パープルアイズ・人が作りし神   作:Q弥

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みつどもえ。


突然、炎の如く。

僕は、恋愛と言う感情が全く理解できない。だから澪さんと響子さんへの想いと、2人からの僕への想いが正確にはわからない。

感情そのものを理解できているかも、実はわからない。

肉体と言うハードが同じでも、精神と言うソフトが異なれば、理解なんて不可能だ。僕のハードがコンピューターだったとしたら、今頃はネットの世界を自由に泳ぎまわっていたかも。

言葉が通じなければ感情移入で行動するのが人間だ。僕はかろうじて言葉を理解できた。言葉でコミュニケーションをする。その言語能力も12歳程度でしかない。

多分、僕は2人を理解できなくて不安なんだ。人間なんて誰しも同じ、理解出来たなんて傲慢だ。この不安は取り越し苦労だって、心の隅ではわかっているけど…

言葉や形に出来ない感情を理解する方法は知っている。でも、僕は肉体的にも子供だ。

 

お母様に対する気持ちは、他の女性とは全く違う。僕の全身全霊を捧げたいと、無意識に考えてしまう。

でもこれは恋愛の愛情ではなく、子供が母親に抱く愛情だ、と思う。

澪さんと響子さんには恥ずかしいと思うことも、お母様相手だとすんなり受け入れてしまう。一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝たりするのは、親子なら当然だからだ。

多分に、僕のイメージの中の親子像なんだけれど、お母様は、僕のイメージよりも、何倍も素晴らしいし、何倍も僕のことを想ってくれている。

親子は、肉体的にでなく、精神的に繋がっているから、僕はお母様に理解されているんだと安心できるんだろう。

お母様に、否定的な感情がまったく浮かばないのは、子供は親に依存するのが当たり前だからだ。どんなに虐待されても、子供は親に付く。

 

…まるで、『精神支配』みたいだ。

 

 

お母様の突然の自宅訪問に、僕の気分は異様に高揚していた。玄関に立つお母様に、たまらず頬ずりしそうになるのを押さえこむ。

 

「澪さん、響子さん、お母様がいらっしゃったよ」

 

お祭りではしゃぐ子供のようにお母様の手を引いてリビングに向かう。

澪さんと響子さんが、大慌てで身づくろいをする気配が伝わってきた。

お母様は、テロ発生後、箱根から横浜の魔法協会支部までヘリで移動、臨時の師族会議を開いて今後の対応を協議、横浜からは車で、山梨の隠れ里まで向かう途中に僕の家に立ち寄った。

いつも後ろに控えている葉山さんは車の中で待機している。

激動の一日に、お母様は、お疲れのようだ。

僕がかいがいしくお母様を接待している。お母様の脱がれたカシミアのコートを受け取りハンガーにかけ、天然毛のブラシでささっと埃を払う。

好みの室温に調整し、洗ったばかりのクッションカバーを用意。一人掛けのソファに腰掛けていただいて、ひざ掛けの要否を尋ねる。

お母様が腰を落ち着けると、澪さんと響子さんが押っ取り刀でリビングに現れた。

僕は2人に、ソファに座っているよう言って、ダイニングで4人分の紅茶を淹れる。

ロンネフェルトのアールグレイティーの優雅な香りがお母様にはお似合いかな、ラデュレのフレーバーティーのフルーツの香りの方が気分が落ち着くかな。

カップとティーポットはウェッジウッド。

沸かした100度手前の軟水を最適なタイミングでポットに注ぎ、茶葉をジャンピングさせ、蒸らし時間も計算し、完璧なタイミングでリビングに戻る。

戻ると言っても、ダイニングはキッチンカウンターを挟んで続いているんだけれど、そこには、僕にとって大事な女性が勢ぞろいしている。

これほど嬉しいことはない……うっ?

