ベルくんちの神様が愛されすぎる   作:(◇)

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サブシナリオ1中上 インファント・ドラゴン

 インファント・ドラゴン。小竜と呼ばれるそのモンスターは文字通り幼い竜のような外見であり、炎を含んだ竜の吐息はまだ出せず、飛ぶための翼はない。未熟な竜のようだ、という意味合いで付けられたのがその名だった。

 ただし竜種だ。堅牢な外殻と強靭な肉体はダンジョン上層のモンスター達と一線を画していた。パーティ単体で出会えばまず崩壊するというのがギルドの見解だ。Lv.1の冒険者では勝つことができないだろう、と判断されている。

 そう、十一、十二階層で中層攻略の目途を立てているパーティを簡単に崩壊させているモンスターである。少なくとも総合力で一回り劣る十階層が適正の冒険者にとっては、死、そのものであった。

 

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」

 

 大きく息を吸い込んだインファント・ドラゴンがルーム全体へと咆哮(ハウル)を放つ。反射的に耳を塞いだヴェルフは、強制的な停止状態(リレイスト)へと陥った。

 我が声に応えよと、まるでそう告げたインファント・ドラゴンの咆哮へ反応を起こしたように、ダンジョンから、ぴしり、ぴしりという壁がひび割れていく音が響き渡る。

 

「(ふざけろ……っ! 怪物の宴(モンスター・パーティ)のおまけつきだぁ……? いや、違う? どっちだ!?)」

 

 内心でヴェルフは零す。ダンジョンからモンスターが生まれてくる速度がいつもよりも早い。眠っている所を階層主(インファント・ドラゴンに)怒られ無理やり起こされたような、そんな慌ただしさがあるような気がした。

 ほんの少しのダンジョンの様子の違い、それがヴェルフに少しの時間の無思考状態を作り上げる。

 

 どうする、どうする! どうすりゃいい!?

 

 

ヴェルフが思考停止(リレイスト)状態から復帰した瞬間、斬、という剣撃の音が響き渡った。

 

 そこにはその一撃で僅かに悲鳴を上げ体を揺るがせたインファント・ドラゴンの姿があった。

 その剣撃の音を奏でたのは一人の少女だった。極東風の服、ヴェルフが纏っているような着物が目を引き、その手には脇差と呼ばれる刀があった。

 

 

「この戦場はタケミカヅチ・ファミリア、【絶†影】のヤマト・(みこと)が預からせていただきます!!」

 

 

 凛とした声はそのルーム全体へと行き届く。武士が名乗りを上げ戦場に自身の存在を知らしめるように、少女はこの場へと自身の声を響かせた。そして怯んだインファント・ドラゴンが動き出したのはその直ぐ後だった。

 蛇のように食らいつこうとする噛み付きを受けることはせず、少女は回避し続ける。その光景を見た冒険者の一人が呟いた。

 

「【絶†影】……じゃあアイツはタケミカズチ・ファミリアの【絶†影】か! Lv.2の冒険者だ!」

 

「最近神会でランクアップが報告されたあの……」

 

 冒険者達から零れた声が辺りへと行き渡る。わずかな騒めきに込められているのは、歓喜の混じった声だった。

 Lv.2に到達した冒険者は神会のよって神達に二つ名を付けられ、それはそのまま冒険者の名声となる。称号(ふたつな)は暇な神達によって直ぐにオラリオ中に広められ、多くの住民たちは冒険者本人を知らずともその称号は耳にすることになるのだ。

 それはこの場所にいる冒険者たちも例外ではなく、上級冒険者が居る、という状態に僅かに安堵した。

 

 

「……くっ。千草、盾だ! タケミカズチ・ファミリア、カシマ・桜花、同じく参戦する! 悪いが手が足りない、手助けを頼む!」

 

 

 そのファミリアの仲間である男、桜花は仲間の少女から盾を受け取ると、周囲に向かって叫びそのままインファント・ドラゴンと対峙する。桜花の言葉に周囲が騒めき――その騒めきに混じるようにベルはヴェルフへと問を投げかける。

 

「ヴェルフ、状況が変わった。協力する? それとも逃げる?」

 

「どういう状況なのか教えてくれ! これ怪物の宴(モンスター・パーティ)じゃねぇよな!?」

 

 パーティのリーダーはヴェルフであるためベルは判断を投げたが、ヴェルフはそれどころではなかった。

 ヴェルフ自身、多数発生したモンスター達を怪物の宴(モンスター・パーティ)だと考えた。しかし自身が過去に遭遇したものよりも発生量が少ないことからそれが違うとだけ分かった。ただしそこまでだった。ベルの選択肢を聞いて今すぐ逃げなければならない危機的状況ではないことは理解できても、選択肢の先の状況まで直ぐに頭の中に浮かべることはできなかったのだ。

 叫ぶようなヴェルフの言葉に、ベルは淡々とした口調で答える。

 

怪物の宴(モンスター・パーティ)じゃないから逃げるならモルブルを使ってほぼ確実逃げられる。協力するなら――あの竜の素材や魔石の分配に参加できるし、上質な経験値も得られる。ただ確実じゃないし冒険者のセオリーから外れる」

 

 冒険者のセオリー、即ち『冒険者は冒険をしてはいけない』ということだ。ベルはこの場所で主力になるタケミカズチ・ファミリアのメンバーが確実にこの場を乗り切れるとは考えていない。乗り切れない、ということもないだろうが。

 ゴライアス、ウダイオスといった階層主の能力はその層での適正Lv+2程度の能力を持つ。だがインファント・ドラゴンは『実質の』階層主ではあるが、単なるレアモンスターでもあるため求められる能力値は他の階層主ほどではない。数値でいうのなら+1.5程度だろうか。Lv.2である【絶†影】の(みこと)、そして団長である桜花の二名が居るのなら、決して負ける相手ではない。

 

