ベルくんちの神様が愛されすぎる   作:(◇)

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一話前日に投稿しています
長くなったので分割しました。


サブシナリオ1中下 インファント・ドラゴン

 桜花はインファント・ドラゴンと対峙しつつもその胸中には後悔や苛立ちが混じった複雑な感情があった。強大なモンスターと戦うことではない。自分の半端な選択が仲間を危険に巻き込み、傷を負わせてしまった。初めから自身がリーダーとして結論を出していれば、(みこと)が無茶な行動をすることも無かったのだ。

 

 命がLv.2へとランクアップし、その調整のために何時もより浅い階層で戦っていた。この場所に来たのは命の調整、という名目になっているが、祝いの席をサプライズで仕掛けたい団員たちの企みである。そのため残りのメンバーがホームで準備をしており、メンバーは何時もの半数、自分と千草、命の三名だけだった。

 そんな時に現れたのがインファント・ドラゴンで、そこで桜花は選択を間違えた。正しくは選択することを戸惑った。

 自身と命が居るのならインファント・ドラゴンは、想定外(じこ)が無ければ打倒も可能な相手だ。フロアモンスターを対処しながらでは難しく、周りのパーティに協力を求めなければならない。しかし自分からそれを行うことは自分たちの身銭を切らなければならない。また10階層を適正としている冒険者では、インファント・ドラゴンは腰を引かせるのに十分な相手だった。

 総合的に見れば十回同じことがあれば三回は壊滅になる可能性がある、桜花はそう最終的に判断した。

 

『(撤退するべきだ)』

 

 桜花は最初はそう判断した。たとえこの場所の冒険者たちが壊滅しようとも、自分たちはその選択を取らなければならないだろう。

 『冒険者は冒険をしてはならない』、そのセオリーに反する必要がある瞬間は冒険者をしていれば必ずある。しかし今はその時ではない、その冒険に対して釣り合うものがこの場所にはないのだから。

 それを(みこと)はどう思うだろうか。

 生真面目で、忠義者で、正義感が強い少女は、例え他者でも無暗に見捨てることを好まないはずだ。可能性がなければ自分たちを第一に考えるとはいえ、この状況を十回のうち三回は潰える、ではなく七回打破できるとも考えるだろう。

 

『桜花殿、戦いましょう』

 

 命はそう発言した。その言葉を聞いて桜花は即断することができなかった。

 冒険者の首領として見るならその意見を否定して即撤退すべきだ。だが桜花も人間で、自分の手の届くところで死にそうになっている者を見れば、引き留める程度の善性は持っている。本音を言えば誰かに負担を押し付けて撤退するようなことはしたくはない、それが正しい決断だったとしても。

 ここから逃げ出しホームに戻った後、祝いの席で沈んだ(みこと)を想起し、『一瞬』桜花は口にすることを戸惑った。

 

『それは』

 

『グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!』

 

 間違いだ、そう却下とした瞬間にインファント・ドラゴンのハウルがルーム全体に放たれた。

 あと数秒あれば桜花はリーダーとして間違いのない決断を下せるはずだった。冒険に必要な感情をそぎ落とし、(みこと)の意見を却下して撤退することができた。

 

『もう場が持ちません! 先に出ます桜花殿!』

 

『待て、命!』

 

 だが、間が悪かった。

 ランクアップした初期に持ってしまう(みこと)の全能感、それに伴う周りの状況、桜花の思い。それら全てが悪い方向に重なり合い、強制的に賽は投げられてしまったのだ。

 

 命はインファント・ドラゴンの前に出て対峙し、自身の名を掲げこの場に居る者全員を鼓舞した。彼女の才能は忍寄りではあるが気質は紛れもなく武士向けの物を持っている。

 

『千草、俺も前に出る。補助を頼んだ』

 

『わ、分かった』

 

 命の言葉によって恐慌状態が始まる寸前のところで各々は落ち着きを取り戻した。()()()()()()()()()

 今ここで撤退という判断を出されれば、自分たちが壊滅する率が上がっていく。

 

 故に桜花も命と同じように名乗りを上げ、周囲の冒険者たちに助けを求めた。戦闘すると決まってしまい、その時点で最も自分たちが安全だと言える状況を作り出すために。

 

 

 

「(その結果がこれか)」

 

