パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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前話の揺り返しで、今度は久が酷い目に会います。ご注意を。
人を呪えば穴はいくつなんでしょうね。



劣等生

僕は料理部で部活をしている関係で帰宅時は水波ちゃんと一緒になることが多い。

水波ちゃんは達也くんと深雪さんを待っているので、校門で生徒会役員と風紀委員、他の部活をしているメンバーと待ち合わせをする。

二年生になって幽霊テニス部員だったエリカさんも剣道部のカケモチみたいな状態なので、

一高から駅前までの短い通学路は他のクラスの友人たちと一緒になる。

二年生のこれまでのメンバーに、水波ちゃん、泉美さん、香澄さんと、大所帯だ。

レオくんと美月さん以外のメンバーは四葉家、七草家、千葉家、吉田家。僕自身は天涯孤独だけれど世間では九島家と五輪家。中々剣呑な集団だと思う。

 

僕は魔法科高校に入学するまで学校に通ったことがなかった。

だからアニメやコミックスに出てくるやたら登場人物たちのテンションの高い学校イベントにちょっと憧れがある。文化祭や体育祭、修学旅行があれば情緒に波のある僕のテンションも波の頂点に達すること請け合いだ。

でも、魔法科高校には、そんなものがない。

九校戦と論文コンペ以外は、とにかく勉強、長期休暇中も宿題の山。その反動で多くが部活動に励むし、九校戦にはやたらと力を入れる。

学校でのイベントと言えば、一高には怪談話が多くあるそうだ。魔法実験の蓄積で人外の存在が学校の一部にこもっているとかなんとか。

 

駅前でキャビネットの順番待ちをするけれど、なにしろ大所帯なので、いつもならすぐ来るキャビネットが、その日に限って数分来なかった。

 

中学生くらいの女の子二人が僕たちに近づいてきた。恐る恐ると言うか、少し挙動不審だ。

一瞬、その場にいるほぼ全員(美月さん以外)が警戒する。女の子たちはちょっと驚いたけれど、僕の方を熱い目で見つめてきた。

 

「あっあの、多治見久さんですね」

 

「去年の九校戦見ました。私たちファンなんです!」

 

「あっありがとう…」

 

いきなりで驚いたけれど、僕の声を聞いて女の子はきゃーきゃー騒いでいる。

そういえば去年の九校戦のときも他校の生徒に囲まれた。女子より男子生徒の方が多かったけれど、その目が血走っていて怖かったイメージしかない。

九校戦は全国にテレビ中継されているから、一般の人も僕のことを知っている。魔法師は一般社会では畏怖される面が強い。常に『魔法』という武器を所持しているのだから当たり前だと思う。九校戦の新人戦では深雪さんが容姿実力ともにダントツで目立っていたけれど、僕もキャラ的にはそれに匹敵するくらいにインパクトがあった。

最近、この手のファンが増えた。もうすぐ今年の大会の概要が発表されるから、去年のダイジェスト番組でも見て話題に上がったのかな…

実は深雪さんも、ファンと思しき人たちに声をかけられそうになる。でも、神々しい容姿に一般人は気圧されるし、なにより達也くんが強固な壁となって、一般人を近づけない。

僕は見た目だけは弱弱しい。この女の子たちより腕っ節は負けるだろうから、比較的声をかけやすいみたいだ。去年の九校戦は僕は敗者なので、ファンと言われてもぴんとこない。僕よりも優勝した一条くんの方がかっこいいと思うけれど、こういう女の子たちの嗜好は男の娘の僕なのだ。これまでの奇行を知らない一般の女の子にはテレビでみかけた可愛い男の娘として、身近な動物園の小動物みたいに思えるんだろう。でも、一皮むけば、過去に数百万人もの一般市民を虚空に消し去り、殺戮に何の抵抗もない化け物なんだよ。そんな事言って脅したりしないけれど…

 

