パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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ちょっと長いです。


スティープルチェース・ハイキング

13時、僕はクロスカントリーのユニフォームに着替えて、一高テントのパイプ椅子にぼけっと座っていた。

半狂乱だった僕はもうすっかり落ち着いている。香澄さんには心配と迷惑をかけてしまったな…

テントの天井を見上げながら何かお礼はできないかなって考える。クリスマスの時、少し高価な贈り物を達也くんたちにしたら逆に恐縮されてしまったので、学生相手のプレゼントは中々難しい。どうしようかな。

 

達也くんと制服に着替えた深雪さん、水波ちゃんがテントに現れた。達也くんは、いつも通り背筋をぴんと伸ばして、無表情。深雪さんはクロスカントリー優勝を達也くんに褒めてもらったんだろう、それはもう嬉しそうだ。水波ちゃんはむっつりしている。

深雪さんにクロスカントリー優勝おめでとうって言おうとして、はたと気づく。達也くんは、さっきまで死闘を繰り広げていたはずなのに…

 

「達也くん怪我はっ?…なさそうだね」

 

「見た通りだが?」

 

何を的外れな質問をしている?ってその無表情が言っている。『パラサイドール』について語ることはなさそうだ。

それにしても、すっかり失念していたけれど、本当にかすり傷一つない。

制服の下がどうなっているかはわからない。ひょっとしたら骨折している…ようには全然見えない。『パラサイドール』の『サイキック』はかなりの威力があった筈なんだけれど、ナマクラだったのかな。

もしくは精度が低すぎて的外れな方向に攻撃していた…?狂わされすぎていたとか?

だったら意外と『パラサイドール』の能力は低いのかも知れない。達也くんだって怪我を二~三時間で治せるわけないし。

うーん、と全身で考える僕。その姿に深雪さんが不安になったみたいだ。

 

「それよりも久、クロスカントリーは大丈夫なの?」

 

深雪さんがクロスカントリー経験者兼副会長の立場で聞いてきたから、

 

「うん、最初から最後まで、一生懸命、歩くよ」

 

僕は、断言して、白い歯をきらんっと輝かせる最高の笑顔を作った。つもりだ。ふっ。

 

「スティープルチェース・ハイキングじゃないぞ?」

 

女子クロスカントリーの映像は、さっき一高テントのモニターでリプレイを観た。

選手の状態は時折テレビに映される映像だけが頼りで、全ての地形やトラップが映っているわけじゃないけれど、参加していた選手の表情は、どこか楽しそうだった。

なんだか試合というより運動会のノリだ。

花音先輩が盛大に泥沼に落っこちて酷い目にあったシーンでは、一高テント内が大爆笑。五十里先輩もひかえめにくすくすと笑っている。全体的に微笑ましい。

真剣勝負が多い九校戦では珍しい雰囲気だった。競技の裏で死闘が繰り広げられていた、僕が錯乱していたなんてウソみたいだ。これこそ等身大の高校生の大会だ。

僕は、その映像を、笑えない。だって、1時間後の自分の運命かもしれないんだから…笑えないけれど、ぷぷ、花音さんのあの格好…面白っ。

だから僕はもう開き直って、歩きやすい場所を選んで、のんびり歩くことにしている。どうせ入賞は無理だし。

勿論、『自己加速魔法』と関節を守る『硬化魔法』は、左手首のブレスレッド型CADに入っている。でも、僕の肉体は長時間の『自己加速魔法』に耐えられないし、『硬化魔法』も肉体にかけるのはそもそも難しい。

人造の森でも登山じゃない。時速3キロメートル、一時間かけて、本当にのんびり散歩。森林浴、ハイキング、森の中でリフレッシュ…勝負は優勝候補の幹比古くんとはんぞー先輩にまかせる!

 

「そのほうが、無難だろうな」

 

「諦念…ですね」

 

「…」

 

三人の視線が生暖かい。

諦念。1、 道理をさとる心。真理を諦観する心。2、 あきらめの気持ち。ってGOO辞書に書いてあった。

悟りの境地か、なんとなくカッコイイ。

 

スタート30分前。スタート地点にユニフォームに着替えた生徒たちが集まった。約100人の男子生徒はそれぞれ高校ごとに島を作っている。

いつもの制服と違って、みんな同じユニフォームに簡易ヘルメットとゴーグル姿だから、一見誰が誰かわからないけれど、何となく一高選手の集まりは目立っていた。

高校の大会というより、全員カーキ色で地味だ。軍隊みたいだな。軍服は個性を失わせるけれど、全ての生徒の中で、僕は一番小さい。一人だけ子供が混じっているみたいだ。僕の姿を見つけると、他校の生徒は競技前なのに色々と話し始める。流石に指を差したりしてこないところは、育ちが良い生徒ばかりなんだろう。

