名実ともに裏切り者だ」

「それはそうだけど……そもそも、あのままいても、ジンが聞く耳を持っているとは思えないわ。貴方もそう言ってたでしょう?」

「あぁ、仕方ない。奴は耳が遠いからな」

 

 女のイラついたような、焦る様なぼやきに、男はなんともないような声で答える。

 運転席の鍵穴付近のカバーがこじ開けられている。言うまでもなく、この男の仕業だ。そして配線をどうにか弄っていると、やがて『キキッ!』という音に続いて、エンジン音が響き渡る。

 

「よし、かかった。イモビライザーのない車があって助かったな……」

 

 その手際の良さに、女はあきれたような顔で運転席に座り直す男を見る。

 

「どこで覚えたの? 車泥棒の手段なんて」

「中東で戦っていた男からだ。緊急時における移動手段の現地調達方法として覚えたらしい」

「中東……軍人かしら?」

「あぁ。軍人だった」

 

 男はライトをつけて、ドライブに入れ、そしてサイドブレーキを下ろしてアクセルを静かに踏み込む。

 

「……それで、これからどうするの?」

「隠していた装備を取りに行く。いずれ追手が来るからな。それに対しての備えを用意しなければ何も出来ん」

 

 男は、いつ仕事が入っても良いように様々な所に自分の装備を隠しておいた。問題は、それらの場所はいざというときに組織の仲間が使えるように教えている事だ。教えていない所となると、たった一か所。

 

――あの男と、戦うために武装を集めておいた場所。

 

「どこに隠しているの?」

「……アクアクリスタル。その周辺だ」

 

 あのモノレール駅周辺の建物には、銃の類はそれほど置いてなかったが、浅見透との決戦のためにいくつかのトラップツールや……爆薬があるはずだ。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「マリーさん。わざわざ迎えに来てもらってすみません」

「いえ、たまたま通りかかっただけですから」

「いやーびっくりしたわ。なんか急にカーチェイスが始まって、この辺りなーんかピリピリした雰囲気になっちゃってさー」

 

 申し訳なさそうに軽く頭を下げる毛利蘭と、能天気な笑みを浮かべる鈴木園子に、事務所内ではめったに使わない笑みでそう答える。

 こうしてみると、比較的演技の必要が少ないあの事務所は、意外と悪くない場所だと気付かされる。

 

(しかし、どうにも小競り合いの気配がすると思っていたが……まさか公安とはな。なにをやっている、アイリッシュ)

 

 顔を隠してCIAの人員と交戦。数名を倒し、やはりめぼしい情報を持ちあわせていない事を確認した後、本堂瑛祐の確保へと動いた時にそれが起こった。

 急きょ、一台のワゴンが信号を無視して交差点を突っ切ったのだ。それと同時に、何台かの車――公安のものだと当たりを付けていた車がその一台を追い掛け出したのだ。

 今では警察も来て、辺りを調べ出している。恐らく、今頃アイリッシュは車を捨てて、どこかに潜伏している――いや、ああ見えてアイリッシュは中々に機転の利く男だ。反撃の手段を整えているのかもしれない。ならば、公安の事は奴に任せて問題はないだろう。

 

(それに、奴がこの近くに来ていたのは……おそらく、コイツが目的だったんだろう)

 

「? あれ、僕の顔に何か付いていましたか? マリーさん」

 

 本堂瑛祐。浅見透が気にかけ、そして現にこうして複数の組織が小競り合いを起こしている。

 この少年に、何かあるのはもはや疑いようがない。

 

「ううん、なんでもないわ。それで? どこか寄りたい所があるって言ってたけど?」

 

 とりあえず、車に三人を乗せて、適当なレストランで食事する事になった。自分が車に乗ってきているという話になったら、ちょっと遠出したいと鈴木園子が言いだしたのだ。

 すると、意外な事に本堂瑛祐が食いついて来た。

 

「いや、実は一度見てみたかった場所があるんですよ」

「へー、どこよ?」

「アクアクリスタルですよ! 例の、浅見探偵事務所の面々と眠りの小五郎の強力タッグが大活躍して、犯人を捕まえたっていう……一度どんな場所だったのか、見てみたかったんです!」

