平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

45 / 163
044:姉と狙撃手と雨蛙

――暗くて、そして静かだ。

 

 俺が目を覚まして最初に思ったのは、そんなたわいない事だ。

 僅かに入ってきた光の眩しさに、開きかけた瞼を再び細める。

 軋むような音と同時に入ってきた光の方に目を向けると

 

「……お前か」

 

 記憶が途切れるその寸前、自分に銃口を向け、そして引き金を引いた女――宮野明美が立っている。

 

「……塗料――いや、疑似血液を込めたパラフィン弾。中々に強烈だった……当たり所によっては死んでいただろうな」

 

 ピスコが俺に銃口を向けた瞬間。同時に動いた人間がいた。ピスコの傍らに立っていたこの女だ。

 この女は、懐から素早く小さな拳銃を取り出し、自分に向けて引き金を二度引いた。

 その時走った激痛が、体を貫く物ではなく体の表面で何かがはじけ飛ぶ痛み。そしてわずかに見えた、赤くて小さい欠片から染めた蝋――パラフィンで作られたものだとどうにか判別できた。

 すぐに意識を失ったのでその後の詳細は分からないが、こうして自分が息しているのだ。おそらくこの女がどうにかしたのだろう。

 

「ピスコが俺を生かせと?」

「……カルバドスは私が射殺。そして死体の処理は私に任せて、今は他の人間と何かの打ち合わせ中よ」

 

 つまり一芝居を打ったという事だろうか。

 ……あの老人を相手に楽観視は危険だ。この女もろとも泳がされていると見て行動したほうがいい。

 

(となると、下手に動けばすぐにこの女諸共殺されるという前提で行動を模索するしかない、か)

 

 行動しなければ、あるいは生き延びられるかもしれないが、座して待つなどというのは自分の性に合わない。それに、このままズルズルと命を長らえた所で、いずれピスコ――あるいはジンに殺されるのは間違いない。

 

「宮野明美……だったか。なぜ、俺を救った?」

「……そんなつもりはなかったのよ」

 

 まずは正確に現状を把握する必要がある。俺の命の『とりあえず』の綱であるこの女が、なぜ俺を救ったのか。それを知る必要がある。

 

「私はただ聞きたかっただけ。コードネーム持ちの幹部なら、知っているんでしょう?」

 

 俺の問いかけに宮野明美は、未だ碌に体を動かせない俺の襟元をそっと掴み、感情を押し殺した静かな――だがどこか迫力のある声で俺に尋ねる。

 

「お願い、教えて。志保は――私の妹はどこにいるのっ!?」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「全くと言っていいほど動きがないですね。……どうです所長? いっその事、私と貴方で本丸を攻め落としますか?」

「待て、待って。待って下さいお願いだから」

 

 我が探偵事務所の新人ながら既に主力の一人である沖矢昴さんの素敵な提案を丁重に却下する。アンタ顔に似合わず好戦的だよねマジで。

 差し入れとしてもらったコンビニのおにぎりを齧りながら、怜奈さんを監視する。

 顔が知られているから不味いんじゃないかと思ったが、そこは瑞紀ちゃん印の完璧変装。今の所気が付かれている様子はない。まぁ、本人が枡山さんの家の様子や握っている携帯をしきりに気にしていて、周辺に注意がいっていないからというのも大きいだろうが……。

 

「まぁ、冗談はさておき……所長、貴方は枡山会長とどう決着を付けるおつもりで?」

「ん? あー……」

 

 やっべぇなんて答えよう。

 実は見た目小学生、実態もやっぱり年下である高校生の主人公に丸投げするつもりだったため深く考えていませんでした。とか言ったらさすがに上司というか所長としての威厳が崩れる気がする。元からない? ハハッ、そんなまさか……そんなまさか……

 

「……枡山憲三が犯罪行為をしているという証拠を押さえて警察に押し付けて情報をいただく、かな。まずはそこから押さえていかないとどうしようもないですからね」

 

 マジでそれくらいしかねぇ。どっちかっていうと、今頭の中は怜奈さんとか『広田雅美さん』の方で一杯一杯だ。要するに――

 

「正直な感想として、枡山会長はとっかかりであっても本命じゃないんですよ。ぶっちゃけ、そこまで重要視してないです」

 

 なにせ、経済界の重鎮で且つメインストーリーの敵サイドという立ち位置だ。重要と言えば重要だが、逆に言えば確実に関係してくる相手。コナンの手助けに徹していれば問題はないだろう。

 一番確保したいのは、死ぬかどうか分からない……もしくはいかにも死にそうで、重要な情報を持っていそうな相手。と、なると――

 

「自称『広田雅美さん』の保護。今の所、自分にとって興味があるのはこれだけ――かな」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

(――相変わらず、興味深い男だ)

 