将輝くんはジョージくんと並んで先頭に立っていた。その姿は颯爽としていて優勝する気満々なのが良くわかる。総合優勝は一高に持っていかれたけれど、最後に一矢報いる気でいるね。

僕に気がつくと「勝ちは譲らないぞ」と目で語ってきたから、「僕は最下位狙いさ!」と涼しげな視線で返した。「負けないぞ」と勘違いした将輝くんのヤル気は上昇した。

 

いつもの長い黒髪は運動の邪魔になるので、テントを出るときに深雪さんがリボンで結んでくれた。可愛いピンクのリボン…『真夜お母様』に遠慮していた深雪さんも、いつもの調子が戻っているみたいだ。でも、軍隊色にピンクのリボンはおかしいコントラストだ。

一高の生徒は、運動能力に長けた人が多いし、体格も立派だ。僕の隣に立つ幹比古くんは、線は細いけれど、過酷な修行を重ねている。とくに古式の修行で山駆けをよくするから、この競技の優勝候補だ。

九校戦開始前から、チームで参加するモノリスコードよりも、個人で参加するクロスカントリーの方が自信があったみたいで、気合が入っている。

女子の試合は観客席でレオくんたちと見ていたって。森の中もいつも修行している山に比べたら簡単だけれど、油断は全然していない。慎重な幹比古くんらしい。

僕は、幹比古くんの緊張をほぐそうと、幹比古くんの袖を掴む。

 

「吉田隊長!僕の事は放っておいて先に行ってください!」

 

「戦場ごっこをしなくても、勿論、最初っから置いていくよ!」

 

「えええっ!」

 

ニベニモナイ。そりゃそうだ。優勝候補に最下位候補。これは競技なんだから。袖を握った僕の手は簡単に振り払われた。

僕が運動音痴なのは他校の生徒には知られていない。でも、卓越した『魔法師』の『魔法力』と体力は別物、体力はなくても別に蔑まれたりはしない。去年までの澪さんが良い例だ。

だから(?)僕は安心して最下位狙いだ。

14時。試合開始のブザーが鳴って、生徒たちは一斉にCADを操作して、駆け出す。午前の女子レースで情報が集まっているから、皆、猛ダッシュだ。弾丸のように、野生動物のように、肩をぶつけあいながら駆け出す選手たち。

将輝くんもジョージくんも一瞬で、優勝候補の幹比古くんもあっという間に森の中に消えていく。みんなすごいなぁ…あっあれ!?スタート地点には僕しかいない!

うっ、僕も頑張らないと。CADの操作はしないでのんびりと歩き出す。

一人だけ、違う競技(?)で僕は闘っている。『完歩』にむかって、全力で、ゆっくり歩く!

 

 

森は木々の生えている間隔が意外に広くて、広葉樹林なのに堆積した落ち葉も少ない。普段から演習で地面は踏み固められているようだ。

ここ数日、雨も降っていないからぬかるんでもいない。もともと富士山の周辺の土地だからごつごつと岩が突起していることを気をつければそれほどきつくはなかった。

小学生並みの僕の体力でも大丈夫そうだ。完走目的じゃなく、完歩しか考えていない僕は、のんびり歩く。

バイザーに自分の位置とゴール地点は表示されているから、迷うこともない。歩きやすそうな地形を選んでのんびりと、ハイキング。

20分経過して、一キロも進んでいない。

 

「水筒とお茶を持ってこれば良かった」

 

森の中に一時間ともなれば喉だって渇く。でも、CAD以外は持ち込み禁止だったっけ。のどかだな。3時間ほど前、この森で達也くんが闘っていたなんて思えない。

『パラサイドール』はもう回収されているから、その辺に転がっていることはない。特に罠にはまるでもなく、比較的木々の間の広い場所を選んで歩く。

バイザーは自分の位置は表示するけれど、他の生徒の位置は表示しない。とは言え、こんなあたりに他の生徒がいるわけはない。

 

だから、その三人が目の前に現れた時、ちょっと驚いた。僕の前に、明確な意思で立ちふさがった。待ち構えていた…のか。だったら…

生徒のユニフォームは簡易ヘルメットに顔の上半分を覆うバイザーがあるけれど、表情はちゃんと見える。その三人はフルフェイスのヘルメットだった。表情は見えない。それに、全体が黒く、腰周りに色々と装備がある。金属製、機械式、防弾…腰にあるのはごつい拳銃、あれはサバイバルナイフか…どう見ても生徒じゃない。軍人?特殊工作兵だ。この時点で、一般兵か『魔法師』かは不明。体格は、日本人離れした長身だけれど…