 桜花はインファント・ドラゴンの猛攻を防御し、回避しながらそう思う。

 想定外(じこ)は発生して命は倒れ、千草はその治療に回っている。こちらに補助を回す余裕はない。

 傷は多いが動きが鈍くなるような、自分が戦闘不能になる前兆は訪れてはいない。周りの冒険者たちはインファント・ドラゴンに武器による攻撃や魔法を放ってはいるが、壁役でもあった命が居なくなった影響でその勢いも衰えている。

 盾役を他の冒険者にやってもらえば自分がアタッカーに回ることも、回復をすることもできたが、それを自ら行おうとする命知らずは居ない。現状は動かない。

 

 全部押し付けて、投げ捨てて逃げる。その選択肢を取らなければならなくなるのも時間の問題だった。

 

 インファント・ドラゴンが呻きを上げて自身の首を引いた。

 攻撃の前兆に桜花が盾を構えた瞬間、その顔面で爆発が起きた。紫色の光る何かがインファント・ドラゴンに着弾したのだ。

 

「これは、雷か?」

 

「下がって回復してこい大男!!」

 

 焦げた赤の髪の青年が桜花の横に立って叫ぶ。フロアモンスターの掃討役に回っていたその青年――ヴェルフは、大刀を構えてインファント・ドラゴンへと向かう。そしてその大刀を鱗が比較的少ない腹の部分へと叩きつけた。

 それはインファント・ドラゴンにとって痛撃ではないが、受け続ければ無視できないものだ。その視線は、ヘイトはヴェルフへと向けられた。

 

「……分かった、少し任せる!」

 

「おう!」

 

 インファント・ドラゴンをヴェルフに任せ、桜花は自分たちの団員が居る場所に向かった。

 今ならインファント・ドラゴンから離れることができる。距離という意味ではなく、この戦闘からという意味だ。

 

 自分の優柔不断さが仲間へ傷を与えたのなら、自分はもう間違えてはいけない。

 

 桜花はこの戦闘から離脱することを決意した。

 

――

 

 感じられる威圧感が今まで対峙してきたモンスターの比ではない。これ無理だわ、と。ヴェルフはインファント・ドラゴンと対峙し敵意を向けられた瞬間にそう思った。

 そして一歩飛ぶように後ろへ後退し、大刀を正眼に構えた。そしてベルに言われた言葉を想起する。

 

『ドラゴンは鳥と蛇の融合体みたいなもので、捕食の特性はそのまま攻撃に引き継がれている』

 

 例えばクチバシで落ちている餌を食べる鶏、そして蛇の攻撃である()みつき、インファント・ドラゴンが目の前の敵に対して行う敵対行動はそれが殆どだ。

 インファント・ドラゴンは自分の巨体が、力がそのまま武器になることを知っている。故に突進という手段や、自身の顔面による打突は必殺になることを知っていた。首を鞭のようにしならせ振り回す攻撃はそれを知らねば行わないはずだ。

 至近距離で突進をされれば避ける手段は無く、そのまま馬車の前に出た人のように挽かれることになる。そのためヴェルフは少しだけ間を開けて対峙しなければならなかった。その距離で行われる攻撃は、鳥の捕食と同じだった。

 

 即ち自身の顔面による打突と噛み付き、それをヴェルフは前兆を見て半身を反らし回避する。十数センチ隣にはダンジョンの地面を陥没させた。

 その威力をヴェルフに見る余裕はない。必殺の一撃ではなく、キツツキが木に穴を空けるように、その攻撃は連続してヴェルフに向けられていたのだから。

 

「あぶっ……ちぃ!!!」

 

 ヴェルフは回避しつづける。インファント・ドラゴンの凶器でもあるその顔面は弾丸のようで、ヴェルフの視界にははっきりとその輪郭は映らなかった。

 ヴェルフの回避は殆どが勘に過ぎない。無論その背後にはある程度の確信があった。

 

『蛇は捕食の前に咬蛇姿勢を取る。後方で体をばねのようにして、一気に伸びて跳躍する。インファント・ドラゴンも同じで、打突を行う前には首をわずかに退く』

 

 そのタイミングを見てヴェルフはその瞬間に立っていた場所から左右に退避すればいい。拳闘士のパンチに対して、拳を見てから避けるのは不可能だ。だからこそ彼らはそのわずかな前兆を見て勘で攻撃を回避するのだ。

 そして拳闘士のようにフェイントをかけられるような知能をインファント・ドラゴンは持っていない。

 

『だから拳闘士(かれら)と同じように勘を頼りにヴェルフもやればいい。……簡単だよね?』

 

「簡単なわけあるかふざけろ!!」

 