「今年も、応援しています!」

 

「頑張ってください!」

 

「ありがとう…」

 

一方的に告げると、女の子たちは走り去った。他人のペットの犬を触り飽きたみたいだ。僕は猫より犬だよな。

何となくだけれど、微妙な空気がキャビネット乗り場に満ちた。エリカさんがにやにやしているのは、おもしろいネタが近くにあるときの顔だ。エリカさんは確実に猫だよなぁ。

 

「人気者だな、久」

 

達也くんが無表情に言ったけれど…

 

「冗談じゃないよ…ただでさえ変に注目を浴びて困っているのに…僕自身は何も成し遂げていない劣等生なんだよ」

 

僕は狭い肩幅をさらに狭くして落ち込む。魔法師、ナンバーズ、十師族、企業、政治家。ここに一般人まで加わっては、僕は外出すらままならない。まぁ引きこもりだけど。

問題は、僕自身が公式の場できちんと実力を発揮していないで、評判だけが一人歩きしているところだ。

 

「意外ですね、久先輩は、モテルンデスネ」

 

なぜかジト目の香澄さんが抑揚のない台詞を僕を見下ろしながら言う。このメンバーで僕が一番背が低いし、香澄さんの僕の評価はもっと低いと思うんだ。こういうことがあるとすごく嫌味を言われる。特にこの前のお食事会からは…嫌われているのかもしれない。しょんぼり。

 

「冗談じゃないよ…」

 

僕はさらに落ち込んだ。

 

 

 

一高では、教師はまったく姿が見えない。僕の教師に対する不信感はいまだに根強い。

警察に対しても不信感は残っている。

去年、僕が誘拐されたときの犯人も、僕と八雲さんが壊滅させたとは言え、手がかりなし。『パラサイト』のときも犯人どころか『吸血鬼』さわぎの原因すらつかめていないのかも。

十師族やナンバーズが自分たちの手で事件を解決しようとするのも、警察の捜査の足を引っ張っているのだろうし、十師族は自分たちでも事件を起こしたりしている。

自宅周辺の警察官は顔見知りだし、エリカさんのお兄さんも警察官だからあまり悪くは言いたくないけれど、自分たちの身は自分たちで守るのが、十師族の、広くは魔法師界の原則だ。

 

僕も、魔法師界にそこそこ顔が知れていて、警護の意識もそれなりに高くなっている。世間から見れば僕も十師族の端くれだから、特に一人のときは注意が必要だ。

元日の九島家の会に参加してからは魔法師界以外の権力者も手を伸ばしてきていたけれど、お見合い写真は十文字先輩の働きかけのおかげで激減した。

そして、何故かこの前の七草家のお食事会に参加してからは、お見合い写真の類が全く来なくなった。

どうしてだろうって澪さんと響子さんに尋ねると、

 

「どうしてでしょうねぇ!ぷんぷん」

 

「どうしてでしょうねぇ…にやにや」

 

と、よくわからない反応が返ってくる。

 

皆と別れてからそんな事を思い出しつつ最寄の駅まで移動。いつもどおり自宅近くまでのキャビネットに乗り換えようと乗り場でキャビネットが来るのを待っていた。

ここは以前、レオくんとチンピラたちと喧嘩をした場所だ。

6月半ば、寒冷化で梅雨が曖昧なこの時代、どんよりと曇るけれど大雨はあまり降らない。今日も雲の隙間から弱い光が差し込んでいる。なんとなく気分も空気も沈みがちになる。試験も近いからなおさらだ。

夕方5時。この時間はこのあたりは住宅街で人目もあるし、警察もいるから比較的安全な場所だ。

パトロール中の警官と目が会い挨拶をする。警察への不信感はあるけれど、駅前の警察官は一高出身者だし、『魔法師』でもあるから、僕をみかけると気さくに挨拶をしてくれる。

 

 

安全な場所だけれど、駅前の交番と自宅の澪さんの警護の隙間でもある。

さっきの一高駅前でのやりとりで、僕の警護意識も少し緩んでいた。もともと僕の集中なんて長続きしないんだけれど…

 

 

ふと、キャビネット乗り場の反対側に、一人の女性が立っているのが見えた。身動きしないで、僕の方をじっと見ている。

またさっきみたいなファンかな…?