 

「ヘル、タジミ…ですね」

 

中央の、ヘルメットをしているからわからないけれど、たぶん中央の男が言った。多治見の発音はぎこちなかったけれど、ヘルはネイティブだった。

声はヘルメット内のマイクを通して外に出しているようだ。ヘルメットとスーツにつなぎ目が全くないんだ。

減る?経る?ヘル…ああ、ドイツ語だ。ドイツ語でミスターは、ヘルだ。

 

「ドイツの方ですか?えぇと、ばーむくーへんっ!」

 

僕は英語の日常会話は少しだけできるけれど、ドイツ語はさっぱりだ。だから、

 

「べんつ、あでぃだず、にゅるぶるくりんく、アルベルト・ハインリヒ、ブロッケンJr、エーリカ・ハルトマン、ラウラ・ボーデヴィッヒ…」

 

「そこまでにしていただけますか」

 

お堅いドイツ人の三人は気分を害されたようだ。ごめんなさい。冗談の通じない人たちか。004ことアルベルトはカッコイイし、ラウラは可愛いのに。

 

「何か御用ですか?僕は今、競技中なんです。そうは見えないでしょうが…」

 

のんびり歩いているし、こんな大男たちが正面に立つまで、全然その存在にも気がつかない緊張感のなさだし。

 

「少々、お話がありましてね、なに、お時間はとらせません」

 

男は丁寧だけれど、ウソに決まっている。白々しすぎて凄くチープだ。ただのお話をこの森の中の競技中にするわけがない。ドイツ人…

 

「ひょっとして、ローゼンの社員さんですか?」

 

「ほう?どうしてそう思われたのです?」

 

「だって、この前、ロビーでローゼンの支社長に物凄く睨まれたもん。本人は気がつかれていないと思っていたみたいだけれど、将輝くんも気がついたよ」

 

僕を包囲する男たちの雰囲気が、少し殺伐としたものに変わった。僕へのではなく、支社長に向けてのイライラみたいだ。

 

「あぁ、あの人は『魔法師』としては三流だからな、それも仕方がないだろう。でしたら、話は早い。我々は貴方を勧誘にきま…」

 

「お断りします。じゃぁ僕は行きますね」

 

即、拒否した。勧誘理由なんて、聞かなくても大体わかる。僕は『戦略級魔法』を氷倒しで使ったけれど、まだ正式に『戦略級魔法師』と認定されているわけじゃない。

その決定は九校戦後、『師族会議』で話し合われるそうだ。その前に、勧誘…いや、もちろんそれだけじゃない。

中央の男は僕の進路を塞いで、残りの二人が僕の左右斜め後ろにそれぞれ立っている。

男たちは、さすがにゲルマン民族だけあって、いかつい。戦闘スーツを着ていても、その筋肉が分厚いのがわかる。スーツはオーダーメイドみたいだ。それぞれサイズが微妙に違うけれど、三人ともフライパンなんて簡単に曲げられそうな太い腕だ。三人に囲まれた僕は、相変わらず弱弱しい。

目の前の男がふふんっと鼻で笑いながら言う。

 

「確かに貴方は、優秀な『魔法師』です。しかし、多くの欠陥を抱えてもいますね。学力は平凡、貧弱な肉体。機械操作が不得手。とくに、その競技用のCADではまともな『魔法』が使えない」

 

「手料理が上手って情報が抜けていますよ」

 

「…」

 

黙殺されたけれど、よく調べている。これがこれまでの僕の一高内の一般的な評価だ。確かに、『真夜お母様』にいただいた完全思考型CADのデバイスと指輪があれば卓越した『魔法師』だけれど、この競技用CADじゃ僕は並みの『魔法師』以下だ。

さっき支社長を『三流』ってバカにした所をみると、この三人は『魔法師』として一流なんだ。でも、こいつらも、バカだ。三人は、間抜けに姿をさらしている。この時点で、こいつらに勝ち目は一ミリもない。

僕はこいつらが現れた瞬間に、すでに『能力』を使っている。こいつらがどんなに優秀な『魔法師』だろうと、僕の『能力』には気づけない。

 

今、バイザーに隠れた僕の瞳は光沢のある薄紫色をしている。

 

