四葉家から帰るとき、僕はふわふわしていた。地に足がつかず、まるで酩酊状態みたいになっていた。酔ったことはないから想像だけれど…
でも、温泉に長いこと入っていて湯当たりで体調不良になったにしては、頭の中の一部分は妙に冴えている。まるでテスト前日に徹夜して一気に頭に知識を詰め込んだみたいな、妙な冴え。でも、気のせいかたった一日で頭が良くなったような気がする。そんな都合のいいことありっこないよねぇ。
その冴えが何なのかはわからないけれど、朝目覚めてから四葉家にいる間は『真夜お母様』が、僕を柔らかいソファに寝かせて、膝枕しながら団扇で軽く風を送り続けてくれていた。こんな優しい母親が他にいるだろうか。僕は感動に身体が打ち震えて、体調不良なのか幸福感なのかわからない酩酊状態…
達也くんと深雪さんは良いなぁ。こんな素敵な女性が親戚で。僕はあくまでも他人だから達也くんたちが羨ましくてしかたがない。でも、生き方を比べちゃ駄目さ~♪と『熱血最強ゴウザウラー』の歌詞にもある。僕は僕で出来ることをひとつずつこなしていこうと思う。
夕方前には練馬の自宅に戻ってきた。僕は、四葉家で綺麗に洗濯されていた制服から、いつものパジャマに着替えるとソファに座ってぼぅっとしていた。『真夜お母様』に抱かれた多幸感が全身に残っている。だけど、けだるい。これまで体験したことのない、よくわからない体調だ。
何気なくテレビをつけると、過去の九校戦の特集が放送されていた。『魔法師』と魔法競技は思ったより世間に受け入れられているようだ。『魔法師』排斥運動なんてものがあるけれど、テレビ局はそんな運動とは別に、CGではないリアルの『魔法師』の派手な映像をまとめていた。響子さんの高校時代の映像が映っている。響子さんも高校では大活躍だったんだ。『電子の魔女』としてではなく、優秀な『魔法師』の響子さんは新鮮だ。若い…いや今も若いよ、うん、可愛いなぁ。特集は三連覇の一高の情報に移った。十文字先輩や真由美さん、去年のダイジェストの深雪さんの映像に、僕の姿もちらっっと。
九校戦は『真夜お母様』も観ていてくれるから、がんばらないと。
でも十師族の横槍か…決勝で事件が起きるんだろう。何が起きるのか、僕には未来予知は出来ないけれど、『真夜お母様』のこれまでの予測は外れたことはない。用心しないと…
テレビを見終わって、九校戦以前に勉強しなくちゃ…これ以上恥ずかしい成績では、澪さんにも響子さんにも友人たちやお母様に失礼だ。
ソファから立ち上がろうとするけれど、だるい…お腹もすいたし、喉も渇いた。
料理はする気力がない。去年買い溜めしておいて、今は非常用に備蓄している栄養ジェルが台所の床下に大量にある。あれでも飲んでおこうか…
立ち上がるのが辛い。でも『真夜お母様』のことを考えると少し落ち着く気がする。僕は右手の指輪をぼうっと見つめる。えへへ幸せだ。
夜20時ころ、響子さんが帰ってきたとき、僕はリビングの照明もつけず、電源を落としたテレビの黒い画面を焦点の合わない目で見ていた。
暗闇に人形のように動かないで座っている僕は、少し奇妙で猟奇的な姿だったらしく、響子さんも一瞬驚いていた。
「ちょっと長風呂して湯当たりしちゃったんだ…」
僕の下手な言い訳も響子さんは疑わなかった。響子さんもまだ悩みから抜け出していないみたいだ。僕の額に白い手を当てると微熱があったみたい。
水分はとったかと聞かれ、とっていないと答える。響子さんに水分をたっぷり摂るように言われ、ごくごく水を飲んだら、少し落ち着いた。たしかに脱水状態だったみたいだ。こう言うとき軍属の響子さんはすごく頼りになるお姉さんだ。
脱水状態は澪さんには内緒にしてもらうことにして、夜、僕たちは一緒に寝る。澪さんがいない、響子さんと二人きりで寝るのも実は珍しい。澪さんが家にいない日なんて殆ど無いから。
ベッドに横になりながら、僕はいつも通り目だけ瞑って一晩、『回復』を働かせる。
隣の響子さんも目は瞑っているけれど、眠れないで寝返りをうっている。ふっと、お互いが向かい合った瞬間、二人のまぶたが開いて、暗闇の中目が合った。
「響子さん、心配事や悩み事があったら言ってね。僕じゃ頼りないから、僕以外で誰でもいいし…何なら面倒は押し付けちゃうとかさ」
僕はにっこりと笑いかけた。
「…ええ、ありがとう久君」
響子さんの悩みがなにかはわからないけれど、ちょっと思いついたことがあるみたいだ。寝返りをうつのをやめて、やがて寝息を立て始めた。
僕は朝までの時間、起きている。澪さんがいるときもそうだけれど、誰かと一緒にいるのに一人の時間。その間色々なことを考えているけれど、ほとんど覚えていない。僕の記憶力は頼りない。僕は響子さんの寝顔や天井を見つめながら、昨日、お風呂から目覚めるまでの間のことを考えた。やっぱり何も思い出せなかった。
寝言を言っていたような気がするけれど…?