 

女性は、見覚えがあった。見覚えがあるというより、僕の一番身近な女性。

 

「あれ?澪さん?」

 

澪さんが立っている。電動車いすは最近は使っていないけれど、外出するときは必ず警護の人が念のために折りたたんで持っている。

その警護の人がいない。

澪さんだけが、所在なげにたたずんでいる。夕暮れにはまだ早いけれど、どこかぼんやりとうす暗闇に沈んでいる。

 

「澪さん?」

 

と声をかけたけれど、澪さんは聞こえなかったのか、踵を返すと、ゆっくり歩き始めた。とぼとぼと華奢な後姿だ。どこか哀れを誘う…あんな歩き方だったかな…疑問に思うけれど、僕が澪さんを見間違えるわけがない。

 

「ねぇ、澪さん?」

 

僕は、澪さんを追って走り出した。それはとくに目立つ光景じゃなかったので、周囲の人たちも特に疑問には思わなかったみたいだ。

なんで澪さんは僕を無視するんだろう。僕の声が聞こえにくいのかな。そりゃ僕はあまり声は大きくないけど、『小松未可子』さんの設定で男の娘だから、聞こえないわけがない。

澪さんは僕の駆ける速度よりも速く歩いている。追いつかないし、声が聞こえない距離じゃない。

僕は、やがて必死に追い始める。澪さんは僕と同じ距離を保ちながら歩いている。

 

 

おかしいなと思うけれど、『僕の一番大事な女性』に絶対に追いつかなくちゃって、脳内の誰かが言っている。

 

脳の中の誰か?これは、以前にもどこかで…澪さんが角をまがる。見えなくなる。追いかけなくちゃ!

疑問は、すぐに考えなくなった。僕はひとつに意識が向くと、他を考えなくなるけれど、これはおかしい…おかしいけれど、

 

「澪さん、待ってよ!」

 

僕は泣きそうな声で叫ぶ。澪さんはそれも無視して閉鎖されているビルに入っていった。立ち入り禁止の柵の隙間を器用にすり抜ける澪さん。あの数センチの隙間をどうやって?まるで学校に現れると言う幽霊だ。

僕が柵を乗り越えているうちにもビルの階段を上がっていく。

 

あれ?おんなじ様なことが一年前にもあったような…?

たしか、僕を勧誘に来た企業のお姉さんと社長がいて、僕を建設中のビルに…

 

今回は、解体作業前のビル?

僕は置いてけぼりをくらった子供のようにふらふらと、導かれるままに階段を登る。

澪さんが三階にある半開きのドアの隙間に消えた。三階に駆け上がっただけで息が切れそうだけれど、元はオフィスだったと思しき部屋に僕も飛び込んだ。

 

「ぐぁがっ!」

 

ドアを潜り抜けた僕の真横から、いきなり底の分厚いブーツが飛んできた。僕の無抵抗の横腹を直撃する。体重の乗った蹴りは、軽い僕を吹っ飛ばした。手に持っていたかばんを手放して、僕はごろごろと転がる。放置されたままのオフィスデスクにぶつかってとまったけれど、痛みよりも僕の頭の中は澪さんのことしか考えられない。

 

ぼぅとした意識の中で放置されたオフィスを見回す。ビルの半フロアくらいある広いオフィスにはデスクやチェア、ロッカーなんかがそのまま乱雑に置かれていた。入り口近くはスペースが出来ていて、そのまわりにチェアや備品のはいったダンボールがばらばらに積まれている。照明はついていないけれど、広々とした窓から夕方の日差しが、どこかさびしく室内を照らしていた。