これが達也くんなら前口上なんてしないだろうし、八雲さんや幹比古くん、たぶん周公謹さんなら僕の死角に隠れて絶対に姿を見せない。僕が探知系がからっきしなのを知っているから。

つまり、こいつらはニワカだ。僕が『戦略級魔法』を使って、慌てて調査した。どうやら僕の過去とはなんの関わりもない。

わざわざ姿を晒して、無防備に勝ち誇って、僕を見下ろしている。自分たちの勝利を確信。この小さなウサギをどう追い立てるか考えてほくそ笑んでいる。『魔法力』が卓越しただけの『戦略級魔法師』を肉体的に圧倒する。それは肉体に自信があればあるほど、興奮するシチュエーションだろう。

ヘルメットで見えない口がサディスティックな笑みに歪んでいるのが見えるようだ。

僕が大男三人に囲まれて、全く怯えていないことを疑問に思わないんだろうか?

 

「ヘル・タジミ。交渉の余地は、ありませんか?」

 

「はじめから交渉する気なんてないでしょう?」

 

このタイミングで武装した男たちを送り込む時点でそうとしか考えられない。九校戦の会場は軍の施設だ。去年も大陸の強化兵の潜入を許していたから、人的な警備はザルだけれど、センサー類の設備はそれなりにあるし、僕は目立つから、人前での交渉は難しい。

そして、次にくる台詞はお決まりだ。

 

「我々に従わない場合は、貴方の大事な人たちが無事ではすみませんよ」

 

僕の『家族』を人質に持ち出した時点で、彼らも退路を自ら絶った。僕が『家族』を守るために、彼らの『家族』を殺そうと、文句は言えない。そして、僕は人殺しに何のためらいもない、精神破綻者だ。絶対に殺す。それも残酷に。もう少し、相手を調べた方が良かったね。

なるほど、ニワカだ。僕が脅しに対して、どう対応するか、まったく想像していない。

 

「体力的に、純粋な格闘能力は、貴方はただの子供です。我々は旧式とは言え、貴方のご友人西城レオンハルトよりは優秀ですよ」

 

レオンハルトの発音がカッコイイ。レオくんはお祖父さんがドイツ人なんだって。だからあんなハンサムなんだ。

 

「貴方たちの事は知りませんが、レオくんは僕より頭はよくないよ。あぁ…一学期の成績だけはね。それまではどっこいどっこいだから、僕程度の頭脳を誇られても、恥ずかしいだけですよ」

 

僕とレオくんの学業成績レベルと比べられても困るなぁ。達也くんなんて古今無双の天才なんだし、僕の友人はみんな頭が良いんだよ。

 

「いえ、頭脳レベルではなく、肉体レベルが、です。なるほど、たしかに貴方は頭はよろしくないですね」

 

「そんなに褒めなくてもいいですよ」

 

「褒めていない。今すぐ我々と来ていただこう。拒否しても、無理矢理連れて行きますが」

 

微妙に僕との会話がかみ合っていないことに、男はイラつき始めた。ほんとに、バカだね。最初から不意を突いて拉致しておけば良いのに。

旧式、の意味は良くわからない。旧式と言うからには新式があるんだろう。まぁ、彼らが『白式』か『百式』だったら、そりゃぁもう僕は華麗に突っ込みを入れたところだけれど。

 

「カメラにばっちり撮られますよ」

 

クロスカントリー会場の森は中継用のカメラが沢山ある。この前、八雲さんも潜入は難しいって言っていたから、ここまで気がつかれず進入で来たのはすでに競技中だからだろう。

 

「そんな間抜けなことはしない!」

 

カメラに撮られずに僕を抱えて逃げる自信があるんだ。すごいな。僕には絶対に無理だ。

目の前の男は何の前触れもなく『加速』した。完全思考型CAD!ローゼンも完全思考型CADを販売しているってこれまでも会話に何度か出ていた。

デバイスが大きすぎて使いにくいって事だったけれど、この男たちの戦闘スーツに組み込まれているのか。どこにCADのデバイスがあるのかはわからなかった。あれから数ヶ月が経つから小型化に成功したのかな?

やっぱり、この三人は『魔法師』だった。

その巨体にしては驚く速さ。10メートルの距離を一歩で、一瞬でつめる。男が大きな手を僕の肩に向けて伸ばしてくる。あれに本気で握られたら僕の鎖骨は簡単に折れるだろう。

でも、確かに速いけれど、達也くんやエリカさんほどじゃない。力に任せた動きで洗練もされていない。猪突猛進。直線的すぎて面白みがない。錬度が低いのか、それとも慢心からくる侮り?こいつらの性能がイマイチなのか。もしかしたら、新式の方に会社の人材が集まっているのかもしれないな。

そんなことを考えていられるほど、遅い。僕の動体視力の前ではスローモーションだ。もちろん、動体視力と僕の身体がそれに対応して動けるかは、別の問題。CADの操作はこのブレスレッド型では僕には無理だから、『魔法師』としては何も出来ない。けれど…

 

がしっ!

