パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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フロッグマン

七草家の別荘は少し高台の崖の上に建っていて、三方は森に囲まれている。海側だけは眺望が開けていて、屋上庭園には大きな露天風呂もある。もともとリゾートホテルだった施設を買収して、改装したんだって。一年に一度利用するかどうかの別荘に…と言う考えは所詮庶民なんだ。お金持ちはそもそも価値基準が違う。

 

「久ちゃんは女の子なんだから、一緒にお風呂に入りましょう」

 

と言う真由美さんのお誘いは…

 

「うん、僕は湯着とか苦手だから裸で入るけど…いいですか?」

 

「うぇっ!?あっその、やっぱり、男女別に入りましょうっ!妹たちもいるし、ね!」

 

真由美さんは人をからかうけれど、自分がからかわれるのには慣れていない。昼のオイルの件もそうだ。こうやって逆襲されると、しどろもどろになって声のキーが上がる。可愛い。自分がからかわれると、とたん不機嫌になるエリカさんとは、何となく相性が悪いのがわかる。

人前に肌をさらす事を厭うこの時代(そのわりに水着の露出は…?)、共同浴場なんかでは湯着を着る。以前、四葉家で『真夜お母様』と一緒に入ったときも…あれ?あの時の事は、よく思い出せないな…

僕は、『撮影のためタオルを巻いています』とテレビの温泉シーンでテロップが出る時代の人間なので、お風呂には素っ裸で入る。羞恥心が少し欠けているのは自覚している。

男女別に時間を分けて、女性陣の長風呂のあと、千葉修次さんと入浴する。

ビーチでタンクトップを脱いだとき、思わず目を逸らした修次さんも、ちゃんと意識を切り替えると、僕を女の子扱いしない。

子供が無邪気にお風呂に浸かる姿を微笑ましげに眺めていた。妹はいるけれど、弟はいないから、そんな気分を味わっているんだって。

 

「本当は渡辺先輩と入りたかったんじゃないですか」

 

「そうだね、翌朝、時間があったら朝日でも見ながら入らせてもらおうかな」

 

僕のからかいも、大人の余裕で返されてしまった。真由美さんとは落ち着きが違う。

太平洋を一望できる眺めは、それはもう素敵だった。いくら僕が子供でも泳いだりはしない。泳げないからじゃなくて、マナーはしっかり守らないとね。

風呂上り、いつも通り澪さんに髪を乾かしてもらう。鏡に映る風呂上りの自分の姿に、いい加減切りたいなって思うけれど…

 

別荘の寝室は二人部屋で、居間が完全に独立していないジュニアスイートと言われるタイプだ。ホテルなら一泊数万円とかするクラス…

二人部屋…澪さんと響子さん、真由美さんと市原先輩、渡辺先輩と修次さん、香澄さんと泉美さん。結婚前、婚約もしていないカップルの二人部屋は問題なのではという考えは、九校戦のとき、五十里先輩&花音さんのケースがあるから深く突っ込みは入れない。達也くん&深雪さんは兄妹だから問題なしだ。

僕は一人と言う事になる。澪さんと、僕が一人では寝られない事を知っている香澄さんが何か言いたそうだった。九校戦の大荷物が同室と言う事もないので、僕は二人部屋を広々と使うことになる。広々としすぎて落ち着かないし、寂しい。

もっとも、僕は一人じゃ寝られないし、一人で寝室にいるのもめったにない。普段、目を瞑ったままベッドで朝まで横になっているより気分は楽だ。

一年前の南の島の時のように、部屋の照明もつけず、ベランダに出て静かに波の音を聞いていた。風はなくて、潮の香りもあまりしない。真夏の夜は冬よりも明るいから、星はそんなに見られない。月はまぶしいくらいに明るい。昼間遊んだビーチから月光にきらきら輝く海を水平線まで、ぼうっと眺めている。

沖には巡視艇が停泊している。僕たちが寝ている間も、警護は休めない。それが仕事だし、澪さんの外出も年に数回だから文句を言う人もいないと思う。

静かだな。僕は騒がしい街中よりも、こう言った静かな場所が好きだから、いつまでもこうしていられる。なんだかんだで、僕は人間が苦手なんだ。

時刻はすでに3時。皆は昼間の疲れもあるから熟睡していると思う。日の出までは2時間近くある。

 

