ベルくんちの神様が愛されすぎる   作:(◇)

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六話上

 見上げた空に居たのは【影】だった。黒と赤で出来た幻影は天空を羽ばたく【龍】を形作っており、その視線はたった一人の神を見据えていた。

 そこにあるのは憎悪、世界を壊しても尚足りぬと吠え猛るようなそれを受ける男神は、にやりと笑って杖を構える。

 

 それをベルはただ見ている事しかできなかった。

 

「悪いなベル。お前が居ると邪魔なんだ」

 

 くしゃりとベルの頭を撫でた男神は、いつも通り、不安一つ感じさせない笑みをベルへと見せる。

 

「アレは(おれ)が片づけなければならない。手前のケツの拭き忘れを子供に押し付けるわけにはいかねぇんだよ」

 

 身体が動かず恐怖で自分の体が震えていた。それでも戦わなければならないと自分は分かっているくせに、何が起こってしまうのか理解しているくせに、身体が言う事を聞いてくれなかった。

 

「ベル、お前はもう何処にでも行ける。俺の後を追い掛ける必要も無ぇ、好きに生きろ」

 

 違うと叫びたかった。ただ僕は、貴方の隣に立ちたかった。背中を追いかけるのではなく、貴方と対等な場所で共に戦い歩き続けることが願いだった。

 

 僕は、『おとうさん』と離れ離れになるのが嫌だった。きっと自分が英雄を目指さなかったのはそれが根幹だったのに。

 

 『おとうさん』のその後をベルは知らない。自分はその後気絶してしまい、その最期に立ち会う事はできなかったのだから。

 

「かくして大神は禍罪の龍を打ち果し、太平は乱れることなく続いていく。おめでとう、君は導かれる者であると同時に彼の導き手でもあった。そして役目を果たし切ったんだ」

 

「…………僕は、貴方の事が嫌いです」

 

「そうかい? オレは君の事が好きだからそう言われると悲しいな」

 

 ベルを見る燈黄色の瞳には好意の色が浮かんでいる。まるで同類や兄弟を見るかのような男神の視線に、ベルは否定の言葉を返し交わすことは無かった。

 

「どこにも行く場所が無かったのならオレのファミリアに来るといい。アスフィやあの子達も喜ぶだろうしね」

 

 そう言いその男神は去っていった。

 一人になったベルはその男神の名――ヘルメスの名が書かれた推薦状を見てそのままバックパックへと詰め込んだ。そうして部屋の外に出て空を見る。

 

 オラリオに行ってみよう。

 『おとうさん』が見てきた何かを見れば、自分が失ってしまった何かが見つかるかもしれない。ぽっかりと自分の中に空いてしまった場所を埋めることができるかもしれない。

 

 帰る場所はなくなって、旅の行き先はオラリオに決まった。ベルが歩いてきた場所には彼が抱いていた『一途な憧憬』は存在せず、失った憧憬を目指した『軌跡』だけがその場所に残っていた。

 

―――

 

「僕の話、ですか?」

 

「うん。ベル君が来てそこそこ時間が経つけれど、そう言う話をしていなかったなって思って」

 

 食べ歩きながら店を冷かして回り、一息ついて休憩しているときヘスティアはベルに尋ねる。オラリオ東のメインストリート、徐々に怪物祭のメインイベントの時間が迫ることで人は徐々に減っており、一角に設置されたベンチには誰もおらず悠々と座ることができた。

 

「もしかして闘技場の催しの方へ行きたかった?」

 

「いえ、普段からモンスターは見ているので、凄く興味があるわけではないですから。……えっと、何から話せばいいでしょうか?」

 

 ベルの質問にヘスティアは暫し考える。ヘスティアがベルについて知っていることは、親代わりの男神が居て一緒に旅をしてきたということ、レベルを一度上げる程の経験をしたこと、それぐらいだ。どんな道のりを歩んできたのかはまだ知らなかった。

 

「先ずはそうだね、ベル君はいろんなところを旅してきたんだろう? 旅の目的とか、旅に出ようと思った理由とかを聞きたいな」

 

 なのでじっくりと話を聞こうと彼の一番初めの事を尋ねることにした。

 

