ベルくんちの神様が愛されすぎる   作:(◇)

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六話上から連日投稿しています。見忘れた方は其方へ周り下さい。
9000文字ぐらい。これ六話下に付けようとした作者は脳が湯だっていた。
さようなら連休、愛していたよ。また年末に会おう


六話終 一巻分終了

 屋根から跳躍したミノタウロスが広場の端に着地する。その場所まで転がっていたシルバーバックの魔石を踏み潰し、自分が捕えるための獲物を見据えた。

 アレは虫だ。文字通り虫の息だ。それなら虫以下の存在だ。ならさっさと潰してしまおう。

 ミノタウロスに焦りは少しも無かった。相手が害虫であるなら怪我をしないよう気を付けるが、それ以下の存在に何を緊張しろというのか。

 

 ベルは身体を起こすと右腕に握っていたナイフを再び前に構える。

 激痛が身体中から走った。どこが痛い、など分からなかった。身体を満足に動かすための筋肉は傷だらけで、支える骨はへし折れている。今ベルを支えているのはヘスティアが刻んだ【神の恩恵】によるものだ。

 

「神様、逃げてください」

 

 ベルの口の端から血が零れ地面に赤い染みを作った。

 

「ベル君」

 

「アレは、無理です。だから、早く」

 

 虫は、人を殺せる。先ほどのシルバーバックはそれだけの力の差だった。だからベルはその結果を引き寄せたのだ。それなら、目の前のミノタウロスは? その力の差は?

 

 塵が、人にどうやって勝てって言うんだ。

 

 

「早く、逃げろ!!!!」

 

 

 言葉と同時にベルはミノタウロスに向かって駆けだした。

 【軌跡引用】歩行術、跳躍術、■刀術、柔■、Lv.2【器用】

 ベルが行おうとしたのはシルバーバックへ行った事と同じだった。身体を前にさらし、緩急をつけた走法で攻撃を空かし、隙を突く。

 世界が再びモノクロへと変わった。全てが水中に沈んだように遅くなる。それはベル自身も同じだった。Lv.2の眷属が見る世界の中で相手のミノタウロスは、普段と何も変わらない(・・・・・・・)ようにその腕を動かした。

 

「っ!!!」

 

 【軌跡引用】歩■術、着■■、短■術、■■、人■■学、Lv.2【耐久】【敏捷】【器用】

 そしてベルは今の自分では何の回避もできないと判断した。相手は等速で動くのに自分は減速した世界に居れば、自分が捕まることがゆっくり理解できるだけだと分かったのだ。

 一歩足を進めるたびに激痛が走る。脳内麻薬はとっくの昔に切れて、着地ごとに足の筋肉は破壊される。【神の恩恵】が有るから動いているのであって、本当にくっついているのかも怪しくなった。

 

「ウォ? ウォウォ」

 

 自分の目の前で急に速くなったベルに、ミノタウロスは興味深いと視線を向ける。そして蝶を捕まえる子供のように手でベルを追い掛けた。

 ミノタウロスと対峙する適正Lv.は2だ。つまり、今ベルが身を削りながら動いている、彼の見るモノクロの世界は、ミノタウロスが普段から見ている光景だった。

 

 【軌■引用】体■、■■■、■■術、動■■、■■■、Lv.2【敏捷】【耐■】【器用】

 【軌跡】を、引き落とす。彼が嘗て培った知識は、経験は、今の彼がそれ以上の【軌跡】を宿せば死ぬと判断し脳内から潰れていった。

 跳躍する際に自分の考えとは別の場所に身体が跳ねる。すんでのところで着地すると、何かが折れる音と逆方向に曲がった足首が見えた。

 痛みは分からなかった。全部痛いのだから。

 ベルの視界にベルを捕まえようとするミノタウロスの掌が見えた。

【軌■■用】■■、■■■、■■■、■■■、■■■、■■■

ベルの知識は、技術は、経験は、【軌跡】は、彼に何かをさせることを止めていた。何もしてはいけないと、スキルを使う本体を労わったのだ。その根本には、何をしてももう駄目だという現実をベル自身で理解しているからだった。

 

「だから、どうした」

 

 只の人が培える全てが使えないとしても、後はこの身体には本能だけが残っている。自身の神への思いが残っている。自身が抱いた【憧憬】が残っている。

 それなら、諦める理由なんてない。

 