ふと、ビーチで何かが光った。まぶしい月光に何かが反射したみたいだ。あそこは、昼間、僕と香澄さんが泳ぎの練習をした淵のあたりだ。

また、きらりと光った。海中の何かが月明かりに反射したんだ。

そう言えば、僕が脱がしてしまった香澄さんの水着は、海に放置したまんまだった。今もどこかに漂っているのかな。あの時は意識が回らなかったけれど、あの水着は香澄さんのお気に入りかもしれない。

なくしたままじゃ可愛そうだよね。

どうせ朝までする事はないし、月光も明るいから、ビーチに行けば見つけられるかもしれないな。僕は裸足にパジャマだけれど、皆は寝ているし、別に『能力』を使っても気にすることもない。

僕は軽い気持ちで『空間認識』をして、ビーチに『飛んだ』。

 

海岸に『瞬間移動』した僕は、大き目の岩の頂上に音もなく着地した。

ここは別荘からは少し死角になっている…

 

ん?

 

昼間、僕たちが溺れかけた淵の岩場にダイビングスーツを着た5人の男がいた。全員濡れそぼっている。今まで潜っていたみたいだ。

こんな時間に?日の出までには時間があるし、月明かりがあるけれど、海中は真っ暗だ。夜行性の魚を観賞してきたのか…ここはダイビングスポットだったのかな?

それにしては無口で陰鬱な雰囲気だ。長時間もぐっていたせいか、かなり息が荒い。

ダイビングスーツは、僕がイメージしている一般の物よりも凹凸が少ない。酸素ボンベやベルトも身体に密着して、金属同士がぶつかってちゃがちゃと音が出ないようになっている。さっき光ったのは、どうやら水中眼鏡のレンズ部分のようだ。それ以外はゴムか金属かわからない素材で出来ている。九校戦のローゼンの刺客が着ていたスーツを連想させる。

男たちは手際よくボンベや太いチューブをはずしている。

九校戦のときローゼンの社員さんは目に見えて筋骨隆々だったけれど、男たちは全身スーツをまとっていても中肉中背の日本人かアジア系の体型だ。『魔法師』に体型は関係ないから用心は必要だけれど、一見するだけでは判別できない。

男たち以外にも大きな荷物が置いてある。頑丈そうな2メートルくらいのサーフボード型の大きな黒い箱。人間なら4~5人入れそうな大きさ…何が入っているのかな。

男の一人が厳重に閉じられた箱を開けると、中には丁寧に折りたたまれたゴム製のボートと、鈍い色の掌より少し大きめのモノが沢山入っていた。

 

あれ?あの黒い箱の先端に布みたいなものが引っかかっているぞ。

あの色には見覚えが…あっ、香澄さんの水着のトップだ。あんなところにあったんだ。なぁんだ良かった。

 

「こんな時間にダイビングですか?」

 

僕はご近所さんに挨拶でもするように、のんびりと尋ねた。

 

男たちは僕の声に面白いぐらいに驚いていた。ビクッて擬音が見えるかと思ったほどに。

男が何かをわめいたけれど、日本語じゃなかったからわからない。

男たちはいきなりその場に現れた僕に動揺しながらも、それぞれが黒い箱に手を突っ込んで鈍い色の何かを握った。僕に殺気のまじった視線と、手に握ったそれを向ける。

僕はまるで無警戒で、岩の上に突っ立っている。

男たちが構えたモノは…コンバットナイフだ。魚を捌くにしては、少々剣呑だ。それに、ナイフには何か刻印がされている。見たことがあるような…ああ、武装一体型CADの刻印だ。強度や切れ味を増す為の『刻印魔法』。

ナイフの構え方は、どっしりとして落ち着いている。さっきの動揺が冗談みたいな豹変ぶりだ。真ん中の男がナイフを構えて僕を牽制している間、他の四人はさらに箱から拳銃を取り出した。

拳銃には銃口がない。特化型CADだ。と言う事は、この人たちは確実に『魔法師』だ。僕の用心はもう一段上がった。

 

「…多治見久!」

 

男が僕の名前をぎこちなく言った。僕の事を知っている。パジャマ姿でも僕だってわかっている…

四人が僕に向けて銃を構えた。『魔法』を使う気だ。引き金を乱暴に引く。

僕は茫漠と無警戒に立っている。男たちがどんな『魔法』を使おうと、容易く生け捕りでも殺害でもできる。誰だってそう思う状況。

 