僕は息を飲んで、トレイを手にしたまま、一瞬立ち止まった。かちゃりと、磁器のぶつかる音がした。

 

世界最強の魔法師一族(達也くんと深雪さん、水波ちゃんに黒羽の双子)を支配し、智謀と財力を兼ね備え、当人も当代最強の魔法師と謳われる、夜の女王・四葉真夜。

 

水を自在に操り、海を支配する、全世界の海軍と艦隊からもっとも恐れられる、戦略級魔法師・五輪澪。

 

地球上どころか、衛星軌道上のネットワークまでも支配し、自室にいながら指先一つで、文明を一瞬で崩壊させる力を持つ、電子の魔女・藤林響子。

 

ごくり。

これは…息を飲むほど物騒な…もとい、

それぞれが異なった、危険な魅力を持つ美しい女性たちの共演は、一高の全生徒を気迫で震え上がらせたこの僕でさえ、戦慄を覚える光景だ。

 

お母様は妖艶な笑みの似合う大人、澪さんは魔法師の弊害でティーンの容姿のままの黒髪の女の子、響子さんは水のようにさらりとした都会的な女性。

三すくみ、は違うな。三国鼎立…三つ巴のこう着状態?何だろう、この奇妙な緊張感は。

3人とも、きっちりと化粧をし、髪も整え、澪さんにいたってはいつもの上下ジャージから、ややフォーマルなスーツを身にまとっている。やはり、義理の母親になる女性の前では、きっちりと大人の女性の片鱗(?)を見せていた。響子さんはブラウスシャツに9分丈パンツ。オフィスカジュアルを着慣れている、さすがは社会人。

僕が紅茶を用意している間、3人は最初の挨拶の後、何故か無言で、僕がご機嫌で紅茶を入れている姿を黙って見つめていた。

静かで、お湯のこぽこぽ沸く音と、誰かの身じろぎの、ソファの軋む音だけが聞こえていた。

 

家は来客がめったにないので、ソファは3人掛けのロータイプでテレビを見るための配置になっている。

来客の際は、ソファを追加する。お母様にくつろいで頂こうと食卓ではなく、ソファに腰掛けていただいた。

作り置きしておいた甘さを控えたシフォンケーキとティーセットを並べながら、僕は終始にこやかだ。

それにしても、3人ともどうして黙っているのか。澪さんと響子さんの機嫌が少し悪い?3人とも、僕の一挙手一投足をじーっと見つめている。

お母様の隣に座りたかったけど、ソファは1人掛けだから、僕は定位置の澪さんと響子さんの間に、お母様とはテーブルを挟んで向かい合って座っていた。

 

僕が、澪さんと響子さんの間に座ると、2人にいきなり両手を握られた。これじゃお茶が飲めないよと抗議を…

 

「くすくす、大丈夫よ、久を盗ったりしないわ」

 

お母様が片手を頬に当てて、艶やかに笑った。心理学的には頬に手を当てるのは好意の表れなんだって。

 

「いえ…久君があまりに真夜さんにべったりで、新妻みたいだったので、つい」

 

澪さんが変な事を言う。僕は男の子だって。

 

「羨ましいくらい仲が良くて、少し嫉妬してしまいました」

 

これは響子さん。響子さんが素直に心情を吐露するのは珍しい。

お母様がカップに口をつけて、一呼吸置く。

 

「2人は距離が近すぎてすっかり慣れてしまっているようね。あなたたちも毎日同じような奉仕をされているのでしょう?」

 

確かに、僕がお母様にしているような奉仕は、2人にも毎日している。料理に洗濯、掃除もきっちりこなす。お風呂では背中を流すし、肩も揉むから、むしろそれ以上だ。

 

「そっ、そうですね…」

 

響子さんが、息を吐きながら答えた。

 

「久は主夫としては理想的よね。世の男性はそこまではしてくれないわよ。2人は幸せね」

 

いつも度が過ぎるほど奉仕する僕を思い出して、左右の女性が、頬を赤くした。2人ともすごく、可愛い。

2人がお母様と会った機会は、精々パーティーで数回、言葉を交わしたことも殆ど無い。個人的な交流は皆無だった。

澪さんは、さすがに動じていないけど、響子さんは夜の女王を前に、少し萎縮していた。

どう見ても中高生の澪さんが泰然自若、大人の響子さんが緊張している姿と言うのも、事情を知らない人が見たら奇妙に思われるだろうな。

 

「くすっ、3人は仲が良いのね」

 

お母様が僕の両手をチラッと見た。2人の手が、僕から離れた。手が自由になった僕は、カップに手を伸ばした。左右の2人の手も同時にカップに伸び、同じタイミングで紅茶を飲んだ。

