九重八雲さんが住職をしている九重寺は小高い丘の上で緑に囲まれていた。下の道路からだと全容はわからない。山門につながる石段と辻塀、瓦屋根と緑しかみえない。
朝の7時、僕はなんとか迷わずに石段前にたどり着いた。キャビネットに乗ってくるだけだけれど、機械操作が苦手な僕は、行き先が間違っていないか不安で行き先の車内表示を何度も見て確認した。
朝早く自宅を出たけど、九校戦の選手に選ばれて張り切っていると澪さんも響子さんも考えてくれた。二人とも九校戦には詳しいから、その気持ちはわかるみたい。
九重寺の石段は上りにくい。学校の階段と違って一段一段高さや形が違って、小さな僕にはきつい。わざと上りにくくしているみたいな不便さだ。
見上げると山門はそれほど大きくなかった。地獄の入り口は広いって決まっているけれど、これがちょうど良いのか不足なのか、寺院の知識がかけらもない僕にはわからない。僕がえっちらほっちら石段をあがると、山門にお弟子さんが一人音もなく現れた。
軍服は個性をなくすけれど、僧形も個人の判別を難しくする。過去に二回、お弟子さんの数人とあっているけれど、その人だったのかな…?
お寺は山門から見える範囲はそれほど広く感じられない。丘の上なんだからこれくらいなのかな。僕はお寺に来るのも初めてだ。比較しようがないか。
お弟子さんに案内されて本堂じゃなくて、お坊さんが住む住居、僧坊っていうの?僧坊に向かう。
普通に玄関があって、大きな下駄箱もある。僕は一高の制服だから、学校指定の靴を脱いで下駄箱に入れようとしたら、沢山の草履や下駄、雪駄といった和風な履物の列にまじって、運動靴となぜか女性用のインラインスケート靴があった。運動靴とそれは並んでいた。
お弟子さんの後ろについて廊下を歩く。お弟子さんはすっすっと歩いて足音がしない。足音を出さないで歩くのは忍者だって『花の慶次』で天下一の傾奇者『前田慶次』が言っていたから、この人も忍びなんだろう。
僕はとてとて歩いて、そのたびぎぃぎぃ廊下がなった。
とあるふすまの前でお弟子さんが立ち止まると、お弟子さんが声をかけるより早く、中から声がした。お弟子さんが苦笑いをしている。
お弟子さんがすっとふすまを引いてくれて、中に入ると、薄暗い部屋の奥に、すこしだらしない雰囲気で胡坐座りの九重八雲さん。そして、
「あれ?達也くん、深雪さん。どうしてこんなところにいるの?」
きちんと正座をして、体ごと斜めになってこっちを見る二人。一人はいつもの通りの無表情。もう一人は絶世の驚き顔。
「こんなところ、はないだろう多治見君」
「おはようございます、達也くん、深雪さん。今日は水波ちゃんは?」
「水波は留守番している」
「おはよう、久。先生は久とお知り合いだったのですか」
深雪さんが僕ではなく八雲さんに尋ねた。
「ん、色々とあってね」
「僕にしてみたら二人が八雲さんとお知り合いの方がびっくりだよ。だって八雲さんってすごく胡散臭いし俗っぽいから、凛とした二人との接点がこれっぽっちも浮かばないよ?」
「確かに、胡散臭いし俗っぽいな」
「そう、ですね」
兄妹は否定しなかった。八雲さんががっくり肩を落とす。すごく演技臭い。それよりも三人は畳に座布団で座っているけれど、僕は立ったままだ。三人の顔が僕より下にあるって凄く変だな。
僕はどこに座れば良いんだろう。
「あぁ多治見君は僕の膝の上に…いっいや冗談だよ、そこに座ってくれるかい」
深雪さんの氷の視線が八雲さんに刺さった。そこ?八雲さんと兄妹の間の横に、いつの間にか座布団が置いてあった。達也くんも深雪さんも気がつかなかったみたいで感心している。
僕はとてとて座布団に向かう。…どう座ろう。僕は正座は苦手だ。出来ないといっても良い。そんな習慣がないから。達也くんも深雪さんも姿勢正しく正座している。綺麗な姿だな。それに比べて八雲さんは…
「あぁうん、好きな姿勢で座ってくれて良いんだよ」
僕は、ぺたんと女の子座りをする。これなら安定するし足もそんなには痺れない。僕はこのまま登校する予定なので一高の男子制服だけれど、たぶんどう見ても女の子の姿に見えるんだろうな。
八雲さんみたいに胡坐にしようか…
「駄目よ久!女の子はそんな格好しちゃ!」
深雪さんに怒られたから女の子座りのままで…ん?