 ベルは思い浮かべる。【軌跡】を。たった一度だけ踏み入れた、もう一つ上の世界を。

 それは極東のとある場所で受けた一つの【奇跡】。たった一人で敵と対峙したベルに掛けられた狐人からの魔法(しゅくふく)。『階位昇華』によるLv.3の世界を一度だけ見たことが有る。

 今でさえ身体はボロボロで、そのさらに上の力を使ったらどうなるかは――まぁ死ぬだろうとベルは当たりを付ける。

 

 それでも、今の現実を解決できるのなら、それが唯一の選択肢なら、ベルが使わない理由が無かった。

 

 

【■■■■】Lv.3【器――――

 

 

 からん、という音がベルの耳に届いた。

 その音が響いた方向へベルは視線を向ける。白と線だけになった世界で、先の尖った長方形が地面に落ちているのが分かった。そして手元にあるナイフを見て理解する。

 折れている。あと、右の世界が無い。

 暗闇になって居るのではない、何も見えないのだ。なぜとベルが考えた瞬間に、自分の右目の後ろから何かが千切れる音が聞こえた。

 

 冒険者が二人戦い、Lv.が一つ違えばまず勝てない。二つ違えば絶対に勝てない。針の穴にボールは通らないように、ハサミは岩石を切れないように。

 

 ベルがその力を使えないことは、【奇跡】の起こる余地が無い【必然】だった。それをベルは理解する。

 朽ちて壊れゆく自分の身体を思い、なんだかこのナイフみたいだ、と。折れた刀身を見て薄く笑った。

 

 白と線だけの世界がモノクロへ、そのまま色彩が戻ってくる。右の世界は何も映さないままだ。それが刹那の時間、Lv.3(うえ)の世界を見た代償だった。

 

 ミノタウロスの掌を止める手段は存在せず、その身体はその掌に包まれる。潰さずに腕を後ろに引いて振りかぶったミノタウロスは、ボールでも投げるようにベルを壁へと叩きつけた。

 後ろの壁がひび割れる程その衝撃はその場にとどまり、ずるりとベルの身体を地面へと落とす。うつ伏せに倒れたベルはわずかに振動するだけだった。

 

「ベル君!」

 

 ヘスティアの声がベルに届く。沈んでしまいそうだった意識を辛うじて現世に戻し、身体を起こそうと掌を地面に着けた。

 僅かな痙攣を起こすだけで腕が動くことは無かった。顔だけでも起こして辺りの状況を確認しようとした。

 

「ウォッウォッウォッ」

 

 ゆっくりと此方へと向かってくるミノタウロスは、嗤っていた。猫が鼠をいたぶりその様を見て楽しむ様に、ベルが足掻こうとする様を見て笑っていたのだ。

 

 身体は、何処も動かない。声を出そうとした脳が焼き切れているからか、うめき声が言語に成らず僅かに漏れた。

 

 ミノタウロスが自分の拳を後ろに引いた。ベルの様子を見て、もう玩具は遊べないからと、作った泥団子でも壊すような気軽さだった。

 

 その一撃で自分は死ぬだろう。そう思ったベルが考えたのはヘスティアの事だった。

 この戦いはシルバーバックの時とは違う、ヘスティアが背中を押したわけではない。ベルが挑もうとしていたのが、物語で言う打ち倒すべき敵だったから見守ったのだろう。

 

 それなら、今のこの現状は? 嵐や雷のようにまるで【神】がもたらした【天災】を相手にしている様なこの状況は?

 

 ふと、ベルはヘスティアを見た。

 

 

 ヘスティアは、泣いていた。だけどその目は慈愛を含めた目でベルを見つめ、その視線はベルの物と重なった。

 

 

「(ごめんね)」

 

 

 ヘスティアの、そんな声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

「――――やmeロ」

 

 ベルはその目を見たことが有る。

 親が子に向ける様な慈愛を含めた目だ。自分も未来を諦めた者の目だ。そして――死ぬことを許容してその先へ歩もうとしている者の笑みだった。

 自分の『おとうさん』が、ベルとの別れのときしていた目と全く同じだった。

 

 自分の未来(いのち)を使おうとしている。

 ヘスティアは今この場所で、【神の力(アルカナム)】を使おうとしている。それをベルは理解した。

 

「(やめて、ください。かみさ、ま)」

 

 今度は声が出なかった。喉がわずかに痙攣するだけで息すら漏れない。

 

「(誰か、たすけて、ください)」

 

 ヘスティアが居なくなれば、また自分は一人ぼっちになる。空虚を抱えて生きる(しぬ)ことになる。

ヘスティアと一緒に築いた【軌跡】は、新たに抱いた【憧憬】は、何の意味もなくなって消えていく。

 

