「うぅ……ああっ!」
「大丈夫です、奈々さん! 致命傷じゃあありません!」
「瑞紀さん、包帯あったよ! 消毒液もあるし、これで止血を!」
「ありがとう。少し沁みますけど、我慢してくださいね……」
明かりが消え、遮られたはずの視界に飛び込んできた薄い明かり――それは、奈々さんの爪。旭さんから送られたというマニキュアに蛍光塗料が混ぜられていたのだ。
暗闇の中、それを目印に犯人はナイフで彼女に襲いかかったが、彼女が叫び声をあげた瞬間、かすかに見えた人影目掛けて、瑞紀さんがトランプを飛ばした。恐らく直撃はしなかったのだろうが、手にしていたナイフの軌道を逸らせることには成功したようだ。ただ、奈々さんは背中を切りつけられて大きな傷を負ってしまった。命に別状はないだろうが……モデルの仕事は――
「――張りつけたまま縛ってと……。よし」
「あぁ……っ……ち、くしょう……」
かなり傷むんだろう。奈々さんは顔をしかめたまま、椅子の上でうずくまっている。
瑞紀さんが止血をしている間に戻ってきた皆は、席に着いてそれぞれ強がっている。……や、宍戸さんだけは普段通りだけど……。そういやあの人、浅見さんと特に仲良かったっけ。何回か一緒に飲みに行ってるって聞いたことがある。
「どう、瑞紀さん?」
「やっぱりコナン君の記憶は正しかったよ。奈々さんの肩に強く掴まれた跡があったけど、形からして左手で掴んだのは間違いないわ」
「ならやっぱり、犯人は――」
「「右利き」」
浅見さんが予想した通り、犯人は村上じゃないのは間違いないだろう。
「犯人は旭さんの名前を騙ってここにいる人達を呼び寄せた」
「奈々さんにわざわざ夜光塗料入りのマニキュアを送りつけるという事は、殺害方法に停電を利用することは織り込み済み。となると、この建物をよく知っている人間という事よね?」
「宍戸さんはカメラマン、仁科さんはエッセイストでフォードさんはニュースキャスター。そしてソムリエの沢木さん……」
「ソムリエの沢木さんは、元々ここの店で働く誘いがあったから、オープン前の店の様子を見に来ていてもおかしくないわね。それに、残りの人達も取材とかでここを訪れていた可能性は十分にあるわね……」
「うん。どうにか犯人を絞り込む方法があればいいんだけど」
「……あ、実はね瑞紀さん。さっき奈々さんが襲われた時なんだけど……」
そう言って瑞紀さんに屈んでもらって耳元に口を近づけながら、一か所に集まっている皆の方を見る。注目するのは――足元。
『実はね、ブレーカーが落とされる前に中身がかなり残ってるジュース缶を置いたままにしちゃったんだ……。ほら』
目でそちらの方を示すと、瑞紀さんも転がっているジュースの缶を確認したようだ。なるほど、と小さく呟いて、全員の足元を確認する。足元が汚れているのは……いた!
「……あの人、か」
「みたいね。でも動機は? 奈々さんはなんとなく分かるけど、旭さんはこのレストランを任せようとしてたんじゃなかったかしら」
「……分からないけど、ひょっとしたら」
もう一個気になることがある。瑞紀さんと一緒に飲み物を取りに行った時、キッチンにはちょうどあの人がいた。
あの時、あの人は調味料を舐めていたけど……
「瑞紀さん、ちょっといい?」
「もちろん、今の私はコナン君の助手だもの!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
モノレールが発進したのを確認した。奴は……乗っている。
奴を狙撃する最適なポイントをいくつか歩き回って考えてみたが、並大抵のポイントでは奴に気づかれるだろう。かといって近接戦を挑めば、奴の傍にいるあの大柄な男も同時に相手にする事になる。詳細は分からないが、恐らくこちらもなんらかの訓練を受けていると見える。ただでさえ戦力の把握が出来ていない男を相手にするのに、余計な要素を加えるのは悪手だ。
念入りに調整したライフルを構えて撃つ場所を確認する。幸い奴はモノレールの席に着いて外の光景を眺めている。いきなり大きく動く可能性は低いし、仮に失敗しても外に出るルートが限られているこの施設ならば、チャンスは必ずもう一度来る。その時はより困難な狙撃になるが……。