 勘がいつまでも続くはずがなかった。回避が足りない、と判断したその一瞬でヴェルフは自身の大刀を盾にして打突を受け止める。

 みし、という自身の骨か筋肉が軋む音がヴェルフの耳に届く。そして自分の持つ大刀が衝撃で曲がっていることに気が付いた。遅れてきた痛みが体を走り、すぐその痛みを無視して威力を流すように体を反らした。

 その威力に膝をつき、ヴェルフの思考に悪寒が走る。次の一撃で自身がくたばるという未来予知に似た勘だった。

 そしてそのタイミングを見計らったかのように白い影は動いた。

 障害物を回避し走るパルクールのように、走り、登り、着地と跳躍を行いインファント・ドラゴンの身体を駆け上がる。

 

 ヴェルフへの一撃の感触にインファント・ドラゴンがわずかに高揚した。ヴェルフが膝をついた姿を見てわずかに油断したのだ。再度攻撃しようと自身の首を後ろに引いた瞬間、自身の顔に何かが引っ掛かった。

 虫だ。白い虫がそこに居て何かを自身の鼻へと突き刺した。

 

「く、らぁ、ええええええええええ!!!!」

 

「グギャグッガガッグゥゥウウウ!!!!!???」

 

 ベル(むし)が目、鼻、口のどこでもいいと突き刺した魔剣は、その刀身に秘められた力を解放した。

 雷属性の魔法に似たその一撃はインファント・ドラゴンの顔面、正確には鼻孔内で炸裂したのだ。

 反射的にインファント・ドラゴンは首を振った。顔面に張り付いた(ベル)が再度同じことをやることを恐れ引き剥がそうとしたのだ。インファント・ドラゴンにとって下級の魔剣は大したものではないが、顔面にスタンガンを打たれて微動だにしない人間が存在しないように、その一撃を憂慮するのは当然だった。

 

「グガァガァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 剥がれた虫が今度は自分の背に着地したのを感じたインファント・ドラゴンは、自身の身体を揺すり、転がり引き剥がそうと暴れ出した。体を反転させ、尻尾を振り回し、背を地面にこすりつけた。幸いなことに腰が引けていた冒険者たちはそれに巻き込まれることは無かったが、ヴェルフは転がるようにその範囲外へと退避した。

 十数秒ソレは続き、やがて再度四肢を地面につけたインファント・ドラゴンが体を軽くゆすった。自分の身体についた埃や土を払うようにしたその動作の後、とん、という感触が背中に走る。

 

 まだ、(ベル)はそこに居た。

 

「なんだありゃあ!? 曲芸師かなんかか!?」

 

 冒険者の一人が叫ぶ。

 ベルが行ったのはインファント・ドラゴンの上での跳躍と着地、それだけだった。玉乗りか暴れ馬への乗馬か、それと同じように体が動くリズムに合わせて着地と跳躍を繰り返したのだ。

 人は恩恵を受けずとも暴れ馬を、興奮する牡牛を、恐竜のような猛禽類ですら乗りこなすことができる。ならば神の力の一端を、その恩恵を受けた人間が、ドラゴンという多少スケールが増えただけの生物に乗ることは簡単――

 

「(なわけあるかふざけんな!!!)」

 

 奇しくもベルはヴェルフと全く同じことを思い憤慨し荒い息を吐いた。自分の思考は全て着地と跳躍に向けられ息をすることも忘れていた。それでもできるかは五分五分で、何とか致命的なダメージを負わずにいられたのだ。もう一度やれと言われてできる気はしなかった。

 

「だぁああああああああああ!!!」

 

 インファント・ドラゴンの意識がベルへと向けられそうなったとき、再度ヴェルフはインファント・ドラゴンへと突貫した。曲がって使えなくなった大刀を捨てて予備武器メイスによる打撃をその体の一部へと叩き込んだ。

 前足部分で一番小さな指先、爪の根の部分の一点への打撃にインファント・ドラゴンは小さな悲鳴を上げた。その部分は大したダメージにならずとも痛撃にはなる。

 自分はともかくベルは一撃まともに食らったら死ぬ。その事実がヴェルフを動かし結果として数秒、インファント・ドラゴンを怯ませる。

 その一瞬で再度ベルはインファント・ドラゴンの頭へと登った。

 

「(うざったい虫が二体、まとめて吹き飛ばすなら次は『ソレ』だよね!?)」

 

 ベルは次の行動を選択し、ポーチから道具を取り出した。ヴェルフと自分ではインファント・ドラゴンを討伐するほどのダメージを与えることはできない。自分は道具を使ってようやく効果がある行動ができる程度だった。

