月曜の朝。
澄んだ春日和。柔らかな風が、街路樹の桜を散らしていた。
花吹雪が、宙に鮮やかに踊っている。
いつも通り一高前駅で達也くんたちと待ち合わせをする。
深雪さんは水も滴るばかりの風姿で立ち、達也くんが衆目から護るように寄り添っている。
気品匂う2人の姿に、周囲からため息が漏れた。存在感が周囲を圧倒している。
この気品と生気が、深雪さんに似ていても僕にはない。
水波ちゃんが目で挨拶をする。
昨日の若手会議。本当なら僕も達也くんと同調して、十師族の次代に対しなくてはならなかった。
それなのに、殺気をまき散らして会議の空気を悪くしただけだった。
その件を頭を下げて謝ろうとすると、達也くんに手で制せられた。
ただでさえ目立つ達也くんたちに僕が合流してざわめきが起きている。特に制服を着慣れない新入生の目が僕たちに集中していた。
校門に続く緩やかな坂を並んで歩く。
達也くんは昨日の件は特に気にしていないようだ。
「でも、深雪さんをアイドルに仕立てて衆目に晒すとか、次代の結集があんな子供のような発想しかできないなんてばかばかしい…」
僕は達也くんと深雪さん、水波ちゃんと並んで歩きながら愚痴っぽく言う。
「深雪さんは達也くんだけのアイドルなのに…」
「お兄様だけのアイドル!」
心で思ったことをつい口に出してしまう。
「お兄様の前だけで歌ったり踊ったりしたらお兄様はお喜びに?はしたないと怒られるかしら…ぶつぶつ」
深雪さんが早朝から悶えている。
それまでの清華な姿から艶冶な色気をこぼす深雪さんに、生徒たちが息を飲む。
達也くんの表情が苦い。
水波ちゃんの達観した目が風に散った桜の花びらを追っている。
新ソ連との戦争中とは言え、僕にとっては日常に帰って来たと安堵する光景だった。
「久、今後の四葉家の方針について伝達事項がある。放課後、家に来られるか?」
達也くんが無表情で言う。校内で話せない内容なのか。
「うん。問題ないよ。じゃあ、謝罪の続きは達也くん家でするね。土下座でもアンコウ踊りでも何でもするから」
「そこまでしなくていい」
「一緒に帰ることになるね。帰宅時刻まで時間を潰さなきゃ」
達也くんたちは生徒会のお仕事がある。
名ばかり副会長の僕に生徒会で出来ることは、あまりない。
達也くんはちょっと考えた。
「新学期が始まって間もない。詩奈と共にこの機会に生徒会の仕事を覚えるのも悪くはないが?」
女子だらけの生徒会室に男子ひとりだけと言う状況は、達也くんでも居心地が悪いそうだ。
ほのかさんのもどかしい視線と泉美さんの歪んだ嫉妬の視線、深雪さんの熱い視線に、水波ちゃんのジト目。
しかも、待機状態の『ピクシー』が生徒会室の隅に座っている。
詩奈さんはこの雰囲気でも温かい日だまりのように笑顔を浮かべているそうな。
「あー、部にも顔を出さないと幽霊部員になってしまうから、料理部に行ってるね。用が出来たらいつでも呼んでね」
僕だってそんな生徒会室は居心地が悪い。
三十六計逃げるに如かず、君子危うきに、だ。
放課後、深雪さんとほのかさんが生徒会室に向かい、僕も手荷物をまとめて部活棟の家庭科室に向かう。
部にある食材だけだから、そんなに手間のかかるものは作れない。
自分の考えだけだと、料理のレパートリーが偏るし、他の部員の料理を手伝おうかな。
そんなことをぶつぶつ階段の踊り場で考えていたら、
「ん?」
微弱な『念力』を感じた。
放課後の魔法科高校なので、部活中の『魔法』は飛び交っている。
その中で感じた『念力』は『魔法』ではなく、僕と同じでCADを使わないアナログな力だったから感知能力が低い僕でも感じられた。
