「うし、身体トレーニングはこれぐらいで」
「う、うん……ほんと、大翔くんも毎日、よく続けてるね。相当ハードだと思うよ」
彼の朝練は大体、1日2時間ぐらいである。ストレッチで身体をほぐした後は、身長の伸びに影響が出ないように、回数を少なめに筋トレを一通りこなし、後はこの広大な月村家の敷地と裏山をひたすらランニング。後は短距離ダッシュをこなしたり、最近だとすずかが一緒にトレーニングすることも多いので、簡単な組み手のような対人訓練をすることもあった。
「私みたいにアドバンテージが無いと、同じ年ぐらいでついてこれる人、いないんじゃないかな?」
大翔が地道なトレーニングを毎日続けられるモチベーションになっているのが、いわゆる転生特典の一つ、『努力すればした努力相当分は報われる』というもの。やった分だけ身につきますよというものである。
転生する際につく特典は、希望するだけ付けられるが、実際にその特典が正しく働くかどうかは、生前の自分の生き方に影響される。善徳などと称されるものだ。足りない場合はマイナス特典に早変わりしたり、使用できるタイミングに著しく制限がかかったりと、逆に不利益になるように仕向けられていた。
この世界でいえば、SSSクラスの魔力の持ち主と望んで、逆に全く魔術適正無し(マイナスSSS)とか、あるいは潜在的に持っていても、臨死体験に近い体験を積むなどで段階的に解放されるなど。臨死体験に近いとあるが、物語の特性上、そういう体験を味わうイコール本当にご臨終、なんてことはザラだ。
イケメン、オッドアイなんて外見の特典も前述のものに比べれば付きやすい特典だが、こういうのを選ぶ転生候補者は、大概が転生時にお察し程度の徳しか集めていない。面白さ半分で転生させる神の暇潰しで多少は補填されるが、ただのイケメンオッドアイ君で終わり、絶望する様を天上から楽しまれるのがオチだったりする。
『こちらの話を良く聞かずにぽんぽん調子に乗って選んで、残念な結果になる阿呆が多いんだわ』
転生時の事務官が悪い顔で言っていたのを大翔は良く覚えている。コアな話が出来る兄ちゃんという印象だったので、転生前についつい話し込んだのも、今や懐かしい話だ。
「ありがとうな、すずか。付き合ってくれるお陰で、身体強化の魔法のコツってのもつかめてきたよ」
寸止めでの組み手モドキ、ではあるが、最初はすずかに対して全戦全敗であった。超人的な身体能力を持つ彼女が、定期的に吸血を行うというドーピング効果も相まって、自分の能力を隠す必要が無い大翔相手に『全力全開!』した結果である。
これじゃいかん、ということで試行錯誤の結果、彼は速度においては、すずかの動きに追い縋れる程度まで、補助魔法の精練に成功していた。但し、あくまで速度だけであり、寸止め出来ずにうっかり彼女の拳やキックが当たったりすると、ガードの有無関係なく素晴らしい勢いで吹っ飛んでいく事には変わりない。
「後はこの障壁をもっと固くできるようにならないとなあ」
「スナップ利かせたらパリンと割れてしまうもんね、ふふふっ」
すずかが悪戯っぽく笑うのが、吸血時の彼女の妖艶さとが重なり、背筋に悪寒が走る大翔はぶるっと身を振るわせた。彼女は信頼する彼の前で、しつけから身に付けたお嬢様の振る舞いではなく、年相応の少女の一面を見せただけのことだ。
分かっているがだけに、これでは情けない。彼女の軽い一撃で容易く破られる魔法障壁も然りである。彼は魔法鍛錬においてもさらに努力を重ねようと心に決めた。
(……また、あの目をしてる。大翔くんが自分の中で決め事をする度に、吸い込まれるようなあの目を──)
そんな大翔の考えなどつゆ知らず、すずかは彼に見惚れていた。
元来、男性と接するのが苦手な彼女である。内気な性格とこの年頃の押せ押せの少年達とはどうにも合わず、怖さすら覚えてしまう。まして、彼女は安易に明かすわけにもいかない、重たい秘密も抱えている。だから、必要時以外は極力目線を合わせることも避けている。
(依存、だけじゃない。私は、彼が好き。頼るばかりじゃなくて、一緒に隣で歩いていきたい。このトレーニングも、その為にしなきゃならないことの一つだもの)
大翔の中身はおっさんに限りなく近い年齢を重ね、社会でしっかり揉まれ辛苦も舐めてきた、大人の精神を持っている。子供では持つことがなかなか難しい、決意と憂いを混ぜた瞳を見せられると、大人びたすずかの心も揺れ動き、彼への慕情を積み重ねる事に繋がっていた。
理由は互いに違えど、早熟であるもの同士。相性は決して悪くないものであり、ある意味これも転生特典と言えるかもしれない。
「よし、今日から並列思考の磨きをかけることも含めて、起きている限りは常に魔法訓練を……!」
「夜の二人の時間はダメだよ? あと、二人でお話している時もダメ」
「イエスマム」
優しい口調なのに、絶対に拒否は出来ないと分かる、すずかさんのとてもとーっても『いい笑顔』に即答している大翔であった。