「(ただ……行動が半端なのはなぜだろう。単に判断を間違えただけなのかもしれないけれど)」

 

 ベルは片手に短刀を持ち、モルブルを直ぐ取り出せる体制を取りつつも頭の中で首を傾げた。

 この場での正解は助力を求めず戦闘を開始するか直ぐに逃げるかの二択である。命の行動は一種の扇動術であり、逃げる冒険者もいるが戦いに参加する者と暗黙の了解を取り、協力体制を敷くことも可能だった。

 だが桜花は周りのパーティに『助力を求めた』。言質を取らせた時点でこの場所での戦闘後に得られる成果は、周りのパーティへの報酬で大きく減るだろう。当然ベルも、この戦いに参加するなら報酬を桜花から毟るつもりだった。

 

「……ディア・ファミリア、オリアナ・ドレーク! その戦闘に参加させてもらうぞ!」

 

 命の言葉に当てられた槍使いの少女が、同じく声を上げて参戦する。

 その言葉に引かれたように他のパーティもファミリアと自身の名を掲げてインファント・ドラゴンへと武器を向けた。

 ベルはヴェルフがどう判断しても行動できるよう、辺りの状況を見ながら、再度ベルはヴェルフに問いかける。

 

「それで、どうしよう。五秒以内に決められないならモルブル使って逃げよう」

 

 言葉を投げられたヴェルフは、ぎり、と奥歯を噛んだ。今更になってエイナに指摘された『貴方はこのパーティのリーダーでもある』という言葉が突き刺さったからだ。

 このまま数秒待ってベルの判断を待てば無難に退くことになる。だがそれだけはダメだ。土壇場で判断を投げるような逃げの選択を取れば、それは以後も癖になって続くだろう。

 ベルから選択肢の詳しい説明を聞き、ヴェルフがとっさに取ろうとした選択はこの場への参戦だった。インファント・ドラゴンの素材は貴重で換金や武具の生成など使い方によっては高いリターンが見込めた。そしてなにより必要な純度の高い経験値を得ることができる。自身のステイタスはとっくの昔にLv.2到達条件を満たしているため、この場の戦闘はそのままLv.2へのランクアップの機会でもあるのだ。

 

「(……いいのか? 俺はともかくベルは明らかに適正ステイタスを満たしてねぇぞ?)」

 

 この階層ではオークですらベル一人では難しいだろう。インファント・ドラゴンなどまともに一撃受ければ致命傷まであり得る。ヴェルフ自身余裕もなく、ベルをカバーできる自信は無いが、それでも戦う選択をするならやらなければならない。

 自分だけの(エゴ)のためにベルを、彼の命を危険な状況に賭けさせることになる。今までソロでやってきたヴェルフにとって、正しい意味で誰かの命を背負うのは初めてであり、その重さに思わず奥歯を食いしばったのだった。

 

「俺は……この戦いに参加したい。付き合ってくれるか、ベル?」

 

「分かった、戦おうヴェルフ。何時ものように状況を知らせつつサポートに回るから、前衛をお願い」

 

 絞り出すようなヴェルフの懇願にベルは即答する。思わずぽかんとしたヴェルフだったが、すぐ再起動して大刀を肩に構えると口元に笑みを作った。

 淡々としたベルの言葉は何時も通りだった。つまり何時も通り状況を乗り切れると確信しているようなベルの姿に、ヴェルフはそれが頼もしいものだと感じたのだ。

 

「(大丈夫か、なんて聞くのは野暮だよなぁ!)」

 

 ベルの思惑はともあれ、ヴェルフの背中を押したことは確かだった。それならその期待に応えたいとヴェルフも思ったのだ。

 

 

「行くぞベル。ヘファイストス・ファミリア、ヴェルフ・クロッゾ! その戦闘に参加する!」

 

 

 

 

「こっちの手は足りている! 小竜以外のモンスターの掃討をやってくれ!」

 

 桜花からの指示にヴェルフは足をつんのめりかけた。

 

――

 

 戦闘自体は順調だったといえるだろう。フロア出口付近に陣取ったインファント・ドラゴンへ向かうアタッカーと他のモンスターの掃討役と別れて戦闘をしている。

 Lv.2である命と桜花は壁役前衛を務め、インファント・ドラゴンに痛撃を与えられる存在でもあるため攻撃の殆どは二人へと向けられていた。残った他のパーティがその合間を打って攻撃し、インファント・ドラゴンへとダメージを蓄積させている。

 ベルとヴェルフ、そしてもう一つのパーティはオーク、バットパットといったフロアモンスターの撃退を行っていた。攻撃前衛は十分な人数がおり、それ以上いても邪魔にしかならないという桜花の判断だった。

 ヴェルフにとっては貧乏くじで、もう一つのパーティにとっては当たりくじである。

 

「おおい、タケミカズチのところの団長さんよぉ! 俺たちを顎で使うんだからきっちりと報酬を分けてくれよぉ!」

 

「く……分かっている!」

 

 インファント・ドラゴンへの対応で苦し気な声を上げながら、桜花はそのパーティのリーダーへと返答した。事実桜花は後のことよりも今の戦闘で手がいっぱいだった。返答がおざなりになってしまい、その内容に男たちは豪勢だねぇ、と囃し立てるような声を上げた。それと対照的に彼らに討たれたオークは鈍い声の悲鳴を上げて倒れ伏す。

 そのパーティも10階層で恒常的に狩りをしている。何時もの狩りに多大な報酬が付いてくるため彼らにとっての当たりくじだと言えるだろう。多少のリスクはあろうとも大きな苦労もせず、リターンが見込めるのだから。

 

「んなのありかよ……くそっ」

 

 対してヴェルフは先ほどの決意はなんだったのか、という微妙な表情でインプたちを切り伏せながら悪態をつく。その直ぐ後にオークがダンジョンの壁から生まれるのが見えて、舌打ちしつつもそちらへ向かって走った。

