見覚えのある家、見覚えのある玄関、見覚えのあるドア。それらをくぐり抜けて中へと入り、いつもの部屋にたどり着く。
何度もこの家に来た事はあるが、相変わらず好きになれない。
自分と同じく、裏の人間であるピスコは、財という分かりやすい力でそれをすべて塗りつぶしている。
純然たる黒を、上から目がくらむ金色で塗りつぶしたハリボテの家。
――やはり、嫌いだ。反吐が出る。
「おぉ、カルバドス。無事だったか……安心したぞ。とりあえず、腰を掛けたらどうだ?」
「……いや、このままでいい」
白々しい。実際に顔を見たら、あるいは他の感想が出るんじゃないかと思ったが、やはり嫌悪感は拭えない。
「む、そうかね。まぁいい。……それで、カルバドス。今までどこにいたのかね?」
「……警察病院だ。公安に捕まっていた。もっとも、俺も意識を失っていたために、バレた事があると言えば俺の顔くらいの物だ」
その顔がここを訪ねているのは枡山に対して不利な事でもあるのだが、――これくらいのささやかな仕返しは許されるべきだ。
「……公安?」
「あぁ。意識が戻らない振りをして会話を盗み聞いていた。間違いない」
「ふむ――」
ピスコは静かに考えている。日本の公安は以前にネズミを紛れ込ませていたことがある。コードネームは……確か、スコッチだったか。
「――先日、例の会社に奇妙な客が来てな。巧妙にデータまで改ざんして、メンテナンス会社を装って侵入してきた男がいたのだよ。かなりの手練だったが、そうかそうか……公安、か」
「……なに?」
その話が事実なら、確かに公安は怪しいとは思う。だが、断定する程ではない。
なのに、――なぜだ?
「まぁ、それはいい。浅見透と実際にやりあったようだが、どうだったかね?」
「……やっかいだ。大怪我をする覚悟がないのならば、関わらない方がいい」
これは本音だ。うかつに手を出せば赤井や、ひょっとしたら繋がりがあるかもしれない公安が一斉に敵に回る。これらは敵対関係にある連中だが、同時に敵に回すのは可能な限り避けたい。
「なるほど。なるほどなるほど……」
ピスコはたった一言そういうだけだ。最近ピスコの付き人をしている女が淹れて来た紅茶に口を付ける。
「では、浅見透の弱点は?」
「……毒を体内に抱えている事……か」
分かりやすい弱点として越水七槻と中居芙奈子の二人がいるが、もしこの二人に手を出せば、間違いなく浅見透は本気になる。俺の狙撃すらモノともしなかった男が、その手にある権限の全てを駆使して、我々の喉元に喰らいつくまで――いや、食い破るまで止まりはしないだろう。
唯一あの足を止める可能性があるとしたら、バーボンとキュラソーを上手く使うしかない。暗殺ではない。暗殺は――失敗したときが恐ろしい。
そうなれば、恐らく浅見透だけではない。鈴木財閥までが本腰を上げて我々を追う存在になるだろう。
「――感謝するよ、カルバドス。あぁ、おかげで改めて理解できた」
ピスコは静かにソファから立ち上がった。
「あの男を相手にするには、第一線を退いた私では力が足りないと言う事が」
そう言うとピスコは懐から、まるで携帯電話を取りだすような気軽さで――拳銃を取り出した。
悪態をつく暇もない。咄嗟にピスコ目掛けて飛びかかるが、奴の身のこなしは年寄りのそれではない。
――いや、気のせいでなければ、以前よりもキレが増した気がする。
伸ばした腕をかわされる。目に映るのは消音機が取りつけられた銃口。そして、その銃口から立ち上がる細い白煙。
足に激痛が走る。最初から、確実に動きを止めるつもりだったのか。
「どういう……つもり……だ」
「なに。本来ならばキールに担ってもらう予定だった役割を君にやってもらおうという話だよ。彼女は私が思った以上に『使えそう』だからね。彼女の代役という訳だ。コンビを組んでいた君が適任だろう?」
とても銃声とは思えない、パシュッという軽い音が二度響く。
両手を射抜かれ、完全に動きを止められた。思わずうめき声を出しかかったが、どうにか耐えた。