「師匠?どうして久をここに?」
「うん、多治見君は九島家の関係者でもあるから、少しお話を聞けたらと思ってね。九島家の関係者で簡単に会話が出来るのは彼くらいだ」
「師匠?」
達也くんは八雲さんに体術を教わっているんだそうだ。二年生の7月にして初めて知った。
「そう言えば、久の前で体術の修行の話をしたことはなかったな」
達也くんとはクラスが違うし、帰宅時もほのかさんが積極的に話しかけているから意外と会話が少ない。達也くんは話しかけないと比較的無口になるし、僕と同じで時々考え込むから、特に雑談なんかが足りていないな。
達也くんがこのお寺に訪れたのは、匿名のメールでリークがあって、それの調査と確認を八雲さんにお願いしたんだって。
「リークのメール?」
「多治見君誰からだと思う」
「わかりません」
「藤林響子さんだ」
匿名なのになんでわかったんだろう?
「響子さんが?あぁここのところ悩みがあったみたいだから、誰にも相談できないようなことなら、誰かに押し付けちゃえって言ったけれど…それが達也くんに?ごめんなさい僕が悪いんです」
「なるほど…それは確かに迷惑ではあったが、内容が内容だけにいまさら放置はできない」
「内容は?…僕が聞いても良いのかな…?響子さんが黙っていたこと」
「九島烈が新兵器の実験を九校戦のクロスカントリーの舞台で行おうとしているんだよ」
八雲さんが、横からドヤ顔で言うけれど…
「ふぅん」
僕の返事は柳に風だ。
「…」
達也くんがいつも通りの無表情で沈黙。
「…」
深雪さんは怒りを押し隠した表情。
「…」
八雲さんはにやっと意味ありげに笑みをたたえて黙っていた。
僕の気のない返事に三人が三種類の表情で沈黙したけれど、僕、変なこと言ったかな?ちょっと考えて、
「高校生を実験に利用しちゃいけない?」
「何を言っているの久、いけないに決まっているでしょう!」
深雪さんが柳眉を逆立てて怒っている。
「多治見君、高校生が新兵器の性能実験に利用されるんだよ、計画をたてた九島烈は狂っているとしか思えないけれど?」
九重八雲さんがイケシャアシャアと偽善臭い事を言った。これはワザと言っていると直感する。
「新兵器って言ってもどんな兵器かわからないのに?それは殺傷力の高い兵器なの?ただの照明かも知れないじゃない」
「そっそれはそうだけれど」
深雪さんが口ごもる。深雪さんにしてはちょっと冷静さに欠けていると思うけれど、やっぱり生徒会副会長だからなのかなぁ。
「『P兵器』と言う符丁だけはわかっているんだけれどね」
『P兵器』。九島家の研究所にあった『パラサイト』を宿した人型ロボットだ。
八雲さんは符丁だけって言っているけれど、本当はもっと詳しく知っているのに、達也くんと深雪さんには黙っている。情報の独り占め?いや、違うな。
「なんでわざわざ九校戦で?九島家ならいくらでも人員を集められるでしょ?」
「国防軍も暇じゃないからねぇ」
深刻な顔で話しているけれど、その細い目は別だ。多くの事を知っているのに隠している。達也くんと深雪さんをミスリードしようとしている。
実験なら国防軍じゃなくても民間人でも、九島家の工作兵でも良いはずだ。烈くんの実力ならその程度の事は簡単なはず。そのほうが安全だし確実だ。なのに、わざわざ九校戦で実験をしようとしている。情報漏えいの危険を増やしてまで。漏えいじゃなくて、ワザと流しているんだ。
響子さんが達也くんにリークするのは、僕がお先棒を担いでしまった結果になったけれど、予定通りなんだな。
雇った工作兵と九校戦の違いは…
「それにしても八雲さんは世事には関わらないって言っていたのに、ずいぶんと積極的ですね。忍びのかたわらで正義の味方もやっているんですか?」
