「……む、メアリー」
「どうした、ジョドー」
浅見探偵事務所。
そこに犯罪の匂いがあれば、相手がたとえ国家だろうと噛みつく正義の集団――と、調子のいい一部の大衆メディアは持ち上げているが、規模が大きくなった分やはり裏はある。
その代表格となっている二人は、一応は落ち着きつつある状況に一息吐いていた。
「鳥羽様より連絡が入った。外で安室様がウイルスを送り込んでいると思わしき賊を発見、追跡しているそうだ」
「……安室透が? 確か、今回はマリー・グランとペアを組んでいたな」
基本的に所員は、捜査活動をする時には安全面を考えてツーマンセルを組むことが多く、そのペアも暗黙の了解という奴で大体ペアはある程度決まっていた。
恩田遼平なら鳥羽初穂、沖矢昴なら遠野みずき、瀬戸瑞紀はアンドレ・キャメルといったように。
対して安室透は決まっていない。
数か月の話とはいえ最古参の調査員であるのと同時に、調査部の部長はおろか、副所長だったときも一切反対が出ない程に、安室透と言う男は優秀だった。
だからこそ誰とでも組めるし、手が足りない所への補助を自分から進んで引き受ける事が多い。
その中で、浅見透を別にすれば最も組む回数が多いのがマリー・グランという女だった。
ほかでもない、その安室透が連れてきた女だ。
「あの馬鹿め、何を考えている」
「……あの馬鹿、とは?」
「繭の中で眠りこけている馬鹿以外に誰がいる」
会場の様子はジョドーが手を回して、ここでもモニターしていた。
つまり浅見透が今、『向こう』で何をしているのかは丸わかりなのだ。
ものすごい速度で暴走している機関車の屋根の上で、馬鹿みたいに高レベルの格闘戦を繰り広げている姿が。
「安室透に裏があることなど分かり切っているだろうに」
「……それに関しては私も旦那様にお伝えしたのだが、旦那様御自身がすでに承知でいらっしゃったのだ」
「だから馬鹿だと言うんだ」
浅見透は、自分の腹心が例の組織の人間だと確信を得ている。
これは二人とも知っている共通事項だ。
同時に、そこまで分かっていてなぜなお側に置くかが二人の――いや、主にメアリーの疑問になっていた。
「危険な存在を身近に置き続けると碌なことにならんという当たり前の話など、分かり切っているだろうに……」
「安室様と同じく、貴殿も訳ありの身だろう」
「ん……ぅ。いや……それはそうなんだが」
メアリーはバツが悪そうにしながら、キーボードを叩く手を緩めない。
だが、今は袖で汗をぬぐう程度の余裕が生まれている。
格段にサイバー攻撃の勢いが下がったからだ。
「あの男を見ていると心臓に悪い」
「……だが、それも存外侮れないものだ。現に伯爵殿下と私は、あの姿に引っかかった」
「? つまり?」
「勝ったと思い込んで、無警戒で泥沼に進んでしまったという事だ」
事実、かつて敵対したジョドーはあの事件で浅見透に銃弾を直撃させた時、残る敵はルパン三世だけだと信じ込んでしまっていた。
それが気が付いたら、浅見透は復活した上でどこからか戦力を調達し、軍事面でも政治面でもカリオストロを完全に囲い込んでいた。
余りにも鮮やかなその手腕に、ジョドーのかつての主人は怒り狂う前に一度笑い転げてしまっていた。
「メアリー、サイバー攻撃の圧が減ったのならば、後はお前一人でも大丈夫か?」
「あぁ、バックアップはもう大丈夫だ。そっちはどうする?」
「念のために安室様達の
「……
まぁ、今の自分が出来る事はほとんどないんだがな。と小さくつぶやくメアリーは、手元のノートPCの画面に目を下ろす。
そこには、凄まじい勢いで改善されていく状況が示されている。
メアリーの手が一瞬止まった今もだ。
メアリーは一瞬だけ何とも言えない複雑な顔を見せ、だがすぐさま自分の作業へと戻っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(さぁて、どうしたもんかね)
ステージは暴走する機関車の屋根の上、敵は19世紀ロンドンの闇の象徴ジャック・ザ・リッパー。
その足元には縛られて倒れている蘭ちゃん。
(わかっちゃいたけど、んもう。まぁ、ゴールにたどり着くためのフラグなら仕方ないか)
「ノアズアークの野郎、マジでこれ子供にやらせるつもりだったのか? 難易度設定間違ってんだろ」
「んなこと言ってる場合かオッサン!」
諸星君、キミはそんなに紐なしバンジーにチャレンジしたいのかい?
