10月30日論文コンペの夜。
僕は真由美さんの好意で、リムジンに同乗させてもらって、帰宅した。
リムジンの中では無言だった。今日の事件の衝撃と傷がジンジン痛んでいたから…
帰宅して、置きっぱなしだった携帯端末をチェックすると、深雪さんと真由美さんからの未読メールが沢山あった。横浜にいた時に何度も連絡してくれていたんだ…
他にも料理部の先輩や、現場には来ていなかった森崎くんや、報道で知った光宣くんからもメールがあった。
とりあえず現場で再開できなかった人たちに一斉に返信しておく。
エリカさんには悪いけれど、綺麗に巻かれた包帯を解いて、シャワーを浴びて汗と塗り薬を落とす。服用薬ほどじゃないけれど、塗り薬も僕には害でしかない。スリ傷はふさがっているけれど、火傷の部分はまだ真っ赤だ。お湯がしみる…
夜中、響子さんからメールがあった。軍務でしばらく帰宅できないけれど、心配しないで、と簡単な一文だった。
国防軍関係となればあまり詳しいことはいえないだろうから、こちらも平気、帰ってきたら手料理ご馳走するってメールを出した。
そういえば以前「仕事場の後輩のシスコン男に振り回されている」って言っていたけれど、あれって達也くんのことなのかな?
達也くんはシスコンじゃないよ、ほんの少し、ほんの少しだけ深雪さんに甘いだけなんだよ。
澪さんも僕には甘い…
その澪さんからは連絡がなかった。『僕は怪我ひとつないよ』とちょっと嘘をメールで出しておいた。
戦略魔法師である澪さんは、現在の緊迫した状況では、自由に行動が出来ないんだろうな…
澪さんがいつ戻ってきても良いように、澪さんの大好きな甘いものを沢山つくっておこう。
夜は、一人でベッドの中で横になっていた。いつの間にか眠っていたけれど、悪い夢はみなかった。
怪我をしているせいかな…
翌朝、学校から連絡があって11月3日まで休校になるんだそうだ。
この日は、10月31日。世界的に重要な一日だったけれど、僕は自宅に引きこもっていた。
11月1日。
光宣くんから電話があった。
久しぶりにテレビ画面でみる光宣くんは相変わらずの美貌だ。
その日は調子がよかったようで、横浜でのことや響子さんのお話をした。僕と響子さんの婚約(仮)のことを知っている数少ない人物の一人だ。
烈くんは忙しくて最近会っていないそうだ。まったく90近いのに精力的だなぁ。
冬休みには生駒に遊びに行く約束をした。響子さんも一緒に行けるといいな。
僕の火傷やスリ傷はもう全快している。昔にくらべて治りが早い。やっぱドーピングは駄目だね。
澪さんからメールが来た。11月中は帰れないかもしれない、と短く書いてあった。
11月2日。
テレビのニューズで大亜連合が講和条約を打診してきて、事実上日本の勝利が確定したと言っている。
戦略魔法師である澪さんが帰宅できない状況なのに勝利とはどういうことなんだろう…
こんなとき一兵卒でしかなかった僕は上層部の考えはわからない…もどかしいな。
午後、真夜お母様から電話があった。
今度の日曜に、以前約束していたお食事にご招待してくれるそうだ。
「マナーとかわからないけれど…」
「いいのよ家族のお食事ですもの」
家族…昔、僕が一番欲しいと思っていたモノだ…
当日朝、『ヨル』さんと『ヤミ』さんが黒いリムジンで迎えに来てくれるそうだ。
澪さんが夏休みに選んでくれたジャケットを来て行こう。
そうだお土産になにか作って行こう。何が良いだろう。
11月3日。
この日は何をしていたかな…よく覚えていないけれど、澪さんからメールが来た。
メールの内容は、今日には公式に発表されるので、もう秘密にしておく必要がなくなったそうだ。
大亜連合への牽制のために出征、週末に佐世保、来週出航するって。
戦闘になる可能性はほぼないから心配しないでくださいって。
戦争に安全な場所なんてない…もし危ないとおもったら必ず連絡してください、と返信した。
僕には、世界中どこにいても一瞬で助けに行ける『能力』があるのだから。
でも、心配だな。
携帯端末とCADは絶対に忘れないようにしよう。
11月4日金曜日、学校が再開した。
戦勝に沸く教室。誰もがにわか専門家になって国際情勢を語り合っている。
でも僕にはよそよそしい。コンペ会場での僕の過剰な行動は全校に広まっているようだ。
4月の入学したてのときの一科生の態度を思い出す。
席替えはないから僕の隣は深雪さんだ。
深雪さんはいつもの微笑をたたえた表情でクラスメイトと話している。
あの表情は、エリカさんと同じで本心を隠す仮面なのかもと唐突に思った。
仮面にしては綺麗すぎる笑顔だけれど。
「怪我はもう大丈夫?」
「うん、そうだ深雪さん、紅茶にあうお菓子ってなにかな」
「ごくごく定番だとアップルパイ、スコーン、ワッフルといったところかしら」
考える動作をしながらもすらすらっと答えが出てくる。なんでもないことだけれど凄いなぁ。
…スコーン?