こんな裏切りで、情けない声を出すのは癪だ。
「君は公安から潜入していたスパイだった。証拠? 安心したまえ、準備は終わっている。そしてそれが発覚した君は、私を確保しようとしたが失敗。ここで死ぬ。……ふむ、少々陳腐すぎるが、まぁ問題はないだろう。……どう思う? カルバドス」
「――きさま……っ!」
「浅見透がどう動くか分からんかったからな。君という分かりやすい敵を提供することで動きを制限させてもらったのだよ。その結果疑われようが構わん。仮に君が捕まった所で、情報は出ない――いや、そもそも君のことだ。自決すると思っていたが……そんな余裕もなかったのか、心境に変化でもあったのか――どちらなのかね? カルバドス」
持って回したような口ぶり。腸が煮えくりかえる様なこの感覚。さて、なんと口を開けばいいのか……あぁ、そうだ。
「口を閉じてろ、ピスコ。臭うぞ」
――空気の抜けるような静かな銃声が、二発響く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「会長に怪しい所がある、と?」
「えぇ、瑞紀さんと一緒に先日の密輸事件を見直していた時に枡山会長の会社の名前が出てきまして」
「――車のパーツなんかに紛れ込ませて密輸とか?」
「さすがですね、所長。その通りです」
「うっはぁ……」
残った昴さん――もとい、息子さんの親権を母親さんに取られて月に一回だけ彼に会いに来ている埼玉在住の藤堂さん……なげぇ……と一緒に水無さんの監視をしている。ちなみに自分も今は瑞紀ちゃんの手で顔を変えられている。瑞紀ちゃん正所員になってくんないかなぁ。技能的にウチの必須人員だわ。
昴さんの変装も彼女がやったみたいだし、今は技術も教えているらしい。さすがに声はどうしようもなくて、瑞紀ちゃん手製の変声機のおかげみたいだけど……。
「しかし、どうしたものか……」
「枡山会長……ですか?」
「えぇ。黒だとしても、うかつに動いて藪をつつくのは現状危険。警察を動かすにも現状では悪手」
「悪手、ですか?」
うん、悪手。できることならば、相手が気が付いたら包囲されているという形にしたい。組織の人間というのならば警察内部にもスパイがいるだろうから、事前準備の段階で動きが察知されてしまう。可能な限りギリギリまで情報を集め、動く時は一気にというのが理想――ではある。
「それに、以前俺を撃った狙撃手がなんのアクションもないって言うのも引っかかって……」
もう、すっごい妙な感じがするんだよね。一個なにか動いたらドミノ倒しの如く色々と進む予感。それはいいんだけど、問題はその一枚目がどれなのかがさっぱり分からねぇ。
(フラグ立て忘れて無限ループなんて勘弁だしなぁ……)
その事を相談しようにも、現状これを話せるのはコナンしかいない。一応皆信頼はしているつもりだが、なんでもかんでも情報を与えるというわけではない。下手に動いてゲームオーバーというのが一番笑えない。
「まぁ、とりあえずは水無怜奈を攻めましょう。瀬戸さんから、貴方を絶対に動かすなと厳命されていますし」
「――あの、俺の方が上司というかトップというか……いえ、なんでもないです」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「瑞紀さん、こっちこっち」
枡山家に設置されている監視網の範囲よりも余裕も持って離れた場所に、待ってた人が来た。
浅見さんからの連絡通り、変装した瑞紀さんが来た。内部に組織の人間が潜り込んでいるというのは分かっているし、疑ってかかるつもりだが……トランプの事件の時の様子から、瑞紀さんとキャメルさんは疑いづらい。
(少なくとも、キャメルさんも瑞紀さんもあの時ブチ切れ一歩手前だったからなぁ……)
いや、むしろ瑞紀さんは割と切れてた気がする。
「やぁコナン君、久しぶりだね。元気にしてたか? 前に近所に住んでた『健一にーちゃん』が来てやったぞ」