(奴を落とせば蘭ちゃんも落ちる。逆に言えば、蘭ちゃんが落ちれば奴も落ちる。そういう事なんだろうけど……)
ただでさえメンタルちょっとおかしいコナンの目の前でそれやったら、なんか俺組織とかそっち方面の被疑者最有力候補になりそうだし、心情的にもやりたくない。
(他の子供達が汽車内の把握も含めて使えそうな道具や車両を止める方法がないか探してくれているけど、それで止まる保証はないしなぁ)
そうこうしている内に暴走は止まらず皆まとめて行き止まりや脱線などで全員ゲームオーバー。完! って事にもなりかねん。
まぁ、さすがにそうなる前にコナンが動く。……と、思うんだが……なぁ。
「俺がアイツの動きを出来るだけ止めてみる。その間に、なんとか蘭ちゃんの拘束を解いてくれ。二人とも、出来るか?」
仕方ない、また格闘戦だ。
なんだろうね。コナンとか安室さんはかっこよくスマートに論理で犯人追い詰められるのに俺は確保にしろ説得にしろ毎回毎回体張ってる気がする。
「わ、わかった」
「なんとかしてみるけど……浅見、お前は大丈夫なのか?」
大丈夫じゃありません。
ありませんけど、こういう時の盾役が俺の仕事なんだよなぁ。
『ククク。いいぞ、いいぞホームズ』
…………なんかもう反論するの疲れた。
いいよもう。俺がホームズで。
どうせここだけの話なんだし。
(刃渡りはおおよそ20センチちょい、手足の長さも考えると間合いは断然不利。……まぁ、それこそいつものことか)
素人が振り回す日本刀とか薙刀よりは断然マシだ。
「出来るだけ距離を取ってアイツを抑えるように努力する。ジャックに気を付けるのは当然だけど落っこちたり障害物にぶっ飛ばされたりしないようにな!」
さぁ! 行くぞ!
「タンマタンマターーーーンマ! ちょ、おま、さっきの三倍は早――待て! ちょっと待とうちょっと話し合おう!」
『死ねええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!』
「おめぇホント人の話何一つ聞かねぇな!!?」
ノアズアークの野郎! 余計な所で気合入れやがって馬鹿なの!? やっぱ外に出たらてめぇ物理的に止め刺してやるからな!?
(コナンと諸星君はまだか!?)
横目で一瞬だけ確認したが、よっぽど固いのか手間取っているようだ。
くそ、もう30秒も稼いでんだぞ急げ!
(とにかく、蘭ちゃん確保して皆の中に戻ってくれればそれでいいんだが!)
ロープさえなんとかしてくれれば、あとは最悪俺がコイツ道連れにダイブすればいい。
今まさに色々試しているが、ダメージを与えようとする打撃は9割避けられるが、当てるというかダメージにならない速度での掴みと言うか接触は成功しやすい。
実際、関節技や絡め手は多少ジャックにダメージを与えられている。
喉目掛けてまっすぐに伸びてきた突きを避けて、腕を取って足元に叩きつける。
即座にグルングルンとアクロバティックに飛び上がりながら反撃してきやがる。
くそ、刃渡りはともかく手足の長さが面倒な手合いだ! 戦っている場所が不安定この上ない汽車の屋根って事もあってやっかいすぎる!
縄が解けていない今、下手に攻撃すると蘭ちゃんを巻き添えにして落ちちゃいそうだし、そうなると攻撃できる箇所がだいぶ限られる! クソが!
(志保か楓が都合よく刃物見つけてくれてる可能性が無きにしもあらずだけども!)