「コイケヤスコーン?」
「スナック菓子じゃないわよ」
よし、明日放課後にアップルパイとスコーンをつくろう。
その夜、自宅ベッドで横になっていた僕は、久しぶりに嫌な夢を見た。
研究所にいた最後の1週間。僕が一番嫌いでおぞましいと思っている1週間…
夢の中で、今寝ているベッドが研究所の診療台と重なっていた。
目覚めた後、ベッドに大の字になりながら声もなく泣いていた。
8月の九校戦の帰りのバスのときのように錯乱することはなかった。
今日は、学校に行って、勉強して、達也くんや深雪さんたちとご飯を食べて、放課後は料理部でアップルパイを作るんだ。
そう考えながら、ただ涙を流していた。
11月5日。土曜日でも魔法科高校は通常授業だ。
一高駅前からずっとだけれど、すれ違う生徒が僕をぎょっとした顔で見る。
とてとて…いや、足を引きずるように教室に向かう。
深雪さんの席には雫さんにほのかさん、他のクラスメイトも集まって談笑していた。
今日も深雪さんも鉄壁の笑顔だ。
でも昨日より不安を隠しているような気がするのは、たぶん僕が情緒不安定だからだろう。
「…おはようございます」
僕の力ない挨拶に皆がふりむいた。
僕の顔をみて驚きの声を最初にあげたのはほのかさんだった。
「ちょっ久君どうしたのその顔!」
「目が…真っ赤」
え?ああそれでみんな僕を見ていたのか。
「…うん、一晩中泣いていたから…」
「またあの時みたいに…」
雫さんが九校戦の帰りのことを思い出したみたいだ。
「うぅん平気。今日はやることが沢山あるから…あっしまったリンゴ…」
「リンゴ?」
深雪さんが首をひねりながら、ハンカチで僕の顔を拭いてくれた。
8月、初めて真夜お母様に会った日のことを思い出した。真夜お母様もこうやって涙を拭いてくれたな…
そう、リンゴだ。
真夜お母様のお土産にアップルパイを、放課後の料理部で作ろうとリンゴを買っておいたんだけれど、自宅に忘れてきてしまった。
そうか、今朝はお弁当を作らなかったから、台所に入らなかったんだ。
一人分のお弁当は寂しいな。はやく澪さんも響子さんも帰ってこないかな…
帰宅後、アップルパイは上手に作れた。僕の『女子力』は確実にあがっている。
夜は眠らずに、勉強やアニメを観ていた。
でもずっと座っているのは飽きたな…少し運動を、ウォーキングをしようかな。
この時間に外に出たら、深夜徘徊だ。絶対に補導される。でも少し興味があるな。いつか試してみよう。
11月6日日曜日。
早朝、『ヨル&ヤミ』さんが迎えに来た。
「その呼び方やめてくださるかしら、何だか漫才コンビ名みたいで…」
『ヨル』さんのしゃべり方は相変わらずシャチホコばっている。
『ヤミ』さんはあまりしゃべらない。声変わりがどうの言ってるけれど、女の子にはないよね。
リムジンの中で、二人にお土産をわたす。真夜お母様へのお土産以外にもたくさん作ったパイとスコーンだ。
「パイとスコーンは初めて作ったけれど、自信作だよ。次のスコーンはフルーツを入れたいな…」
僕の『女子力』の高さに『ヨル』さんは沈黙していた。
その顔をずっと見る。じー
リムジンはだいぶ大回りをしていたみたいだ。真夜お母様のお屋敷まで2時間はかかっている。
でもまだ9時前だけれど。
お屋敷といってもリムジンは玄関に直接つけられたので、どれくらいの大きさなのかはわからない。
玄関ではいつもの隙のない立ち姿の葉山さんに女中(メイド?)の女の子が立っていた。
葉山さんがそこにいる事に『ヨル&ヤミ』は驚いていた。
僕は葉山さんにお土産のパイを渡す。
「これ、僕がつくりました。お屋敷のお手伝いのみなさんと食べてください」
「これはありがとうございます」
沢山、つくったんだ…リンゴを五個注文したつもりが箱で五個配送されていたんだ。
機械音痴ここに極まれり…しばらくリンゴ尽くしだな…
やっぱり響子さんと澪さんがいないと僕だめだな…いや頑張らないと、僕は男の子なんだから。
葉山さんは丁寧に受け取ると、隣の女中さんにパイをわたしてこまごまと指示をしていた。
その姿にも隙がない。さすがは最強執事(?)。女の子は凄く緊張している。
葉山さんが僕を案内する事になって、『ヨル&ヤミ』さんに女中さんも驚いていた。なんでだろう?