「あ、あぁ……」

 

 毛利蘭が、引き攣った笑顔を浮かべているが、それはそうだろう。なにせ、犯人の直接の標的ではなかったとはいえ、危うく死にかかる所だったとバーボンから聞いている。

 

「あ、すみません蘭さん! ちょ、ちょっとだけ興味があって……あの事件、写真家の宍戸永明が探偵事務所の人達をベタ褒めしてて、どういう感じだったのか……その、すみませんでした」

 

 本人も不味い事を言ったと思ったのか、反省したような顔を見せるが――こいつ、今の発言は狙って言ったか?

 なんとなく、そう感じた。

 

「でもいいんじゃない? あそこ夜景スッゴイらしいし。もう事件も終わったんだしさ。警察の調査ももう終わってるんでしょ?」

「もう、園子ったら……」

「それに、今度いい男を釣った時のデートコースに使えるかどうか、チェックしておきたいし!」

 

 勘を信じるのならば、この三人。特に本堂瑛祐を連れていくのはマズいかと思ったが、鈴木園子が余計な事を口にする。

 あの子供達もそうだが、この女とも合わないという事を強く感じる。

 

(……やれやれ)

 

 毛利蘭は、基本的に鈴木園子に対して強く出る事はそこまでない。このまま押し切られる形になるだろう。

 となると、あの場所に行く事になるのか。

 

(カルバドスがあの男と交戦したと思われる場所。確かに、見ておいて損はないが――)

 

 そう考えた時、ふと、ある可能性を思いついた。

 

(本堂瑛祐の狙いも、もしや……浅見透の足跡を調べる事だとしたら?)

 

 あの時、事件に関わっていた毛利蘭がいれば、あるいは当時の事で何か思い出す可能性はある。この男は事務所での体術訓練を見学している。私が戦力だという事も熟知しているから、護衛役としてちょうどいいと考えていたら? そして鈴木園子も、浅見透のバックである鈴木財閥の令嬢である。しかも、こういっては何だが口が軽く、情報を収集しやすい女だ。

 

(――浅見透が警戒したのも、それが理由か?)

 

 仮に浅見探偵事務所を調べているとすれば、ただのファンにしては少々手が込み過ぎている。

 本堂瑛祐、まさか……。

 

(浅見透が張り付かせ、そしてその周りを固めていたCIAと公安。……アイリッシュ――ピスコまで目を付けている)

 

 少なくとも、確保して置いて損はないだろう。実際に動いていたCIAや公安はもちろん、裏でコソコソ動いていたピスコ達にも渡すわけにはいかない。

 

 本堂瑛祐は、私が押さえる。それがベストだろう。

 

「それじゃ、どこかでご飯を食べてから、ドライブがてらそちらに行ってみましょう。確かに、夜景は悪くなさそうだわ」

 

 ついでに、もし本堂瑛祐の尻尾を掴めれば、『組織』にも浅見透にも良い報告が出来る。

 あの得体のしれない男の命令だったが、意外と悪くない。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 食事の用意は桜子さんがいつも通り済ませてくれている。こういう時は家政婦を雇ってよかったと本当に思う。今は、二階で取りこんでいた洗濯物を片づけて、アイロンを掛けてくれている。

 僕は……たまたま来たお客さんの相手だ。ちょうど、安室さんに送ってもらった少し後にインターホンが鳴り、モニターで確認すると……意外な人が訪ねて来ていた。

 

――パチン。

 

 

「ふむ、中々いい所に打ちますね。なら、僕は……」

 

――パチン。

 

「……浅見君から、プロ棋士と聞いていましたが……まさか太閤名人だとは思いませんでしたよ」

 

――パチン。

 

 テレビから流れてくるニュースをBGMに、昨日までこの家にはなかった足付きの立派な将棋盤で名人――羽田秀吉と対局している。なんでも、先日新しい盤を買ったらしく、せっかくなので将棋仲間の浅見君に古い方を譲りに来たというわけだ。……太閤名人と対局する仲だなんて、初耳なんだけど。