 インファント・ドラゴンがベルに意識を向けた時点で、ベルは自分が面倒くさい相手だと思われていることを理解した。ヴェルフに対しても同じだろう。

 そしてのた打ち回るという行動に出て、それがベルには効かなかったように見えたはずだ。だからベルは次にとる行動を読み取った。自分とヴェルフを纏めて攻撃を与える方法は他に一つだけだ。

 

「モルブルを使う! ヴェルフ離れて!」

 

「分かった!!」

 

 インファント・ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。咆哮(ハウル)の前兆、それを起こしたと同時にベルはその道具を――強臭袋(モルブル)を握りつぶしその残骸をインファント・ドラゴンの顔面へと叩きつけた。

 息を吸い込むその瞬間にモンスター達が嫌悪する臭いを叩き込まれ、無視できない刺激に行動は中断(キャンセル)された。顔面に付着した何かを取ろうと反射的にインファント・ドラゴンは己の首を動かし顔を大きく左右に振った。

 ベルは己の行動がインファント・ドラゴンにがむしゃらに体を振るわせる行動になると想定できていた。だからこそそれに巻き込まれないようヴェルフを離れさせたのだ。

 ベルはインファント・ドラゴンの頭の上から跳躍し離脱する。わずかにベルの足が宙に浮いた瞬間だった。

 

 頭を振ったインファント・ドラゴンの角が、ベルのつま先にぶつかった。

 

「(まずっ……!)」

 

 体の中心部ではなく端に与えられたその衝撃は、プロペラの端を押すように宙に居たベルの身体を回転させた。何度も反転する世界にベルの思考は付いてこない。目まぐるしく変わるその視界に、動体視力も思考も付いていくには【器用】のステイタスが圧倒的に足りなかった。

 そして慣性の通りに落ちるベルの先にあるのは、モルブルの臭いを消そうと首を振り回すインファント・ドラゴンの姿があった。

 

「ベルぅ!!!!」

 

 意識も何もない、無意識の行動故の衝突事故。首を振ったインファント・ドラゴンの一撃はベルに直撃しその体をルームの端に向かって弾き飛ばした。

 ベルの言葉で暴れるインファント・ドラゴンから離れたヴェルフは、再度向かおうとしたところで弾かれるベルの姿を見て叫んだのだ。

 

 低いステイタスの身体に致死量の力によっての一撃、ベルの死、最悪を想定し思考が途切れる。

 ヴェルフの耳に届いたのはそれが原因だったのだろう。

 

「あいつもやられた、もうだめだぁ! あんなの俺たちじゃどうにもならねぇ!」

 

「タケミカズチのところは何やってんだよ!」

 

 耳障りな内容の声が、ヴェルフの耳に届く。

 ここに残った冒険者は、ヴェルフ自身も含めて桜花たちのおこぼれを狙ったハイエナだ。桜花たちが居なければ残って戦おうとするものは居なかっただろう。

 危険な場所である壁役を誰一人やろうとしないのがその証拠だった。

 

「……ふざけろ」

 

 ヴェルフだってその心境は理解できる。

 たった一撃大刀で防御しただけでそれは曲がって使い物にならなくなった。骨が軋みピリピリとした感触が手先にある。まともに受ければ行動不能になることが安易に想定できる一撃だった。

 この乱戦で行動不能になればそれは死に直結する。それが怖いのは先ほどまで覚悟を決めきれなかったヴェルフ自身が良く知っていた。

 そして今、戦う選択をとったベルが直撃を受けて死んだ。愚か者の末路がそこにあった。

 だが、それでも。

 

 

「ふざけろお前らぁ!!!!」

 

 

 端的に言うなら、ビビる冒険者たちの不甲斐なさにヴェルフはキレた。そしてベルが死んだ事実に自分の無力さもまとめてぶちまける。

 ベルが倒れたのは自分たちの選択で、いわば自業自得だと理解していて、周りの冒険者たちの行動も勝手だと理解していてその上でブチ切れたのだ。

 

「お前らのその装備は飾りか!? Lv.2の保護者が居なけりゃなにもしねぇのか!?」

 

 何を言っているんだ、とそういった様子の冒険者たちに向かってヴェルフは叫んだ。

 

「お前らは冒険者だろうが! 三流鍛冶師(スミス)駆け出し(ルーキー)のサポーターが戦えて、なんで冒険者(おまえら)ができねぇんだよ!?」

 