 

ドアの横に立っていた男が僕に向かって歩いてくる。高校生くらいかな。身なりが良いけれど、その表情にはどこか険がある。

 

「澪さんは…」

 

僕がその男に尋ねると、いきなりお腹を蹴り飛ばされた。背中のデスクに挟まれて後頭部をうつ。

何が起きているのか全然理解できない。ただ、僕の頭の中には澪さんのことしかない。

 

男の両腕が伸びてきて、一校制服の襟元をつかむ。僕はずるずると引きずられるように持ち上げられた。足が宙に浮き、目の前に男の顔がある。

 

「こんにちは、多治見久君」

 

僕は襟元をしめられ呼吸が苦しいし、蹴られた箇所が痛いけれど、目の前の男は全く眼中にない。オフィスにいるであろう澪さんを視線だけで探す。

 

「俺の顔をみてピンと来ないか?あぁ?」

 

来るわけない、息が出来ないし、澪さんを探さなくちゃいけないんだ。

 

「俺はな、養子にだされたが、本名は名波、かつては七海といったナンバーズだ。俺には兄がいてなぁ…ちょうど一年前に経営する会社の社員と共に行方不明になったんだ」

 

男は僕が聞いてもいないのに語り始める。

 

「この一年、色々と調べたが。どうもお前に一高に会いに行ったあと兄貴は行方不明になったみたいだな。お前は、一高では実力を隠しているが、魔法力は過去最高なうえに本当は上級生三人を瞬殺できるくらい優秀な戦闘能力なんだってな」

 

上級生?十三束くんは同級生だよ。それより息が苦しい。澪さんはどこ…?

 

「しかも、七草家の連中とつるんでいるそうだな。自宅に招かれて、七草の娘と『お見合い』するくらいになっ!」

 

何を言っているのか良くわからない。

男は僕の襟首をぱっと放した。僕はそのまま糸の切れた人形みたいにうずくまる。空気をもとめてぜいぜい息をする間も澪さんを探している。そんな足元の僕の頭を凄い力で掴んで視線を上げる。男の顔が目の前にある。でも…

 

「俺たちの家はな、七草にナンバーを奪われた。俺は兄貴ほど優秀じゃなかったが、この『魔法』だけは得意でな。これまでは義理の両親の手前隠してきたが、どうやらお前が何か知っているって聞いてなっ!」

 

誰に?誰だろう。

あぁ精神支配系の魔法師なんだっけ。七草家に恨みをもっていたよね、あの社長さんは。弟さんも同じなんだ…弟さんの精神支配の魔法は、そうだね、すごいなよく効いている。むしろ効き過ぎなくらいだよ。声を上げたいのに、声を出すなって脳内で響いている。だから質問にも答えられないし。精神系の魔法は僕には普通より効くみたいだ。それより、澪さんを…

 

「兄貴や、会社の社員について、何か知っているんだろう!」

 

知っているけれど、今の僕は澪さんのことしか頭にない。男を無視して、視線がオフィス内を泳ぐ。無視されたのが気に食わなかったのか、悪態と共に右足を僕の顔の前に向ける。視界がブーツの裏でふさがれた。

 

「ぎゅっあ!」

 

凄い勢いで顔面を蹴られた。鼻血を吹きながらコンクリートの壁まで無様に転がるけれど、声は出ない。痛いけれど、何もできない。男は、僕を尋問したいのか痛めつけたいのか良くわからない。ただ、あの時の社長さんと同じで人間としてはイビツだ。這いつくばりながらもオフィスを見回す。澪さんがいない。いない…すごく悲しい…

 

男は格闘技の心得があるのか、僕を蹴っ飛ばしたまま片足立ちで立って、すこし怪訝な顔をしている。

 

「おかしいな…俺の得意魔法にしても効き過ぎだぜ…」

 