季節は夏に向かっているから夜が短い。5時、部屋が明るくなって僕はベッドから起きると、響子さんに布団をかけ直して、台所に向かう。
昨日、『真夜お母様』と軽く朝食をご一緒してからは何も食べていないな。朝食も体調不良でちょっとだったし。
『回復』は『高位次元』からのエネルギーで出来る。でも、人間は固形物で栄養を補給しなくては、脳と肉体のバランスを失ってしまう。
健全な精神は健全な肉体に宿る、だ。
ん?昨日もそんな事言っていたような…寝言でそんな事言うかな?
月曜日、いつも通り学校に登校する。
ゆっくり歩いて登校したので授業開始ぎりぎりになってしまった。すこし足元がふらふらしている。
「久、体調が悪いの?」
隣の席の深雪さんが心配してくれる。
「うっうん、そんなに酷くないんだ。長風呂してたら湯当たりしちゃって…えへへ」
「苦しかったら保健室で休んでいた方が良いよ」
ほのかさんも言ってくれる。試験前だからちゃんと授業うけないと。
「平気だよ、これくらいの不調は『起きていれば』治るから」
「?」
僕の奇妙な台詞に雫さんが首をひねる。
身体がまだ重いけれど、授業中もどんどん『回復』している…
放課後の一高にニュースが広まっていた。九校戦の競技が変更になったんだって。
耳の早い料理部の部長が友人から情報を仕入れて、料理部でもその話題でもちきりになった。参加競技のない料理部でもこう盛り上がるんだから、スポーツ系の部活は大変だろうな。
『真夜お母様』が言っていたことはこれだったんだ。
とりあえず『アイス・ピラーズ・ブレイク』は残っているけれど、僕は選ばれるかな?そもそも選ばれなければ、実力は発揮できない。
放課後、いつものメンバーが校門に集合。駅までの短い通学路だけれど、僕の足取りはまだ重い。達也くんはペースを落として歩いてくれる。香澄さんはのろのろ歩く僕に何も言わなかった。完全に無視することにしたみたいで、僕が話しかけようとすると顔を赤くして大げさにそっぽを向いて、そっぽを向いた自分に腹を立てている…
幹比古くんの提案で喫茶店に寄っていく事になった。幹比古くんが喫茶店に誘うなんて珍しいな。喫茶店前までは七草の双子もいたんだけれど、香澄さんが帰宅を選んだので泉美さんも帰る事になった。泉美さんは残念そう。香澄さんはまったく僕に目を向けず、さっさと逃げるように行ってしまった。完全に嫌われてしまったみたいだ。
明日からは、部活に行くとき水波ちゃんを教室まで迎えに行くのはやめにしよう。そう言ったら水波ちゃんも事情を察して了承してくれた。すごくほっとしているけど何でだろう?