でも、男たちの『魔法』は発動…しなかった。

 

サイオンを流し込んで引き金を引くけれど『魔法』は発動しない。余剰サイオンで男たちの身体が鈍く輝いた。また引き金を引く。『魔法』はまったく発動しない。

 

『魔法師』が『魔法』を使えない。この事実がどれくらい恐怖に感じるのか、僕は経験で知っている…

 

男たちの動揺は、目の前に僕がいるのにも関わらず物凄かった。やけになって何度も引き金を引く、CADを振る、叩く。精密機械を叩いちゃ駄目だよ、真空管テレビじゃないんだから。

拳銃型CADは僕が『空間の壁』で包んでいるから、仕込まれている感応石にサイオンは届かないよ。

僕にナイフを向けていた男が鋭く何か叫んだ。四人は、弾かれたように落ち着きを取り戻すと命令一下、銃型CADを砂浜に捨てて再びナイフを構えた。思い切りが良い。素人の動きじゃない…軍人。特殊工作員…潜入工作員か。

でも僕と男たちの距離は一息では届かない。男は、岩の上の僕をどう攻撃しようか一瞬迷ったみたいだ。

男たちは一般人じゃない。明らかな殺意を僕に向けた。だったら、ためらうことはないけれど、殺すのは情報を手に入れてからだな。

 

僕は、男たちの血液を『飛ばす』。

 

どさりっ!

急激に血液を失った男たちが、酸欠で一斉に倒れる。僕にとっては手馴れた無力化攻撃だ。

そのまま僕は一分くらい周囲を警戒していた。僕は探知系が全く駄目だから、こういう時は用心しないと…伏兵や先行していた兵は…いないみたいだ。

岩から降りて、男たちに向かう。岩を避けながら、ざっざっと裸足が砂を踏む。

男たちは動かない。完全に気を失っている…

僕は警戒を緩めて、男たちが運んできた箱に近づく。正確には、ボード状の箱の先端にぶら下がっているビキニに向かって。あの箱の中にはまだ何か入っているのかな…まぁ別にいいけど、それよりビキニだ。特殊工作兵にビキニのブラ…なんかチグハグで可笑しい。

一つに意識が向かうと他に目が行かなくなるのは僕の悪癖だ…

 

倒れた男たちは、長時間の潜水に特化した訓練を長期間していたみたいだ。低酸素状態に慣れている。気絶していたのは一瞬だった。すぐに覚醒して状況を把握する。

僕が無用心に近づいていく。

男たちは、倒れたままじっとしていた…

僕が男たちの中央に間抜けに立った時、5人の男たちの上半身が動いた。

 

シュインッ!!

 

うつ伏せのまま斬りつけて来たナイフは、同士討ちを気にしない捨て身の攻撃だ。

サイオンは流し込まず、普通にナイフとして斬りかけてくる。

空気を切り裂く鋭い音!スピード重視、サイオンで僕に攻撃を気がつかせない攻撃。

僕はその攻撃に、致命的なまでに無反応。ブラを拾おうと腰を曲げる…五本のナイフが、僕の両足を切り裂くっ!

 

ずざあああっ!

 

「ぐあぁ!」

 

「ぎゃぁああ!」

 

でも、悲鳴を上げたのは、僕じゃなかった。

 

「えっ!?」

 

男たちの悲鳴と、骨のへし折れる音に僕は飛び退った。

五人の男たちのゴムスーツに包まれていた腕や身体が、見えない『刃』にへし折られていた。

 

「多治見っ!」

 

「多治見君大丈夫かっ!?」

 

男女の鋭い声に、僕は男たちを倒しきれていなかった事にやっと気がついた。男たちはナイフを落として、折れた腕を掴んで悶絶している。

僕はこんな状況なのに、ちょっと感動していた。救援が、事がすむ前に現れたのは、初めての経験だ!いつもは僕一人だけれど、ここには卓越した『魔法師』が一緒にいるんだ…

僕は用心のため、男たちの頭を『念力』で叩いた。それなりに手加減しているから死にはしない、筈だ。ゴツンっとすごい音がして、男たちは今度こそ昏倒する。

 

「ん?今のは…『魔法』じゃない?」

 