ただ、僕と違って悲しいくらい微弱な、吹けば飛ぶような『サイキック』のようだった。
これほど弱いと実戦では役に立たないかもな。
誰が使っているのかな。時間もあるし、見に行ってみるか。
その『サイキック』は第二小体育館、通称・闘技場から感じられた。
闘技場ってことは、剣術部か。
体育館に近づくと、気合の声や木刀がぶつかり合う音、どたどたと床を踏みつける音が聞こえてくる。
部活開始直後なのに、道場内は熱気と活気に溢れていた。
開いたドアから中を覗き込む。
多くの生徒の中で、赤い髪が弾んでいた。
鍛えられた体幹で、体操服の後姿も凛々しくすっきりしている。
エリカさんだ。
仲の良い壬生紗耶香さんは卒業したのに相変わらず剣術部に入り浸っている。
エリカさんは見知らぬ男子生徒と立ち会っていた。
どちらかと言えば、一方的に痛めつけて、男子生徒は悔しさにあふれた表情をしている。
『念力』は、あの男子生徒が使っている。
でも、エリカさんの動きの方が早く、役に立っていない。
弱すぎる上に、余計な一手が増えて『間』が悪く、エリカさんにそこを突かれている。
男子生徒の刃風がむなしく宙に鳴っている。
エリカさんの足運びは水際立っていた。
男子生徒の片手薙ぎを一寸の見切りでかわすと、石火の一撃が、男子生徒の左手甲に入った。
男子生徒の手から木刀が弾かれる。男子生徒はたまらず膝を折った。
うわぁ痛そうだな。
弾かれた木刀がくるくると僕の前にまで転がって来た。
「何見てんのよ、久」
声に険がある。
エリカさんは、振り向く前から、闘技場の入り口に立つ僕の存在に気がついていた。
ほのかに上気した頬が瑞々しい。
わざと僕の方に木刀を弾かせたのか。荒っぽいのに器用だな。
今日のエリカさんは、機嫌が悪い。
僕と達也くんは、エリカさんの感覚では、お兄さんである寿和さんの敵だ。
寿和さんの遺体を千葉家に運んだあの日、エリカさんは達也くんと立ち会って敗北した。
僕との勝負は、達也くんの提案で期末試験での順位になった。結果は、僕が一位差で負けた。
それで手打ちになったはずなのに、一位差しかなかったことにエリカさんは微妙な表情だった。
機嫌の悪いエリカさんはレオくんか幹比古くんで憂さを晴らすのがこれまでだったけど、新しい憂さ晴らしを見つけたようだった。
かわいそうに。
「久、一週間も休んでたけど、体調は大丈夫?」
エリカさんが僕に向かって歩いてくる。
「うん、むしろ好調かな」
この一週間、一般には僕は病気で休校したことになっている。
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?侍郎が休んでいる間、相手をして」
侍郎くん?
男子生徒は両手を太ももにあてて肩を波立たせている。湯を浴びたような汗だ。
体力的に問題はなさそうなので、エリカさんの気迫に緊張していたようだ。
男子生徒は中途半端に長い髪を紐で結んでいて、気の強そうな顔つきだった。
ああ、彼が詩奈さんの会話にたびたび出てくる幼馴染の男の子か。
「僕とは、土俵が違いすぎて勝負しにくいんじゃなかった?」
先日の千葉家での会話を思い出す。
エリカさんが僕の前に転がる木刀を拾い上げ、
「紗耶香から聞いたのよね。紗耶香から一本取ったとか、マジックアーツ部の十三束君を倒したとかね。それも桐原先輩と沢木先輩を三人まとめて」
その木刀の柄を道場の外にいる僕に差し出した。
エリカさんの目が鋭い。瞬きすらしない。
侍郎くんが相手の時とは違う、感情を逆に殺した非情の目だった。
雰囲気に気がついたのか、剣術部の部員が手を止めざわついた。
あの『サイキックアーツ』による模擬戦のことは桐原先輩が壬生先輩に話したのかな?