 ちくしょう、職権乱用って言われるだろうけど安室さんと一緒にアイツの人間関係全部暴きだしてやろうかな。

 

「ハハ。彼とは、たまたま立ち寄った将棋クラブで対局してね。思った以上の指し手で驚いたよ。一手手加減しただけで切り崩されたしね」

「……アイツ、本当に変な所で多才なんだから……」

 

 まさか、名人に勝っていたなんて。そういう話を聞かされていないというのは、なんだか少し悔しい気がする。……名人だって気付いていない、なんてことないよね?

 

「しかしそうか、出かけてたかぁ。いやね、近くに用事があって、由美た――知り合いの運転でこっちまで来てね。で、ちょうどいいから盤を持ってきてたんだ」

「わざわざありがとうございます。浅見君、ちょっと面倒な事件に関わっているみたいでいつ帰るかは……」

「あぁ、いいよいいよ。顔はまた今度……っていうか、彼とはテレビ局でよく会うしね。近いうちに対談の企画もあるって水無さん言ってたし……なんだかんだで顔は合わせてるんだ」

 

 日売テレビは、水無怜奈さんを仲介に使ったつながりがいくつもある。情報を提供してもらう事はもちろん、逆に情報を一定期間押さえてもらったりなど……。そのため、向こう側の依頼を受ける事が非常に多い。仕事はもちろん、テレビへの出演など。浅見君の意向で、メディアへの露出は本人の意向を可能な限り通すようにしている。

 

――もっとも、安室さんは余りに出演依頼が多すぎて断り切れず、最近テレビに出るようになってしまっている。

 

「僕も、テレビ局にはついていってますけど、実際浅見君、どうですか? なにか不手際とか――」

「いや、特にそんなことはないかなぁ……。むしろ僕の方が助けてもらってるしね。ほら、彼ってなんだかんだで程良い距離での知り合いを作るの上手いじゃないか。星野輝美さんや沖野洋子さん……というか、アースレディースの面々や雨城瑠璃みたいな歌手とか女優とも仲良いし、それ以上にスタッフと良好な関係だから――ほら、事務所下のレストラン――『ミセス・ハドソン』によく関係者が来てるでしょ? ADの篠原さんに八川さん、ニュースキャスターの浅野亜紀にプロデューサーの坂東さん、上諏訪さん、それにカメラマンだと浜田さんに……」

「よ、よく覚えてますね」

 

 何気にこの人がレストランに食事やショーを見に来ているのは知っていたが、まさか来店していたテレビ関係者全員を覚えているのだろうか?

 

「覚えるのは得意だからね」

「そうなんですか?」

「あぁ、日本一……いや、世界一かも」

 

 内心の僕の疑問に答えるかの様に、丸眼鏡を直しながらそういう名人は少しさまになっている。これで服装に気を使って、髭をキチンと剃ればいいのに――

 

(あぁ。そういう所で似た者同士だから仲良くなったのか。浅見君と羽田名人)

 

 浅見君も、油断するとすぐに髪の毛が伸びて、服も家用と外用の二着しか着ない着たきり雀になっちゃうし。

 

「羽田名人から見て、浅見君ってどういう人間に見えます?」

「……そうだなぁ。いざという時の機転と行動力は飛車。思いがけない発想力は桂馬を連想させるけど。――でも、やっぱり彼の立ち位置は指し手だよね」

「指し手……」

「そう。常に全体の構図を見て、適切な駒をそこに打ち込む。それが浅見透という男だと思うよ」

 

 全くもって、反論のしようがない意見だ。僕もそう思う。

 

「じゃあ――」

 

 

 僕と同じように彼を見ている人がいる。だから――この質問が出るのも当然だ。

 

「僕は、どのように見えますか?」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 瑛ちゃんに――本堂瑛祐に直接顔を合わせるわけにはいかない。

 

 事態がどう転ぶか分からないからだ。だから、弟の周辺の現状を把握して、可能ならばCIAの仲間の援護。最悪、襲っている人間の撹乱だけでもと思いここまで来た。

 

(まさか、貴女が動いているなんて……)

 

 もっとも接触したい女であり、同時にもっとも関わりたくない女――キュラソーの運転する車の助手席に弟の姿を確認した時は、軽いめまいと吐き気に耐えるのに一苦労した。

 

(くっ……よりにもよって……っ!!)