僕は鼻血で床と制服を汚しながら、まるで今、男の存在に気がついたみたいに、

 

「ねぇ澪さんはどこ?」

 

って尋ねた。男は足を下ろして無警戒に近づいてくると、僕のかたわらにしゃがんだ。僕の長い黒髪を掴むと頭をぐいっと持ち上げる。痛いっ痛いっ!髪の毛がぷちぷち抜けるのがわかる。でも、何も考えられない。

 

「ミオさんって言うのか?お前の一番大事な女は。俺の魔法はな、かけられたヤツの脳に一番大事な異性を映し出して情報を聞き出すんだ。その間思考も低下するが…ここまで効いたヤツははじめてだぜ。ほらミオさんなら目の前にいるぜ」

 

うつぶせに横たわり、頭だけを男に上げさせられている不自然な体勢の僕の前に二本の足が見えた。その白い足を見上げていくと、澪さんがいた。顔は良く見えないけれど…よかった澪さんがいた。

 

「おい、ミオさんが聞いているぜ、俺の兄貴を知らないかってな?」

 

男が何か言っているけれど、僕は澪さんがいたことに歓喜して聞こえない。両手を澪さんに無理な体勢のまま伸ばそうともがく。

 

「なんだこいつは!気色悪いな!」

 

男がいきなり掴んでいた髪を離すものだから、僕は床に顔をぶつける。フロアがはがされてむき出しになったコンクリートは硬いしざらざらして痛い。でも、澪さんがいたからいいんだ。僕は自分自身の痛みには比較的慣れている。鼻血を流したまま、見上げる。

 

あれ?いない。澪さんがまた消えている。

 

「ねぇ、澪さん…どこにいったの…?」

 

「知るかっ!」

 

思いっきり肩口を蹴られる。

僕は蹴られた勢いのまま放置されたデスクまでぐるぐる回りながら飛ばされる。ガンって金属部品に頭がぶつかった。どこか皮膚が切れたのか、僕の額から頬にむけて鮮血が流れた。

澪さんを探さなきゃいけないのに、体が言うことを利かない…

 

「ちっ、このままじゃラチがあかねぇ」

 

男が携帯電話型のCADを操作した。『精神魔法』の効果が切れた。

 

その刹那、全身を激痛が襲う。いきなり痛みが来たので、呼吸が止まって、声を上げることが出来なかった。でもそのおかげで冷静になれた。状況を一気に理解する。僕は七草家に恨みを持つ数字落ちの魔法師に襲撃されている。僕の脳が澪さんの幻覚を生み出し、何も考えられなくなるくらい『精神魔法』がかけられていた。左腕と肋骨が折れている。口内と鼻の中、頭頂部の裂傷から血が流れていて、打ち身にスリ傷。蹴られた右まぶたも腫れあがっている…

ここまでされたのに精神を支配する魔法のせいで何も出来なかった。情けない…ほんとうに情けないな。

九校戦で活躍したとか、過去最高の魔法力とか言っても、こんな男のひとつの魔法にすら抵抗できなかったなんて…

右手の指輪を見つめる。真夜お母様に完全思考型のCADをいただいて少し調子に乗っていたけれど、やっぱり僕は『魔法師』としては劣等生だ。

でも、『サイキック』としてなら、誰も僕に勝てない!

 

僕はゆらりっと幽鬼のように立ち上がった。自分の足でじゃなく、『念力』で。

僕の黒曜石の瞳が薄紫色の光を放つ。

敵対者は残酷に、無様に殺す…精神支配は、もはや僕の一部だ。

 

「あぁ?なんだ?立ち上がれんのかよ。そんじゃ今度は質問に答えてもらおうか」

 

男がCADを操作した。何の魔法かは僕にはわからない。でも、なにも起きなかった。

僕は、腫れぼったい目で、男をじっと見つめている。

数秒たって何も変化がない事に男が疑問に思ったのかもう一度『魔法』を使う。でも、何も起きない。

 