「旅の目的は……本当はよく分かってなかったんです。9歳ぐらいのとき親代わりだった男神、『おとうさん』がやることが有って旅に出ると言ったから、僕はそれについて行きました」

 

 旅の初めは襲来した『おあかさん』から逃げるため夜逃げしたのが始まりだが、それについて行くと決めたのはベル自身だった。

 

「恥ずかしい話ですが、『おとうさん』と一緒に居たかったというのが旅の理由です」

 

 少し頬を赤らめ恥ずかしげに語るベルに、微笑ましく感じた。幼い姿のベルが笑顔を見せて父親に駆け寄る姿が安易に想像できたからだ。

 

「ベル君は『おとうさん』が大好きだったんだね」

 

「……そうですね。まるで物語に出てくる英雄のような方で、子供の頃は憧れていました。ハーレムは浪漫あるいいものだぞ! なんて言ったりして、僕もそれを目指していたこともあります」

 

「……え? ハーレム?」

 

 純朴そうに話すベルの口からとんでもない単語が現れヘスティアは思わず聞き返す。

 世界中の女は僕のものだ、なんて自分を含めた女性を侍らせているベルを想像し、似合わなさにヘスティアは首を振る。

 

「まぁ現実のハーレムの結末を『おとうさん』を通して見てしまいまして……。旅の目的は、世界中で粉をかけていた女性に、正妻が居るから付き合えないと謝罪巡りが主でしたし」

 

 うわぁ、と。ベルの反面教師になってくれたことに喜ぶべきか、ベルの不憫さを嘆くべきか分からず意味もなく呆れた声が出た。

 

「昔は物語に出てくるような英雄に憧れていたんです。『おとうさん』が実際にハーレムを囲っていたっていうのが憧れの一因でした」

 

 曰く、ハーレムは幼いベルの夢だったが、英雄のような『おとうさん』ですら維持できないハーレムを自分が作れるわけないだろいい加減にしろ! と現実を見て夢は砕かれたらしい。是非ともそのまま砕かれ粉になっていることをヘスティアは祈る。

 旅の道中でもその女癖の悪さは健在だったらしく、それで起こした問題にベルが巻き込まれたことも少なくなかったらしい。

 

「一つだけ思ったことが有るんだけれど、君と一緒に居た男神は最低だな!」

 

 ベルはその言葉に苦笑するが、ヘスティアとしてはその男神に怒りを感じていた。

 

「(そりゃあ当時の主神はボクじゃないけれどさ! ベル君に自分の尻拭いみたいなことさせるなんて!)」

 

「否定はできないですけれど、僕が見た『おとうさん』は紛れもなく【英雄】でした。そこだけはまだ尊敬しているんです」

 

 ベルが話すには、問題は起こすが起こした問題は最終的にすべて解決してきたと言う。

 勿論物騒な話や行く先で勝手に起きた問題も出るが、それすらも力技で解決したらしい。それこそ物語の主人公の様に。

 そこまで話を聞いてヘスティアに一つ疑問が出た。

 

「……それってボク達と同じ【神】の話だよね? 神の力は地上じゃ使えないはずなんだけれど」

 

「いえ、全部素だそうです。曰く、改造(チート)に対抗するには修行(やり込み)しかないよね!と。 偶には俺TUEEEもいいじゃんと言っていましたが、何の事でしょうか?」

 

 ヘスティアは頭の痛い話に思わず掌で額を抑えた。

 天界での力を人と同じ身になっても再現できる神は居る。ヘスティアの親友であるヘファイストスや、ソーマなどがそれにあたるだろう。純粋な戦闘力という面を再現しようとすればどれだけの時間がかかるのか。とりあえずベルの父親代わりの男神は頭のおかしい奴、でヘスティアは思考を区切った。

 

「ベル君と一緒に居た男神についてはいいや。突っ込んだら3つぐらい突っ込みどころが増えるし」

 

「あはは、否定できませんね」

 

「どうせなら今度は君が何を見てきたのかを知りたいな。ボクはオラリオの外は本でしか知らないから、実際はどんな感じなのか実は気になっていたんだよ」

 

 実際ヘスティアはベルの事の方が気になった。そんなハチャメチャな神と共に育った彼はどんな風に成長してきたのか。何に感動して何を得てきたのか。

 