喫茶店では九校戦の新競技の話題が当然中心になった。
アイス・ピラーズ・ブレイクとミラージ・バット、モノリス・コードはそのままで、
ロアー・アンド・ガンナー、シールド・ダウン、スティープルチェース・クロスカントリーが新競技に加わる。
氷倒しもソロとペアがあって、今回はクロスカントリー以外の種目とは重複出場できないんだって。
みんながクロスカントリーの危険性について話し合っていた。
僕には疑問でしかない。
「ねぇその競技がどうして危険なの?森の中のアスレチックや行軍なんてレオくんや水波ちゃんは息も切らさずこなしてるでしょ」
「レオを基準にするのは間違っているよ久君」
幹比古くんが呆れる。
「学校の裏山のコースは決まっているからな。地図も経験もない森を分け入って進むのは案外難しいんだぞ」
「でも軍の施設の森ならちゃんと整備されているんじゃない?人死にがでるような危険な森は使わないよね」
「たとえ整備された雑木林でも罠や、魔法的な障害もあるんだから。しかも距離が長いから大変だよ」
このなかで山に詳しいのはレオくんと幹比古くんだ。
「ふぅん」
「ふぅんって、久も参加することになるんだよ」
雫さんは競技変更を最初に聞いたメンバーの一人だし、九校戦のマニアでもあるから、気のない僕に鋭く指摘した。
「僕が選手に選ばれたらの話だよね。三年生だっているんだし」
「一条選手と互角に勝負できるのは深雪か久君だけだから、間違いなく選ばれると思うけれど。ねぇ達也さん」
ほのかさんが達也くんに肩をさらにくっつけながら言う。僕の位置がテーブルの反対側だから、余計達也くんに密着して胸がたゆんってなった。達也くんは、無表情で頷いていた。すごいな。達也くんは異性に対して鈍感というより無関心。僕と近いところがある。僕は幼い精神からだけれど、達也くんは性格なのかな?それにしては無関心すぎる。
「また上位成績者に文句言われるのか…」
去年の成績上位者で選手に選ばれなかった生徒が試合当日まで陰口を言っていたことを僕は知っている。もちろん氷倒し第一試合以降は沈黙したけれど。今年は三年生もいるからなぁ。
「クロスカントリーは選手の2、3年生は全員参加することになる。過酷な競技だ。ドロップアウト、自信喪失や疲労からの魔法力喪失者もでるだろう」
「そんなに大変なんですか?」
ほのかさんが真剣におびえている。まさか達也くんにしがみつきたいからじゃないよね。
深雪さんも達也くんにくっつくくらい近くに座っているけれど、そこまではしない。深雪さんは、どうしてほのかさんに甘いのかな?
クロスカントリーは僕も参加することに?
それは、無理だろう。レオくんが簡単だって言う(簡単なのはレオくんだけだ)裏山のアスレチックコースだって、僕はスタート直後の池に、盛大に落っこちている。
整地されていない、踏み固められていない森の中なんてまともに歩けるわけがない。僕の筋力と体力はどうにも情けない。
『能力』を使えば別だけれど…
それにしても、魔法競技で自信喪失からドロップアウトする選手が出ることを、達也くんは真剣に考えているようだ。
過保護すぎなんじゃないかな。高校野球だってプロになれるのは一握りだし、夢をかなえたり希望の職種につけるのもごく一部だ。
魔法科高校に通っているからって、全員が魔法大学に進学できるわけじゃない。
そもそも、今だって、年に何人も退学していく生徒がいる。その生徒たちのケアは一切していない。その生徒だって一般人どころか、国家から見ても稀有な才能を持つ人材だろうに。
九校戦に参加する生徒は優秀だから、退学するような劣等生とは区別している…なんてこと達也くんが考えているとは思えない。
これはきっと、あーちゃん生徒会長が心配のあまり学校業務に手がつかなくなって、自由時間が奪われることを不安視しているんだな。
達也くんは、基本、深雪さんのことしか考えていない。もちろん冷血漢じゃないから友人たちの事は気にかけているけれど、積極的に自分から動くタイプじゃない。
もし、響子さんが同僚のよしみで、悩み事を達也くんに打ち明けたら、達也くんはどうするかな?
達也くんは、深雪さんとほのかさんに挟まれて、器用にコーヒーを飲んでいる。ほのかさんの胸がたゆんって揺れるけれど、無表情。たゆん。
その後も九校戦の話をした。達也くんが去年の決勝の反省と一条選手の特徴、というか欠点を教えてくれた。
確かに去年の一条くんは全試合一瞬で終わっていたから、達也くんのその戦術に、その場にいた全員がなるほどって頷いた。
僕も納得する。
でも、僕は『真夜お母様』の言葉を思い出していた。それで完勝して、判定はどうなるのかなと。
翌火曜日、九校戦に向けて一高が動き出した。具体的には生徒会と部活連による選手選考から各部への調整だ。
僕は、それよりも来週からの試験の方が重大だ。試験一週間前で今日からほとんどの部活が活動中止になる。その空いた施設で九校戦の模擬試合なんかも行われるんだけれど、とにかく勉強だ!