『ヨル&ヤミ』さんも一緒にリムジンを降りて、別の控え室に行くそうだ。
他にも来客があるそうで、しばらくは控え室で待つことになった。
控え室にあるものはご自由にっていわれたけれどどうしよう。
ソファも調度品も立派で落ち着かないな。玄関は日本家屋だったけれど、この部屋は洋風だ。
紙媒体の、背表紙も豪華な本がいくつか置いてあった。あれもインテリアの一部なんだろう。
僕はアナログなので、端末より紙の本が好きだ。時間つぶしに良いかなとその本を適当に選ぶ。
英語の本だったけれど、これでいいかな。
実は僕は英語は日常会話程度なら話せるし読める。昔、戦場で英語に触れる機会があった。
僕が英語を読める?
第一話プロローグで「不思議の国のアリス」の初版本を読んでいたでしょ。今後の伏線だよ。
本当はドイツ語を覚えられればよかったんだけれど、その当時はそんな余裕はなかったし。
ただ会話ほどは英単語を知らないので、端末で辞書を引きながら読む。
スチーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』初版本だったけれど、十師族では海外の初版本を蔵書するのがステイタスなのだろうか…
ひとつに集中すると他に目が行かなくなるのが僕の悪癖だ。でも待ち時間はそのおかげで潰せた。
僕には難しすぎて、数ページしか読めなかったけれど…
ドアをノックする音がして、葉山さんとさっきの女の子が入ってきた。
「お待たせをいたしました。お食事の前に、まずは軽くお茶の準備をいたしましたのでこちらに」
本を棚に戻して、僕は二人についていく。葉山さん、僕、女の子の順だ。
僕の手にはきちんとラッピングしたパイとスコーンがある。
葉山さんはサンルームの扉をノックした。
中から男性の声がしたので、葉山さんがドアを開けて、中に入ったのは僕と、女の子だけだった。
サンルームの中では、男の人と女の人が晩秋の日差しを浴びてくつろいでいた。
なんだか見覚えがあるな…うぅん、見間違えようがない二人だ。
「こんにちは、達也くん、深雪さん」
僕はきちんとお辞儀をした。
あっ、二人がいるなら二人分のお土産も持ってこれば良かった。二人はお茶を飲んでいる。達也くんはコーヒーだ。
あれも葉山さんが淹れたのかな?真夜お母様へのお土産のパイをみんなで分ければいいのかな?
パイってコーヒーにもあうのかな。ぶつぶつ考え出す。
しばらく考えている僕は、全身で物を考えているのがよくわかる姿だったと思う。
深雪さんの目が物凄く冷たい。初めて見る瞳だ。僕を叱るときの怖い瞳とは決定的に違う。
達也くんが深雪さんの前に立った。まるで深雪さんを僕の攻撃から守るように。論文コンペのときみたいに。
サンルームに物凄い緊張感が漂っていたことに僕は全然気がついていない。
「あっ!」
「…」
「あれ?そういえば達也くん深雪さん、どうしてここにいるの?」
達也くんが目に見えて脱力した。凄い漫画チックな動作だった。
なんだか真由美さんに似てきた気がする。達也くんもストレスが溜まっているのかな…?
来訪者編(下)「真由美さんの休日」で、原作中唯一、澪さんが登場した部分です。
七草家に登場したこの時の澪さんは、久でエネルギー補給ができず(笑)落ち込んでいた…という脳内設定です。
家の立場が弱い澪さんは穏健派と強硬派に翻弄されて、二年目の九校戦に少し関係してくる…
みたいな感じに出来ればいいなぁと考えております。
お読みいただき有難うございました。
11月2日の部分の「ニュース」が「ニューズ」になっていると誤字の指摘をいただきました。
じつはこれ誤字ではなく、わざとです。伏線…的な感じです。
海外では、ニュースではなくニューズ発音する国があります。
今回、久が日常会話程度の英語が出来る。でも単語はそんなに知らないという台詞があります。
久は教科書ではなく、耳で英語を覚えています。「ほったいもいじるな」みたいな感じです。
ニューズも特殊任務で一度だけ米国に行くときに英会話が必要になってむりやり覚えた英語で、
久は基本丸暗記で覚えは良いですが応用は苦手なので覚えたままを使います。
なぜ久が特殊任務で一度だけ米国に…?
それは劣等生最新刊を読めば、わかりますね。誰かの亡命騒動に関与しているとかいないとか…