渡辺先輩と修次さんが周囲を警戒しながら、僕に向かって歩いてきた。修次さんが、僕の攻撃に首を捻る。

二人はパジャマ姿に警棒型のCADを構えていた。二人の構えはすごく似ている。エリカさんとも。やっぱり同門だなって感じる。

 

「修、それよりも他には…」

 

渡辺先輩は一高時代、テロリスト襲撃の時の映像で僕の謎の『能力』を見ているから、特に何も言わなかった。逆に修次さんの意識を警戒に向ける。

 

「大丈夫…だよ、少なくとも周囲100メートル以内に不審な気配はない」

 

再度確認をして断言をする。海中もわかるんだ…それでも警棒の構えは解かない。流石は一流剣士だ。僕は二人にお礼を言った後、

 

「二人とも、どうしてここに?」

 

まだ起きる時間には早いから聞いてみる。もしかして、昨夜言っていた早朝ラブラブ温泉に入る予定だったのかな?

 

「あれだけ無作為にサイオンが乱れ飛んでいたら、少なくとも、別荘に宿泊している『魔法師』で気がつかないヤツはいないぞ」

 

渡辺先輩は呆れ顔だ。男たちが銃にサイオンを流し込んでいたときのことだ。

 

「久君!」

 

「久ちゃん!」

 

パジャマに上着を羽織った澪さんと真由美さんが砂浜に下りて来た。続いて響子さんに市原先輩、香澄さんに泉美さん。

全員パジャマに一枚羽織っているだけの姿だった。相当慌てていたみたい。

 

「久君、大丈夫!?」

 

澪さんが人目も気にしないですごい勢いで抱きついて来た。思わず倒れそうになるのをこらえる。

 

「大丈夫…澪さん痛いよ…」

 

僕の訴えも無視してきつく抱きしめてくる。

 

「警備の人たちは?」

 

真由美さんに視線を向ける。

 

「勿論、気がついているわ。今、別荘や周囲の警戒をしているところ」

 

別荘を見ると明かりがついて、騒々しくなっている。沖の巡視艇から海面に向けてサーチライトが灯された。ぐりぐりと黒い海面に丸い光が走っている。

 

「部屋に久君がいなかったから、もしかしたらって思ったけれど…この男たちと交戦していたの?」

 

響子さんが男たちの確認をしながら、冷静に尋ねてくる。

 

「うん、ベランダで外を見ていたら、海岸で何か光るものが動いていたからなんだろうって思って…」

 

ブラを探しに来ていた…とは言えない。

 

「どうやってここまで?CADは持っていないみたいだし、部屋のドアには鍵がかかってたし」

 

澪さんは僕をがっちりホールドしたままだ。ちょっと腕が痛い。その剣幕に、つい…

 

「あぁっと、ちょっと『飛んで』きたんだ…」

 

あっ、しまった。

 

「飛んで?『飛行魔法』は久君の指輪にも入っていなかったわよね?」

 

「ええと、人は誰しも心に自由と言う名の羽を持っていて…」

 

「久君!」

 

澪さんにじっと見つめられて、得意のボケにキレが足りない。うぅ、そうだね、そろそろ澪さんと響子さんには僕の『能力』を説明しなくちゃね。

 

「この男たちは…海から来たようだが…巡視艇がいるのに警戒網を抜いてきたのか?」

 

足元に転がる5人の男たちを憎憎しげに見下ろす渡辺先輩の疑問に、

 

「巡視艇よりも沖から潜行してきたようですね。このスーツも『魔法』を使用することで長時間の水圧に耐える特殊なモノのようです」

 

市原先輩が分析する。

 

「この箱の中のゴム製ボートはエンジンがないね。退却時は『魔法』で堂々と逃げるつもりだったみたいだな」

 

修次さんが、箱の中を慎重に物色している。ナイフとCAD以外に凶器はないみたいだ。

 

「ゴムを『硬化魔法』で強化して、拉致した僕たちを乗せるわけですか…」

 

「この箱は数人押し込められそうですしね」

 

市原先輩がいつもより冷たい目をしている。箱に拉致した数人を入れて、ボートで引っ張って行く、もしくは箱をボートその物にして逃げるのか。ずいぶんと荒っぽいけれど、人質がいれば下手に攻撃はできないからね。

推進力に『魔法』を使えば、大きなエンジンは要らないのか…色々と考えるなぁ。

 

「そうね…ちょっと待って」

 

真由美さんが左手を軽くこめかみに当てて、沖のほうを凝視した。じっと、海を、でも海じゃない何かを見ている。

 

「…いるわ…沖に5キロほど行った…深さは300メートルの深海に、小型の…潜水艦みたいなものが」

 

その距離を見える…マルチスコープだ!すごい!