 自分と同じベンチに腰を掛けたままコンビニで買ってきたおにぎりを齧っている男の様子は、自分の10は年下というのに相応しい平凡な雰囲気しか感じない。

 だが、彼の口から出る言葉、語られる思考、そして経済界の大物を相手に『重要視していない』と言い切る胆力と行動力。

 この軽い口調から、本当にどうでもいいと考えていると見ていいだろう。やはり、侮れない男だ。

 

 彼の元に潜伏したのは、バーボンこと安室透の言から組織の重要人物が関心を寄せているのが確定していた事に加え、『彼女』が接触をしたという事実からだ。

 もし、浅見透という男が組織寄りの人間だったのであれば間違いなく『彼女』は接触などしないはず。ましてや、自分の妹の事を託しにいくとなると、浅見透が組織と敵対――そこまではいかなくとも決して相容れる存在ではないと確信したのは間違いない。

 故に知る必要がある。

 浅見透という男を。組織を警戒させ、だが同時に幹部である人間を惹き付けてしまう奇妙なこの『探偵』を。

 

(……あのバーボンが、プライドや怨恨と秤にかけて優先させた男というだけでも非常に興味を引かれる存在というのは間違いないが)

 

 先日の事件の時、バーボンは、浅見透負傷の情報がひそかに流れてから動きだそうとしていた悪質なマスメディアや反社会勢力等といったアウトローに近い勢力を、鈴木財閥のバックアップを受けたとはいえ実質一人で抑え込んでいた。

 そしてその事実が表に出ないように念入りに痕跡を消していた。恐らくは組織の人間に気取られないようにするためだろうが――

 

(……彼に余計な心労を掛けまいとしたのが見てとれるあたりが、なんとも……)

 

「なるほど、老人ではなく女性の方に興味を持つ。確かに、何もおかしい所のない自然な反応ですね。正常な男性として」

「……そこはかとない悪意を感じる」

 

 自分としては普通の感想を告げたつもりだったのだが、どうやらお気に召さなかったようだ。浅見透は、ジト目でこちらに目線だけをよこしてくる。

 

「これは失礼。所長は美しい女性にはめっぽう弱いと、瀬戸さんや副所長から聞かされておりましたので……」

「……あの二人には俺から説教が必要――俺がされそうだから止めておこうか」

 

 実際、嘘ではないというか――客観的な目で見ても間違えようのない事実だ。これで彼が全力で否定した所で、職員全員から白い目とため息のスペシャルセットが大量生産されるのは確実だろう。もっとも、その前に浅見透本人が隣で大きいため息を吐いている。

 

「……もうそれなりに働いているから十分理解していると思いますが――ウチの事務所って駆け込み寺に近い所があるんですよ」

「あぁ……ええ、分かりますよ」

 

 ちょうど自分が事務所に入ったばかりの頃かららしい。大口の依頼、例えば鈴木財閥やその他の会社からの依頼はもちろん、ストーカー等の付き纏いや身の危険を感じるモノまで事務所に依頼が来るようになったということだ。恐らく、警察では動きづらい案件に対していくつも解決してきた実績があり、且つ警察との関係が非常に強いという事が証明されたためか。

 

「――まぁ、だからっていうのもアレだけど、ウチに助けを求めて来た人たちは出来る限り助けてやりたいのさ。そうやって、何度も助け続けていけば、それが財産になる……。利用しようとする奴は叩き潰すけど」

 

 なるほど。分からなくはない理由だ。組織のトップとしても、様々な業界・世界に手を伸ばそうとしている男としても、名声という物は無視できない要素なのだろう。

 そして、その名声の使い所。それによっては――彼に、彼と……。

 

「そうだ。ちなみに、かよわいお年寄りと若く美しい女性ならばどちらを優先して助けるんです?」

「………………………………。お、お年――いや、なんとしてでも同時に――」

「あ、もう結構です」 

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「どう? 瑞紀さ――健一にーちゃん」

「んー、ちょっと待ってねコナン君」

 

 健一にーちゃんこと瑞紀さんは、以前浅見さんと一緒に枡山会長の家を訪ねた時から怪しいと思っていたらしく、後日別人を装っていくつか侵入路を用意していたようだ。

 瑞紀さん曰くセキュリティのごまかしは浅見探偵事務所の必須スキルらしく、今ではあの双子のメイドやふなちもある程度の事は出来るらしい。一番の新顔である恩田さんも、今は安室さんと瑞紀さんの監督で色々と叩き込まれているらしい。相変わらずぶっ飛んだ事務所だ。……前に安室さんが言ってたな、いい意味でネジが取れている、どこかが飛んでる人材が互いの色を混ぜ合う事務所だって。……これ、褒め言葉か?