「それじゃあまずは呪文書を読んだ時の話をしますね! 村を出てから初めての街だったんですけれど……」

 

 ヘスティアの質問にベルは表情を明るくして意気揚々と語り始める。その表情を見るだけでそれまでの旅路が楽しい物だったのかを表していることがヘスティアは分かった。

 

 絵本になった呪文書の中の世界を冒険したこと。

 魔獣の怨念によって呪われた村に訪れたこと。

 秘境で雷という魔石とは違ったエネルギーで動く絡繰りの街を見たこと。

 極東で気に入らないという理由で人買いを襲撃して狐人を攫ったこと。

 王国で覗き魔の冤罪を喰らって追い掛け回されたこと。

 薬師の少女に騙されモンスターと追い掛けっこすることになったこと。

 

 そのどれもをベルは楽しげに語った。聞いているヘスティアは幾つもの冒険譚(サーガ)聞いているようでつい話のめり込む。

 問題が起きて、介入しようとベルが解決策を探して、男神が滅茶苦茶にしてなんやかんやで解決する。喜劇で終わる物語の一員としてベルが居ることがさらにヘスティアがのめり込む理由でもあった。

 

「『おとうさん』が困っている人……大体が女性ですが、を見つけて。僕が力技で何とかしようとする前に解決方法を探して、解決後にお父さんに見初める女性を見て嫉妬した『おかあさん』が折檻する。それの繰り返しの旅でした」

 

 嫌なことも勿論あったのだろう。男神が原因で痴女のもつれに巻き込まれて苛立ったり、面倒事に巻き込まれたり。

 それでもベルが語る『おとうさん』への尊敬がヘスティアに感じられて思わず嫉妬する。

 

 ボクもそんな風にベル君と歩めたらどんなに楽しいだろうか。

 

 その言葉に意味が無いと思いヘスティアは思考を切り捨てる。

 自分はベルの『おとうさん』のような力はない。最低限の暮らしに出来る程度で、それさえもヘファイストスに言われバイトや一人暮らしをしなかったら、逆にベルにおんぶ抱っこの状態になっていたはずだ。

 

「なんだか……いいね。ベル君の歩んできた軌跡は凄く楽しそうだ」

 

「……でも今歩んでいる軌跡も楽しいです。その、神様と一緒に居られますし」

 

「ありがとう。そう言ってくれるとボクも嬉しいよ」

 

 嫉妬が表情に出てしまい、ベルに気を遣わせてしまったらしい。頬を掻き、恥ずかしげに語るベルにヘスティアも笑みを返す。

 

 そして話を聞いている最中にヘスティアは疑問が一つあった。

 今まで語られてきた話を冒険譚(サーガ)に例えると、英雄であり主人公は男神で、ベルは狂言回しに当たるだろう。

 だけどベルは旅の道中でLv.2へランクアップしたと言う。それは、彼が何かを成し遂げたということだ。

 

「ベル君は、その旅でランクアップするためにどんな偉業を成し遂げたんだい?」

 

「……えっと」

 

  そこで初めて言いよどむベルにヘスティアは首を傾げる。レベルをランクアップさせるためにはそれ相応の偉業を達成する必要がある。そして多くの冒険者はそれを誇るものであると聞く。

 目を合わせず視線を宙へと向けたベルの表情から、何を考えているのかは分からない。程なくしてぽつりぽつりと語り始める。

 

「……一つの国全体から狙われて、逃げ続けたんです」

 

 ベルが言っていることがヘスティアには分からなかった。それほどの悪事をベルが行ったことが信じられなかったのだ。

 

「神を造ろうとしている国が有って、生贄に少女が選ばれて、処刑の手から逃れるために一緒に逃げました。そうして『おとうさん』が解決するまで逃げ続けた、……僕がやったのはそれだけです」

 

 その表情はどこか懐かしむような色が有る。ただその偉業を誇っているとは思えなかった。どちらかと言えば、少女を助けられたと言う安堵の方が大きく見えているだろう。

 

「助けたいと『おとうさん』に言ったんです。『おう、まかせろ』って軽く言って結局なんとかしてしまいました。……その時に思ったんです。この方は偉大な『英雄』だって」

 

 その時からベルが思い描く最も身近な【英雄】は『おとうさん』になった。

 