 ヴェルフの主目的は経験値で報酬は二の次だ。さらに言うのなら気負い過ぎたところに水を差された気分だった。

 ベルが命を賭けるなら自身も……という思いに冷や水をかけるように、危険度の少ない状態となって集団戦(レイド)に参加することになった。そのためもやもやとした思いは晴れない。

 ただ、本当の貧乏くじという意味ならタケミカズチ・ファミリアのパーティだろう。Lv.2である彼らにとって決して純度の高い経験値ではなく、また報酬はほぼなくなることが確定しているのだから。

 

鍛冶師(スミス)とサポーターの白兎! もうちょっとモンスターを引き付けられねぇか!? 」

 

 俺たちばっかり大変なんだよなぁ、と。男たちは挑発混じりに目の前のオークへと対応していたヴェルフに声を投げる。その言葉の中には、なんでお前たちみたいな少人数のパーティがこんなところに居るんだ、と。侮蔑を含んだ言葉だった。

 なんだと、とそうヴェルフが反応したところでそれは声に遮られた。

 

 

咆哮(ハウル)が来る、ヴェルフ!」

咆哮(ハウル)が来ます、皆さん!」

 

 ベルと相手のサポーターの声が同時に響き渡る。

 ベルはヴェルフが対峙していたオークの顔面へと小さなボール状の道具を投げつけると、それは着弾と同時に破裂し中の液体がオークへと付着した。オークがその刺激で目を押さえるが、その効果を見るより前に、フロアのほぼ全員が自身の耳を塞いだ。

 

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 

 息を吸い込む予備動作をして喉辺りを大きく膨らませたインファントドラゴンは、全ての息を声とともに吐き出して衝撃波を放った。風さえ感じさせるその音波は周囲のモンスターを強制的に停止状態へと追い込み、まともに食らえば冒険者も例外ではない。

 ただし抜け道がないわけではない。音と圧で体をスタンさせるそれはタイミングよく音を遮断すれば効果は半減する。

 咆哮(ハウル)をやり過ごせた冒険者たちは何事もなかったかのように攻撃を再開した。戦闘を開始してから数度、インファント・ドラゴンは咆哮(ハウル)を放っている。そのパターンを読めるようになった冒険者も多い。

 一部食らってしまい、尾を振り回したインファント・ドラゴンの一撃でダメージを負ったものも居る。だがそれは一時的に前衛を引く程度で問題はなさそうだ。

 咆哮(ハウル)の影響は周りのモンスターを掃討していたメンバーも例外ではなく、ベルとサポーターによって指示を出されていた面々は咆哮をなんなくやり過ごして行動を再開した。怪物の宴ではないがモンスターの発生速度が少し早い。予断を許さない状態でもある。

 ヴェルフはポーチのポーションを一瞬で飲み込み、中身がなくなった試験管を落とすように捨てた。ヴェルフと並走したベルからポーションを渡され、それをポーチに入れて補充すると、新たに出現したモンスターの場所に向かった。

 

「(……あのサポーター、上手いな)」

 

 インファント・ドラゴンの存在や人とモンスターの配置などを見極めて発生したモンスターはオークが一体、相手のパーティの方は二体居るが人数も多く討伐はたやすいだろう。ベルはそれらを冷静に分析しつつも、思考の一つは掃討役パーティのサポーターへと向けられていた。

 大荷物を背負っているにもかかわらず俊敏に動くサポーターは動作に迷いがない。倒れ伏すモンスターを片付けて足場を作り一か所に纏めている。時折モンスターに狙われそうになっても上手くパーティの冒険者へと誘導しあしらった。またその際にも冒険者に周囲の状況を知らせ、邪魔にならないよう立ち回っている。バットパットなどこちらが撃ち落とした小型のモンスターの死体を、さりげなく自分たちの方へと寄せることなど細かいずる賢さすら感じさせた。

 ずん、というオークがヴェルフによって倒される音がベルに届く。そのまま絶命を確認したヴェルフは、ベルの近くによると耳元でささやく。

 

「ベル、俺たちも少しアレを殴りに行かないか?」

 

「インファント・ドラゴンを? ……いいね」

 

 インファント・ドラゴンの方は先ほどの咆哮(ハウル)によって一時離脱したパーティがある。そこと掃討役を代わり戦闘に参加することは可能だ。

 混戦状態にあり魔法使いは魔法を打てず前衛のサポートに回っている。その戦い方ならヴェルフとベルにもできる。Lv.2の二人はともかく、ヴェルフは前衛として回っても十分戦うことはできるだろう。

 経験値や貢献した度合いなど、直接インファント・ドラゴンと対峙したほうが大きい。ベルはヴェルフの言葉にGOサインを出すが、駆けだそうとしたヴェルフの目の前に手を出してその行動を停止させた。

 何を、とヴェルフが言おうとしたところでタケミカズチ・ファミリアのサポーター――千草は声を上げた。

 

 

咆哮(ハウル)が来る! みんな!」

 

「聞いたな、構えろぉ!!!」

 

 

 インファント・ドラゴンの息を吸い込む動作、咆哮(ハウル)の前兆を捉えた千草の声に、冒険者たちが備えるように耳を塞ぐ。咆哮(ハウル)をしながら何かできるほどインファント・ドラゴンは器用なモンスターではない。息を吐きだした後はむしろチャンスにもなるだろう。

 

 インファント・ドラゴンが息を吸い込み体にため込んだ。瞬間、その体の喉元の鱗が紅く光った。

 

 違う、と。ベルは直感的に理解する。 そしてぴしり、という聞き覚えのある(モンスターのうまれる)音が複数耳へと届いた。

 

 

咆哮(ハウル)じゃない! 吐息(ブレス)だ!」

 

 