その様子を、お母様はじっと見ている。その目元に、ちょっとした悪戯っ子の雰囲気がある。

奇妙な緊張感は、まだ続いている。

僕たちは義母、養子、婚約者、元婚約者の関係で、誰一人として、血のつながりがない。

婚約も養子縁組も紙切れ一枚、お母様の気まぐれで、簡単に瓦解する関係だ。勿論、精神的なつながりはある。でも、それは目に見えなく、僕には理解が及ばない。

特に、響子さんの立場は微妙だ。澪さんと違って。ちゃんとした社会人で、僕たち以外との生活がある。響子さんは軍閥には深い関わりがないはずだけど、軍と四葉家との関係は複雑で、九島家ともだ…

しかも、同じ部屋にいる自分以外は世界でも屈指の実戦魔法師だ。黙っているだけでも、その存在感に圧倒されてしまう。

響子さんが再び僕の手を握ろうとして、躊躇った。ここまで落ち着かない響子さんを見るのは初めてだ。

僕の中に、じわじわと言葉にしにくい感情が湧いてくる。これは、愛おしさだ。僕は響子さんの手をそっと握った。響子さんも握り返してくる。

澪さんも姿勢正しく、じっとお母様を見つめていた。

お母様は楽しそうだけど、僕の左右の2人は、さまざまな意味で強力なライバルが出現したって目をしている。

そんなに身構えなくても良いのに…僕はそう思うのだけど、2人にとっては今回の訪問は唐突で、お母様が何か決定的な知らせを告げに来たのかと、戦々恐々とまでは行かないまでも、色々な思考と感情が脳内を駆け巡っているようだ。

横浜での師族会議で何か決まったのだろうか…

 

お母様はそんな不安に、当然ながら気が付いている。じらして焦燥を煽るようなことは、しない。

 

「大丈夫よ、あなたたちの仲はもはや公認も同様だから」

 

お母様が、僕たちを順番に見ながら言った。

ん?

僕たちは3人そろって首を捻った。しかも、ほぼ同じ動作だったから、お母様はくすくすっと可愛く笑った。

 

「二つのテロ事件の後、横浜の魔法協会支部で開催された臨時の師族会議でいくつか方針が決まったわ。その殆どが、あなたたちにも関わる決定ね」

 

お母様が手に持ったカップをソーサーに置く。姿勢を正して、頭を下げた。

 

「まずは今回の件を謝らせてもらうわ。まさか敵が子供をテロの道具に使うとまでは想定していなかった」

 

やはり、一高で事件が起きることは想定いていて、僕に残るよう厳命したんだ。

敵の手段までは、僕はともかく、響子さんですら察知できなかったんだから、お母様は悪くない。

 

「災い転じて、とは不謹慎のそしりを受けるでしょうが、幼い子供の自爆テロは、死体が操られていたにしても、未熟な学生にとってはとても厳しい事件ね」

 

動じないのは、人非人の僕くらいだ。

 

「魔法師はちょっとしたことで『魔法』を失う。それは、精神的な理由が主。今回の事件で、一高から退学者が増えるでしょうね」

 

3月15日、一高は卒業式だから卒業する三年生はともかく、在校生は、厳しい魔法師の世界の現実と高校生活を秤にかけなくてはいけない。

 

「それは、戦略級魔法師である四葉久にとっても同様。ましてや、多くの生徒のいる中でたった一人、その身を晒して、文字通り手の届く距離で、自爆を見せ付けられた。

久を、この国にとって、もっとも重要な戦力を失うわけにはいかない。久の精神のケアはとても大事。一高テロを知った師族会議でも、真っ先に議題に上がったわ」

 

箱根の会議のように、権勢を争っている場合じゃない。

 

「久の精神が、澪さんと響子さんと同居を始めてから、物凄く安定していることは、他の十師族の方々も承知していた」

 

僕の一高入学からの生活態度は詳しく調べられている。

1人暮らしの時は、滅茶苦茶な生活習慣だったし、2人と同居する直前、僕は九校戦の帰りのバスで錯乱しそうになった。その時の僕を、新たな当主となった十文字先輩は良く知っている。

魔法力はともかく、肉体的精神的にはまだ子供だと、師族会議で十文字先輩が発言したって。

 

「久と澪さんの入籍に関わらず、響子さんがこの家を出て行くのは、今のタイミングでは危険と判断されました。ではいつまでか、それは今後のあなたたちと世界情勢しだいね」

 