「それじゃあ『英雄』じゃないただの僕は何をしたらいいんだろう、そう考えた結果、その少女と一緒に逃げるのが僕の最善でした」

 

 考えて、考えて、考えて、考えて。

 自分ができることは何か、自分に付加している装備、魔法によってどこまで可能範囲は広がるか。事前に分かることは無いか、何処までが自分の限界なのか。

 

「そうして逃げ切ることができて助けることができました。たぶんそれがレベルアップ切っ掛けだったはずです」

 

 そう言いベルは言葉を区切った。

 ヘスティアが思ったのは、ベル自身はそれを偉業だと思っておらず、寧ろ少女を助けることができたという結果に喜んだのだろうと想像する。

 

 それはきっと一つの冒険譚だ。非力な少年が残酷な運命に向かう誰かを助けたのは、紛れもなく英雄の物語の一つだ。

 

「逃げただけって言うけれど、君に救われた少女にとって君は英雄の様に見えたんじゃないかな」

 

「そうかもしれませんね。ありがとうございます、神様」

 

 ヘスティアの言葉にベルは困ったように返す。そんなベルを見て少しずつであったが増えつつあった何かを察し始めた。

 

「(……この違和感はなんだろう。なにか……変だ)」

 

 ヘスティアは言い様のない違和感を抱かされていた。

 ベルの話を纏めれば、自分の最善をやったら誰かを救えてついでにランクアップもした、という事になる。

 だからこの話単品におかしなところは無い。それなら今まで話してきたことを纏めれば?

 

 ヘスティアは自分の言葉を思い出す。

 ベルの語る話を自分は冒険譚(サーガ)と例えた。そしてベルの役回りも狂言回しであると感じた。

 そして今語った話は少女を救う、という場所にスポットを当てず一つの国と戦うことを一つの舞台とするなら、やはり狂言回しの役割だったのではないだろうか。

 

 彼は子供の頃英雄に憧れていると言った。それなら旅をしている時は?

 

「君は、君の言う『おとうさん』のような英雄に成りたいとは思わなかったのかい?」

 

「……思いませんでした。だって、そんな暇はありませんでしたから」

 

 ああ、勿論下半身にだらしない大人になりたくないって意味もありますけれど、と。ベルは茶化したように言い言葉を続ける。

 

「『おとうさん』は【英雄】で、僕はただの人でした。ただの人が英雄と一緒に居るにはどうしたらいいのか、……だったらとにかく出来ることを振り絞らないと、って思いました」

 

 そこで初めにベルは言っていたことをヘスティアは思い出す。

 

『『おとうさん』と一緒に居たかったというのが旅の理由です』

 

 それは小さかったベルが最初期に抱いた思いではなく、旅の終わりまで持っていた物だったのだと気が付いた。

 

 レベルを上げるためには【経験値(エクセリア)】の積み重ねで【ステイタス】を上昇させ、昇華するための(にくたい)を造らなければならない。そこまで歩み続けるのは神の力を授与した者自身の努力の結果だ。

 そしてそれだけの経験と努力を積んで走り続けてきた。彼の『おとうさん』と一緒に居たいという理由で。

 

 それなら今は?

 

「……じゃあベル君。そこまではボクが居ない場所の話だ」

 

 彼の走り続ける理由だった男神との旅は終わった。だけどベルは冒険者としてまだ経験値を積んでいる。その理由は?

 

 

「君は、これからこのオラリオで何をしたいんだい?」

 

「……しいて言うなら神様と一緒に居たい、でしょうか? 神様はどうしてほしいですか?」

 

 

 暫し悩んだ後ベルはヘスティアに視線を戻すと、自身がヘスティア・ファミリアに入りたいと思った時と同じ内容を伝えた。

 

「……それは」

 

 ヘスティアはその言葉を聞いて返答に詰まった。

 真っ直ぐに好意を向けてくれるベルに対して、嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しいに決まっている。当たり前だ、ヘスティア自身もベルの事が大好きなのだから。

 きっとベルはヘスティアがオラリオの外に行きたいと言えば、街でのしがらみにひと段落つけてそれに着いて行くだろう。一緒に屋台を出したいと言えばその準備をしてくれるだろう。

 