 インファント・ドラゴンが息を吐く寸前、行動に移せたのは二人だけだった。一人が警告を放ったベル、そしてLv.2の冒険者である命だった。

 しかしそれ以外の者を置き去りにして吐息(ブレス)は放たれる。明確に言ってしまえばそれはブレスのような広範囲を焼き払うものではなく、弾丸のように速度を持って放たれた火球だった。

 

「――え」

 

 

 そしてその弾丸の行き先には、Lv.2である二人のサポーターを務めていた千草が居た。唖然とした少女はその一撃を対応しきれていない。反射的に半身になって避けようとするも、火球は大きく直撃は避けられない。

 インファント・ドラゴンからしてみれば、自身に痛撃を与えられる相手がいる。うざったい、それを支えている根から切ろう、という意味で千草に放たれたものだろう。だがその一撃は完璧に不意を突き、即死させる結果を出すほどのものだ。

 

「千草どのっ!!!?」

 

 即死、という結果を回避させたのは唯一行動できた命だった。

 この場の役割で桜花が防御盾であるのなら命は回避盾であり、行動の自由は命の方が大きい。そのため千草を庇う動作をすることができたのだ。

 火球の直撃と急所を庇いながら命は千草の間に割り込んだ。だがその勢いは止まらず、命もろとも千草へ向かって火球は進む。それに伴う形で吹き飛んだ命に着弾地点に居た千草が巻き込まれ壁に激突した。

 

「命ぉ!!!!」

 

「ガァアアアアアアアア!!!!」

 

 桜花の視界に装備や服が焼き爛れ、ぐったりとした命が入ってきた。

だがそんなこと知ったことかとインファント・ドラゴンは桜花を攻め立てる。首を鞭のように振り回し、装備もろともかみ砕こうと牙を向けた。先ほどまでかく乱していた命はおらず、苛烈になったインファント・ドラゴンの攻撃に桜花は苦悶の声を上げた。

 

 モンスターやダンジョンに冒険者の都合など関係ない。悪いことは重なるもので、それは先ほどの吐息(ブレス)と同時にダンジョンから生まれたモンスターたちが証明していた。

 オークが4体、1体はベルとヴェルフの近くに現れ二人はその対応に走る。残りの3体は掃討役のパーティの方へと向かっていた。

 

 まずい、と。ベルはオークに向かって走るヴェルフを見つつそう思う。

 インファント・ドラゴンにダメージを蓄積させ、その上で拮抗状態にできていたのは、タケミカズチ・ファミリアの二人によるものが大きい。壁役をLv.2の二人が行っていたからこそ、他のパーティはアタッカーを務めることができたのだから。

 その片割れは先ほどの一撃で戦闘不能に陥った。生死すら分かったものではない。自分たちの主力であったパーティに大きな損害が出たことで、他のパーティにもその影響が飛び火していたことがわかった。

 

「命! 命ぉ! 返事をして!」

 

「な、なんでインファント・ドラゴンが吐息(ブレス)を!?」

 

「モンスターが多い、手ぇ貸してくれぇ!!! ぐあぁ!!?」

 

「なにしてるのよ、早く攻撃しなさいよ!」

 

「無茶言うな! あんなのに割り込めるかぁ!」

 

「く……」

 

 混乱状態は周りのパーティへと波及する。曲りなりともこの協力体制のリーダーは桜花だ。先に声を上げ、そして最も大きな戦力であるという点でもそれは明らかだった。その混乱を収めることは桜花の役目でもあった。

 

「くっ……ぉおおおおおおおおおおお!!!!」

 

「グガァアアアアアアアアアアア!!!」

 

 だがその桜花に他者に指示を出せるほどの余裕はない。インファント・ドラゴンの攻撃は桜花の身体を傷つけ、徐々に疲労を蓄積させていった。

 暴れ狂うインファント・ドラゴンにアタッカーたちは割り込めない。当たりどころが悪ければ致命傷にもなり得る攻撃の嵐を潜り抜けようとする者はこの場所に居なかった。

 

 (みこと)を復帰させなければこの場所は瓦解する。ベルは冷静にそう判断する。ヴェルフはこちらに向かってきたオークの対処に追われ、自身も目を周りに向けてはいるがヴェルフのサポートを抜けられない。掃討役のパーティはオークを1体倒したが壁役が戦闘不能状態、インファント・ドラゴンに向かったパーティは機を窺っているようだがあれでは単に腰が引けているだけだ。壁役の桜花は――言うまでもない。このまま続ければいつか体が持たなくなる。

 撤退も考えよう、そう判断したベルの意識に入ってきたのは、オークの掃討をしていたパーティのリーダーの姿だった。

 

「……っち、テメェ等逃げるぞ。 こんな状態じゃあ割に合わねぇ。」

 

 倒れた仲間の服を掴み男は自分のパーティのメンバーに言った。オークと打ち合っていた壁役もその言葉に頷き、オークを突き放すように蹴り飛ばすとフロアの出口に向かって撤退を開始する。

 

「お、おいなにやってんだ!」

 

「待ってください! この状況で逃げたら――」

 

 そのパーティが逃げようとしたことにインファント・ドラゴンに向かっていた一人が気が付き声を上げた。そしてそのパーティのサポーターだけは今逃げることがどういうことか理解していた。恨みを買う、この場所に居る者たちが全滅する、考えられるマイナスはいくらでもある。

 だが男たちにとってそんなことはどうでもいい。自分の命が一番大事であるという点だけはだれ一人ぶれていなかった。

 止めようとしたサポーターに向かって男は手を伸ばし、その胸ぐらを掴んで体を持ち上げた。

 

「煩ぇんだよ! そんなに残りたいならテメェだけで残ってろ役立たず(サポーター)!!!」

 

 そのままサポーターの少女をオークに向かって投げ捨てた男は、仲間とともにフロアの出口へと向かった。少女はオークにぶつかって地面に落ち、その衝撃で小さく悲鳴を上げた。