 

 もし、弟がかつて自分のために命を投げ捨てたCIA――本堂の息子だと疑われているとすれば、ここで自分が姿を見せる訳にはいかない。血を分けた姉弟なのだ、どうしても面影は似てしまう。同時に顔を見られれば、あるいは血縁関係がバレて、自分も弟も処分される可能性が出てくる。正確には、確率が跳ね上がると言うべきか。

 

 先ほどまでは、かなり離れた所から後を付けて、大体の行き先を推測していた。襲撃を逃れた仲間も、態勢を立て直して彼女達の行き先を追ってくれている。

 行き先は、恐らく――

 

(アクアクリスタル!)

 

 先日、あの浅見透がカルバドスと対決した場所。いや、浅見透と赤井秀一が、か。

 しかし、なぜあの場所に……?

 

 適当な路地にバイクを止めて一息吐く。

 

 まいった、あんな場所に行く理由がさっぱりわからない。理由が分からなければ詳細な対応を練る事が出来ない。

 今いる人員でキュラソーの乗る車を強襲する手段もあるが、弟や一緒に乗っている蘭ちゃん達も危険にさらすことになる。いや、なにより緊急時に対してもっとも手段を持たない園子ちゃんに万が一があれば、鈴木財閥は間違いなく詳細を調べようとするだろう。そうすれば、最悪どちらの組織も鈴木財閥に対して余計なアクションをとるかもしれない。

 

(……キュラソーは……多分まだ瑛ちゃんのことには気が付いていない。気付いていたのならば、余計な事をせずに瑛ちゃんだけをさらうか、あるいはピスコやジンと共になんらかのアクションに出ているはず)

 

 大丈夫だ。まだ、まだチャンスは十分にある。そう胸中で繰り返して精神を落ち着かせようとするが、上手くいかない。大抵の事態はどうにかしてみせる自信はあるし、また平静を装う自信もあった。だが、それが、残されたたった一人の肉親の事となれば……。

 

 母も死に、父は自分が『殺して』しまった。せめて、せめて瑛ちゃんだけでも……。そのために、無理を言って撤退するはずだった人員を数名残してもらったのに……工作全般に長け、戦闘も得意とするキュラソーを相手取るには足りない。数を減らされた現状では、尚更だ。……ひょっとしたら、その減らした相手もキュラソーかもしれない。

 彼女の傍にいる瑛ちゃんを、キュラソーに疑いを持たせないまま奪還する。まずはそんな難題をこなさなければならない。それに、仮に奪還できても――

 

 

(瑛ちゃんの安全を確保するには、あの子がそこにいることに誰もが違和感が持たず、かつ組織を相手に守れるだけの力がある居場所が必要だけど……)

 

 そんな都合のいい場所なんて……っ!

 

 

 

 

 

――綺麗な女性のそういう姿は嫌いじゃないけど、見てて辛いな。

 

 

 

 

 

 突然聞こえて来た言葉と共に、どこか軽い足音が、人気のない路地に響く。カツン、カツン、と。まるで一歩一歩確かめるようにゆっくりと、自分の方に。

 

「――浅見君……っ」

 

 この路地裏を歩く男は、いつもと同じダークスーツを身にまとい、いつもと同じサングラスの下にいつもと同じ静かな笑みを浮かべていた。

 何度も自分を、そしていくつもの組織を翻弄し、そこから大きな利を生みだしていく得体の知れない男。

 

 

 

 

――……必要ですか? 俺の力?

 

 

 

 

 

 その男は、まるで何もかも見透かしたかのように笑みを深くし、たった一言、そう告げるのだった。

 

 

 

 

 




アクアクリスタル「解せぬ」

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