 ロキがベルを一番初めの眷属として適していると評するのはそれが理由だった。ファミリアとしてどのような方針をとっても、ファミリアの基礎を固め付いて行ってくれる眷属なのだから。

 フレイヤがベルに悪感情を抱くのもそれが理由だった。空に浮かぶ多くの惑星の様に、太陽のような恒星と成る者が居なければベル自身の魂が輝いて見えることが無いのだから。

 

 それは依存ではない。現状で満足できる普通の人間そのものだ。ヘスティアはそれが美しい物であると知っている。英雄たちが描く冒険譚でなくとも、そうした日常が尊い物であると理解することができる。

 

 彼が嘗て旅をした街、海、秘境、国、道先で。麦わら帽子をかぶった自分が、荷物を背負って此方へ向かうベルに向かって手を振る。そんな自分に苦笑しながらベルは歩みを早めるだろう。

 あるいはオラリオで二人でジャガ丸くんの屋台を出して、器用に商品を作り出すベルと人々に接客する自分が居る。そうして時折ヘファイストスやロキ、リリルカやヴェルフが遊びに来て笑いあうのだ。

 また自分が読んだ冒険譚の様に、ダンジョンに向かうベルと新しく眷属となった者達、遠征から無事帰ってきたのを見て、笑顔を見せる自分とそれに応える眷属たちが居る。そうした未来を歩むことも可能だろう。

 

 ヘスティアが想像したそうした日常はベルに言えば仮定ではなく現実に成ると分かった。極彩色ではなく淡い色合いの日常は、本の中の冒険譚に憧れていたヘスティアだが、驚くほど魅力的に思えた。

 だからヘスティアは返答に詰まった。自分の中でどのようなファミリアにしたいのか、はっきりと形になって居なかったこともある。

 

「(……ボク自身はどうしたいのだろう)」

 

 ロキを見返すような大きなファミリアにしたい。英雄たちの冒険譚のような眷属の活躍を見たい。

 それは紛れもない本心であり――今それを言うのは正しいと思えなかった。

 

「――」

 

「ベル君、ボクは……ベル君?」

 

 東通りの闘技場へ向かう道を見つめながら静かに立ち上がったベルにヘスティアは思わず口を噤む。そしてヘスティアの手首を掴んでベンチから立ち上がらせた。

 そして驚きの声をあげるよりも先にベルが口を開いた。

 

「……走ります。前だけを見て、転ばないよう気を付けて」

 

「ベル君、いったい何を……わっ!?」

 

 ヘスティアの言葉に返答せずベルは走り始める。手を引かれ訳も分からず足を動かすヘスティアの耳に、祭りの喧噪とは違う、切迫した声が響く。

 そしてそれはだんだんと大きくなり、一つの悲鳴となって街に響き渡った。

 

 

「モンスターが出たぞぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

「神様!」

 

 走れと、そう言葉に込められたベルの声とは逆に、ヘスティアは悲鳴が上がった場所へと視線を向けてしまった。

 そこにあったのは銀色の大きな物体だった。シルバーバックと呼ばれているソレはヘスティアが初めて見るような圧倒的な存在感を放っている。

 そして荒い息を吐きながら辺りを見渡し――此方へと視線を合わせた。

 

――

 

 時は少し遡る。

 

 ガネーシャファミリアの催しは始まっており、一匹目のモンスターの調教(テイム)に成功し、観衆たちの歓声が響き渡っている。

 手筈なら次のモンスターが闘技場に運ばれることになっているがその様子が無く、その場所の担当者であるガネーシャファミリアの眷属の一人が確認に来ていた。

 

「これは……いったい何が――」

 

 薄暗い倉庫はモンスターたちの控室となっており、いくつもの檻のなかにモンスターが捕えられている。そして見張りをしていたはずの構成員たちが倒れ伏す姿があったのだ。

 この場所に居るのは殆どレベル1の者達だが、万が一を想定してレベル2の者達も配置している。報告より先に状況の確認をしようとしたところで、とん、という音がその人物の耳へと届いた。

 

 それと同時にその人物の意識はこの場に居る者達と同様、暗闇の中へと溶けて行った。

 

 

「流石ね、オッタル」

 

「いえ。……今暫くすればまた確認の者が来ると考えられます。お急ぎを」

 

「ええ。また少しお願い」

 