「達也くんに頼まれたし、九島家とは色々とあるしね」
「神様だって願い事を聞くのにはお賽銭を要求するよ。ボランティアなんてうそ臭いな」
八雲さんの細い目は、これまでで一番胡乱な目だ。怪しい笑みを浮かべている。
会話がふっと止まって、部屋が静かになる。達也くんが当たり前のことを聞いてきた。
「久、普通は高校生が実験相手に選ばれれば怒ると思うが?」
「達也くんもあまり怒っているようには見えないけれど?」
達也くんがむっと唸った。達也くんが怒るのは深雪さんに害をなそうとする相手がいた場合だけだ。僕と八雲さんはある程度わかっているけれど、達也くんは現時点では新兵器の全容が不明だから怒れないんだろうな。
ああ、そうか。たぶん、烈くんは達也くんと『P兵器』を闘わせたいんだ。
その理由まではわからないけれど、八雲さんもその事に気がついている。知っていて達也くんに全部教えないで『P兵器』と闘わせる方向に導いている。
精神支配を受けている『P兵器』は、命令がない限りクロスカントリーで生徒を襲わないはずだ。
八雲さんは、何か隠している…そもそも、現時点では『P兵器』は達也くんの敵にならない。九島家の研究所にいた『P兵器』の『パラサイト』は四つに分けられていて、弱かった。
あれをさらに10体以上分けるなんて、弱体化するだけだ。研究員が弱体化しない方法を…もしかして光宣くんが古式の術者を生け捕りにしたのはそのため?光宣くんは九島家の思想にどっぷり漬かっているから、これは九島家全体の策謀だ。響子さんは、優しいから高校生が巻き込まれることを悩んでいたんだ。大したことじゃないのに。
でも、それだけでも足りない気がする。何かもうひとつピースがありそうだ。八雲さんは、その別の思惑が介入することを知っているんだ。八雲さんは達也くんの純粋な味方じゃなさそうだ。八雲さんも自分の思惑で動いている。
僕は達也くんのことを実は全然知らない。頭の滅茶苦茶良い、魔法が苦手な天才的エンジニア。それも、学校や九校戦のレベルまで。横浜の騒乱で『神』のごとき輝きを放っていたけれど、軍人として、『魔法師』として本気を出した達也くんについては、まったく知らない。
烈くんは、知っているんだな。僕が八雲さんをじっと見つめると、八雲さんはわざとらしく視線を逸らした。これはクロだ。
八雲さんも、達也くんが『P兵器』と闘う姿を見たいんだ。自分は対岸で疑われずに、協力者を気取りながら『本気』の達也くんを見たいんだ。
あらゆる情報を集めるのが忍びなら、達也くんは何が何でも知りたい情報のはずだ。
そのことを僕が、八雲さんに問い詰めようとしたタイミングで…
「久はどうして怒らないの?自分の通っている学校の生徒に危険が及ぶかもしれないのよ」
深雪さんは本気で怒っているみたいだ。達也くんと同じ質問をしてくる。でもこの議論はたぶん噛み合わないと思うな。
「九校戦がたまたま実験に選ばれただけだよ深雪さん。それは僕だって友人が傷つけられるのは嫌だけれど」
「でも」
「深雪さん。僕にはね、物凄い『力』がある」
ぐらっ。部屋が揺れた。地震。違う。薄暗い室内で僕の瞳が薄紫の燐光を漏らす。
「それこそ、文明を破壊する力だ」
さらに揺れる。壁に亀裂が走った。瓦が落下して割れる音が、屋外からお弟子さんたちの声が聞こえる。九重寺のある丘が、街そのものが揺れている。
達也くんがすっと深雪さんをかばうように移動した。いつもひょうひょうとしている八雲さんの顔にも汗がにじんでいる。