「ん?おかしいな、なんで魔法が発動しない!?」

 

男は、焦り始めた。CADを何度も操作して、サイオンを流し込むけれど、なにも起きない。

それも当然だ。今、僕は、男のCADを『空間の檻』に閉じ込めている。サイオンは届かない。

 

「お兄さん…魔法使えなくなっちゃったんだ…」

 

僕が呟くと、男は目に見えてぎょっとした。目を見開いて何度も何度もCADを操作するけれど『魔法』は発動しない。

『魔法』への不信は、『魔法力』の喪失につながる。これは去年の九校戦で達也くんが言っていた言葉だ。

 

「魔法…使えないんじゃ、もう『魔法師』じゃ…ないね」

 

「おっおまえが何かしたのか!?」

 

「さあね…でも、攻守逆転だよね」

 

僕はオフィスにある二人用の金属製デスクを片手ですっと持ち上げた。軽自動車くらいの大きさがある。

それは不思議な光景だ。僕よりも大きくて重い、僕がぶつかっても全く動かなかった、大人でも数人がかりでやっと動かせる大きさのデスクを無造作に片手で持ち上げているのだから。

もちろん『念力』で持ち上げている。男には、当然、わからない。

 

「これ、投げるから、『魔法』で防ぎなよ。『魔法師』なら、できるよね」

 

「よっよせ…」

 

男が後ずさった。

僕は道端の小石でも投げるように、腕だけひょいっと振った。でも『念力』で加速されたオフィスデスクは100キロ以上の速度で唸りをあげて宙を飛ぶ。

車が一台ぶつかるようなものだ。まともにぶつかれば、下手すれば死ぬ。

男は逃げようか、それともCADを操作しようか一瞬考えた。でも、致命的な逡巡だ。

 

「ぐべっ!」

 

デスクが男を直撃した。デスク自体の重みと僕の『念力』でつぶれるようにへばりついて、両足が床を滑った。

がらがらがぁん!

大型デスクは、そのままコンクリートのうちっ放しの壁と男を挟むようにぶつかる。

轟音でビルが揺れた。つもった埃が舞って、天井の建材がばらばらとこぼれ落ちてくる。

 

「うぅがぁあああ…いでぇぇぁ!」

 

デスクに轢かれそのまま下敷きになる男。血まみれの上半身をデスクから出していた。なんだ生きているのか。運が良いね。

男は言葉にならない悲鳴を上げて暴れている。人一人の力では動かせない重さだ。『魔法』じゃないと無理だ。

轢かれたときに手から落ちたCADが床に転がっていた。男がそのCADに気がついて手を伸ばそうとするけれど、ぎりぎり届かない。身体をゆすって必死に腕を伸ばす。

僕はもうひとつデスクを『持ち上げた』。さっきのより小さいけれど、十分重い。

痛みと恐怖で歪んだ男の顔を薄紫色の光が射抜く。

 

「もうひとつ、いこうか。何個耐えられるかな?」

 

「やっやめろっぉぉぉぉっ!」

 

男が絶叫するけれど、無視してデスクを『投げる』。

『投げる』瞬間、折れた左腕がずきって痛んだ。そのせいで、コントロールがずれて、デスクの上じゃなくて、男のCADに伸ばした腕の上に落ちた。鋭利な金属部分が、男の右腕の肘から下を両断する。

 

「ぐっぎゃぁあああ」

 

ちぎれた腕をぶんぶん振り回すものだから、オフィスも男も、僕もびちゃびちゃ血に染まる。

埃っぽいオフィスに男の悲鳴が響く。

 

「あっがぁ…」

 

やがて男は痛みのゲージが振り切れたのか、ぐったりと動かなくなった。意識を失ったんだ。

 

「そのままだと、失血で死んじゃうよ。止血したほうがいいよ」

 