帰宅して、着替えと食事を済ませると、澪さんに家庭教師になってもらって集中して勉強をする。今日からはこれまでの復習をすることになっていたんだけれど…
あれ?妙にすらすらと解答できる。これまで必死に覚えようとして覚えられなかった魔法理論が何故かよどみなく答えられる。
澪さんも驚いているけれど、試しに、今回の試験範囲の模擬試験をしてみたら…あれ?なんかすごく良い点数だ。僕は覚えるのは苦手だけれど、一度覚えれば大概忘れないから、このままで行けば成績は飛躍的に向上するかも…
それでも慢心は危険なので、頑張って勉強をする。
その間、響子さんは自室に閉じこもっていた。あの電脳部屋で何をしているのかな…おっと集中しないと。
水曜日の放課後、九校戦の選手候補が準備棟の小会議室に集められた。ソロとペアがあるので練習相手の生徒も集められていた。
でも試験前なのにみんな余裕だよな…基本的に選手に選ばれるような生徒は、そもそも成績も優秀なのだ。
僕も、呼ばれたから会議室に行く。レオくんとエリカさんもいたけれど、いつもの口げんかを始めそうになって皆の注目を一瞬集めた。
水波ちゃんや七草の双子もいる。七宝琢磨くんの姿もある。森崎くんは…どこに…えぇと空気?森崎くんですら選ばれないなら、僕は練習相手の方かな。
全員の前に生徒会と部活連の首脳が並んで、参加選手の説明を始める。はんぞー先輩が代表選手を呼び上げている。
「アイス・ピラーズ・ブレイクの男子ソロは多治見久。女子ソロは司波深雪」
「あっ、はい」
呼び上げられたら返事をするんだった。深雪さんが「はい」って素敵な声で返事をした。氷倒しか…選ばれて少しほっとしている。
「ちょっといいか?服部!」
逞しい声で、沢木先輩が手を上げた。沢木先輩、桐原先輩と十三束くんはシールド・ダウンの選手に選ばれている。レオくんは練習相手になるんだって。
「どうした沢木」
「多治見君はシールド・ダウンにも向いているんじゃないか?マジックアーツ部の部長としても彼のセンスには興味があるんだが」
シールド・ダウン代表の三人は、4月の模擬戦の相手だ。その日、演習場にいた七宝琢磨くんも「ああ」って得心顔をしているし、模擬戦の噂を知っている生徒もいるみたいだ。でも、それ以外の生徒は怪訝な顔だ。
香澄さんも、他の一年生が僕のことを論評するたびに表情が曇っていく…一高の精鋭が集まる中でも沢木先輩は全国区での有名人。マジックアーツの選手としても、その見事な体格からも他を抜きん出ている。沢木先輩と僕、一高の体格最強と体格最弱。沢木先輩の意見は香澄さんの悩乱を招いているんだろうな。
「その意見は選手選考でもあったんだが…司波、説明してくれるか」
はんぞー先輩は見た目や評判で生徒を区別しない立派な人だ。僕のこともちゃんと認めてくれる一人でもある。ひょっとしたら十文字先輩になにか言われているのかも。
「久の魔法発動速度に勝てる『魔法師』は、現代にはいません」
達也くんが無表情で言った言葉を理解するのに一年生は少し時間がかかったみたいだ。
2、3年生は僕が深雪さんやリーナさんとの魔法実習を見学しているので、僕の魔法発動速度は誰もが知っている。
「アイス・ピラーズ・ブレイクとミラージ・バットでは、ほぼ敵なしです」
うん、氷倒しは早撃ちだから。ミラージ・バットでは『簡易擬似瞬間移動』を連続するだけで楽勝なんだって…ん?ミラージ・バットは女子オンリーの競技だよ達也くん。無表情でジョークを言うのは反則だよ!あまりに自然に言うから全員が何も疑問に感じていないよ!だったら僕のボケにも突っ込みを入れてよ!僕のボケに突っ込みを入れられるのは九重八雲さんだけじゃないんだ!達也くんが隠れアニメオタクだって事をみんなにばらす…ひゅぅ。うぐぅ、氷の女王が僕をひと睨み!すみません、なにも知りません。
「久の『魔法』ならシールド・ダウンでも、特にソロならば優勝は可能でしょう。沢木先輩と闘っても互角に渡り合えると思います」
会議場がざわついた。とくに僕のことをよく知らず見下すような態度をとる生徒が多い一年生は。