 ヴェルフには彼らを侮蔑する資格は無いだろう。それでも逆ギレ上等八つ当たり上等言わんばかりにヴェルフは叫ぶ。

 インファント・ドラゴンが顔のモルブルの臭いが取れないと理解して諦めるのも時間の問題だ。そうなればその意識は周りに向けられるだろう。それまでが残された時間だった。

 

 ヴェルフは自分の予備武器であるメイスを握りしめる。自分は死ぬ、それが十数秒後か分単位で後なのかは、インファント・ドラゴンだけしかわからない。

 インファント・ドラゴン対峙してからの戦闘時間は五分にも満たない、だが自分とベルは数分とはいえ命を預け合った。真っすぐに同じ結果(ばしょ)を目指して戦っていた。ヴェルフのサポーターである、それだけの理由で自分(ヴェルフ)の意見を尊重し、背中を押したのだ。

 

 その男を友と呼ばずに何と呼ぶ。その友が死んで、何もできず何もやらずおっ死ぬのかヴェルフ・クロッゾ。

 

「冗談じゃねぇ」

 

 一言、呟く。

 それは自暴自棄だ。ヴェルフの身体を突き動かすのは決して良い理由でも意味のある感情でもなく、また冒険者としては愚か者の考えだった。

 だからどうした、俺は『大馬鹿野郎』だとヴェルフは内心で正論を踏み潰す。

 

「冒険すんのが怖いなら、最初から出てくるんじゃねぇ臆病者」

 

 ヴェルフは周囲にそう吐き捨てた。

 ポーチから取り出したハイポーションを一気に飲み込み、空になった試験管をその場に投げ捨てる。そして一歩、前に出る。打撃槌を両手で握り、息を吸い込み――駆けた。

 

 インファント・ドラゴンがモルブルの臭いを消すことを諦めた。首をわずかに引いた攻撃の前兆、それを見たヴェルフが半歩横に回避する。

 数センチ横を打突は通り過ぎ、そのままヴェルフはインファント・ドラゴンへ向かって駆けた。接敵する直前に打撃槌を肩に担ぎ叫ぶ。

 狙いは無い。ただ叩きのめしてやると思いだけで振るわれた槌はその肉体へと直撃する。

 

 

 ぎん、という鉱物がぶつかる音が聞こえた。

 ヴェルフの感覚が捉えたのは腕に上がってくる手へのしびれ、そして頭が吹っ飛んだ槌が視界に入る。

 

「……固ぇ」

 

 インファント・ドラゴンにダメージは無い。乱雑になった一撃に怯むほど、インファント・ドラゴンは弱くは無い。

 いくら思いが込められようと、どれだけの意思があったとしても此処は『ダンジョン』だ。あっけなくそれらを踏み潰し、力不足という現実(けっか)をそこに示した。

 

 ヴェルフの身体は殴った時の衝撃で数歩、離れた場所に着地した。そして伸びた首をインファント・ドラゴンはそのまま横に動かし、それに巻き込まれヴェルフは弾かれる。

 背中を地面にぶつけたヴェルフは点滅する視界でインファント・ドラゴンを見つけた。

 

 首を引く、攻撃の前兆。回避手段は無い。

 

 

 

「よくほざきやがったクソ鍛冶師(スミス)ぅぅううううう!!!!」

 

 

 ヴェルフの前に現れたのは大盾を構えた名も知らぬドワーフの男だった。

 ヴェルフの代わりにインファント・ドラゴンの攻撃を盾越しに受けたその男は、衝撃を殺しきれずそのまま後ろに転がった。そして腰に据えていた剣が地面に落ちた。

 九死に一生を得てあっけにとられたヴェルフは、次いでインファント・ドラゴンに投げ込まれた騎士槍(ランス)に気が付いた。

 

「剣を借りるぞドワーフ!」

 

「手垢着けんなよヒューマン!」

 

 ドワーフの男の横に落ちた剣を拾いながらヒューマンの少女はインファント・ドラゴンに向かって駆けた。自身の武器はインファント・ドラゴンに向かって投げ込んだ。叫び声をあげて自身の恐怖をごまかしながら攻撃を開始する。

 同時に複数方向からアタッカーを務めていた冒険者たちがインファント・ドラゴンへと接近する。彼らの表情に浮かぶのはヒューマンの少女と同じ恐怖で、震える手を無理やり押さえつけていたのだ。

 ヴェルフを庇い転がったドワーフも立ち上がり、再度インファント・ドラゴンへと向かった。盾はへこみ、腕が折れているのにも気が付かないといった様子だ。

 

 