 

男の豪腕を『掴む』ことは容易い。僕は男の手首を『念力』とともに無造作に握った。

男のスーツを含めると100キロはあるだろう体重。僕は30キロしかない。通常では受け止めることは不可能だ。三倍の体重差に、『魔法』で加速された動きが加わればなおさらだ。男も僕の手は無視して、そのまま肩を掴もうと手のひらを開いて、もう半歩踏み込む。体重をかけて、僕の肩に、男の手が…届かない。

僕は棒立ちのまま、男の右手首を握っている。男の動きが瞬間的に止まる。前にも後ろにも動けない。ヘルメットで顔は見えないけれど、男は動揺している。僕の華奢な腕が男の豪腕を捕まえて、微動だにさせていないことが、にわかに信じられないんだ。押しても引いても、一ミリも動かない。

後ろの二人も僕との距離を縮めていたけれど、『見えない壁』に激突して、思わず立ちどまった。仲間の動きが止められた理由も、『見えない壁』の存在にも気がつけなかった。

 

そのまま、僕は男の手首を『握りつぶす』。

 

「ぐっああああああ!!」

 

僕の身体には少しも力が入っていない。力こぶなんてまったくできない。それでも、

 

めきょめきょめきょ!

 

男の手首は骨ごと『握り潰される』。金属製のそのスーツはかなり丈夫みたいだ。でも、中の肉体は、スーツほど丈夫じゃない。僕の『サイキック』はそんな薄い金属では防げない。『空間』そのものを捻じ曲げているのだから。

男が手首を押さえながら、一歩後退した。僕は男の向うずねを爪先で蹴った。軽く触れた程度の蹴り。本来なら痛くも痒くもないはずの、子供の蹴り。なのに男のすねは簡単に折れた。男は溜まらず前かがみになる。男の頭が下がったところで、僕は乱暴にヘルメット頭頂部を踏みつける。物凄い音がして、男の頭頂部は地面にめり込んだ。

 

「なっ!?」

 

背後の二人が絶句している。信じられない光景だろう。子供が素手で、『魔法』を使わずに強化スーツの大男を翻弄しているんだから。僕は、一瞬頭で逆立ち状態になった男の背中を、思い切り蹴飛ばしす。めきゅよ!という奇妙な音がして、男の巨体が倒れる。今度は背骨がへし折られた。頭は地面に埋まったまま、首が変な方向に曲がっている。

本当は蹴りなんて無駄な動きは必要ない。念じるだけで、相手の身体は簡単に壊れる。でも、動きを入れたほうが、偽装にもなるし、何より相手に与えるインパクトが違う。達也くんの格闘を見て僕もそうするようにしている。

強化スーツに僕の蹴った跡は残っていない。ずいぶん頑丈なスーツだ。でも、中の人間まではそうじゃない。男はぴくぴくとケイレンしている。

今度は、僕が倒れた男を見下ろしていた。でたらめな『力』だ、と我ながら思う。

その間、後ろの二人も黙っていたわけじゃない。僕を攻撃しようと身構え、魔法を発動しようとしていた。

でも、出来なかった。僕は二人を電話ボックスくらいの『空間の檻』に閉じ込めている。男たちは見えない壁に『魔法』を放ち、武装された拳でどんどん叩いたり、銃弾を打ち込んだりしている。物凄い破壊力を持つ弾丸が空気の壁にぶつかってつぶれている。

 

「なっ何をした」

 

後ろの一人がうめき声をあげた。さっきの男ほど日本語はうまくなかった。僕はその質問には答えない。

 

「丈夫なスーツだね。どれくらい丈夫なのかな…?」

 

倒れている男の力なく伸びた片足を右手で掴む。そのまま、ずるずると男の巨体を引きずる。埋まっていた頭が抜けて、万歳したまま、男は動かない。ずるっずるっと強化スーツが地面を削る…

僕の身体は弱弱しい。強化スーツの男たちと比べるまでもなく、非力だ。でも幼い子供がぬいぐるみを引きずって歩くみたいに、簡単にずるずると、まだ絶命していない男をその場所まで移動させる。

この森は人造でも地形は、富士山の溶岩が冷えて固まってできたものだ。特徴的なごつごつとしたむき出しの岩場があちこちにある。粒状で黒い斑点のある、硬い硬い岩。

閉じ込められた二人は僕の意図を理解したようだ。なにか叫んでいるけれど、ドイツ語じゃわからない。だから無視する。僕は片手で男の足首を掴んだまま、100キロはある巨体を大岩に向けて勢い良く振った。

 

ごがっ!