 二体のオークは逃げる冒険者を追うことはせず、すぐ近くに落ちた少女に視線を向けた。そうして狙いを定める。

 

 

 

「(……だめ、か)」

 

 ベルは掃討役のパーティが逃げようとしているのを見てそう判断した。

 オークは2体健在、今彼らが逃げ出せばその二体は放置され、インファント・ドラゴンと対峙している者たちの所へと行くだろう。そこに挟撃されれば……崩壊するのは火を見るよりも明らかだった。彼らが撤退を選ばなければもう少し時間があったが、たった今なくなったようなものだ。

 ベルは彼らの行動を責めることはできなかった。この場所に居る中で最も賢い選択をしたのが彼らであり、ベル自身も同じ選択を今取ろうとしている。

 即ちここで戦っている者達を囮にしての撤退だった。

 

『いいの?』

 

 幼いころの小さな自分(ベル)が問いかける。当たり前だ、とベルは内心で答えた。

 自分は【英雄】じゃない。奇跡は起こせない。

 

『本当に?』

 

 旅に出たばかり、少年だったころの自分(ベル)が問いかける。本当だ、とベルは内心で答えた。

 あの時は【英雄(おとうさん)】が居た、今は居ない。それなら自分のできる最善を探して掴むことだけだ。できないものはできない。

 

『「その通り、それが最善だ」けど』

 

 旅を終えた自分(ベル)、そして今の自分が重なり一言呟いた。

 

 

「あ……」

 

 

 サポーターの少女の小さな悲鳴が耳に届く。無視する。かまっている余裕はなく、パーティメンバーであるヴェルフのことで自分は精いっぱいだ。

 ヴェルフに撤退を伝えてこの場を離れる、その行動を始めるより先に、ヴェルフの姿と声がベルに届いた。

 

『大馬鹿野郎』をベルは重ねて見た。

 

 

「ベル!!! アレは頼んだ!!」

 

 

 オークの一撃を受け流しながらヴェルフは叫ぶ。ベルの思考が秒も掛からないほど一瞬停止した。

 

 アレってなんだ。ヴェルフの視線の先に居るオークのことだろうか。インファント・ドラゴンのことか。

 

 かつて【憧憬一途】によって成長させられた思考回路は、ベル自身に惚けんなと言わんばかりに回答を提示する。ヴェルフの視線は、オークに向かって投げたサポーターの姿だ。ヴェルフは常人で思考回路も同じ、危機的状況の人を見て何も思わない性格ではない。自分(ベル)もオークを倒せずともあしらう程度はできる。

 つまり……助けて来いって言ってんだ馬鹿野郎、と。思考はベルに答えを提示した。

 

 冒険者は冒険をしてはならない、最善ではない、不可能だ、失敗する、余力がなくなる。それらの言葉がベルの目の前に浮かんだ。

 

 

「ああもう! ヴェルフ、ソレ十秒以内にケリ付けて手伝って!」

 

「上等行ってこい!!!」

 

 

 ベルは頭に浮かんだ言葉を踏み潰すように地面を蹴り飛ばして少女のもとへ走る。

 

 先ほどは撤退という選択肢に幼い自分は本当にそれでいいのか、と問いかけてきていた。良いわけがあるかとベル自身も叫びたかった。誰が好き好んで見捨てる選択を選ぶものか。

 だがベルの知っている【英雄】に似た『大馬鹿野郎(ヴェルフ)』が背中を押したから、ベルはそれらの自重を投げ捨てた。

 

 オークが二体、両方とも迷宮の武器(ランドフォーム)であるスタッフを握りしめ、一体はそれを少女に向かって振り下ろそうとしている。道具入れから投げナイフ引き抜き、その勢いのままナイフをオークに向かって放った。パープルモスを落とす程度で精いっぱいの一撃は、オークをわずかに怯ませる。

 インファント・ドラゴンについての情報は一度遮断する。この場で必要なのは速度であるためだ。オークの片割れ、ヴェルフが対応済み。情報を整理しつつベルは走り、攻撃を止めて襲撃された方向、ベルの方へと視線を向けたオークへの次の手を打つ。

 【軌跡■■】投球術

 ベルのスキルの効果が無意識のうちに発動する。ベルはそのことに気が付いていないが、体をうまく動かせるという直感を得ることができた。オークはこちらに振り向いた、ならばそれはベルにとって的が大きくなったようなものだ。

 ベルはポーチからボール状の道具を取り出し、二個同時にオークへと投げつける。ライフルと同じように回転と速度を両立させて投げ出されたソレ、視覚で冒険者の気配を探るモンスターに向けた目つぶしは、顔面に着弾すると直ぐに破裂し黒い液体を付着させた。

 目つぶしの痛みでオークが顔面を押さえ、その一瞬でベルはサポーターの少女へと駆け寄った。助けに来られたことを理解した少女は、感謝の言葉を言おうとして――

 

「あ、ありが――ぐぇ!?」

 

 首根っこを掴まれその言葉は出る前に潰れた。

 ベルは少女の首根っこを掴むと直ぐに反転し、ヴェルフの元へと駆ける。目つぶしが効いていると言ってもベルでは倒しきれない。さらに言うなら目つぶしは今使った物で最後だった。

 潰れたカエルのような悲鳴を出す少女を無視してオークたちと距離を取れば、そこには対峙していたオークを片付けたヴェルフが向かってきていた。

 直後、再度ベルは停止し掴んでいた少女の服を放した。当たり前だが少女の方は運ばれている最中は地面に足が付いていない。走るベルの勢いを殺すことはできず、ベルに唐突に手を離された少女は悲鳴を上げ、地面に向かって1メートルほど転がった。

 10層は地面が草原のため大丈夫だろうとベルは判断し、ヴェルフに並走する形で再度オークへと向かう。

 

「かく乱するから右の奴はお願い!」

 

「分かった!」

 