まずそもそも下で探索するようにコナンが指示出しちゃってるし、よほどのことがないと上には来ないだろう。わかりやすい戦力の俺がいるし。
(そもそも、推理パート自体はもう終わってるんだよな……今はどっちかっていうと……あれだ、自爆のカウントダウン始まってたり自壊し始めた本拠地からの脱出パートだ)
コナンは機関部を切り離せば助かるという推測を立てて、だから力仕事が出来る蘭ちゃんを取り戻したがってるんだろうけど多分無理だと思う。
脱出しなければならない状況で、乗客が消えたように様々な制限がかかっているとなると、おそらくここから抜け出す方法は限られているのだろう。
(ポーカーというか麻雀というか……いや、違うな。7並べか)
1から
かつ、多少のやり取りがあるとはいえ
で、手札を持っているのはコナンや子供達だけだ。
途中参加で手札を配られていない俺にプレイヤーの資格はない。
(うん、やっぱコイツ道連れに奈落にダイヴが正解か。俺が捨て札だっていうんなら効率的に舞台から降りるべきだわ)
一応、この考えは志保とは共有している。
万が一コナンが答え探しに迷っても、アイツがいるならなんとかなるだろう。
同じ薬で子供になってるっていうデカいヒロインフラグあるし、蘭ちゃん同様に物語に対してのいわゆるブースターの役割を持っているのは間違いない。
(問題はどうやってロープを切るかだなぁ。大体15秒くらい追加で稼いでるけど緩む気配はなし)
刃物はまぁ目の前にある。
人をホームズ呼ばわりするのが止まらないジャック君の手……に――っ
――ガキン!
『ちぃ! 歯で受け止めただと!?』
あっぶな! 今のはいい突きだ!
幸い刃物の向きが縦じゃなく横だったから噛んで止められたけど、コイツますます速くなってやがる!
動きのパターンは一つか二つ追加された程度だけど速さに全振りしやがったのかコイツ!?
(銃弾は一発あるっちゃあるが当てられる自信がねぇ!……。ロープ撃ち抜きゃ後は楽と思ってたらこの野郎、弾をナイフで受け止めたり斬り落としたりやがって! 師匠かお前は!)
森にいた時、先生が自分の身体のどこかに銃弾掠らせるから俺が脇差の刃をそれに当てるって練習やってたけど、そうそう出来る事じゃないんだぞ!
自分も斬るところまでは出来たが勢いを殺せず、結局真っ二つにした銃弾の半分が右手の骨に当たって、先生に怒られながら弾抜いてもらったっけか。
(クソ、片目潰れている状態ならもうちょい正確に狙えたんだがな! 目が見えてると情報が中途半端に多い! 取捨選択がだるい!)
今からでも片目潰してくれって叫んでノアズアークに頼むか?
いやでもそれって普通に聞いたらただのドMの変態か。救いようがねぇ。
これが現実なら自分で右目潰してパフォーマンスを取り戻す……いやそもそも現実ならひょっこり目が復活する事なんてないか。
(目を潰してダメージ判定で退場じゃあ意味がない。やっぱ、この状態で打てる手を打つしかない)
「あーもう仕方ねぇ! やっぱ俺らしくやるのが一番だわ! コナン! 諸星君に蘭ちゃん!」
なんとかロープを外そうと四苦八苦してるコナン達に向けて叫ぶと、三人がこっちを――おい、コナンに蘭ちゃん、なんでそんな不安そうな顔してやがるんだコラ。
「いいか、よく聞け! この状況から生還するのに必要なピースはもうお前らが持っている!」
「お兄ちゃん、ダメ!!」
「浅見!」
……なにが駄目なのさ。
そんなに考えが顔に出てる?