(確信がある。ここでこの件になんらかのケリをつけなければ、ピスコは何らかの手を打ってくるだろう)
それも多分、俺たちにとっても浅見透にとっても面白くない手を……。
このまま流れをピスコに操られるのは、俺にとっても好ましくない。
年食った男に、何も分からないまま好きなように踊らされるのは趣味じゃない。
あの老人の事でかろうじて言えるのは、俺があの男に拘っているのと同じように、ピスコもまた拘っているように見えることだ。
(それと、最近余裕がない様に見えるキール……)
浅見透に振り回されているとはいえ、ここ最近は特に余裕がない。
仕事に私情を挟まれても困ると、こっそり彼女の事も監視し、周囲を調べていたが、たまたま彼女がどこかに電話をかけているのを耳にした。どこにかけているかまでは分からなかったが、どうやら電話の相手の監視下にあった彼女の弟が、行方をくらましたらしい。……奴に家族はいないと聞いていたが。
先日、浅見透に接触しようとして取りやめているのを見たことがあったが……奴に弟を探させようとしていたのかもしれない。それをためらう理由は分からないが……。
ひょっとしたら、奴に迷惑をかけると考えたのだろうか。もしそうなら、キールもかなりあの男に気を許している事になるが――さて。
(許せよキール。だが、ここで奴を始末せねば――)
そろそろ奴を乗せたモノレールがポイントに入る。走行中のモノレール、しかもその中の人の頭に当てるのは難しいが……だからこそ、さすがの奴でも多少の油断は出るはず。射撃体勢に入り、スコープを覗く。理想を言えばもう一段高い、近くの建物の方が気づかれにくい地点なのだが、距離や高さから考えて、ただでさえ高難度の狙撃がより難しくなってしまう。
モノレールが、海の上を走っていく。……モノレールの速度、風、そしてこのライフルの弾速から計算して、5秒前…………3……2……っ
トリガーに指をかけ、そして力を――
――ガキィ……ンッ!
「ぐあっ!」
力を込め、引き金を引こうとした瞬間、いきなり凄い衝撃がライフルの側面からかかって弾き飛ばされてしまった。
悪態が出そうになる口を閉じ、咄嗟に身体を衝撃がした方向から隠す。それと同時に、遅れて飛んできた発砲音が聞こえてくる。音より早い弾速、それが明確に分かるほど離れた地点からの――
(スナイプっ!? 一体、誰が!?)
浅見透本人は、拳銃を使う人間特有の跡――右手母指球の独特なふくらみと、加えて左手中央の撃鉄跡からリボルバー、それも早撃ちの使い手なのは分かるが、他には銃を扱うような人間は奴の周りには、今奴と一緒にいるドイツ系の男と、バーボンしかいないはず。なら――誰が!?
身を隠し、偵察用に持っていた双眼鏡で狙撃方向を覗く。最初に自分が狙撃ポイントにしようと思っていた、あの場所だ。かなり入念に下調べをしたから建物の構造は頭の中に入っている。その場所に、ライフルを構えているのは……
「そうか。お前のつながりが一つ、見えたぞ……浅見透」
実働隊の幹部ならば恐らく知らない者はいないだろう男。かつて我々の中に潜り込んでいたFBIの捜査官。『あのお方』が最も恐れる男――我々の心臓を射抜きうる、唯一の男。
「FBI――赤井……秀一!!」
双眼鏡の中の男は、目が合った瞬間にニヤリと笑い――レンズの向こう側で、引き金を……止めた。
なぜか? 俺にも分かる。僅かにだが、妙な震動がここにまで伝わってきた。これは――あの施設の方からだ。
浅見透との関係は分からないが、共闘関係にあるのは間違いないだろう。
仮にも手を組んでいる相手が向かう先に異変を感じたのならば、わずかに気を取られてもおかしくない。
(九死に一生を得たか……っ)
その一瞬の隙をついてライフルを足で引き寄せ、この手に戻す。自分の装備に雑な事はしたくなかったが……。
(足音は聞こえない。そうなると、仲間はいないか)
ここから狙撃をするというのがバレていて、かつ仲間と共に動いているのならば、とっくに突入しているはずだ。
どうする。このまま逃げるか? ――逃げるべきなのだろう。今なら敵は赤井一人、逃走に専念すればどうにか……。だが、このままでは自分の汚点になる。普段ならば気にしないが、今は政治に長けたピスコが背後にいる。本当に守ってくれるのか、それとも背中を刺そうとしているのか読めない相手だが。――少なくとも、抗ったという事実は必要だろう。