余計なことをしてくれたなぁ。
僕が休んでいる間に壬生先輩から話を聞いて、実は同じ土俵で戦えることを僕が黙っていたことに腹を立てているのか。
寿和さんの件は、エリカさんの中で消化できていない。
兄妹でも、エリカさんの千葉家での立ち位置は複雑そうだし、性格なのか家庭環境のせいなのか、エリカさんはナンバーズの『次代』って雰囲気とは一線を画している。
野生の一歩手前、いや、野良猫かな。
不用意に手を差し出すと、それが善意であっても、爪で引っかかれる。
それだけじゃないよう気もするけど、興味は薄い。
闘技場の他の部員たちが、僕たちを見ている。
敵なら容赦なく殺す。けど、エリカさんを殺したら深雪さんが悲しむし、レオくんは激高するだろう。
僕は木刀の切っ先を鈍く見返した。
「ええと、このあと達也くんの家に行かなくちゃいけなくて、勝負は遠慮させてもらうよ」
エリカさんほど勝負にこだわりがない。
有体に言って、面倒くさい。
「達也君の家?」
それは四葉家の内内の話と言うことだ。エリカさんでも躊躇せざるを得ない。
「怪我とかして行きたくないから」
僕は首を伸ばして侍郎くんを見た。あんな風に叩かれたら、僕の骨は簡単に折れてしまう。
「寸止めくらいしてあげるわよ」
どうしてだろう。奇妙な程しつこい。
これまでなら、ここまで食い下がらなかったのに。
でも僕は、熱いお誘いを、鉄の心で拒絶する。
「断わ…」
「だったら、勝負は後日。一高以外の場所でもいいわよね」
ぐっ。
僕の返事を、後の先して封じた。
見事な呼吸だ。これも鍛えられた剣士の間合いなのかな。
って一高以外?
それって人目を気にしない真剣勝負?
「うっうん」
エリカさんの気迫に、思わず頷く。
しまった、言質を取られてしまった。
「久、じゃあ、日時はこっちが決めるから都合が悪かったら言って」
「都合は悪…」
「侍郎、休憩は終わりよ」
エリカさんは僕の返事を待たず荒々しく振り返る。
木刀をすり上げに、びゅっと振った。
「はっ、はい、お願いします。」
侍郎くんがちらりと僕を見た。
慇懃に一礼しつつも、値踏みして、僕の華奢な体型に不思議なものを見るような表情だった。
僕は、唐突な展開に、やや茫然と立っていた。
「はぁ」
エリカさんと別れて僕はため息をついた。
エリカさんの殺伐とした雰囲気にあてられて、あまり気分が良くない。まさに野良猫に引っかかれた気分だ。
剣の腕だけだったら、僕はエリカさんになすすべもなく敗北する。
未熟な僕にはエリカさんの構えにどれ程の技量が秘められているかすらわからないし、逆に、全力の僕にエリカさんが勝つには不意打ちか意外な業しかない。
エリカさんがしたいのは真正面からの勝負だから、道場内の試合、僕の視界に入っている時点でエリカさんに勝ち目は皆無だ。
正直、困ったな。
適当にお茶を濁せばエリカさんの機嫌はますます悪くなるし、徹底的に打ちのめしても同じだ。
部活に行く気分ではなくなってしまった。
とは言え、達也くんの帰宅時刻まで時間はつぶさなくてはいけない。
季節は、桜の花弁がまだちらほらと残る春。大きく呼吸をすると、春の香りがする。
学校の庭の整えられた春でも、気分が浮き立つ香りだ。
今日は快晴だし、春の日差しを一杯に浴びて、気分をかえたい。
中庭も良いけど、日当たりは屋上の方がいいかな。
校舎の屋上は庭園になっていて、生徒の利用は多い。
移動中、すれ違う2~3年生たちが僕の体調を気遣いながら挨拶をしてくる。
テロ事件直後の頃に比べて、生徒たちの僕への風当たりは弱まっていた。
どうやら、深雪さんや友人たちの影の行動もあったようだ。
新入生が遠巻きに僕に視線を向けてくる。