 誰でもいい。神様でも、英雄でも、ヘスティアを助けられるならなんだってする。自分自身の命だって捨ててやる。だから、

 

「お願、し、す。誰か、たす」

 

 ベルの声に応える者はいない。ヘスティアの【神の力】は放たれる。

 

「だ、れ、ぁ」

 

 迫る拳。

 

「ぉと、さ、ん」

 

 遠くで何かが当たる音が一つ聞こえた。そしてそよ風が吹いた。

 

――

 

 その音は、ヘスティアの前で発生した音だった。少し前の地面に着弾した石は、ヘスティアの後ろへと転々と転がっていく。

 何があったのかと彼女が目を丸くした結果、一瞬であるが、ヘスティアには周りの様子を見渡せるほどの無思考状態が発生していた。

 

 そしてベルは、その男の背中を見た。

 ベルの目の前でミノタウロスの拳を止めたのは一人の男だった。ミノタウロスの拳を止めたその腕は筋骨隆々としており、ピクリとも動いてはいない。力を込めるミノタウロスの手が震えるばかりで、その足元は止めた衝撃で足裏の形で地面が陥没していた。

 その身体周りに目立った武器は無い。代わりにベルに印象付けられたのは、圧倒的な力を持った父を思い出させる背中と、獣人であることを表す猪耳だった。

 周りに吹いたそよ風とヘスティアの目の前に石を投げ込んでそれが鳴った音。

 なんてことは無い、この男はミノタウロスが拳を振り下ろしたその一瞬で、ヘスティアの思考を奪い、ベルの目の前に立ち風圧すら感じるその拳を涼しげに受け止めたのだ。

 

猛者(おうじゃ)】オッタル。その男がそこ居た。

 

 オッタルは自身よりも巨漢のミノタウロスを見上げる。そしてミノタウロスと視線を交わした。

 

「ウォ?」

 

 ミノタウロスは自分に何が起きたのか分かっていなかった。オッタルは静かにミノタウロスから手を離すと反対の手で拳を作る。そして未だに握りしめたままのミノタウロスの拳に向かって振りぬいた。

 拳がぶつかり衝撃がミノタウロスの中へと伝導する。その肉体に収まりきれなくなった衝撃は、ミノタウロスの身体を爆散させ、魔石が粉々に砕けて宙に舞った。

 

 ミノタウロスの肉片が辺りに散らばりやがて溶けて消えていく。その光景に現実感を持てず唖然としていた。

 自分があれほどまでに苦しめられた怪物が、たった一撃で文字通り消えてなくなった。

 これが最強。ベルは本物の英雄が見せるその姿に安堵すら浮かべていた。そして何か声を掛けなければと。そう考えた瞬間に、ベルの視線はオッタルのものと重なった。

 

 

 大剣がベルの中心線に突き刺さった。

 

 アイズとオッタルが対峙した時に放ったものと同じだった。アイズはオッタルが放った殺気をわずかに一歩退くだけで耐えきった。それは一級冒険者としての器の頑健さがもたらしたものだった。

 そして同じように殺気を受けたベルは。

 

「――ぁ、」

 

 殺される、と。頭の中で本能が叫ぶ。恐怖を外に吐き出したかったのに喉が痙攣して息がわずかに吐き出ただけだ。オッタルに向けていたはずの視線は地面に下ろされ勝手に眼から涙があふれる。胃が痙攣し血が混じった胃液がベルの口から零れた。

 

 なぜ、どうして、と。どうして自分は敵意を向けられている? どうして殺されなければならない?

 

「ぁ、す、け」

 

 思考回路はまともに動いていない、操作する場所をベルという生物の本能が勝手に弄りまわっているようだ。

 それは目の前の脅威から、明確な死から逃げなければならないという、生物として当然の反応を示していた。

 

「(死にたく、ない)」

 

 何の戸惑いも無くベルはそう思う。モンスターと戦っていた時にあった勇気は沸かず、行動の意志を完全にへし折り『恐怖』状態へと押しやった。

 Lv.が二つ違えば勝つことはできない。そして、それ以上違えば敵対して前に対峙することすらできない。Lv.1(ベル)Lv.7(オッタル)との力関係はそういうものだ。

 

 一歩、オッタルがベルに向かって歩みを進めた。顔も挙げられず自分の吐しゃ物まみれの地面に伏せたベルはその様子を確認はできない。

 だがそれだけで圧はベルを襲い、恐怖で体が痙攣する。息をすることを忘れ、窒息し意識を失う限界まで追い詰められた。

 