「あくまでも師族会議の判断では、ですよね」

 

それは法的根拠はなく、僕たちの関係は一般社会では勿論、不貞のそしりは免れない。ただ、僕は戦略級魔法師だ。多少の融通…わがままは通る。

 

「お母様!僕は2人がいないと、錯乱とか、かんしゃく起こして、ちょっと『光の紅玉』をぶっ放しちゃうかもしれません。もしかしたら都心の方角に!」

 

「それは困ったわ。魔法師の精神はガラス細工のように脆いものね」

 

演技っぽく掛け合う母子。この辺りは良く似ている。ガラスはガラスでも、僕のは防弾ガラスだ。

ひょっとして、お母様は、こうなる事を想定していた?子供の死体を使ったテロも想定済みで、僕を一高に残らせた…なんてことはないよね。

 

「カトリックの国では入籍しないパートナーが多いそうよ。籍の有無は気にしなくても良いわよ」

 

宗教的に一度結婚をしてしまうと離婚が出来ない厳格なカトリック国では、未婚のパートナーが多いそうだ。

 

「そんな屁理屈、我が国では通用しないと思いますが…」

 

響子さんは慎重だ。

普段目を背けている問題だけに、面と向かって言われると、逆に心が冷えてしまう。

その理屈だと、ハーレムもありになる。もっとも、ハーレムはパートナーを平等に愛さなくてはならず、感情の生き物である人間では難しい。

では、恋愛のわからない僕は…いやいや。

 

「もちろん、これは公認ではなく黙認。だけれど、今回のテロの犠牲者の数が数なので、4月1日の久と澪さんの結婚式、ならびに披露宴は中止が決まりました」

 

「え?」

 

僕たちの結婚式は、有力者や著名人の出席が多く予定されていたから、招待状は婚約発表と同時に各方面に送られていた。大資産家五輪家の威信にかけた、盛大な結婚式が予定されていたんだ。

不謹慎、自粛、魔法師への逆風。中止は当然なのか。

とっさに横を見ると、あれ?澪さんは意外と落ち着いている。五輪勇海さんから知らされてはいないようだけど、

 

「ああ、中止は式とその後の披露宴だけであって、入籍自体は行います。世間の非難にならない程度の、内々の宴は開きます。でも、予定されていた、テレビ中継などは当然なくなったわ」

 

なるほど、澪さんの落ち着きは中止は式だけだってすぐに理解できたからか。

 

「晴れの場を中止にさせられて、落ち込む澪さんを、これも同じ女性である響子さんがフォローする」

 

確かに、僕たちの相手を任されるのは、響子さんが適任だと師族会議でも考えたのだろう。

披露宴は、五輪家の財力で、それはもう盛大な計画が練られていた。僕も澪さんも、ゴンドラに乗ったりするのはいやだったから、披露宴の中止はむしろありがたい。

僕たちの結婚は世間から祝福されていたから、多くの同情も得られるだろう。

 

「久への、一高生徒の悪感情も、放置できない問題よ」

 

おや?そこまで師族会議で話されたんだ。

 

「彼らは子供でも、彼らの背後にいる大人たちは無視できない。それに将来、彼らが久の、四葉家の障害になる可能性もある。

悪感情が凝り固まって、足を引っ張るだけならまだしも、いきなり後ろから撃たれたのではたまったものではないものね」

 

確かにそうだ。愚者に足をすくわれるのは、それ以上の愚者だ。

 

「警察とは別に、十師族からもテロリスト探索のチームが作られました。久もその一員に加わってもらいます」

 

「それは?久君は戦略級魔法師で抑止力、そのような地道な探索にはそもそも不向きでは?」

 

澪さんの意見は正しい。

 

「利用された幼い子供たちを不本意ながら倒した久は、義憤にかられて、自らも犯人捜索に名乗り出た。となれば、不満を持つ学生への牽制にもなる。

澪さんの幸せに水を差されて、年齢相応に感情的になっても、許される状況よ。放課後、久は犯人捜索のため、学校生活を犠牲にする…もちろん、実際に捜査する訳ではありませんけどね」

 

なるほど、あからさまに非難できなくなる。それに、放課後、微妙に居場所に困る僕の逃げ道にもなる。

 