戦略級魔法師で四葉の僕に声をかける勇気はないけど、好奇の多くの視線が向けられ落ち着かない。
僕は足を速めた。
屋上は、利用する生徒はいなかった。
春の日差しは暖かいのに、遮るもののない屋上は風が吹いていた。
地上では温かいと感じたけど、頬に当たる風が冷たい。
ここの所、見知らぬ大人と接する機会が多かった。人が来ないならむしろありがたいな。
僕は柵の前に立ち、青空と流れていく雲を見るでもなく眺めていた。
「ん?」
神経に触れるものを感じて、頭をまわした。
視界に赤い物が入った。
いつ現れたのか、校門の外に赤い服を着た少女が立っていた。
フリルやレースを多用しているのに、肌の露出は顔だけの服。手袋までして、まるで春の日差しを拒否するかのような女の子だった。
距離は200メートル以上あるのに、あの少女は、僕を見ている。
人形のように整った容姿なのに、記憶に残らない奇妙な感覚。
下校中の生徒は全く気がつかないで少女の前を素通りしている。
その少女が、すっと何かを指さした。
校舎?…の向こう。校舎裏の雑木林か。
一年生の三学期、『パラサイト』と達也くんたちが戦っていた雑木林だ。
彼…少女はそのことを知っている。
一高の物理的な警備レベルは高くない。少女がその気になれば簡単に突破できるだろう。
ただ、魔法的な結界は、深雪さんが生徒会長になってからは幹比古くん協力のもと強化されている。
感覚の鋭い生徒も多いし、少女のような胡乱な存在は遁甲術を駆使していても、校内では怪しまれる。
演習場は、運動部の『魔法』が飛び交っている。結界なんて張ったら、警報が鳴りっぱなしになるので、結界は校舎のある敷地にだけ張られている。
広大な校舎裏の野外演習場はとくに柵はなく、誰でも侵入できる。
僕は軽く頷くと、雑木林に向かう。
校舎裏の雑木林は手入れされ、運動部の生徒に長年踏み固められているので、僕のような足弱でも歩きやすい。
春の陽光が、樹幹に遮られて、まばらに地面を照らしている。
今日は運動部の活動がないのか雑木林はひっそりとしていた。
目印になるものはないので、おおよそだけど僕はとりあえず『マルテ』と密会した場所に向かっている。
100メートルほど進んだだろうか。
僕は足を止めた。
人工的に作られた雑木林は色が乏しくどこも同じ風景だ。
右せんか左せんか、もっと奥まで行こうか迷い、あきらめた。
向こうが見つけてくれるだろうと、クヌギの幹に寄りかかって待つ。
やがて、雑木林の中をゆっくり少女が歩いてくる。
僕は少女と対峙した。
少女の青白い肌は陶磁器のようだ。
「こんにちは、四葉久さん」
ふと、陽が陰った。
気温が少し下がった気がする。
「この姿では初めまして、『超越者』殿。いえ、このような呼び方はお嫌いでしたね」
少女の声で、初めて会った時と同じ会話をした。
僕も続けた。
「あなたは…誰ですか?」
少女は笑った。生気のない笑顔だった。
「私の名前は…」
赤い唇が、薄く開かれた。
ひと際強い風が吹いた。
春の光る風に、緑がざわざわと大きくうごめいた。
今回は、風姿、刃風、光る風とか、風にこだわってみました。
久と侍郎に接点を持たせる話です。
最初、エリカと闘わせていたのですが、
長くなるし、久は剣術に興味がないから剣術の勝負にならなくて、勝負は後日に。
もっとも、久と侍郎が絡むことはあまりないですが…
と言うわけで、やっと赤の少女と接触できました。
久は出歩かないので、2人が出会う機会がなかなかできませんでした。
赤い少女は何者なのか?(笑)。
光宣の中にいるモノとはどう違うのか。
このSSの最初から引っ張って来た、精神、昇仙、入れ物、ピクシーなどが、
やっと次回で解決する…はずですが、さて。
では、また次回。