僕から放たれている圧力は狭い部屋を押しつぶすほどだ。空間が悲鳴を上げている。『戦略魔法師』の澪さんの圧力を遥かに超える『高位次元体』のプレッシャー。深雪さんの顔面が蒼白だ。
「僕はね、三歳のときに研究所に入った。それからの7年間、僕はただの実験動物だった。ちがうな、動物だってもっと優しくされるだろうから、ただの人形だ。
全身を切り刻まれたし、血を抜かれたし、色んな薬をうたれたよ。麻酔が効かないからそりゃもう痛くてね。
特に後期はひどかったね。目玉をえぐられたり、ハンマーで内臓を潰されたりしたよ。でも僕はいいんだ。他に選択肢がなかったけれど僕自身が選んだ結果なんだから」
鳴動は止んでいる。お寺も丘もすでに揺れていない。でも、僕を中心に空気が、空間が、どくんどくんと脈をうっている。室内がねっとりとした透明な液体に沈んでいるような息苦しさ。僕以外の三人は呼吸が苦しそうだ。
「…先生」
「ん、おそらく事実だよ。当時のあの研究所の酷さは、重要な関係資料や建物が全て処分されたことからもわかる。ただ…そこまで酷かったとはね」
僕のありえない告白に深雪さんが八雲さんに尋ねる。達也くんは無表情のままだけれど、深雪さんを僕からかばう位置からは動いていない。でもその目には、同情とは違う…境遇の共通点、共感に近いものがある。
「でも、弟や妹たちが実験動物にされたのは許せないよ。弟たちは『本当に』三歳以下の幼児だったんだよ。緊迫した時代だったら幼児を実験の材料にしてもいいの?
その弟たちが実験動物にされていたことに気づかなかった自分も許せない!気がついた後も、はむかうことすら出来ないほど洗脳されていた自分が許せないよ!弟たちが失敗の烙印を押されて、敵に特攻攻撃して全員自爆死させられたことも許せない。この国を守るために死んだのに、この国はその後も同じ研究を続けた!そのことも悲しい。嫌いなのにこの国を守りたいって考えてしまう。僕たちが命をかけて守ったんだから。それも嫌いだ」
僕は何を言っているのかな。
「烈くんが何をしようとしているかはわからない。でも私利私欲じゃないことは、僕にはよくわかる。結果的にこの国の『魔法師』のためになるって考えているんだと思う。
高校生が狙われたから怒る。怒るよそりゃ。怒っても、怒るだけじゃ、弟たちは誰も助からなかったよ」
僕の声は涙声だ。自分で何を言っているのか良くわからない。
「僕には力があるけれど、万能じゃない。偏っている。能力も精神も偏っている。7年間毎日痛い目にあって、精神が歪まなかったら人間じゃないよね。
僕は人間じゃないのかも知れないから、もともと狂っているのかも。でも、神様じゃない。お賽銭積まれたって、出来ない事の方が多いよ。
友人を守る。できればそうしたい。でも、テロリスト、犯罪組織、外国、十師族、魔法師、いろんな人たちがそれぞれの思惑で動いているよ。そのたびに巻き込まれる皆を守れるほど僕は優秀じゃない。
僕は頭だってよくないから、事前にどんな組織が動いているかとか全くわかんない。僕に出来ることは、自分と『家族』を守ることだけ。もしくは、僕や『家族』に手を出したら只じゃすまないってアピールし続けることだよ」
部屋に満ちていた圧迫感は消えている。僕は膝頭をぎゅっと掴んでうつむいている。
それはただ不安におびえる子供の姿だ。
「その『家族』すら守る自信がない…僕は偏っている。偏りすぎで、侮られて狙われて、まわりに迷惑をかけて…力を持っていてもままならなくて、情けなくて…」
この世界に、僕の存在は本当にイレギュラーだ。山の中で一人暮らせばいいんだろうけれど、僕は引きこもりの癖に寂しがりやだし。本当にイビツでチグハグだ…