「怒りの矛先を、首謀者に向ける、と言ったら、師族会議でも反対は起きなかった」

 

それだけ僕の存在は、ジョーカーであり、腫れ物でもある。

犯人の地道な捜索は、各家の専門家が行い、僕たちの出番は、首謀者の発見後の逮捕、もしくは抹殺か。学生が、と言う理由はいまさらだ。

 

「探索は関東が主になるので十文字家と七草家を中心にチームを組みます。久は、新たに当主となった十文字克人さんの下で、達也さんと一条将輝くんと行動を共にしてもらいます」

 

十文字先輩の件は僕も響子さんも知っているから、澪さんだけがちょっと驚いていた。

将輝くんも捜索に?その間、東京で暮らすのかな。でも、少し想像するけど、達也くんと将輝くんは微妙にかみ合わない。性格的にも、深雪さんを巡る立場的にも。

十文字先輩が2人の仲をとりもったりは…出来ないだろうから、両者の親しい友人である僕がいれば潤滑油がわりになる。

 

「その探索チームは四葉家の比率が高くなりませんか?」

 

響子さんが尋ねる。

 

「十師族として、久は四葉だけど、実情は独立した師族、と言う立場よ。戦争の非常時や100年前なら新しい苗字も作れたけど、現行法では臣籍降下以外での創氏は認められていない。

久の存在は十師族としても魔法協会としてもワイルドカード、これからはもう少し表に出てもらうことになるわ」

 

成人してからの公務が、少々早まったわけか。

 

「主にマスコミ対応、ね」

 

「えっ!それはイヤです」

 

僕は、中身はともかく、見た目は、特に若い女の子には人気が高い。真面目なマスコミもいるけど、化粧や、可愛い服を着させられて、笑顔を振りまく、近い未来が幻視できる…

それだけはイヤだ。お母様に泣き言を言うなら、今しかない。

 

「お…」

 

「今回の師族会議で十師族間の軋轢が広がったわ」

 

お母様が、声を落とした。

 

「特に、四葉家と七草家の関係は、修復できないレベルにまで悪化した」

 

お母様は内容までは言わなかったから、事情を知らない澪さんは少し考えた。

今回の師族会議で、九島家がはずれ七宝家が新たに十師族に選ばれたことや、七草弘一さんとお母様のこれまでの確執。達也くんと僕への抗議文などを思えば、悪化の理由は想像できた。

 

「ここで、まさかのウルトラCを弘一さんが提案した。流石の私も想定外の一手だったわ」

 

弘一さんは謀略好きだって真由美さんも香澄さんも言っていた。その謀略は、お母様への嫌がらせが主で、ちょっと計画として他が見えなくなる傾向がある。

以前も香澄さんが、

 

「七草香澄さんを、私、四葉真夜の養女に差し出すと、師族会議で、正式に申し込んで来られたわ」

 

その、香澄さんが…は?え?

 

「えっ?香澄さん?」

 

「それは、まるで人質じゃないですか!?」

 

響子さんは、僕たちの中では一番の常識人でもあるし、十師族でもないから、非難の声を上げた。

 

「あら、人聞きの悪い。閨閥作り…いえ、久と同じ、『猶子』ね。『なほ子のごとし』よ」

 

お母様が、人の悪い笑顔を見せる。

猶子は養子ほど明確な縁組ではなく、有力な一族との結びつきを強めたり、戦国時代などでは人質の意味合いもあった。

戸籍には入らず、羽柴秀吉が関白になるために近衛前久の猶子となり、家康が息子の秀康を秀吉の猶子に、人質として差し出した件が有名だ。

どちらにしても、歴史の、昔の制度、風習だ。

 

「当然、お断りしたのですよね」

 

お母様が、そんな提案を飲むわけがない。十師族として、他家より出色している現状では、メリットは少ないように思われる。

 

「いいえ、了承したわ。私が久にしたことと同じだと言われては、尚更断れないわね」

 

一瞬、脳に染み込む時間を置いて、

 

「はぁ?でも!」

 

澪さんがスットンキョウな声を上げた。いや、僕も響子さんも気持ちは同じだ。

 

「七草香澄さんは、久と同様、私の養女として迎え入れる事にしました。他の十師族の反対もありませんでした。この社会情勢で、仲たがいは不利益でしかありませんから」

 

一致団結、実に耳心地の良い、中身の伴わない言葉だ。

 

「とは言え、香澄さんをいきなり我が家に迎える、と言うわけにもいきません。学校生活もありますからね」

 

お母様の視線が、僕で止まった。

…?