「沢木先輩は体重、パワー、体力で優位。特に格闘のセンスや経験は圧倒的に有利です」
格闘技で体重差は決定的な差だ。ボクシングで数グラムの差でも厳しく階級わけされているのはそのためだ。
「逆に、久の『魔法力』と発動スピード、それに常人の反応速度を超えた動体視力のアドバンテージは想像を絶します。シールド・ダウンだけでなく、ソロ競技ならどの種目でも優勝できますね」
達也くんが絶賛してくれている。物凄く嬉しいけれど、達也くんが人前でここまで褒めるなんて珍しい。これは褒め殺しだ。深雪さんの目に嫉妬が混じって、怖いです。背筋が凍ります…
そう。僕の魔法は、時に常人の反応速度を超える。その魔法を使っている間、僕には相手が見えている。つまり、僕の動体視力は人間のそれを超えているんだ。でも肉体の強度は…
「競技用のCADさえきちんと使いこなせば、ですが」
と、同級生と上級生の共通認識。この台詞は、もはや僕と言う『魔法師』を説明するのにお約束なので2、3年生にはお馴染みのやりとりだ。1年生で僕を知らない生徒はちょっと僕を見る目が変わる。香澄さんの目つきは変わらないから、僕は努めて香澄さんの視界から隠れる。レオくんの身体は逞しくて良いな。こそこそ。そんな僕の態度にますます苦虫噛み潰しな香澄さんなんだけれど…
「試合当日までは時間もあるし、それまでにはなんとかなるんじゃないかな」
「久の機械音痴が一ヶ月で直ることは断じてありません!」
断言された!
「同じ事を繰り返すだけでいいなら何とかなりますが、臨機応変となると無理です」
重ねて断言された!僕の機械音痴は『三次元化』の弊害のひとつなんだ、たぶん。虚弱とまではいかないまでも、肉体そのものが弱い。
「しかしなぁ」
沢木先輩が、しつこく食い下がった。体育会系の沢木先輩には珍しい態度だから三年生も戸惑い始めた。沢木先輩には4月の模擬戦での敗北がよっぽど印象深いんだろうな。試合用のCADで僕が複数の魔法を使いこなせない事は努力と根性で直せると考えているみたい。努力はともかく、根性はないから、無理だ。自分でも断言する!
「久は、しかし、それ以前にシールド・ダウンでは決定的な弱点があります」
「それは?」
「シールドが重くて、久では持てないからです」
「そんなに重いとは思わないんだが、なあレオくん」
「…そうですね」
沢木先輩が僕の隣に立っていたレオくんに声をかけた。レオくんも軽く頷く。
会議室の隅にシールド・ダウンで使用する盾のサンプルがひとつ置いてあった。跳び箱の踏切板くらいの大きさがある。
急ごしらえで形はこれから煮詰めるけれど、木製でぶつかっても壊れない、がっしりとした造りだ。5キログラム…いやもっとありそうだ…
二人を基準にするなって誰かの声が聞こえた。あれは僕でなくても手こずるよ。水波ちゃんは新人戦でシールド・ダウンの選手に選ばれたんだよね。小型化されるとは言えあの踏切板みたいな盾を持って走り回るんだよね。凄い膂力だよ。
「逆に、氷倒しで三高の一条選手に勝てる選手は、十文字先輩が卒業した今、久しかいません。どう思う久?」
達也くんが質問してきた。ん?ちょっと違和感があるな。こういう場では、達也くんは事務的に事を処理する。
友人しかいない場でならこの質問は特に疑問に思わなかったけれど、もうすでに決まっていることを、わざわざ僕に聞いてくるなんて、変だな。
喫茶店での会話もあったから、
「うっうん。達也くんが考えてくれた戦術があれば、今年は勝てると思う」
おおっ!と会議場がどよめいた。
でも、『真夜お母様』のご心配を、今は誰にも言えない。練習中、達也くんには告白するつもりだ。
一条くんに勝つには、誰の目にも明らかな圧倒的な勝利、もしくはインパクトが必要になる。
『戦略級魔法師』に匹敵する、インパクトのある『魔法』。
会議場での説明会と顔見せが終わっても、生徒会や委員会のメンバーはまだ用がある。部活はできないから、僕はさっさと帰宅して澪さんと遊ぶ…もとい、テスト勉強にしようかな。
帰宅組は僕とレオくんとエリカさん。