 

 

 不意に、殺気がなくなった。

 

「っ、げほっ、がっ、はぁ、ぐっ、がっ」

 

 忘れていたようにベルは息を吸い込み、肺にへと急に酸素が送られる気持ち悪さに咳きこんだ。相変わらず右の世界が死んだ視界が戻ってくる。

 何故殺気が無くなったのか、自分を恐怖状態にしていた存在は何処に行ったのか。自分の生を長らえようとした身体は勝手に情報を取り入れようと顔を上げて辺りを見渡し、

 

 

 そこに、神様の背中が見えた。

 

 それは英雄たちが見せる様な雄々しく頼もしい物ではない。小さい体は一握りで折れてしまいそうな華奢なものだ。

 だけど神様は――ヘスティアはベルの前で手を広げオッタルと対峙する。我が子を守る母のように、脅威から遠ざけその光景を見せぬように。

 

 

「――――止めるんだ」

 

 

 女神のその一言が静かにその空間を打った。

 

 

「ボクの目の前でボクの眷属(このこ)に何かすると言うのなら、この(ボク)が許さない」

 

――――

 

 オッタルはその光景を見て静かに目を閉じて自問する。はたして自身が殺気を向ける先は何処なのか、と。

 

 決まっている。オッタル自身と、ベル、その二人だ。

 

 フレイヤが求めたのはヘスティアの変化だ、それ以上のものを口にはしていなかった。だが言外にフレイヤはベル・クラネルが戦い死亡することも望んでいたはずだった。その死が、ヘスティアに変化をもたらしその光景を見たいと思っていたはずだ。

 そしてそれを止めたのは自分だ。自らの女神の意志に反することを行なうのは、オッタルにとって自身の半生を否定することと同意だった。

 

 オッタルがそれを行った理由は二つある。その中の一つがフレイヤだった。

 はっきりと言えばフレイヤはやりすぎた(・・・・・)のだ。確かにフレイヤはヘスティアの変化を眺めようとしていたのだろう。だがヘスティアが自身の未来(いのち)を使ってまでベルを助けたいと思うとは考えなかったのだ。

 ミノタウロスの存在はヘスティアが覚悟を決めるには十分な相手で、それを察知したオッタルがすんでのところで止めたのだった。

 もしもヘスティアが【神の力】を使用し地上から居なくなったのなら、少しフレイヤは後悔するだろう。だが、それだけではオッタルが動く理由には弱かった。自身への寵愛を失うかもしれない、それを覚悟するだけの理由にはならなかった。

 

 そして二つ目の理由が、アイズの言葉がオッタルに行動をさせる理由となった。

 アイズは言った。『貴方が対応するなら、一人の犠牲者も出さないと誓えますか』と。そして未熟ゆえに簡単に『鬼札』を切り、オッタルに『尽力はする』という言葉を出させた。

 此処で約束を破ってしまったとしたら、それは最早『フレイヤが愛したオッタル』ではなかった。

 

 『フレイヤの想定外の出来事』『アイズ・ヴァレンシュタインとの約束』

 オッタルがフレイヤの意志に反すれど、『一人の犠牲者も出さないように尽力する』理由ができてしまったのだ。

 

「(――未熟)」

 

 オッタルは自身の事をそう思う。

 オッタルはフレイヤの事を敬愛し、崇拝している。自身の持つ愛は全て自らの女神に向けられている。だが決して狂信者ではなかった。今、誰が悪であるのか、そしてこの場に倒れ伏していた少年が犠牲者であると理解していた。

 自らの未熟さでこの【結末】を出したこと。そしてその要因である少年に怒りを向けている。それは只の八つ当たりであることも理解していたのだ。

 

 オッタルの目の前にはヘスティアが――否、女神(・・)が居る。

 オッタルには幾万年の月日を刺激のない場所でただ生き続ける恐怖は分からない。だが、その未来を前にしてなお自分の眷属(こども)を守ろうとする女神に。

 

 自身の主神以外の神に対して確かに敬意を抱いていた。だからこそ。

 

「無様だな」

 

 オッタルは自身とベルを重ねて見た。

 自身が愛し敬愛する神を守ろうとする男の姿の中に、確かにオッタル自身と同じものを見たのだ。

 

 そしてソレが、敬愛する神によって『守られている』。

 

 オッタルが言った言葉が静かに辺りへと響き渡り、何かが動く気配があった。

 

「惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱――。全てに該当する弱者である存在がお前だ」

 