 

金属製の戦闘スーツと岩がぶつかる。鈍くするどい音。溶岩が固まった岩は、風化してぎざぎざして素手で触るとそれだけで、手が怪我をしそうなほど角が尖っている。強化スーツはその程度ではへこみもしない。ちょっと布で拭くとなくなるくらいの汚れがついただけだ。

僕は軽々と片手で、男の巨体を、何度も何度も、岩にぶつけた。重力を無視して、何度も…

 

がっご、がごっ、がっご!がごっ!がごっ!ばきゃっ!

 

それは、子供がぬいぐるみに八つ当たりしているみたいな、奇妙な光景だった。男を、何度も岩に叩きつける姿は、狂気と稚気を孕んでいる。

岩にひびが入ったけれど、強化スーツはびくともしない。黒々と金属の光沢を放ったままだ。もちろん、外のスーツはだ。中の男が生きているわけがない。強化スーツを振るたびに、たぷんたぷん、液体が揺れる音がする。液体は、当然、血液とつぶれた内臓だろう。大型ミキサーでかき回されているのと同じなんだから。

その音を聞きながら、ほんと、水筒にお茶を入れて持ってこれたらよかったのに…と平然と思う僕は、異常だ。執拗に、何度も、何度も、岩にぶつける。檻の男たちに、見せ付ける。

狂っている…誰もがそう感じる光景だ…何十回とぶつけて、それでもスーツはへこみもしない。

 

「凄く丈夫な服だなぁ、流石に飽きちゃった」

 

僕は感情の消えた声で呟く。もちろん疲れてなんていない。息一つ乱れていない。僕は、『空間の檻』に閉じ込めたままの二人に向けて、その男を放り投げた。男たちの足元に、黒い壊れた人形が転がる。がっちりと組み上げられたスーツは、それでも中の液体を漏らさない。

二人は見えない檻に閉じ込められて、なにかドイツ語でわめいている。

だから、日本語で言ってくれないとわからないよ。

男がヘルメットを操作している、無線で仲間を呼ぼうとしている。でも、そんなものが通じるわけがない。

僕は敵対するものを容赦するよう、教えられていないんだ。

 

「仲間なんて、だれも来ないよ、自力で切り抜けないと」

 

僕の台詞は、僕自身にも向けている。

 

「まっまってくれ、なんでも言う、支社長のことも、ローゼンの秘密も…」

 

ぎこちない日本語で言う。企業の社員だから忠誠心はそんなに高くはないんだろう。でも、

 

「そんなの興味ないです。たとえ教えてくれても、関係なく殺します。殺す一択しか結末はないですから」

 

「俺には故郷に家族がいるんだ」

 

妙なことを口走り始めた。

 

「そうですか、じゃあ貴方の家族も全員殺しに行きます。大丈夫ですよ、どうせ貴方は今、ここで、死ぬんですから、死んだ後、家族の心配なんてしなくていいでしょう?」

 

「なっ!?」

 

他人に家族を人質に脅しをかけておいて、自分の家族は無事でいられるなんて傲慢だよね。自分の言葉には大人だったら責任をとらないと。僕だって自分の責任は果たそうと頑張っているんだよ。

 

「死後の世界なんてないですから、あの世で家族に謝る必要もないですよ。だから安心して死んでください」

 

「くそっ!ローゼンを舐めるなよ。ローゼンの力は…」

 

「自分が死んだ後の僕の心配をしてくれるんですか。それはありがとうございます。じゃぁ、ローゼンを皆殺しにします。僕はもともとローゼンには良いイメージがないからちょうど良いや」

 

遠い昔の、たった一日の関係だったけれど。

こういうときの僕は能面のように無表情だ。簡易ヘルメットにバイザー越しでも、人形じみた相貌は見るものに狂気を感じさせる。

見えない壁をどんどんと叩いていた男の手が止まった。最後の哀願をするつもりなのか、ヘルメットをはずそうとしている。でも、スーツと一体になっているヘルメットはなかなかはずせない。

どうやって殺そうか。あんまり時間がないんだよな。今は競技中なんだ。もういいや。

 

ぼふっ!