僕はふぅって息を吐いた。何だか溜まっていたものを一気に吐き出した感じだ。少しすっきりしたけれど…うっ、うう…涙が…いや、だめだ、泣かないぞ。自分のした事の責任は自分で取らなきゃいけないんだ。正義なんてないけれど、それも自分で証明しなくちゃいけないんだ。
僕は黒曜石の瞳に涙を浮かべて、俯いていた視線を上げる。達也くんと深雪さん。八雲さんもさっきまでのだらしない雰囲気はなくなっている。
僕は壁に走る無数の亀裂を見ながら、
「八雲さん、情報は交換するってこの前会った時に僕が言ったよね」
「もちろん、覚えているよ。教えてくれるのかい」
僕はリニアの個室での会話を思い出す。えぇと、
「命をかけた情報だよ…響子さんと澪さんのスリーサイズは…」
八雲さんがものすごい勢いで立ち上がった。顔が、綺麗に剃りあげた頭まで真っ赤になっている。
「あぁああああ!ちっ違うでしょ!多治見君!そっちじゃなくて『P兵器』についてのほうでっ!!」
大汗かいて、がに股で両手をぶんぶん振って、ひどく漫画チックな動きだ。この部屋の空気をかえようとしてくれているんだね。八雲さんは大人だなぁ。
「えぇとそうだったっけ?リニアで最後にそう言ったような…」
僕は色々と間違っているなぁ、反省。
さっきまでの悲痛な空気が部屋から完全に払拭された。
あれ?達也くんと深雪さんの鋭い視線が八雲さんを貫いている。二人の八雲さんに対する評価が一気に土砂崩れしたみたいだ。どうしたんだろう。
八雲さんは兄妹の非難の針のむしろになっている。逆に、場の空気が漂白したけれど、
「『精神支配』は絶対だ…」
僕の低い呟きに、一転、場の空気は張り詰めた。僕の声も、いつもとは違う。低く沈痛な、聞く者の哀れを誘う声。僕の心からの声だ。
「『精神支配』の暗示は消えない。たとえ何十年かかっても…『精神』は開放されない」
僕の言葉の意味を達也くんと深雪さんは理解できなかったみたいだけれど、八雲さんからは術者の妖気みたいなものがあふれ出した。これまでの飄々とした雰囲気は消えている。本性を現したような、不気味な貫禄だ。
『パラサイト』も僕も『高位次元体』だ。僕は自分のことを語っている。
「絶対服従の暗示は全てを上回る…消すことはできない…けれど」
「若い今なら…狂わすことは出来る、と。なるほど」
僕は頷いた。僕の絶対服従は7年かけて毎日行われた。もう、精神の一部になってしまって消すことはできない。でも、生まれたてに近い『パラサイト』なら上書きすることで惑わすことができるかも。そして狂化することも。狂化した『パラサイト』がどれだけ強くなるかはわからないけれど…
ふぅ、僕はもう一度息をはいて、僕の告白を聞いて蒼白になっている深雪さんと、警戒感は薄れたけれど深雪さんを庇う体勢のままの達也くんに目を向けた。
「ねぇ、達也くん、深雪さん」
「なんだ?」
「僕は、ものすごく不安定だ。いつか崩壊するかもしれない。もし、僕の精神が崩壊したら、ためらわずに殺して欲しいんだ。二人の『魔法』なら、僕を殺せる。二人にしか僕は殺せない…」
「…」
達也くんは返事をしない。深雪さんは達也くんに寄り添ったままだ。
「殺人を肯定しておいて自分が殺されるのを拒否するのはエゴだよね。でも、僕が狂ったら最初に僕が殺すのは『家族』になると思う…それだけは、恐ろしい」
『家族』を守りたいと思う僕が『家族』を殺す…考えるだけで、精神が崩壊しそうだ。
二人のあの神のごとき光を放つ『魔法』、『人が作りし神』の一撃は僕を消滅させられる。
「今、この場で殺してくれても構わないよ。僕は今だって壊れているから」
「…」
達也くんの返事はない…か。
僕は不器用に立ち上がると、