 自分(ベル)が、守るべき女神を置いて倒れ伏している。オッタルはその状況を許せるはずが無かったのだ。

 故に、オッタルからその言葉は自分(ベル)へと告げられた。

 

 

「お前では女神を守れない。ただの雑魚(じゃくしゃ)であるお前に、女神の傍にいる資格は無い」

 

 

「だぁ、ま……れぇ!」

 

 

 オッタルの言葉を聞いたベルは叫んだ。それだけは認めてたまるかと、それだけは言わせっぱなしで済ませてたまるかと。

 身体は限界を突破して死体と同じような状態だった。身体を動かす神経は一本だって仕事をしていないはずだった。

 それでもベルは立ち上がる。それを突き動かすのは頭の中の命令や【神の恩恵】ですらなかった。

 

 お前がそれを言うのか、と。ベルは真っ向からオッタルの視線と交わした。

 オッタル(じぶん)は何をしていた? 敬意する神が過ちを犯したとき何をしていた!

 

 それはオッタルへと向けた怒りであり、彼を通して見たベル自身への怒りだった。オッタルはベルの中に自分を見た。ならば、ベルがオッタルの中に自分自身を見るのは当然だったのだ。

 死神の鎌を送るフレイヤを、自身の未来を捨てようとしたヘスティアを。女神の行為をただ眺めていた、それは両者とも同じだった。

 オッタルとは違いなぜそう行き着いたのか、その理屈はベルには分からない。だが、この男(じぶん)が言った言葉だけは否定しなければならないとベルの本能が叫んだのだ。

 

 一撃を。

 

 この男の言葉を否定するに値する一撃を。

 

 身体はもう動かない。拳一つだって握りしめられやしない。それでもこの男に一撃を与えなければならない。

 

 右腕を上げる。掌を前に向ける。震える銃身(みぎうで)を左手で押さえて、構える。

 

 行けよ。

 行けよっ。

 行けよっ!

 行かなくちゃ!

 

 男が大切なモノを否定されて、舐められっぱなしで引くなぁああああああああああああ!!!

 

 

「ファイアボルトォッ!!!!!」

 

 

 

 炎が。業火の如く、雷霆の如く、形作ったベルの魔法が放たれる。

 

 体力は無い。精神もない。ステイタスは更新されておらず、魔法の発現は確認されていない。彼のスキルは、彼にこれ以上何かをさせることを止めていた。

 

 不発に終わるだけだ。何も起こらず、ただその身体は倒れ伏す。この場所に、ベルが自身の魔法を発動させる理屈は何も無かったのだ。

 

 だがそこには神の恩恵、いや世界の理すら覆そうとする(ベル)の意地があった。

 

 それが幾万幾億の中からたった一つ引き起こすことを可能とした【奇跡】を含んでいるのなら。

 それがベルの手によって放た(つくら)れた【結末(いちげき)】なら。

 

 

 それは確かに、【英雄の一撃】と呼ばれる物だった。

 

 オッタルは動かない。それは自分(ベル)からの返答だ。一歩も引くつもりはないと、たとえ最強が相手だろうと、自身の女神を守り抜くという男の誓いだ。

 そこから退くことはオッタル自身が許さなかった。

 

「――見事」

 

 緋色の光は辺りを照らしやがて消えていく。

 オッタルの様子に変化は無い。Lv.1が放つ速攻魔法はLv.7の肌を焦がす程度の事も出来ない。そしてその一撃を放った存在にじっと視線を向けている。

 ベルは動かない。魔法を放った体勢のまま彫像のように固まっている。そしてぐらりと揺れたかと思えば、身体は膝から崩れ落ちて前に倒れ伏した。

 

「ベル君!」

 

 その身体を支えたのはヘスティアだった。ベルとオッタル、その二人の間に何があったのか自分には分からなかった。ボロボロの身体で動かないでくれとベルに言いたかった。

 だが何故かそれを止めてはいけないと思ったのだ。そしてそれはきっと女神である自分には理解できないことだった。

 

 オッタルが一歩前に出た。その様子を見てヘスティアはベルを庇うようなしぐさを見せる。

 オッタルが腰から取り出したのは二つの瓶に入った液体だった。その蓋を開けるとヘスティアが何かを言う前に、ベルとヘスティアに向かって浴びせかけた。そして虹色の滴がかかった場所の傷が見る見るうちに癒えてなくなっていった。

 

「……これは」

 

