あさぼらけ
3月23日。今日は魔法科高校三学期の終業式の日だ。
2年生として最後に登校する日の早朝、僕は布団の中で澪さんと響子さんの寝息を聞きながら、いつものように色々なことを考えていた。
グ・ジー捕縛失敗のあの夜から1か月以上が経過した。
2月に起きたテロ事件の真犯人の死亡は、世間には知られていない。多くの魔法師や国民は、いまだに不安に日々を暮らしている。
グ・ジーの死亡を表ざたに出来ないのは、まったく証拠がないからだそうだ。
グ・ジーの映像は全く残されていないって達也くんがレストラン会議の時に言っていた。
だったら死体の確保をしても、本人かどうか特定することはできない。
今回のグ・ジー捜索は、達也くんの『異能』に依存しきりだった。
達也くんの発言が、警察や世間にたいして、どれ程証拠になるのか?
世間的には、達也くんは四葉家次期当主の婚約者で、魔法師の資格を持たない一高校生でしかない。
これまで、十師族やナンバーズは非合法的行動を行い、不都合な事実を様々な権力と方法で隠ぺいして来た。
だったら、適当な遺体を犯人にでっち上げて社会に公表すればいいのにと僕は思う。
その程度は簡単だし、その程度のねつ造で世間が落ち着くなら、妙手だと思う。
死体は、今回のテロ騒動でいくらでも用意できるだろう。
そう考えるのは僕が由緒もへったくれもない孤児で、精神のあさましい異常者だからなんだろうか。
十師族は起きたことを隠ぺいはするけど、全くないことをでっちあげる事には抵抗がある、らしい。酸いも甘いも噛分ける、真夜お母様でもだ。
十師族は違法な手段や非人道的な研究を積み重ねている集団なのに、どこか上品で甘い。
なんだかんだ言っても、十師族は平時の権力者たちで、お坊ちゃまだった。
でも、烈くんなら、烈くんや九島家が十師族の一員だったなら、ためらわずにそうしただろう。
この一か月、世間では魔法師排斥運動が相変わらず活発だった。社会不安がこの国の市民の心に覆い被さっている。
それでもまだ、この国は戦場になっていない。
戦場の殺伐さは、魔法師と非魔法師の差別なく、理不尽にすべてを奪う。
手遅れになる前に、十師族はもっとまとまった方が良い。と、誰もが漠然と感じ、考えているんだろうな。
問題は誰がその音頭をとるかだ。
同列同格と言う建前の十師族をまとめられる烈くんが十師族を外れたことで、対応が後手になっている。
ふと、視線を感じて僕は目を開けた。
僕の右隣で寝ていた響子さんが、僕を静かに見つめていた。お互いの息がかかる程、顔が近い。
「おはよう、響子さん」
「おはよう、久君」
響子さんの顔は、寝起きにも関わらず肌つやが綺麗だ。出会ったあの日より確実に、瑞々しい。
僕の『能力』は確実に響子さんの時間を止めている。
「今日からお仕事で暫く家に帰って来られないの」
「うん」
軍属の響子さんは基地泊まりの日がこれまでもあったから、いつものように僕は頷いた。
「詳しいことは言えないけど、最低でも10日は帰って来られないわ」
「え?」
考えていたよりも長期だ。
響子さんの所属は独立実験部隊だけど、基本的にデスクワークだって聞いている。同じ部隊には達也くんも所属している。
独立実験部隊がどのような部隊なのか、響子さんは軍や仕事のことは家では一切口にしないからわからない。
『魔法』や魔法師の軍利用を研究、実験をする部隊なのかな。
響子さんが軍の指令室で、液晶ディスプレイを弾く姿を想像してみる。様になっていてかっこいい。
響子さんは優秀な魔法師だけど、その肉体は歳相応の女性でしかない。
敵部隊に襲撃されたり、いざとなったら前線に出る機会もあるかもしれない。
横浜事件の後、澪さんが戦略級魔法師として前線に向かったとき、僕はかなり動揺した。
響子さんの身は心配だ。
それでも、あの時よりも僕の精神は落ち着いている。
僕はゆっくりと呼吸をして、心を落ち着ける。