まぁいい。
とにかくこの際大事なのはコナン君でも蘭ちゃんでもねぇ。
「ここまでお前らが見聞きした物を思い出すんだ! 違和感のあるものや引っかかるものが絶対にある!」
諸星君に、ちゃんとヒントを与えてロールプレイしやすく誘導してやることだ。
こう言っちゃなんだが俺もそこそこ顔が売れている。
中高年にゃ小五郎さんの方がウケがいいけど、2,30代あたりから下は俺の方がウケがいい。
(だから子供達も、多少の困惑はあったけど大体は受け入れてくれた。けど諸星君は敵意に近い警戒があった。……これがミステリーという劇である以上『犯人』は探偵であるコナンの側にいて、表の役をしっかり読者あるいは視聴者に見せなくてはならない)
ましてや、こうして全員が一致団結している状況では、まず一番協力的な人間が一番の容疑者であるのは王道だ。
うん、ならば子供達の中でもっともコナンと絡んでいた諸星君がノアズアークのアバターだと見て間違いないだろう。
この物語が少年向けなら猶更……あぁ、そうか。それなら蘭ちゃんのある種の癖のなさも納得できる。
(行動もそれを行う人員も、判断は全てコナンに任せている。多分、今ここにいる面子が本来でも生き残っている人員だ)
ノアズアークがただ見ているだけならもっと介入してくるハズだ。特にコナンとは会話があってもおかしくない。
というか、江戸川コナンというキャラクターに接触するには同じ人間の
「……後は生き残るだけだ。ま、お前の頭なら大丈夫だろ。行き詰ったら周りを頼れ」
もっともその場合、お前今度から週末に一時間……いや最低二時間は金山さんのゲームのテストプレイとレポートな。
たまにゃ子供らしく遊んではしゃげ。サッカー以外で。
だから蘭ちゃんや志保に推理馬鹿って言われて地味に凹むんだろうが。
さて、いつもみたいに刺されての動きを封じるのはダメ。
その上でコイツを拘束した上で刃物奪って、コイツ道連れにする前に蘭ちゃんと繋がってるロープ斬らなきゃいけねぇ。
『貴様、何をたくらんでいる!?』
「お前を消す事」
一番楽なのはコイツがナイフ以外に武器がある事なんだけど、絶対にナイフ手放さないから多分なし。
あるんだったら投げを誘ってキャッチするって手もある――いや、蘭ちゃんとかコナンの顔見てるとなんか罪悪感湧いてくるし、潔くさっさとコイツ道連れに舞台から降りてクリア待とう。
(劇場の外で戦った時に比べてあまり突きを使わなくなった。使うのはこっちが一度動かした足をもう一度地面につけた瞬間。妙な学習しやがって)
やはり、うちのエネミーに比べてアホみたいに強いけど柔軟性がない。
あったら今頃自分はゲームオーバーか、あるいは身動き取れなくなってるハズだ。
京極君のデータを入れ始めた当たりからマジでうかつに近寄れないんだよね、アレ。
(それに比べれば、まだコイツは行動が片手で数えられる範囲に絞れる)
蘭ちゃんと繋がってるロープを踏んで固定しようとする。
うん、俺が蘭ちゃんを解放するために動くと判断して踏み込んできた。
攻撃はやっぱり突き。
(散々腕取られて転がされたのを学習したのか、さっきから突きは大体顔か首狙い――今度もやっぱり!)
馬鹿め! マリーさんみたいにフェイントの一つでも挟むか、京極君みたいに反応できない速さでぶち抜いてこい!
高い位置ならば逸らしたり避けたりはされても、前回みたいに脇で腕を挟んで折られかける事はないとみたんだろうが!
『!? 貴様!』
「……これ、ただ単に相手をするだけなら遠野さんどころか双子でもイけたかもなぁ……」
高い所を狙えば足元が多少緩くなるのは当然だ。しかも暴走中の汽車の上とかいうクッソバランス悪い所ならなおさら。
突きを受け流して背負い投げの要領で床に叩きつけ、覆いかぶさるようにして動きを封じる。
そのままナイフを奴の手の上から握って、空いた手で手繰り寄せたロープをスパッと切る。
「うーし。それじゃあ皆! コクーンの外で会おう! 哀や楓達によろしく!」
『貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!』
はーいそれじゃあ俺と一緒にダイヴしようねーー?
よいしょっと――お前もう俺と一緒に落ちてるんだからナイフで心臓刺すなよ。
大丈夫大丈夫、俺だってもうシミュレートで頭潰れる感覚には慣れたんから。
怖くない怖くなーい……
あ、そもそもお前NPCだったな。
――浅見ぃーーーーーーーーーーーーーーーー!!
いや、コナン。死ぬわけじゃないんだからそんな心配すんなって。
――スゥゥゥゥゥ……
あ、もう手足から消え始めてるわ。
悪を道連れに谷底へと身を投げる姿にホームズポインツ
ピスコ、スタンディングオベーションの後に笑顔で部下にジンの暗殺を命令