 万能薬(エリクサー)、もしもベルがそれを見ていたらその薬の事が分かっただろう。たとえ腕が千切れても瞬く間に癒すそれが入った瓶を、オッタルはヘスティアに向かって差し出した。

 

「これをこの男に。飲めば時間はかかれど障害を残すことは無いでしょう」

 

「っ!?」

 

 ヘスティアは直ぐにその瓶を開けてベルの口を開いて飲ませる。一本目のエリクサーでかなりの傷が癒えたおかげか、無意識ながら身体に反応を残し飲み込むことができていた。

 オッタルはヘスティアに視線を合わせる。何か言いたいことがあると理解したヘスティアはその視線を交わした。

 ひとつの女神から寵愛を受ける者として、ファミリアを率いる頭目として頭を下げることは許されなかった。眼を閉じそれを礼としオッタルは口を開く。

 

「神ヘスティア。我らが女神、フレイヤ様が御身の事を案じておられました。どうかご自愛ください」

 

 その言葉に()は無い。ヘスティアがモンスターによって消されることを回避するために、オッタルは其処にいるのだから。

 ヘスティアは真摯にそれを受け止め言葉を返す。

 

「君に、ありがとう、とは言えない。君は僕の家族を馬鹿にした、それで簡単に感謝を示せるほど僕は寛容な神にはなれない」

 

 だけど、と。ヘスティアは言葉を続けた。

 

「だけど、君の神には助けてくれてありがとうと、感謝を伝えて欲しい」

 

「……確かに」

 

 その言葉を受けてオッタルは二人に背を向ける。地面を蹴ったかと思えば、それは直ぐに消えて見えなくなってしまった。

 

 残されたのはベルとヘスティアの二人だった。

 エリクサーの恩恵によってベルの意識は其処で覚醒する。膝を地面についているその身がヘスティアに支えられていることが分かる。そして失っていた右の世界が修復されていることに気が付いた。

 これほどの治療ができるのは回復魔法か、万能薬か。どちらにしてもあの男(オッタル)の情けによって自分はこの場所に居ることに気が付いたのだ。

 

「……ちくしょう」

 

 その言葉がベルの口から零れる。悔しさで視界が滲み、溢れた涙がヘスティアの服を濡らした。

 惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱。

 オッタルの語った言葉の全てが、ベルの心を削り悔しさとなって表れる。

 

「……ちくしょう」

 

 何が英雄だ。何が憧憬だ。力が無い自分が、何を語ろうと言うのか。何を成そうと言うのか。

 

 自身が守りたいと願った女の子に守られて、何が男だ!!!

 

「……ちくしょう!」

 

 言葉が、漏れた。

 

 

 ヘスティアはベルから零れる涙の熱を感じ、ベルの口から漏れた感情の欠片を聞いていた。

 ただ受け止めつつも、ヘスティアはベルに何も言わず何もしなかった。

 

 抱きしめてやりたかった。声をかけてやりたかった。だけどそれは違うのだとヘスティアは感じていた。

 オッタルに向かって掌を向けたベルを、止めなかったときと同じように。

 

 

「……神様」

 

「なんだい、ベル君?」

 

 

 これは一つの【憧憬】の始まりだ。一人の男が女神に誓う決意だった。

 

 

「僕、強くなります」

 

 

 強くなりたいではない、必ずなるとベルは誓う。

 

 

 あの男に勝てるように、全てから貴方を守れるように。

 

 僕が胸を張って、貴方の英雄だと言えるように。

 

 

 ヘスティアは静かにベルの誓いを胸に刻む。今確かに、一つの【眷属の物語】は記された。

 




立場入れ替え オッタル⇔アイズ オッタル⇔フレイヤ オッタル⇔ベート
 書いてて思った、オッタル仕事し過ぎなんじゃが。
 このSSは原作を読んでなくても読めるを目指してますが、読んでいるともっと楽しめると思います。
 原作を知っているとさらに盛り上がる改変は好きです。アニメ一話Bパートラストは神だった。
 原作一巻分終了です。ここまで読んでいただきありがとうございました。

次回予告
フィン「【猛者】にこの言葉は……一回だけなら大丈夫か? 失敗したら全面戦争になりそうだけど。うん、この鬼札はとっておこうか。使わないのが一番だけれど、決定的なところで使えるかもしれない」
アイズ「使いました」
フィン「」
ロキ「www」

アレン「あのオッタルが他の女神(おんな)に気を取られているだと……?」
フレイヤ「」

ベル「……」
ヘスティア「……」

ヴェルフ「あいつ……」
ヘファイストス「まったくもう」


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