潜水艦が男たちを送り出した後、沖に離れたにしても、数キロをフロッグマンしてきたなんて、この男たちも相当鍛えられている。

潜水艦はそのままの位置で逃げる気配がないって。

 

「『魔法師』の誘拐…大亜連合ですか?」

 

市原先輩が横浜の事件を思い出しながら言う。

小規模戦力の投入による誘拐、拉致。他国での活動では仕方がないとは言え、少人数の逐次投入は大亜連合の戦術の癖みたいだ。今回は、澪さんの護衛もいて、巡視艇まで出動している中での作戦は成功率はかなり低い。それでも強行したんだ。

 

「こうなると、1~2週間程度の計画じゃ無理な襲撃ね。規模や人種からして大陸の某国の可能性が高いわね。太平洋側まで回りこんでくるなんて…国防軍は…何人かのクビが飛ぶわね」

 

響子さんが慎重に言う。お偉いさんが責任をとるとは思えないから、現場の指揮官が更迭されるということだ。長期的な計画だから、誘拐は中止に出来なかったのか…どこの軍も上層部は使えない人が多いみたいだ。

 

「久ちゃんたちがこの別荘に来るのが決まったのが九校戦の途中だったから、この男たちの目的は、私たち七草家と鈴ちゃんと…」

 

真由美さんの視線が寄り添う男女に向かう。

 

「僕たちか。たしかに彼らとは色々と因縁があるからね」

 

修次さんと渡辺先輩が納得している。横浜での一連の事件で真由美さんたちは大亜連合の工作兵と真正面から戦っている。真由美さんたちがこの別荘を利用する情報が漏れていたんだ。まったく、どこにいても安全なんてない…

 

「それで?その潜水艦はどうするの?逃げられちゃうよ」

 

「この距離を攻撃できる『魔法』はないわよ」

 

『優秀な魔法師』じゃ無理な距離だ。真由美さんの諦めの言葉に、でも…

 

「僕がするよ」

 

「えっ?でも…うっ」

 

僕の怒りに真由美さんが息を呑んで一歩さがった。目の前にいるのはただの小さな男の子じゃない…

僕は物凄く怒っている。怒りのオーラが身体からあふれ出るかと思うくらいだ。

友人を…『家族』を狙う者は、絶対に許さない。逃がしたりは、しない。

周囲を物凄いプレッシャーが覆う。

常人では耐えられない、濃い油の中にでも沈められたように、呼吸すら困難に思えるプレッシャーだ。

双子が寄り添い、市原先輩は無表情のままだけれど、修次さんが顔に汗を浮かべて渡辺先輩の前に庇うように立った。

響子さんですら身を硬くする。

このプレッシャーに耐えられるのは、同じ『戦略級魔法師』だけだ。

 

「久君、私がするわ」

 

澪さんがゆっくりと僕の前に進んでくる。ざっざっと、確かな足取りで砂浜を歩く。

 

「澪さん?」

 

「久君が私のために『戦略級魔法師』になってくれたんですもの、私だって守られるだけの女じゃないって所をみせないと」

 

「深海にいる潜水艦を攻撃…まさか『アビス』!?」

 

僕の言葉に全員が動揺する。『深淵(アビス)』。魔法師なら知らない者はいない『戦略級魔法』。

 

「そこまでしなくても十分破壊できるわよ。真由美さん、潜水艦の位置を教えてください」

 

澪さんが携帯型CADを左手で操作しながら、真由美さんのナビで、右手を海に向ける。細い人差し指を指揮棒のように小さく振った。

余剰サイオンなんて発生させず、精緻で綺麗な、そして膨大な魔法力が使われた。

『アビス』は沈み込ませた水面の急坂で船舶を滑らせて操船を失わせる。船同士が衝突する上に、水面が自然に元に戻ることで大波も発生。艦隊に壊滅的な打撃を与える。範囲は数十キロにもなる。

沈み込ませる範囲を一キロにしたとき、海面には直径一キロの半球の穴が空く。潜水艦すら逃げ場はない。その時の海水の重量と水圧は想像を絶する。あの大海原を澪さんの小さな身体が苦も無く操る…つまり、澪さんは水圧を操作することが出来るんだ。世界で澪さんだけが使える『魔法』。