 

 

「よし、これで設置されている監視カメラは、こっちの好きなタイミングで用意した映像を流せる。全部は把握できてないから、ルートは限られるけど……」

「さっそく入ってみる?」

「いや、内部映像の入手・解析に二日は欲しいね。それで準備を整えてから――じゃないと、いざって時のアドリブも作れない。内部の構造、人員、その役割……最低でもここら辺までは押さえておかないと怖いからね」

 

 さすが、あの事務所の難易度の高い仕事を任される人だ。潜入に関してのノウハウがすごい。

 最近では、浅見さんと同じく次郎吉さんのお気に入りだと聞いている。浅見さんと一緒に食事会に呼ばれる事も多いとか。苦手なのか、本人は苦笑いしてたけど。

 

「それにしても……前も思ったけど、人がほとんどいないのがやっぱり気になるな」

「あぁ、お手伝いさんとかいないよね。部屋のほとんども使われていないって話だし」

「うん。……よくよく考えてみると、経済界の重鎮って人にしては家も小さいよね」

 

 確かに豪華な家ではあるが、豪邸という程ではない。使用人も0。瑞紀さんの話だと、例の『広田雅美』がある程度の家事をやっているようだが……。

 

「家の中の人間を少なくする。……機密性を高めるため?」

「じゃないかな。警備の人間を多くするって、一定以上のレベルの人間には却って隙になるからね。技術レベルの高い今、システムを組み合わせた少数精鋭が一番手ごわい……まぁ、それでもやっぱり付け入る隙はあるけどね」

 

 どんな警備システムにも穴は絶対にあるんだよ、と泥棒のような事をいう瑞紀さん。――そういや、この間キャメルさんと一緒に防犯対策を教えるゲストとしてテレビに出てたな。その前は、女性が3倍綺麗になる化粧だっけ。

 

「しかし、まいったな。こっそりあの女性を助けて逃走。適当なタイミングで変装した私が連中の目の前で死んで見せる予定だったのに……人の目が少ないとどうしようもないな……」

「……甘く見ない方がいいよ。アイツラ」

「……コナン君。ひょっとしてアイツラの事、よく知ってる?」

 

 手元で端末をいじりながら、横目でそう尋ねてくる。

 正直な話、この人も奴らの候補の一人だ。うかつな事は話せない。

 

「ううん? でも経済っていう世界で生き抜いてきた人なら、とっても強そうじゃない? 頭が切れるって意味でさ」

「……ま、確かにね」

 

 今こうして一緒にいて、敵対するような気配は全く見られない。万が一、そんな素振りを見せたら迷わず麻酔針を打ち込んで、洗いざらい吐いてもらうつもりだが……

 

(例のマリーって人はともかく、瑞紀さんも安室さんもそんな感じはしないんだよなぁ……)

 

 安室さんは推理力も行動力も抜群。とても有能で、事務所内での浅見さんの相棒と言っていい立ち位置だろう。設立当初から行動を共にしていて、警察内部でもトオル=ブラザーズなんて呼ばれてコンビ扱いされている。――そんな当初から、浅見さんが組織に目を付けられていたとは考えづらい。いや――

 

(いや待て、浅見さんが事務所を立ち上げる切っ掛けになったスコーピオン事件。あの事件が組織に関係していたとしたら……。ロマノフの財宝になんて奴らは興味はないだろうし……そもそもあれが本当にスコーピオンの事件だったという確証は未だにない。ひょっとすると――)

 

 鈴木財閥になんらかの接触をするのが狙いだった? 相談役の暗殺が第一目標で、それが失敗したから次善の策で……ダメだ。疑えば疑うほど怪しくなる。

 

(確かにあの爺さんが、組織の事を知れば対決しかねない。前にも、赤いシャムネコとかいうテログループを相手にやり合っているし)

 

 とにかく、ピスコを突っつく事で相手の動きを見るしかない。ここで水無怜奈や枡山憲三を始めとする幹部を一網打尽に出来れば、事態は一気に動くだろう。そして浅見探偵事務所の周辺から組織の影を一掃できれば、そのまま浅見さん達の身の安全に繋がる。

 

(――失敗はできねぇ。でも、急がねぇと……)

 

 その時、探偵特有の耳の良さが、その音を拾い上げた。

 独特の不等長なアイドリング音。そしてレスポンスのいい吹き上がり――水平対向エンジン特有の音。

 その音は確実にこちらに近づいてきている。

 

「――隠れてっ!」

 

 反射的に、小さな声でそう告げる。それと同時に瑞紀さんは端末をポケットに突っ込み、俺の体を抱きかかえて走り出した。本当に反射的だったのだろう。

 

(こんなエンジンを積んでんのは、ワーゲンかスバルか……あるいは――)

 

 近くの家と家の隙間に身を隠し、そこからそっと覗き込む。ちょうど、枡山邸の前に一台の黒い車が止まった。

 

(ポルシェ……)

 

 

 その黒い車――ポルシェ356Aはそのアイドリングを止めず、まるで何かを見計らうように枡山憲三の……ピスコの本拠地の前に止まっていた。

 

 

 




えらく伸びてしまったorz でも書き上げたのは実質一日なんだよなぁ(汗)
疲労胃ンさんとかその他の動きは合間合間で出てくるかもしれません。

マジでスコーピオンと色々被りそうだなぁww

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。