 再度ベルは投げナイフをオーク二体に向かって投擲する。ポーチにある残りは二本、回収している暇はなくする気もない。ここで時間を掛けたら終わるとベルの勘が背中を押した。

 投げナイフをオークたちは迷宮の武器(ランドフォーム)を盾にして難なく弾く。その一瞬でヴェルフは右側のオークへと肉薄した。

【軌跡■■】歩行術

 ヴェルフの上段からの切り下ろしに対してオークは、ランドフォームを剣のように持ってその一撃に合わせた。ギン、という鉱物が打ち合う音と火花が弾け、ヴェルフとオークは鍔迫り合いのような状態にとなった。

 

「グ、ゴォ!!?」

 

 当然意識をヴェルフに向けることになり、その集中状態に入ろうとしたところで足からの痛みとともにオークは姿勢を崩す。その一瞬を見計らったヴェルフは、足の裏で蹴り飛ばすようにしてオークから体を放した。

 痛みの正体はオークが意識から外したベルの一撃だった。視線をそらされ煙のように視界から消えたベルはオークの背後に回り、膝裏へと自身の短刀を突き刺したのだ。膝は二足歩行者の弱点の一つで二足歩行の豚であるオークもその姿勢を取っているのなら例外ではない。

 オークは二匹いた。ヴェルフと対峙していなかったオークはベルに向かい、ランドフォームを振り下ろしたがベルは簡単にそれを回避したのだった。

 オークは(のろ)い。判断さえ間違えなければベルでも回避と一撃を加えることは訳ないことだった。

 

「グゥゥウウウウ!!!」

 

 ベルによって同胞の膝裏へとナイフを突き刺されたのを見て、オークは激昂する。今度こそ潰してやろうとランドフォームをベルに向かって振り下ろし――。

 

 ヴェルフによって蹴り飛ばされたオークがその一撃の前に現れた。

 

「ブゴギィッ!??」

 

 振り下ろす手は止めることができず、仲間であるオークにランドフォームは叩き込まれる。常人、Lv.1の冒険者以上の力でもって叩きつけられた頭への直撃は、オークを気絶(スタン)状態へと追いやり地面へと倒れ伏れさせた。

 その陰から、白い少年の頭がオークの視界へと入った。

【軌跡■■】 走行術『獣』

 

「ブグゥウウ!!!!!」

 

 とある獣人達が培ってきた獣としての狩猟術。その一端をベルは【ステイタス】の恩恵によって疑似的に再現する。

 四肢を地面につけ獣のような低い姿勢での走行術は回避方向を予測できず、叩きつける形でのオークの攻撃ではベルを捉えることできなかった。

 だが仲間をやられ更に激昂したオークに考える頭は無い。地面を這うように走るベルに何度もランドフォームを叩きつける様は、ゴキブリをスリッパで退治しようとしているようにも見えた。

 

「そんだけ隙があれば上等だ!」

 

 ざぐ、という肉を裂く音とともにオークの背から大刀が突き刺される。その一撃はオークの魔石を砕いて絶命させ、体は灰となって消えていった。

 同じく気絶(スタン)のオークは短刀を引き抜いたベルが魔石を砕き止めを刺した。そしてひとつ大きく息を吸って吐き出した。ベルにとってオークの一撃は致命傷にもなりえるため、サポート以上の行動でオークと対峙するのはつらいものがあったのだ。

 

「――!! 入り口からオークが3、インプが複数!」

 

 無茶な再現で荒くなった呼吸をベルが整えようとしたところで、いつの間にかベルたちのそばに来ていたサポーターの少女の声が投げかけられた。

 ベルがそちらに視線を向ければ、血が付着したランドフォームを持ったオーク、そしてインプがフロアに入ろうとしているのが見え、ベルは叫ぶ。

 

「ヴェルフぅ! モルブルボムを使った!」

 

「あいよ!!!」

 

 自分たちだけで対処できる数ではない、即時にベルはモンスター除けの臭い袋、その複合爆弾の使用を決意する。卵型のソレからピンを引き抜き投擲されたソレは、入ろうとしたモンスター達の前で爆発した。

 瞬間、中身であるモルブルと同じ成分の液体が入り口に煙のように気化して広がった。そしてうめき声をあげるモンスター達の声が響き渡った。

 効果は十数分程度、ルームの入口で効果を発揮しているのなら、その時間はモンスター達はこのルームに入ろうとすらしないだろう。

 

「嘘だろアイツ等……逃げるなら余計なもの連れてくるんじゃねぇよ!」

 

 ランドフォームに付着した血、そして先ほど逃げ出した冒険者たち。ヴェルフが逃げ出した冒険者たちが道中でやられ、残ったモンスターがこのルームへ来ようとしていることに気が付いたのだ。

 モルブルボムは僅かな延命措置に過ぎない。その効果時間が切れればモンスターがルームになだれ込み――全滅する。

 

 爆発音が響き渡る。それはインファント・ドラゴンの戦場からだった。

 

「グォオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

「なんで!? 魔法も効かないの!?」

 

 爆発がインファント・ドラゴンへと直撃するも、それは僅かに巨体を揺らしただけに留まった。前衛が手を出さなくなり、巻き込まれる者がいない状態でありその冒険者は魔法を使ったのだ。そしてその魔法を放った方向へインファント・ドラゴンの首が向き、魔法使いの冒険者は小さな悲鳴を上げた。

 

「ぁあああああああああ!!!!」

 

 同時に金属がぶつかる音が響き渡る。桜花がインファント・ドラゴンへ斧による一撃は痛撃となって突き刺さった。

 Lv.2の一撃はインファント・ドラゴンに確かにダメージを与え、再度脅威を桜花へと設定される。呼吸は荒く軽傷は体中にあり血が装備をわずかに染めている。だが桜花は盾と斧を構えてインファント・ドラゴンと対峙した。

 

 

 ルーム内からモンスターが生まれる様子はない、少しではあるがベルたちには時間の余裕ができる。

 