「潰せ! 潰せ! 潰せぇええええええええ!!!!!!!!!!」

 

 

 それは誰の叫び声なのかもわからない。それでも剣を、槍を、盾を、武具を持った冒険者たちは突貫する。

 インファント・ドラゴンは首を振り回しそれを鬱陶しそうに薙ぎ払う。攻撃に巻き込まれ苦悶の声を隣で上げていても、冒険者たちは狂ったようにインファント・ドラゴンへと向かっていった。

 

 

 此処にいる彼ら、彼女ら冒険者たちは少しだけ利己的で、ずるい。それでも普通の範疇の者達だった。そして共通する点が一つある。それは十階層まで自力で上がってきた冒険者たちであることだ。

 (みこと)が自身の名とファミリア名を叫んで戦闘を開始した後、桜花に協力すると参戦した者たちは全員同じように自身の名とファミリアを叫んで戦闘に参加した。

 そんな風習はオラリオや冒険者たちの間には無い。ではなぜ彼らがそれをしたのかと言えば、単純に(みこと)に釣られたから。そして――(みこと)の行動がカッコよくて真似したからだ。

 

 馬鹿らしい理由だが十階層まで来る実力がある冒険者たち根源にあるのは、誰もが抱くような名誉欲で、それが目指すのは自身の中で素晴らしいと思う自分だった。

 楽に稼ぐなら弱者をいたぶればいい、自分たちのギリギリの実力ではなく、もっと浅い階層でモンスターを狩っていればいい。そうではない彼らは、誰もがもっと上に行きたいという欲望を持っていた。

 それが表に現れないのは感情や理性、常識があるからで、目指したいものと同じように体が動かないことなど当たり前のことだ。

 Lv.2の上位者の下で楽に経験値を稼ぎたい、一発で戦闘不能にしてくるモンスターが恐ろしい、ランクアップしているのなら攻撃を堪え切れるのだから、そいつらが負担を背負えばいい。だから体は動かず、ただ状況が動くのを待っていた。

 

 それを無視してインファント・ドラゴンと戦った『大馬鹿野郎』が居た。

 

 馬鹿だ、理性が飛んだ狂人だ、自分の力量も理解していない愚か者だ。

 

 だが強大な存在に立ち向かっていく【英雄】のような姿に、心の一番奥の本音で、カッコいいと、そう思わない者は誰もいなかったのだ。

 

 Lv.2の桜花では彼らを奮起させることはできなかった。それはランクアップによって得たステイタスは彼らと同じ場所に立ってはおらず、安全地帯から声を掛けられているようなものだったのだから。

 だがヴェルフの時は状況が違った。モルブルボムで一時的に止められたモンスター達は入り口に屯しており、逃げ場所の無い背水の陣が敷かれている。

 そしてヴェルフは冒険者たちと何も変わらない、Lv.1である普通の人間である。その男が言った罵倒じみた言葉は激励となり、生まれた意地や怒りといった感情が彼らの常識や理性を叩き潰した。

 

 死はもうすぐ近くにある、理想とかけ離れた今の自分のまま死んでいくことを理解した冒険者たちは、ヴェルフの自暴自棄を含んだ狂気に釣られた。

 

 だったらせめて自分の根源にある憧憬(ほんのう)の通りに【冒険】をしようと体を突き動かしたのだ。

 

 

 そしてここに結果として現れる。

 此処は『ダンジョン』だ。ヴェルフの時と同じ、力の伴わない思いはあっけなく潰れていく。必死になって打った攻撃を受けてもインファント・ドラゴンは僅かに身じろぎするだけで、大したダメージにはなっていない。それどころか攻撃を受けて吹き飛び、戦闘不能になった冒険者もいる。

 力不足という現実は思いだけで埋めきれるものではなかったのだ。

 

 ヴェルフが突貫した時と全く同じことが結果としてあらわれた。――ならば、ヴェルフが冒険者たちを突き動かした時と同じように、『誰か』を動かすのは当然だった。

 

 

「ゴグゥウウウウ!!?」

 

 

 影が一つ、インファント・ドラゴンへと接近する。手にあるのはバトルアックス、敵の意識の外から放たれた、防御を考慮しないその一撃はインファント・ドラゴンの鱗ごと体を引き裂いた。

 痛撃となった一撃を放った者を見て誰かが叫ぶ。

 

 

「遅ぇぞ大男ぉ!!!!」

 

「ああ、悪かった」

 

 

 桜花・カシマ。Lv.2の冒険者が再び戦線へと復帰した。

 


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