僕の忠告は聞いてくれないみたいだ。男は白目をむいて、死へのカウントダウンに入っている。

 

 

ぐらりと、僕の身体が揺れた。倒れそうになるのをこらえて壁に寄りかかる。足から力が抜ける。コンクリート壁にもたれてずるずると座り込む僕。痛い…物凄く痛い。

僕も気絶できたらこの痛みから解放されるかな。でも僕の『回復』は起きていないとだめだから、痛みに耐えてこのままじっとしていよう…

あぁ澪さんと響子さんにもらった制服が汚れちゃったなぁ。まただな。これで制服を汚すのは何度目だろう…

澪さんの幻覚はもう見えない。それが逆に悲しい。涙が溢れる…

 

 

僕の経験からすると、このあたりで救援が駆けつけてくるはずだ。

全てが終わってから現れる。もしくはわざと遅れてやってくる…

だいたい、さっきの轟音は外にも聞こえているはずだから、誰かがやってくるはずだけれど…

 

階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。カツカツと少し可愛い靴音だけれど、二人かな、話し声も聞こえる。女の子?

 

「ああっっ!!姉さんいたよ!」

 

「あぁ!?多治見久様、ご無事ですか!?」

 

想像もしていなかったので僕は驚いた。

開けっ放しの扉からオフィスに入ってきたのは、『ヨル』と『ヤミ』さんだった。

『ヨル&ヤミ』さんとは去年の10月、四葉家への訪問以来だ。相変わらず黒いコスプレみたいな衣装を着ていて可笑しい。

『ヨル』さんが僕に向かって駆けてくるけれど、「ひぃ」っと僕の惨状に息を呑んだ。

僕は血まみれだし、まぶたや頬は晴れ上がっている。髪の毛は乱れて、たぶん本物の化け物みたいになっている。人形じみている容姿だけに、酷く見えるはずだ。

 

『ヤミ』さんがデスクに下敷きになった男の確認をしている。首に手を当てて生きているかどうかの確認をしている。

 

「まだ息がある。はやくこいつを運び出して!…このまま死なせるより生かしておいたほうが利用価値がある!」

 

あとからオフィスに駆け込んできた黒服たちに指示を出すと、僕の方に顔を向けた。女の子…?何となく違和感があるな…その中性的な顔は、ものすごく申し訳なさそうな表情をしている。

 

「それより多治見様の治療が先よ!」

 

いつもは大人ぶって背伸びをしている『ヨル』さんの声も上ずっていた。

 

「多治見じゃなくて、久って呼んでってお願いしたよ…」

 

『ヨル』さんがハンカチをポケットから取り出している。ハンカチも黒かった。よっぽど黒が好きなんだね…

僕の血が黒いハンカチに染み込んでいく。血はまだ止まっていない。

 

 

 




劣等生13巻の冒頭シーンの直前のこの事件。
この怪我のせいで、久は、再び体調をくずした光宣のお見舞いにいけなくなり、
響子だけが生駒に行き、パラサイドールのことを知ることになります。

久のお察しの通り、『ヨル』と『ヤミ』のふたりは真夜の命令でワザと遅れてきました。
ただ久がここまで精神系の魔法に弱いことは想定外でした。
久の魔法力と完全思考型CADがあれば本来ならもっと軽症ですむと考えていたのです。
この程度の魔法師に後れをとった久の評判は一時的に落ちます。にわかに接触しようとしてきた連中は手を引くほどに。それも結果的に真夜の思惑通りになります。勿論、九校戦までの話ですが。
そして、この事件は澪さんや警備に内緒ってわけには行きません。
これは『ヨル』『ヤミ』、四葉の分家である黒羽の存在が、九校戦の前に、表に知られる事件です。
幹比古が春あたりから噂になっていたと言っていたのはこの事件もひとつになります。

そういえば『僕の一番大切な人』って、澪さんだったんだ。←これ重要ですよ。


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