「(考えろ……考えろ……考えろ!!)」

 

 数秒の間、ベルは思考を回し続ける。今の状況の把握、危機への脱却、大目標と小目標、最善を探すためにベルは思考し続けた。

 そして出された結論は、

 

 

「…………ヴェルフ、中確率に祈って逃げるのと、『アレ』と対峙するの、どっちがいい?」

 

 

 ベルは感情を消した表情でヴェルフへと問う。

 アレ、という言葉の先を理解したヴェルフは顔を引きつらせて問い返す。

 

「『アレ』ってのは……アレだよなぁ!? あのドラゴンだよなぁ!?」

 

「あのドラゴン。やるのはさっき倒れた【絶†影】と同じ時間稼ぎでいい。ただあのリーダーを一度下げて回復させないともう手段は無い。僕も手伝うけれど……正直手助けとかの期待はしないでほしいな」

 

 ベルの言った言葉は、(みこと)の抜けた穴を埋める、桜花が回復する時間を稼ぐ、そう言っているのと同じだった。

 

「んなもん……」

 

 できるわけがねぇ、そう言おうとしたヴェルフを遮りサポーターの少女は割り込んだ。

 

「に、逃げましょう冒険者様たち! 中確率で逃げられるって言うなら、目途があるってことなんですよね!? そうですよね!?」

 

 少女の声は焦りが混じっている。組んでいた冒険者たちに囮にされ、一番生き残れる確率が高いと踏んだベル、ヴェルフのパーティに近寄ったが、その二人が危険な選択肢を取ろうとしているのだ。止めるのは当然だった。

 対するベルの答えは無言だった。はっきり言えば逃走という選択は分の悪い賭けになる。手段は下級の魔剣と単なるモンスター除けであるモルブル。それも今一度食らったモンスター達に通じるかはわからない。

 ベルは真剣に、この目の前の少女を囮にすることも考えなければならなかったのだ。

 

 くそっ、と。ベルは内心で愚痴る。女の子を犠牲にして生き残るぐらいなら、ベルはそれ以外の最善を探して行動する。だが今ベルはヴェルフとパーティを組んでいて、優先しなければならない命がある。自分の考える最善は、ヴェルフの命をチップにしなければ成立しない。

 ヴェルフが撤退を選択をするのなら、ベルは行動に移す決意をしている。

 

「それで、どうするヴェルフ?」

 

 ベルの言葉にヴェルフは返答に詰まった。

 今のヴェルフにとってインファント・ドラゴンにと対峙しろ、など、死んで来いと言われたのと同じだ。ヴェルフ自身、『命を賭ける』覚悟は冒険者になりダンジョンに入っている時点で決めていた。

 だが、『死ぬ』覚悟はしたことはない。ヴェルフだって死ぬことは怖い。明確な死に向かっていく自殺するための決意を抱き、生き続ける人物など狂人以外に居るはずがなかった。

 

 ヴェルフが返答しないで黙る間にも時間は過ぎる。十数秒、答えられずにいたとき、ベルは小さく息を吐いた。それはヴェルフに向けた溜息ではなく、自身に向ける自嘲が含まれたものだった。

 

「これは、言いたくなかったんだけれど」

 

 一つ前置きし、ベルはヴェルフへと視線を合わせる。その言葉に浮かぶ感情は無くただ事実を淡々と述べたのだ。

 

 

 

「『クロッゾ』なら、逃げなかった」

 

 

「――――。」

 

 

 ヴェルフはその一言で、ベルが何を言おうとしていたのかを理解する。サポーターの少女はクロッゾの名に少しだけ反応したが、何のことを言っているのかを理解していなかった。

 

 ヴェルフが言葉によって想起されるのは自分の祖である『クロッゾ』の逸話。精霊のために自身の命を賭けてモンスターから守り抜いたという、自分の(ちから)を得た原点だった。

 力ある存在が対処できないモンスター、ただの一般人であったクロッゾでもそれと対峙することが自分の死になることを理解していただろう。

『クロッゾ』は困っていたのが精霊で命は残してくれると分かっていたから助けたのか。違う、『クロッゾ』という男だったからこそ、自分の命を賭して守り抜いたのだ。

 

 古代の話でありそこで実際にあった葛藤はヴェルフには理解できない。だが結果はヴェルフ自身の存在によって表されている。

 ヴェルフはクロッゾが嫌いだ。精霊に媚を売って余計な力を齎したクロッゾを、この体に流れる血でさえ嫌悪している。お前(クロッゾ)が居なければ、という侮蔑の言葉だって何度考えたかわからない。

 魔剣作成という力を嫌悪し、使わないことを自分の誇り(いじ)にして歩き続けて今のヴェルフがここに居る。

 

 だからこそ――ベルの言った言葉は意味を変えてヴェルフへと突き刺さる。

 

 

 お前が軽蔑した(クロッゾ)ができたことを、散々侮蔑したお前(ヴェルフ)はできないのか、と。

 

 

「……できねぇよなぁ」

 

 ヴェルフは呟く。大刀の柄を握り、ぎり、と歯を食い縛りながらもそこに無理やり笑みを作り出した。

 『クロッゾ』は間違いなく『大馬鹿野郎』だ。そしてその男がやったことなど同じように馬鹿な選択に決まっている。ならばその選択を取らないことが正解で最善だ。クロッゾが行ったことをやらない程度のこと、否定する理由はいくらでもあった。

 ああ、それでも駄目だ。他のクロッゾの血族にとってどうでもいい言葉であっても、ヴェルフだけはその言葉を無視するわけにはいかなかった。

 

 ここに居るのはヴェルフ・クロッゾだ。神ヘファイストスの作成した武具の頂点。それを目指し、それでも自身の(さいのう)に頼らずに目指そうと決めた『大馬鹿野郎』だ。

 