「今日は変なこと口走っちゃってごめんなさい。じゃぁ、深雪さん教室で。達也くんも氷倒しの練習で。実はこっそり特訓してきた技をついに教えられるかと思うとどきどきしちゃうんだけれどね」
にっこりと兄妹に笑いかける。八雲さんにも頭を下げる。そして、
「ああ、こざさの羊羹はここで食べずに持って帰りますから、お土産分も含めて、ください」
「あっ、うん、やっぱり覚えていたんだね」
僕は美味しい物のことは絶対に忘れない。僕が立ち上がったとき「よし」って表情していたのを僕は見過ごさなかったよ。僕の動体視力は凄いんだから。
「こざさの羊羹?」
「あぁ、早朝限定の行列のできるってお店の」
達也くんは知らないみたいだけれど、深雪さんはぽんっと手を叩いて、興味を持ったみたいだ。
「八雲さん、深雪さんにも出してあげてください。八雲さんが自分用に確保しているであろう分を」
「うぐっ!なっ、なぜそれを…わかったよ」
八雲さんの身体ががっくり一回り縮んだ気がした。
僕はもう一度頭をさげると、いつも通りとてとて歩き出す。無作法だからそのままふすまを開けて廊下に出ようとする。その僕の背中にむかって、
「久、永続的な『魔法』はない。『精神支配』も、だ」
達也くんがはっきりと言ってくれた。僕は一度足をとめて、
「うん、ありがとう」
振り返らずに、とてとてと歩き出す。廊下がぎしぎし音をたてる。
羊羹二本を玄関で受け取って、手提げかばんに入れる。
僕の『精神支配』は『魔法』じゃない。『魔法』が未熟だった時代の催眠術を応用した脳への記憶の刷り込みだ。僕は一度覚えたことは忘れない。僕の脳に記憶があるかぎり刷り込みは残る。
でも、そうか『現代魔法』を使った『精神支配』は永続はしないんだ。
僕の『精神支配』は『家族』への思慕や奉仕の思いにもつながっている。もはや僕の一部だ。
狂ったりしないで欲しい。でも、達也くんに殺されると考えると、妙なぞくぞく感が湧き上がってくる。我ながら精神は壊れていると実感する。
境内では、お弟子さんたちが地震後の片付けをしていた。
僕は不ぞろいの石段を転げ落ちないよう慎重に降りていく。
今日も、学校頑張ろう。
学校に通うことが僕の望みのひとつだったんだから。
久の過去を知っている登場人物はこれまで烈しかいませんでした。
八雲も、当時戦場で噂になっていた『紫色の目の少年』の話を先代から聞いているだけです。
この話のあと、達也は久に共感に似た感情を抱きます。
あまり関わりのなかった二人が行動を共にする機会が増えるきっかけになる…はずですが、
単独行動を好む達也と引きこもりの久。なかなか一緒に暗躍できないんですよね。
久は達也の能力を全く知りません。横浜の騒動のときも、パラサイトのときも、達也が本気で闘っている姿を見ていません。これは意図的にタイミングをずらしています。
物質を消滅させる魔法を使う現場は二回見ていますが、似たような『能力』は自分にもあるのであまり疑問に思っていません。
それよりも、神々しいサイオンをまとった姿に『神』を見ています。
『神』である達也が誰かに負けるなんて、まったく思っていません。
P兵器も達也にどうせ返り討ちにあうんだろうなぁと、漠然と考えています。
深雪は『精神を凍らせる魔法』は恐怖ですが、それ以外は優秀な魔法師くらいに考えています。ただ、深雪は達也の一部、意識のつながった同じ存在と考えて尊敬しています。
久が達也の真の能力を知るのは、もっと先、具体的には二年生の12月31日、大晦日。
これはこのSS連載前から考えていたことなのです。
先は長いなぁ…がんばります。
お読みいただきありがとうございました。