 

奇妙な、くぐもった爆発音がした。二人の頭は、ヘルメットの中で木っ端微塵になっている。それでもヘルメットは頑丈だ。外見になんの変化もない。男たちは垂直に崩れ落ちる。

 

「…」

 

三人の強化スーツの死体を足元に転がして、僕は、さて、この死体をどうしようかな、一瞬悩んだ。

このまま放置していても、強化スーツは丈夫だ。中身が腐っても、そのままだろうけれど、ローゼンか、国防軍が見つけると面倒だ。

 

「地下千メートルに『飛ばして』埋めれば、ボーリングでもしないと見つけられないかな…」

 

こんなところを地中調査する奇特な人はいないだろう。数万年後、剥き出しの地層にあの三人が化石みたいに見つかるかな。

 

「そいつらの始末は、僕に任せてくれるかい?」

 

のんびりとした、男性の声がかけられた。森の中、落ち葉や枝があるにも関わらず、足音一つしないで近づいてくる男性。柿色の忍び装束。まるで時代劇みたいな服装だ。

 

「やっぱりまだいたんですか、八雲さん」

 

「ん?やっぱりってどういうことだい?」

 

九重八雲さんは僕に聞きながら、三人の黒い死体を見つめている。

 

「知りたがりの八雲さんが達也くんだけで満足するとは思いません。なにしろ今日この森にいた『魔法師の卵』は数年後、この国でも有数の『魔法師』になるでしょう?」

 

「本当に多治見君は成績が悪いのかい?察しが良すぎだよ。うんまぁ、データだけなのと、実際にその人物をみるのとでは全然違うからねぇ」

 

知りたがり、なのをもはや否定しない。自覚している。でも、成績と察しのよさは別だよ。頭が悪くてもクイズが得意みたいなものだよ。ちなみに僕はどっちもだめだ…

そもそも、八雲さんは九校戦の施設に楽々侵入している。それは今年だけとは思えない気楽さだ。九校戦には毎年、全国から選りすぐりの『魔法師の卵』が集まるんだから。情報収集には持ってこいの場所だ。

 

「こいつらの始末は、お礼ですか?お詫びですか?」

 

横たわる三体の特殊兵に視線を向ける。

 

「どっちもだよ、達也くんに『パラサイドール』を任せてくれたこと、藤林響子さんに術をかけてミスリードを助長したこと…まぁ、このスーツにも興味はあるけれど」

 

「それじゃぁ交換には足りませんよ。こいつらの始末は一瞬でできますから」

 

達也くんの戦闘情報はさぞ貴重だっただろう。

 

「じゃぁ、ローゼンが今後、多治見君にちょっかいを出してこないように、日本支社長にちょっと『ミスリード』をするっていうのはどうかな。皆殺しも悪くはないけれど、余計な敵を作らないのも方法だろう?」

 

それは社長が交代したら意味がない提案だ。

 

「あと、『パラサイドール』を狂わす術式を組んだ大陸の術者がいたんだけれど、その術者を送り込んだのは横浜中華街の周公謹と言う人物だ」

 

周さんが?自衛のためなら手段は選ばないって言っていたけど、『パラサイドール』とどう繋がるんだろう。これは、僕の頭脳レベルではわからない図式だ。本人に聞いてみるか。どうせ、九校戦後に横浜の魔法協会ビルに行かなくちゃ行けないんだから。その時にでも。警備の二人にも『ドロウレス』のお礼をしなくちゃいけないし。

降りかかる火の粉ははらう。敵対するなら容赦なく殺すけれど、毎回毎回じゃぁ面倒だ。そこまで後始末してくれるなら、こんなスーツ、僕には興味がないし。僕は同意して頷いた。

 

「八雲さんは、僕には意外と親切ですね。何か意図があるんですか?」

 

「たしかに、僕は忍びで無料の奉仕なんてしない。興味があれば別だけれど…」

 

八雲さんは少し照れた感じになる。忍者服の頭巾のまま頭を撫ぜた。ちょっと珍しい雰囲気だ。

 

「多治見君はね、かつてこの国を救った英雄『紫色の瞳の少年』だ。僕はね、先代にその話を聞いたときに、物凄く憧れを抱いたんだ。素直にカッコイイってね」

 

その先代はどれだけ僕を美化…偶像視して八雲さんに語ったんだろう。大量殺戮者にカッコイイもないと思うけれど…

 

「そりゃ、今の僕にあの頃の純粋さはかけらもない。情報収集のために協力したり裏切ったり…裏の世界の住人、常ならぬ身だ。利用できるならなんでもする」

 