レオくんとエリカさんは肩を並べるでなく、微妙な距離感で歩く。嫌がっている割には、いつも一緒にいる気がするけれど、同じクラスだから行動が同じになるんだよね。運も実力って言うし…ん?違うな、縁は奇なものだったかな。
一高前駅で二人と別れて、キャビネットに乗ろうとしたとき、携帯端末が鳴った。
発信相手を確認する。匿名だ。知らない番号だけれど、間違い電話かな?用心して出ない事にする。
キャビネットに乗ってしばらくして、同じ番号からかかってきた。今度は切れない。さっさと出ろって呼び出し音に急かされているようで落ち着かないので、やむなく出る。
「こんにちは、多治見君」
「あなたのおかけになった電話番号は現在から使われなくなりますので、ご確認の上おかけ直さないでください」
「あぁぁ妙な言い回しで切らないで!」
僕は携帯端末をじぃーっと見つめた。切ってもまたかけ直してくるな…しかたがない。
「こんにちは、九重八雲さん、以前と番号が違いますね。あぁ、忍びの道は恋の道なんでしたよね」
以前、誘拐組織を襲撃するときに電話のやり取りがあったけれど、それ以来の電話だ。
「蛇の道は蛇っていいたいのかな…ああぁ、うん、用心のためにたびたび番号は変えているんだ。いきなりですまないね、謝るよ」
顔は見えないけど、絶対口だけだよなって確信する。
「それでね、少しお話があるんだよ。明日朝7時に僕のお寺まで来て欲しいんだ。ちょっとした驚きがあるよ」
驚き?何だろう。
「お寺ってどこですか」
端末にお寺の位置情報が送られてきた。地図にして表示したら、一高から10分くらい車で移動した距離に九重寺って、そのままのお寺があった。
「八雲さん…って、本当にお坊さんだったんですね!」
「う…うん。まぁ見えないってよく言われるよ」
落ち込んでいるのが電話でもわかる。これは本当だなって思う。
僕と八雲さんの間にある今の問題は九島家の『P兵器』のことだけだ。
正直言って、わざわざお寺に行く趣味もないし、その時間は澪さんと響子さんと一緒に朝食を作っている。
「頭を剃ったおっさんと、美女二人。八雲さんならどっちを選びますか」
「それは美女に決まって…あっいや、ほら僕は略式だけれど抹茶も点てられるから、美味しい和菓子を用意しておくからさ」
じゅるり。うっ、だめだ、僕の最大の弱点は食べ物に釣られることなんだ…
「僕の舌は肥えていますよ」
ハードルをあげる。
「もっもちろん、ちゃんとしたものを用意するから…」
「じゃあ吉祥寺のこざさの早朝限定の羊羹をお願いしますね」
「えぇ!?それは朝から行列しないと買えない…わかったよ。九重八雲の名にかけて、手に入れておくよ」
え?半分冗談だったんだけれど!
「えっ!すごい!八雲さんって、やっぱり凄い人だったんですね!僕、初めて八雲さんを尊敬したよ!出来れば澪さんたち用にお土産分も用意してください!」
「初めての尊敬がこれって…うっうん、わかったよ、じゃぁ待っているね」
消え行くような声で八雲さんは電話を切った。何となく、勝った気がした(笑)。
でも、朝の7時にってことは6時くらいに家を出ないといけない。そんな早朝に出かけたら美女二人に怪しまれるな…あっそうか、九校戦の代表に選ばれたから早朝から練習があるって言えば良いか。
わざわざ朝の7時に呼び出すって、なにか重要な用なんだろうな。それに驚きってなんだろ。
それよりも羊羹楽しみだな。朝から羊羹もどうかと思うけれど…?
朝から桜餅を食べて、一日体調不良になったことを思い出します(笑)。
四葉家で久は強制睡眠学習を受けています。
水波は1週間体調不良ですが、久は『回復』のおかげで数日ですみました。
前年は真由美の鶴の一声で選手に選ばれて、成績上位者の非難をあびていました。
これで心置きなく九校戦の練習にはげめるはずですが、事情を知らないので久は相変わらずです。
自分の成績が不振なことを物凄く気にしています。もっと自信を持てればいいのですが、精神の不安定さは『三次元化』の弊害のひとつです。
へんに自信家なキャラにするとただのチートキャラになってしまうので、このチグハグなところが久なのです。
それを見るとイライラするのが香澄さん。やがてイライラが…