いやな予感。

 

「久、香澄さんはあなたの義妹となるのだから、あなたがこの家で面倒を見なさい」

 

「「「はぁ?」」」

 

今度は、3人の声がそろった。確かに仲が良い3人だ。

お母様がリビングを見渡す。このリビングだけでも20畳ある。ダイニングを含めればもっと広く、我が家は空き部屋が幾つもあって…

 

「この家は広いわ。1人や2人増えても問題ないでしょう?香澄さんは四葉の籍に入るけれど、大学卒業までは七草を名乗ることになるわ。幸い、この家は魔法大学も近いものね」

 

「いや、しかし、未成年の女の子を家に住まわせるのは…それに、1人の女の子の将来を家庭の事情で決めるのは…」

 

自身も未成年みたいな澪さんが呟いて、そして沈黙した。

魔法師の子女、それも十師族の子女となれば、自らの自由意志だけでは、自身の将来は決められない。僕と、澪さんと響子さんはさまざまな事情と偶然が重なった稀有な例なのだ。

 

「法律的にも道徳的にも何の問題もないわ。妹と一緒に住むだけでしょ。たとえ、お互いキスしたり、裸を見せ合ったりするほど仲の良い兄妹でも、それは兄妹ですもの」

 

「ちょっ、お母様、解決した問題を蒸し返さないで!」

 

何で、裸の件まで詳しく知っているんです?

 

「3人とも、良い香りがするわね。3人で仲良くお風呂に入っていたのでしょう?いまさら不貞も不道徳もないわ。もう1人くらい一緒にお風呂に入っても構わないと思うのだけど?」

 

不倫を肯定するお母様は大人物だ。

左右から、物凄いプレッシャーが湧き上がる。これは、嫉妬と言う名の感情だろうか。僕には、わからない、わかりたくないよぉ!

 

「もし将来、一線を越えるような事態になっても、表沙汰になる事はないわ」

 

うぎゃぁ!お母様、爆弾を投下しないでっ!

一線って、なんですか?一線って!それって、いんこーですよ、都の青少年の健全な育成に関する条例に抵触しますよ!

 

「久、澪さん、響子さん」

 

お母様が、急に真剣な表情になった。これまでの笑みを湛えた余裕のある表情とは違う。知識と知恵に裏打ちされた、賢者の表情。人によっては、悪魔の表情かも知れないけれど、僕には聖母だ。

僕も2人もつい引き込まれる。

 

「久の体質は底が知れない。2人だけでは、いずれ持たなくなるわ」

 

それは、僕も気がかりで…

 

「でも…香澄さんを僕の事情に巻き込むわけには…」

 

香澄さんは、僕に好意を抱いてくれた。それは学生として、香澄さんの楽しい思い出として、すでに過去になった、つまり解決した話で、

 

「だったら私が3人目になって、一緒に住もうかしら。私も、母親の前に、女として、一人寝が寂しい夜もあるし…」

 

お母様が、今日一番の爆弾を投下した。

お母様と澪さんと響子さんと一緒に住む。それは想像しただけで、天にも昇る気分になった。

 

「ん、それは良い考え…」

 

「それは!」

 

「絶対に駄目です!」

 

2人の美女が、必死に、遠慮も我も忘れて、大声を上げた。

確かに、2人には遠慮することも、お母様には遠慮しなくていい。香澄さんが同居するより、お母様と一緒の方が、僕は嬉しい。毎日ご一緒できれば、毎日、甘えられる。

 

繰り返すけど、僕たち4人に、血の繋がりは、無い。法律的にはともかく、人として、生物として、時間はたっぷりある。

 

「お母様と一緒のほ…」

 

「香澄さんの件、了解いたしました」

 

「色々と問題はあるでしょうが、私たちがしっかり監視…いえ、監督いたします!」

 

2人が拳を握りながら、熱血監督のごとく立ち上がった。

急展開に、僕は呆然としている。

えーと、香澄さん本人の意思はどうなるの?