『アビス』だと、その後、大波が周囲を襲う事になるから、海岸近くでは使えない。巡視艇を巻き込むし、海岸線も被害が出る。

でも、5キロ先の深海にいる潜水艦の周囲の水圧を操るだけなら、澪さんには容易い。なにしろ『アビス』の射程距離は30キロメートルなんだから。

 

『超圧壊』

 

澪さんが小さく呟いた。僕たちは海に目を向ける。特に何も起きていない。海は夜明け前の月を反射しているだけだ。

『超圧壊』。海中の一定範囲に深海8千メートルと同じ水圧をかける加重系系統魔法。潜水艦の圧壊限界を遥かに超えている。日本海溝最深部に匹敵するこの水圧に耐えられる人工物は、一部の有人潜水調査船や無人潜水機など極僅かだ。

今は波の音しか聞こえない。でも、僕には潜水艦が潰れる音が聞こえてくるよう…

フロッグマンの親玉は、それこそカエルのように押し潰されたわけだ。

 

「…確認したわ…潜水艦…だったモノは、水圧に押しつぶされて、そのまま沈んでいる…生存者は…」

 

「真由美さん、そこまでで良いですよ」

 

生存者がいるわけがない。

 

「…そうね」

 

『魔法』を使って人殺しをした澪さんは、でも、いつもとあまり変わらない。勿論、後悔や懺悔の気持ちはない。

香澄さんと泉美さんが身じろぎしたのは、夜明け前の涼しさだけじゃないのはわかるけれど、『魔法師』として生きる覚悟が、学生とは違うんだ。いつもはのほほんとしている澪さんも『魔法師』、それも頂の極みにいる。

潜水艦は沈んでしまったけれど、物証はここに五人転がっている。

 

「また大亜連合か…『強硬派』が黙っていないんだろうな…」

 

「それは大丈夫ね。ここだけの話だけれど…『強硬派』は九校戦での違法な行為でそのほとんどが処罰されているから…」

 

響子さんの情報は、軍内の抗争の暴露だから、オフレコってことで。

警備担当ががやがやと海岸に下りて来た。全てが終わってから来るところはメタなお約束だ。

 

修次さんと響子さんと澪さんが、警備の担当者を交えて相談を始めた。ここからは大人の役目だ。

僕たち学生は、説明を大人にまかせて別荘に戻って、軽く朝食をとる事になる。

その前に、部屋で着替える…しまった鍵がかかったままだ。係りの人に頼んで開けてもらわなくちゃ。

僕や荒事に慣れている大学生たちは、普通に食事をする。ごくごく普通の朝食。焼き海苔と卵焼きが美味しい。香澄さんと泉美さんは無口だったけれど、警備担当が人員を増やして警戒を強化していると告げると、緊張が和らいだみたいだ。

やがて澪さんたちも食堂に集まって軽食をとった。僕がいつもの癖で給仕をしようとして、澪さんに怒られる…

食後、全員集まったリビングでお茶を淹れて、人心地つくと、

 

「それで、久君。どうやってあそこまで行ったのかしら?」

 

澪さんが遠慮がちに尋ねてきた。

 

「もちろん、言いたくないならいいんだけれど…」

 

リビングには全員いる。『魔法師』の『魔法』は詮索しないのが礼儀だけれど、特に秘密ってわけでもない。ただ、『瞬間移動』と『空間の支配』は黙っている。それは『現代魔法』から逸脱しすぎているからだ。

 

「実を言うと、僕は『魔法師』じゃないんだ」

 

「えぇ?」

 

真由美さんが変な声をあげた。何を言っているのこの娘は、って顔をしている。僕は男だって!