それよりも、10日だ。
「それじゃあ、結婚式の日には帰って来られないんだ…」
1週間後の4月1日。僕の誕生日であり、僕と澪さんの結婚式の日だ。
「私と久君の結婚式は、私が帰ってきたら、ね」
僕と響子さんの関係は、法律的には何の裏付けもない。はっきり言って僕のわがままだ。
それでも、響子さんは僕の小さな身体と、そして何より、世界を破壊するかもしれない狂気を受け止めてくれている。
僕と響子さんの結婚式は、澪さんだけを立ち合いにして、3人だけで静かに行う予定だ。
「響子さんの指輪もちゃんと用意してあるから、無事に帰ってきてね」
「何だかそれ、死亡フラグみたいね」
ウインクしながら言う。
「不吉なこと言わないでよ」
響子さんは、くすりと笑った。
「響子さん、元気が戻って来たね」
「え?」
「ここ1か月、響子さんは少し元気がなかったから」
「気づいていたの?」
澪さんは気がつかなかったようだけど、響子さんの何気ない仕草に、どこか憂いが含まれていることを僕は見逃さなかった。
「僕は、世界で一番、響子さんを見ている」
響子さんの表情が締まる。
「誰よりも、響子さんが大事だから、誰よりも響子さんを想っている。好きだよ響子さん」
響子さんが真剣に僕を見返す。
「僕は恋愛がわからない。この胸にあるもやもやしたものがどんな感情なのか正確にはわからない。だから、何度でも言葉にする」
言葉は『言霊』。繰り返せば繰り返すほど、形になる。
そして言葉は、自分を縛り、相手を縛る『呪』になる。
「何度も言葉にして、響子さんを僕なしでは生きられなくしちゃうんだ」
響子さんの負担にならないよう、あまり重たくならないよう努めて軽く、子供の願望のような声で言った。
それでも、その言葉には確実に『呪』が込められている。
「僕が必ずそばにいる」
響子さんの瞳に、何かが宿った。それが愛情なのか、狂気なのかは、僕にはわからない。愛情だと嬉しいけど。
「だから、身に危険を感じたら迷わず僕を呼んで。響子さんがどこにいても、どんなに遠くにいても、必ず駆けつける」
僕には、その『力』がある。
「うん。ありがとう」
響子さんが僕を抱きしめる。大人の、身体と香り。響子さんの体温を感じる。シルクのパジャマの肌触りが心地いい。
「勿論、澪さんも同じだよ」
「ひゃっう?」
澪さんがしゃっくりみたいな声で驚いた。
しばらく前から目覚めていたことには、僕も響子さんも気がついていた。
僕たちの睦言のような会話を黙って、寝ているふりをして聞いていたんだ。
「なんだか、ついでみたいで癪です」
澪さんは、いつも通り、上下ジャージ姿で、どう見ても高校生になりたての中学生くらいの容姿だけど、時折、大人の表情を見せる。
「拗ねてる澪さんも、大好きだよ」
これも『呪』。でも、素敵な『呪』。
都会的な大人の美女である響子さん、ローティーンの容姿の澪さん、どう見ても10歳そこそこの女の子のような僕。
奇妙な3人だ。
でもこの3人は、文明を、世界を、何度でも破壊するだけの『能力』と狂気を、その身体に内包している、危険な3人でもあった。
4月1日。
僕は戸籍上、18歳になる。
それは、世界が戦略級魔法師に翻弄される時代の号砲が打ち上げられる日でもあった。
4月1日が誕生日だと学年が一つ上になる、
年度の切り替えは4月2日からだと、よく指摘を受けます。
このSSの世界では群発戦争の混乱後、年度や学制の変更が起こりました。
そう言う設定なのです。
最初からそう言う設定です。
4月1日が誕生日の方が字面的に見た目が良いから、ちょうどキリが良いから、
と言う程度の理由でしたが、
その設定のおかげで、久の誕生日、澪との結婚式の日の4月1日の幕開けは、
南米で戦略級魔法が使用された、と言う劇的なニュースから始まります。
久、澪、響子、達也を表徴する一日となったわけです。