 鍛冶の腕でも才能でも男としてでもない、『何か』を。『クロッゾ』を超えなければ、自分は頂に辿り着くことはできないとヴェルフは感じたのだ。

 

 

「できねぇよなぁ……! 逃げることなんてよ!」

 

 

 今逃げたのなら自分は一生『クロッゾ』を超えられないという確信があった。それはきっとヴェルフの人生をかけて乗り越えなければならない『何か』だ。それを超えられないのならきっとこれから鍛える剣には空洞が宿る。

 

 空洞を含んだ剣が神ヘファイストスに並ぶ作品になり得るか? 成り得るはずがない。それは【絶対】だとヴェルフは感じた。そんな瑕疵を抱いて辿り着ける頂ではないのだから。

 そこに至る可能性がないのなら、ヘファイストス・ファミリアの鍛冶師として死んだと同じだ。

 それは――ヴェルフにとっては自身の死と変わりない。

 

 故にヴェルフは大刀を握り締めてそれをベルへの返答とした。

 ベルも自分が言った言葉がヴェルフにその決断をさせることを理解し、それでも自分の意地を貫くために発言したのだ。同じように、ベルも死を決意しつつも最善を掴むために思考を動かした。

 死ぬ決意はしたがベルに死ぬつもりはなかった。自分が死んだら……おそらく自分の主神は悲しむだろう。女性を悲しませるようなクズになるつもりはない。故に、ベルは思考を止めることは無い。

 インファント・ドラゴンの動き、癖、思考、感情、状態、特性、他種族の類似属性。自分の経験を、考えられる全てを【軌跡】から【引き落とし】、構築していく。

 

 

「なにを……考えているんですか!? あんな冒険者たちなんて放置して、逃げればいいじゃないですか! 自分の命がかかっているんですよ!?」

 

 

 ベルとヴェルフが何を決断したのか理解しサポーターの少女は叫ぶ。少女にとってこの二人は理解できない生物へと変わってしまったように感じたのだ。

 それにヴェルフは申し訳ないといった様子で頭を掻いて口を開いた。

 

 

「あー、確かにつき合わせるのも悪いしな……ベル、このチビスケだけ逃がせないか?」

 

「無理。それよりも君にも協力してほしい。たぶんそれが一人で逃げるよりも確率が高いから」

 

「だからそうじゃなくて……! Lv.1の鍛冶師(スミス)と! 木っ端のサポーターにどうにかできる相手じゃないって言っているんです!」

 

「……? それは止める理由になるのか?」

 

「口頭での約束しかできないけれど、分配は全体の4割で臨時契約したい。再度言うけれど、独りで逃げる率よりこっちに協力してくれたほうが目があるよ」

 

「ああああああああ!! これだから冒険者なんて連中はぁ!!!」

 

 

 死ぬであろうことを理解しているにも関わらず、穏やかと言えるような口調のヴェルフ、そして淡々と処理するような口調のベルに、サポーターの少女は頭を掻きむしって叫んだ。理不尽という単語が物体化したら、少女は真っすぐに拳を向けていただろう。

 

 そして荒い息を押さえると、最後に溜息を吐いて呟いた。その目は据わっており不機嫌そうな表情だった。

 

「……まぁ、そうですね。所詮は死ぬ『程度』のことですか」

 

 少女のつぶやきの意味をヴェルフは理解できず、ベルは、その理解に()く思考をインファント・ドラゴンの攻略へと向けた。

 

「いいでしょう、臨時契約します。報酬はさっきの通り全体の4割。それで、私は何をすればいいですか?」

 

 先ほどの冒険者に媚びるような口調はそこになく、少女はベルに契約を投げかけベルもそれに頷き了承した。

 少女のそれは覚悟を決めたのではなく、どちらかと言えば自暴自棄に近いものだった。だがここで簡単に死のうとしているわけではない。それを理解したからこそヴェルフは笑みを浮かべ、ベルは思考の一つに組み込んだ。

 

 ベルが二人に行動方針を伝える。その内容に作戦と呼べるものは無く、ヴェルフは顔を引きつらせ、少女は溜息を吐いた。

 

「まっ、やるしかねぇか!」

 

「すみません、その前に一ついいですか?」

 

「っとと、なんだよ?」

 

 明るい声を無理やり出して鼓舞したヴェルフを置いて、少女は手を挙げて尋ねる。ベルは思考を最小限に割いて少女の言葉に耳を傾けた。

 

「……二人の名前、教えてください。呼ぶのに不便です」

 

「そういや忘れてたな。俺はヴェルフ・クロッゾだ。家名が嫌いだから名前で呼んでくれ」

 

「ベル・クラネル」

 

「ではクロッゾ様とクラネル様、と。リリルカ・アーデです。リリでもアーデでもサポーターでも、適当に呼んでください」

 

「分かった、じゃあリリスケでいいな!」

 

「……流石にそれやめてくれません? 契約範囲外なんですが」

 

「リリスケが俺のことをクロッゾって呼ぶのを止めたなら考えてやるぞ」

 

 む、とリリルカは言葉に詰まり、に、とヴェルフは笑みを見せる。その様子が面白くなかったのか、リリルカは小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 気は抜けてはいないが緊張は解けた。思考の殆どを攻略に向けたベルに戦闘外のことを考える余裕はないが……なんだかいいな、と感じていた。

 命を賭けることではない。背中を任せられる対等な誰かが居ることが嬉しく思い、ベルは口元の端を少しだけ吊り上げて笑う。

 

 

「――行こう、二人とも」

 

「あいよ、行くとするか!」

 

「まったく、仕方ないですね」

 




 
 インファント・ドラゴンの通常個体がブレスを吐かないというのはこの作品単体の設定です。ゲームだとバリバリ吐いてることを知らず、設定に組み込んでいていたため変えることができませんでした。
 オリアナは名前だけ。

 命、桜花、リリルカの行動には理由を設定してあり、次回はその辺りも書きます。

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