「達也くんは、気がついていると思いますよ」

 

「ん、僕もそう思う。でもね、僕は君がその『パープルアイズ』だって知っている。その事を知っている存命者は殆どいない。僕はその知っているうちの一人として恩返しをしたいと思っている。九島烈が君の行動をある程度放任しているのも、同じ感情があるんだと僕は思うよ」

 

「烈くんはそんな単純じゃないですよ。狂っているように見えても、八雲さんも…うんまぁ、ここはお任せします。あまりここに立ち止まっているのも怪しまれるし」

 

僕の位置情報はモニターされているから、あまり同じ場所にいるのも問題だ。今頃、一高のテントではあーちゃん生徒会長がおろおろして、深雪さんも香澄さんも心配しているだろうから。

八雲さんは以前、僕のことをほとんど知らないって言っていたけれど、あれも多分ウソだ。八雲さんはブラックホール実験のことも、『パラサイト』のことも詳しかった。

『パラサイト』の依存性の情報はどこから仕入れたんだろう。本当に知りすぎている。僕のことを詳しく知って何かさせたいことがあるのかもしれないけれど、僕の利用価値なんて大量殺戮くらいだ。

 

「そうだね、もうこの森の中に残っているのは、多治見くんだけみたいだからね」

 

「別に初めからそのつもりだったので。みんな優秀だなぁ。僕もみんなみたいに軽やかに飛び回りたいや」

 

「いや…極め付けに優秀なのは多治見君だろう…まぁ、この偏りもいかにも『魔法師』だけれどね」

 

万能な『魔法師』なんて、いないからねぇ。八雲さんは、僕の背中に向けて、ぼそっと呟いた。万能。達也くんのことかな、万能って何だろうね。『不死』とか?まさか、ね。

 

 

僕は八雲さんと別れた後も、のんびり歩いていた。バイザーのモニターが、ゴールまで200メートルって表示している。

視線を遠くに向けると、ゴール地点に、一高の男子生徒と将輝くんにジョージくんがいた。

僕の姿を見つけると、手を振って激励の声をかけてくれた。

時間は、1時間15分かかっている。まぁ、途中問題もあったけれど、遭難しなくてすんだのは良かったな。

皆が全身で応援してくれている。ちょっと気恥ずかしい。僕も手を振って、少しだけ早足になった。

でも手を振りながら、足元の不確かな森の地面を小走りするのには、僕の足腰は頼りない。

ゴール前の最後の坂道を登る。ゆっくりとは言え、一時間森の中を歩いていた僕の足は疲れている。普段なら当たらない高さの木の根に、つんっと、爪先が当たってバランスを崩す。すこしたたらを踏んで、手近な木の幹に手をついた。ちょうど坂を上りきって、手を着きやすい位置の幹。

 

かちっ!

 

ゴール地点から「あー!」って悲鳴が聞こえてきた。

 

「ん?」

 

そのままゴール地点に向かう僕の足元が、いきなり陥没したかと思うと、ばふっ!と湿った土が舞い上がった。土砂の雨が周囲に降る。

参加している生徒も何人か同じ罠にかかっているのだろう。ゴール前の一瞬の油断を突く罠。

僕の場合は油断よりも体力のなさだけれど、とにかく、土の雨が降り止むと、僕は全身泥まみれになっていた。

ユニフォームもヘルメットも、黒髪もピンクのリボンもドロドロだ。

ポカーンとする僕。その姿は当然、会場中のモニターにも全国にも放送されている。たぶん会場でエリカさんが爆笑している。レオくんも美月さんも遠慮がちに笑っているだろうな。

さいわい、目はバイザーで汚れなかったから、泥まみれのまま、最後は、慎重にゴールに向かう。

 

そして、ゴール。競技終了のブザーと共に、今年の九校戦は、全試合が終了した。

 

僕にとって、1年生のときよりも中身の濃い、すごく長い九校戦だった。

 




これにて、第三章「二年生」は完結です。
思ったより長くなってしまいましたが、基本全部オリジナルなので、毎回色々と考えながら書いています。
大変なんですけれど、文章を書くのは楽しいです。
次回から、原作はほとんど達也の暗躍になりますので、魔法科高校の世界観を壊さないように久は久で別の戦いをしながら、十師族に関わります。
原作は、九校戦から一気に9月下旬に飛びますが、久は色々と大変です。
これまで同様、つたないですが、原作に沿いながらオリジナルな展開が続きますので、お付き合いよろしくお願いいたします。

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