「あ、あぁそういう……」
男装した瑞紀さんは、完全に普通の男子高校生にしか見えない。元々胸はほとんどなかったからさらしかなにかで押さえているのだとしても、声が完全に男だ。
(やっぱすげぇ……まるでキッドだ)
変声機なしで声色を変えて完全に別人になりきっているのを見ると、改めてあの事務所の人間はずば抜けている。
(誰が敵になったとしてもやべぇな……)
「さて、どうしようかコナン君?」
しゃがんで俺と目線を合わせた瑞紀さんは、手元からいくつか小さな機械を取りだす。そして小さな声で、
「とりあえず、僕達はあの人の動きを掴むために内部に忍び込んで盗聴器を仕掛けるつもりだったんだけど……」
「その前に――どうしてあのオジサンの動向を調べようと思ったの?」
気になっていたのはそこだ。理由がなければ動くはずがない、盗聴器を用意するなんてそれこそよっぽどだ。
「――ほら、例の広田雅美さん。覚えてるよね?」
「うん。瑞紀さんに百万円を押し付けていった女の人だよね? 浅見さんから聞いてるよ」
「そう。その雅美さん。この間浅見さんと二人であの家に行った時に見つけちゃったのさ」
「本当!?」
それが本当ならば、やはりあの人も組織に関係がある人だったということか? そんな人が、有名な探偵事務所に現れて金を押し付けて逃げるように消えた。
(組織の目を逃れながら来たのか?)
「広田さんはどんな様子だった?」
「監視が付いているのは間違いない。僕達が訪ねた時は隣の部屋にいたね。……こう、眉が特徴的で屈強な大男がいたんだけど、ソイツが監視役っぽかったかな」
そういう『健一さん』は、その男の特徴を真似ているのか眉の所を――逆L字というか逆への字のようになぞっている。
「鋭そうな奴だったから一瞬しか確認できなかったけど、多分広田さんは大丈夫。特に痛めつけられているような気配はなかったよ」
「……そう」
大丈夫そうというのはいい情報だが、もう一人やっかいなのがいるというのが面倒だ。
「まぁ、僕達が調べてみようとしたのはそういう訳。で、とりあえず今日下見をして隙があれば盗聴機を仕掛けて――無理そうならばすぐに撤退。監視体制を整えてから所長に報告しようって話だったんです。下手に所長を動かす訳にはいかないから……なにをやらかすか分からないし」
「…………あぁ、うん。……そだね」
いつも通りの結論にたどり着き、二人揃って同時にため息をついてしまう。
「で、話が戻る事になるけど……これからどうする? 健一さん」
「うーん……真面目にどうしましょう」
選択肢は二つ。水無怜奈に狙いを絞るか、あるいは可能な限り枡山憲三に接近するか。
瑞紀さんから見れば水無怜奈といういきなり現れた手掛かりが気になっているのだろう。こっちからすれば突然枡山会長という大きすぎる札が見えて混乱していたのだが……。
「枡山さんについて調べるには、話を盗み聞くか話をしてくれそうな人を確保するかだな……」
「犯罪を立証して、枡山会長を逮捕してから洗いざらい吐かせることはできないのかい?」
「――その場合……」
さっさと全部吐いてくれればいいが、多分そう簡単に口を割ることはないだろう。その間に組織の人間がどう動くか。取り戻しに来る……それならまだいい。一番ありそうで怖いのは、奴らが枡山会長の口を塞ごうとしてきた場合だ。
(広田さんが有益な情報を持っているのならば――いや、そうでなくても彼女はどうにかして助けたい)
ただし、現状ではやはり手の打ちようがないだろう。上手い事広田さんが外に出てくれるか、枡山会長になんらかの怪しい点があれば動きようがあるのだが。
「まずは情報から――」
「だね、コナン君」
遅れて申し訳ございません! 軽くスランプに入ったのもあって更新が遅く、かつ少々短くなっております。6000はいきたかったな……。
そしてカルバドスの存在がどんどん大きくなってきてビックリ……。
次辺りでとある女子アナ(スパイ)の胃にアタックしたい所ですねぇ……