 

「僕は『サイキック』なんだ。CADを使わなくても色々なことが出来る。もちろんCADを使えば『魔法』も使えたんだけれど、携帯型のCADを初めて使ったのは、去年の2月からだったんだ」

 

今、僕は完全思考デバイスも指輪型CADもつけていない。右手をテーブルに向ける。角砂糖を入れた箱が音も無く浮いた。1メートル宙に浮かんで、静かにテーブルに戻す。

ごくごく初歩的な4行程の『移動系系統魔法』。もちろんCADを使えば、だ。

 

「『サイキック』って言っても『現代魔法』と本質的に同じだって、烈くんも言っていたから、そんなに珍しいことでもないんだけれど」

 

ただ、その規模が破格なだけでね…この言葉は続けない。

 

「そうですね。『サイキック』は俗人的なもので、いわゆる『BS魔法』の一種です。『サイキック』は世界にも沢山いますし、その多くがCADを使う『魔法師』です」

 

市原先輩が冷静に言う。これは『魔法師』なら最初に学ぶことだから、ここにいる全員がすとんと納得したみたいだ。

 

「いわゆる超能力だけれど、『サイキック』に完全に偏っていて、『透視』や『テレパシー』『読心』とかはまったく出来ないんだ」

 

だから僕は『エスパー』ではない。

 

「探知系が苦手って、いつも言っていた物ね。でも、テロの時のアレも『サイキック』…?」

 

真由美さんが少し首を捻った。『サイキック』で何百発もの銃弾をどう消したのか…ただ、礼儀として詮索はしてこないで、

 

「…どうしてこれまで黙っていたの?」

 

そう尋ねてきた。生徒会長時代みたいだ。

 

「僕は魔法科高校に入学したんだ。魔法科高校は『魔法師』になる人が入学する学校でしょ。だから僕は『サイキック』は非常時にしか使わないことにしているんだ」

 

「多治見がCADの操作が苦手なのも、『魔法』の知識がまったくなかったのもそのせいか」

 

渡辺先輩は一高のテロ事件の時、僕を尋問した一人だ。ふぅとため息をつく。

CADの操作が苦手なのは、機械音痴だからだけど…

 

「特に秘密ってわけじゃなかったんだけれど、言う機会もなくて。僕が『サイキック』だって知っているのは、達也くん、深雪さん、れつ…九島烈閣下、九重八雲さん、くらいかな」

 

周公謹さんはどう思っているのかな…人間以外なら『ピクシー』が一番僕の事を知っているけれど。

 

「司波君が知っているのは…そうですね、九校戦の担当エンジニアですから、彼が気がつかないわけがありませんね」

 

市原先輩は達也くんを正当に評価している一人だ。

 

「後見の九島閣下は当然知っているだろうが、九重八雲殿は何故?」

 

八雲さんの名前は、僕があげた名前の中で、一人だけ異質だ。渡辺先輩が疑問を抱いた。

 

「忍びは何でも知らなくちゃ、だってさ。知りたがり病なんだよ八雲さんは」

 

 

この日の事件は、表沙汰にはならなかった。公表されると、影響が広範囲すぎるからだ。

それでも魔法協会から軍に抗議があって、軍の高官のポストの配置転換や更迭があったって響子さんがこっそり教えてくれた。

『魔法』を使った進入計画の阻止には『魔法』が必須。

 

「『魔法師』と『十師族』の、軍への影響力がますます強まるから大変だわ…」

 

って、自身も代表的な『魔法師』の響子さんのストレスが溜まる。

 

今夜も、僕は色々といじられるんだろうなぁ…嫌じゃないけど…

そう言えば、香澄さんの水着はあの騒ぎで忘れてきてしまった。今度買い物に行くときにプレゼントしようかな。

男子と水着を買うのは思春期の女の子には恥ずかしいかもしれないけれど。

僕はあんまり恥ずかしくないな…やっぱり僕は羞恥心が少し欠けている。健全とは程遠いなぁ。

 




五輪澪はこの国の魔法師の頂点なのです。
澪が活躍する場面をいつか作らなくちゃと考えていたのが、この回です。
久の異常性に正面から向き合えるのは達也と澪さんなのです。
そのくせ、このSSでは達也の影が薄い…タイトルの『神』は達也のことなのに…
千葉修次をせっかく登場させたので、出番を増やしました。
久が戦闘中他人に助けられたのは初めてです(笑)。

このSSは最初に思いついたアイデアや台詞を適当に箇条書きにして、
その後、文章を追加、肉付けしていくので、同じ表現が重複する場合があります。
アップ前に何度も読み返しているのですが…
久の10歳の文章という体で書いているので、物事の表現が細かくありません。同じような言い回しが多いです。
別荘の造りや海岸の美しさ、スキューバのスーツとか細かい説明は久には興味がないのです…汗
言い訳です、はい。
今後も精進して参ります。

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