「……敵の浅見や赤井よりも、味方のピスコの方が面倒とは、な」
ままならない。そう思いながら、銃の調子を確かめる。だめだ、的確に破壊されている。
壊れたライフルは、しょうがないが捨てるしかないだろう。最終的には逃げると決めているため、重荷になるものは可能な限り排除しなくてはならない。痕跡を残さないように。
本当にままならない。本当に。
頭の中で同じようなフレーズを繰り返しながら、バッグに入れていた予備のライフルを組み立て、それを構える前にと、胸ポケットから煙草を取り出す。
自分の居場所を知られている今だ、集中を高める意味でなら一服くらい許されるだろう。
咥えた煙草にそっとライターで火をつける。そして煙を肺に貯め、一巡させて吐き出す。
自分が吐いた煙よりも、煙草から今立ち上っているか細く揺らめいている紫煙の方が綺麗だと、なぜかそんな事を思った。
自分を構成する全てが、少しずつスローになっていく。
聴覚、視覚、触覚、嗅覚、そして味覚も……。
煙を吸うと、口から喉、喉から胸へと、甘みと苦みがじわじわと浸食していくのが分かる。
好きでもあり、嫌いでもあるこの感覚――
「……不味い」
今日は、また格別に。
2、3度だけ吸った、まだ長い煙草を海に放り捨てる。そして、その後に続くように相棒と言えるライフルを同じく海へと放り捨てる。
元々大仕事のつもりだったのだ。何事もなく狙撃だけで終わるなんていう方が都合のいい甘えだった。
スコープの様子を確認して、弾を込めて装填する。鋼材同士が擦れる音は、こちらの準備が整った合図だ。さて――
「お手柔らかに……とは、いかないか」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あぁもうっ! 厄介な事に!」
いつもほんわかしている瑞紀さんも、さすがにこの事態は予想外だったのか珍しく小さな声で毒づいている。
瑞紀さんの協力で、犯人を特定するために一つ仕掛けをして確信し、犯人を名指ししようとした矢先に異変が起きた。ホールと海を隔てる分厚いアクリルの壁が、仕掛けられていた爆弾で破壊されてしまった。恐らく、リモコンによる遠隔操作で起爆させたのだろう。ちくしょう!
流れ込んで来た濁流に流され、身体を打ちつけそうになった俺を瑞紀さんが助けてくれた。見た目は華奢だけど結構力があって、怪我のせいもあって身動きとれずに溺れかかっていた奈々さんも一緒に掴んで水面へと連れて行ってくれた。
目暮警部は白鳥刑事が引き上げて、泳げない仁科さんはおっちゃんが引き上げた。
蘭を見失った時は焦ったが、瑞紀さんの協力と浅見さんが阿笠博士に作らせて、事務所員や俺達に持たせてくれたサバイバルキット――その中の一つの携帯酸素ボンベ。そして、同じく博士が作ってくれたサスペンダーのおかげで蘭を救う事は出来た。海水が流れ込んできた時に、その海水に流された車に足を取られてそのままだったせいでかなり疲労しているが……。
「こりゃあ、早く脱出しねぇとやばいぞ……」
おっちゃんがそう呟く。背中を怪我している奈々さんはもちろん、おそらく海水が流れ込んできた時の衝撃でだろう、傷口が開いた目暮警部もかなり辛そうだ。このままじゃあ皆の体力が持たない。
「瑞紀さん、酸素ボンベはあといくつある?」
「この間仕事で使ってから補充してなかったから、今のが最後……コナン君は?」
「2本だけ……」
脱出する方法は思いついている。今の爆発で破壊された箇所だ。一度下まで潜る必要があるが、そこからならば外に出られる。だけど――
(目暮警部はともかく、襲われて怪我をしている奈々さんは体力が持つのか? それに蘭、仁科さんも……)
正直な話、迷っている時間はない。時間が経てば経つほど体力が失われて、脱出の手段が失われていく。
しょうがねぇ、ボンベは奈々さんと仁科さんに渡して蘭に頑張ってもらうしか――
――カンッ! カンッ! カンッ!
結論を出しかかった時に、金属をまた違う金属で叩きつけるような音が響き渡った。
「な、なんだこの音?」
「村上かっ!?」
(いや違う……もっと上の方から……閉じられていた扉か?)