「はっ」

 

 意識を刈り取った獣人の大男――オッタルは気絶し倒れ伏しそうになったその人物を支え、静かに床に横たわせた。そして懐から檻の鍵を抜き取りそのままフレイヤに渡し、周囲の警戒を続けた。

 

 檻の中に居る者達を吟味しながら眺めるフレイヤのことをオッタルは考える。

 主神が他の神へと興味を示した。それはオッタルがファミリアに所属している中でも稀なことだ。オッタルや他の眷属たち、あるいは地上の者たちを見初められる視線とは違う。親愛なるものを見る視線ではなく、道化師を見る視線に近い。どのような表情を見せるのか、これから何をしてくれるのか、それを興味津々に見つめる目だ。

 新しい発見をした幼子のような雰囲気の変化だと言えば、恐らく主神から咎められるだろう。だがそれと同じものをオッタルは感じていた。

 

「……神ヘスティア、そしてベル・クラネル」

 

 ヘスティアに関して強く思うところは無い。我らの主神を楽しませるのならそのままでいい、興味を失わせたならそれでもいい。その分の寵愛が我らに向けられることになるのだから。

 

 だが、ベル・クラネル。アレは死ぬべきだ。

 

 理由は主神(フレイヤ)を不快にさせたことだ。

 今のところはフレイヤが口に出していないから何もアクションを起こしていないだけだ。もしも一言それを言えば、オッタルだけでなく他の眷属の誰かが行動するだろう。

 

「……そうね、この子達がいいわ」

 

 フレイヤが定めたのは気に入った者へ送る試練の扉ではなく、いたぶり殺す処刑の鎌だった。

 オッタルはベルのステイタスを把握していない。だが一目だけ見た動きから考えるに、今の状態ではほぼ殺されるモンスターを選んだことは分かった。

 主神(フレイヤ)が嫉妬しているのはベルに対してだとオッタルは理解する。自分(フレイヤ)が見られない彼女(ヘスティア)の表情を見ているのが気に入らない。そんなことを考えているのかもしれない。

 

 例えば自身を脅かす脅威に襲われた時、彼女(ヘスティア)が見せる怯えた表情はどんなものだろう。

 例えば自身の眷属を失ったとき、彼女(ヘスティア)が見せる悲しむ表情はどんなものだろう。

 

 幼子のような――残酷な好奇心もまたフレイヤの一面だ。それを知りつつ眷属たちは彼女を慕う、否崇拝しているのだ。

 

 檻から何匹ものモンスターたちが外へと向かう。それを確認した後、オッタルはフレイヤを抱えその場所を離脱した。

 そして喧噪とは離れた場所でフレイヤを降ろし、これから騒ぎが起きるだろう東通りへと目を向けた。

 既にその場には自分以外のフレイヤ・ファミリアの構成員が待機していた。事前にオッタルがフレイヤの行動を読み、指示していたものだ。

 その護衛を共にしてフレイヤはオッタルへと目を向ける。視線を合わせ微笑みながら口を開いた。

 

「オッタル、彼女のことをお願いね」

 

「……了解しました」

 

 フレイヤの下を離れたオッタルは考える。自分がやるべきことを。

 それは主神の思惑を阻害する者を通すわけにはいかない。自身がするべきは障害を遠ざけることだ。

 次の思考は処刑の鎌の送り先である、ベル・クラネルの事についてだ。オッタルが彼に付いて考えた理由は、両者がファミリアの団長であるという共通点だった。

 

 もしも自分が同じ立場なら、自身の全てを使って主神を守り抜くだろう。なら、ベル・クラネルは?

 

「やってみろ。できないのなら、共に在る資格など無い」

 

 オッタルは誰に言う訳でもなく呟いた。

 




 『おとうさん』についてはサブシナリオのオマケで後書き辺りに適当にあらすじだけ書こうと思います。
 フレイヤがヘスティアたちに向ける感情は、珍しいカブトムシを見つけたら毛虫がくっついていたという状態です。
 この小説のベルが初心者向けなのは、どんなふうに育てても一定の成果を出してくれるからです。ヤンデレやイエスマンのような厄介児でもなく、方針の最善を考えてくれるでしょう。
 そしてヘスティアがどのような選択を取るのかを次回書いていきます。

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