それに、香澄さんが義妹になると言うことは、真由美さんが義姉になることで、達也くんと深雪さんと僕と真由美さんと香澄さんと泉美さんが、義兄弟、義兄妹、義姉妹で義姉弟…

はじめて真由美さんに一高で会ったとき、「真由美お姉さん」と呼んで良いわよって言われた…あれは、未来予知だったのか!?

香澄さんが、僕の妹に!?

ええっ?

えええっ?

明日は…休校では、ない。

大混乱の僕たちをよそにお母様は、不思議な笑みを浮かべていた。

 

もっとくつろいでいって欲しかったけど、お母様は雑談も短く、帰ることになった。

玄関でお見送りをする僕たち。玄関ドアの外では、葉山さんがお土産に渡した小箱を運んでいた。お土産は我が家で使っているボディケアセットだ。僕たちの香りをお母様が気に入られてたので、ストックを差し上げた。家の石鹸は澪さんの会社が輸入している舶来品だから、必要なら定期的に僕が渡しに行く。これで、お母様も僕たちと同じ香り、家族の香りになる。

些細なことだけど、すごく嬉しい。

明日からの行動は、達也くんに従うようにと、最後に指示を受けて、別れ際、僕はお母様の頬にキスをした。

 

「お別れのキスです」

 

「あら、小粋なことをするのね、でも」

 

お母様は妖艶に笑うと、僕の両頬を掌で挟んだ。顔をすくっと持ち上げられ、お母様の美しい顔が目の前に近づいて…

 

紅唇が僕の唇を塞いだ。

 

咄嗟のことで、息が止まる。そのキスは、1分以上続いた。僕の体内の空気を全部吸い取るような、熱くて長いキス。鼻で呼吸をするのも忘れて、僕は陶然と、恍惚となる。

 

唇が離れる。

 

「…あ」

 

僕の口には、お母様の口紅がべったりと残っていた。

その時の僕の表情は、恋をしている乙女のそれだった。僕は名残を惜しんであごを突き出そうとするけど、腰に力が入らず、その場にへたり込みそうになった。全身の骨が抜かれたようだ。下腹部がもやもやして、切なくなる。

 

「もっ…と」

 

僕を見つめていたお母様の悪戯な目が逸れ、僕の後ろを見た。

掴めるんじゃないかと思うほどの濃厚なオーラが背後から沸き起こった。

背中が、焼けるほど熱いオーラ。

おかしいな、2人は卓越した魔法師だけど、CAD使用を前提とした、創られた魔法師の末裔だ。超能力的な部分は切り捨てられている。無意識領域は無意識では使えず、無意識に魔法式は構築されない。気迫はプシオンでもサイオンでもない。物質に直接の影響を与えられるほどの魔法力、オーラは、何の事情干渉だろう。情動干渉系魔法?いや、激情干渉系魔法なんて聞いたことないな…

 

「あなたたち、もう遠慮することはないのよ」

 

お母様が火に薪をくべる。いや、火は2つあるから、炎だ。

 

「お邪魔虫が増える前に、ね。はやく、孫の顔が見たいわ」

 

炎に、可燃物をたっぷり投入して、お母様は台風のように去って行った。

…うぅ。

背中が熱い。

僕の身体も、お母様に火をつけられている。

僕は、精神に干渉する魔法は苦手で…えーと、振り向くのが、怖い。

火と炎が重なると、何になるんだろう。

火炎かな?

 

火力が強すぎて、火傷は確実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




このSSは原作の行間でオリキャラの久がうろちょろしています。
原作の進行や登場人物の活躍を邪魔する事は、殆どありません。
しかし、師族会議編では、達也の行動は表に出ない話が殆どなので、久も四葉として行動します。
達也は久の事を信用していますが、久が真夜に盲目的に従っているので、
真夜関連、四葉の意思に関連する事情に関してだけは、久を頼りません。
しかし、深雪のガーディアンとしての達也は、いずれ久を頼らざるを得ない事に…

ながーい伏線を張って来ましたが、やっと香澄が久の家に住む流れになってきました。
現状、久にとって香澄は守るべき対象ではないのですが、甘やかされると久は弱いのです。
香澄には、澪と響子にはない学校生活と言うアドバンテージがあります。
これで、母親、姉、恋人、妹がそろいます。
この4人だけで済めば良いですが…

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