しばらくその音は続くと急に止み、走るような足音が今度は響く。音の数は二つ。
「……瑞紀さん、これって」
「多分、そうだと思うよ」
思わず瑞紀さんと顔を見合わせる。いや、来るとは思ってたけど……。
そのまま白鳥刑事の方も見てみると、『さすが……』と呟いて苦笑いし、仲が良い宍戸さんも気づいたのか、遅ぇよと豪快に笑っている。
「多分、下に向かうエレベーターが止まっちまってんだな……」
「それで別ルートを探して……」
しばらくしてその音が止むと、今度はぎぎぃ……っ、何かに力を掛ける音が響き、そして、
――バキンっ!!
「――っしゃおら! 外れたぞ! って、うお、浸水してんのか!」
やっぱり浅見さんだ。多分通風孔から入り込んで、音と俺の探偵バッジを頼りにこの場所の真上を捜し出して薄い所をこじ開けたんだろう。キャメルさんがいないのは、身体が大きいから入り込めなかったせいか。
俺たちが掴まっている大きな飾り柱からすぐ上の天井から、工具を掴んだ右手と顔を覗かせている。
……確保したという狙撃手はどうしたんだろう? もう警察に捕まえてもらってるのか?
「俺たちは大丈夫! ただ――」
「怪我人が一人いるんです!」
瑞紀さんがそう叫ぶと、浅見さんが舌打ちをして、
「そこの女の人か。この隙間を通れるか?」
「……多分、厳しいと思う。深い怪我をしているから身動きも取れないし、まだ爆弾がセットされている可能性だってある事を考えると……」
「……あっ、そうか。爆弾がまだある可能性もあったか。そうなると脱出に時間がかかるここは拙いか」
ちょっと待ってと浅見さんは言うと、おそらくキャメルさんと連絡を取っているのだろう。ボソボソと話声が聞こえる。そしてその後、今度は身体を揺するようにして穴から抜け出し水面にダイブした。
「――ぷはっ! あつつ……海水が沁みる。で、コナン。脱出方法は何かあるか?」
「うん、さっきの爆発でここと海が完全に繋がっているから――」
「そこをくぐり抜けて外に出ようってことか。それなら……」
浅見さんが懐から、俺達が持っているのと同じキットを取りだす。当然ある酸素ボンベの本数を確認して、
「怪我人の女と目暮警部と……蘭ちゃんもヤバそうだな」
「それと、仁科さんも泳げないんだ」
「……俺とコナンのを合わせて4つ。ギリギリ足りるな。コナン、お前は大丈夫か?」
「いや、そういう浅見さんこそ大丈夫?」
「あぁ、傷口は開いてないし、他に怪我らしい怪我もないよ」
こういう身体面において、浅見さんはさすがだと思う。
例の狙撃手と対決したらしいのに、特に傷らしい傷はない。ここまであの細い通風孔をくぐって、無理矢理道をこじ開ける作業までこなして……
(前々から思ってたけど、この人五感も身体能力もずば抜けてんだよなぁ……)
ぐったりしている奈々さんに酸素ボンベをセットさせながら――美人だから真っ先に行ったな――瑞紀さんとなにか話している浅見さんを見ながら、割とヤバい状況にも関わらず、なぜかため息をついてしまった。
(ホンットに……よくわかんねー人だなぁ……)
蘭を支えている小五郎のおっちゃんに酸素ボンベを渡して、使い方を教えている。
色々聞きたいことはあるけど、とりあえずは脱出して――あの人を捕まえてからだ。
ホームズがサッカーボールをワトソンの顔面に叩きこむカウントダウンが開始されました。どれほどめり込むかはコナン君が足のツボを刺激するか否かにかかっております。
この間のコナン(827話)は、他の部分の作画が少し手を抜いていた変わりに、黒タイツさんがスッゲーぬるぬる動いていましたねw これは録画ではなく後々DVD購入したいですわw 何回見直しても笑ってしまうww 最後の〆のシーンですらただ一人動くとかwww
あと忘れてたんですが、あのラーメン屋って由美さんと羽田さん使ってたんすねw
―追加―
作中の携帯酸素ボンベ。これは映画『紺碧の棺』にて阿笠博士が開発した優れモノです。ペンライトをもっと太くした感じでして(多分そうだった……久々に借りて確認するか)10分程呼吸ができるという色々おかしい壊れ道具の一つですw
こういった超優秀な道具が単発で終わり、なぜか花火ボールが常連になるという劇場版スタッフのチョイスは凄いと思うw