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「そういえば、あと一年ぐらいで始まるんだよね」
「うん、こっちに来て半年でちょうど二年生になったからな」
小学校に向かうバス停に向かう中、いわゆる原作開始までの時期を再確認する。会話をしながらのんびり歩いているように見えるが、その実、同級生がこの場にいれば全力疾走で追いかけている次元の速さで、二人は歩を進めている。訓練の成果はひょんな所にも現れるという一例である。
「高町が魔砲少女NANOHASANに進化する第一歩ってところだな」
「それ、なのはちゃんの前で絶対口にしたら駄目だよ?」
そんなことを言いながら、自然を装い、彼の空いた手を繋ぐすずか。しっかり恋人繋ぎをする辺り、二人の時は積極性が表に出てくるようだ。
「しないよ。命あっての何とやらだ。あと、バス停までだぞ」
美少女と堂々と手を繋ぐことを拒否出来るほど、強靭な心を持っていない彼の答えは判りやすいものである。その言葉に、頬を染めながら、すずかはこくんと頷くすずか。
「あの桃色の集束魔法に貫かれたら、非殺傷設定でもショック死することうけあいだよ」
大翔のつたない原作知識でも、MADなどで砲撃の威力は十分お目にかかっている。なまじっか独学とはいえ、魔法を使うようになってからは余計に危険度が身近に分かるというものだ。
「今のなのはちゃんからは想像もつかないよ。でも、確かにすごい潜在魔力を感じるもんね」
「え?」
「え? 大翔くんは感じないの?」
「いや、いくらまだ魔法に慣れ親しんで高々半年ですが、それは良く分かってるよ? 俺が言いたいのはそうではなくて」
「大丈夫だよ。実際術式は殆ど使えないし、大翔くんと比べても微弱なものだから、私は。あ、なのはちゃん、もうバス停についてるみたいだね。行こう?」
反論を言う間を与えられず、すずかはお嬢様としての振る舞いを取り戻し、なのはの元へ歩き去ってしまう。さらっととんでも発言をされた側の彼は、問い質す時間も与えられず、朝礼の時間まで悶々とした時間を過ごすことになった。バスの中で上の空でアリサの話を聞いていなかった彼が手痛いビンタを食らうのもまた、様式美というものだ。
「えー、急ではあるが、転校生を紹介する。入りなさい」
彼を現実に帰らせたのは、朝礼ですずかの爆弾発言に次ぐ出来事の発生である。
「……悪い予感しかしない」
「うん、十中八九、厄介ごとだろうね、大翔くん」
教室の入口から現れたのは銀髪オッドアイの美少年。軽く流し目をする彼に教室の女子生徒達は大騒ぎ。担任の先生が制止するのを飲み込む勢いで嬌声を上げ続けている。
「伊集院皇貴だ、宜しくな」
彼が笑うと、なんという漫画でしか見たことがない、小さな星々が周りで瞬く演出効果つきの微笑みに見える。嬌声はさらにヒートアップして留まることを知らない。正直、耳が痛いレベルである。
「いや、あれ実際飛んでるのか? ……あの時の事務官のあんちゃん、確かにそういう奴がいるって言っていたが、これは強烈、だなぁ……」
「あの人が大翔くんが話していた、そういう類の人だよね」
声がなかなか届きにくいと思ったのか、肩が触れ合う距離にすずかが椅子を寄せてきている。考えてみれば、学校に共に通うようになってから、進級や席替えなど色々あったが、すずかは常に同じクラスの大翔の隣の席に必ず座っていた。既に日常と化している彼はそのことを考えることは今更無いが、偶然の一言で片づけるには十分におかしな話である。
「魅了効果付きの微笑み、かな。最低だね?」
「ひうっ!?」
淑女たる微笑みを湛えたまま、恐ろしく険のある口調で呟くすずか。反対側に同じく椅子を近づけてきたバニングス──なのはやすずかの親友たる、アリサ・バニングスも微妙な苛立った顔つきをしている。
そして、悲鳴を上げたのは、彼の笑顔に飲まれかけていた、なのは。発言内容が聞こえたのは大翔のみだが、すずかが発する剣呑な空気を、将来の大魔砲少女が潜在的に感じ取ったと思われる。
「なんか、すごく嫌な感じよ。勝手に胸がざわざわして、外から心をかき回されるような感覚って言うのかしら」
「アリサちゃんは鋭い感性を持っているから、分かってるんだね。それに、あの男の子……こっちをすごい勢いで睨んでるよ?」
すずかは目線を合わせたわけではない。ただ、皇貴という少年は怒りからか魔力が漏れ出ており、それを感じ取ったに過ぎない。なぜ、感じ取れるのかはさておき。
「……俺に決まってるだろー、すずか。美形のニコポナデポ持ちでSSSクラス、だよな。このパターン……」
「くすくす……私がなびくわけないのにね、大翔くん?」
「ぴぃっ!?」
二度目の悲鳴。なのはは、見てはいけない大人しい親友の本性をかいま見てしまった。すずかの呟きに、表情を直視したのがいけなかった。
年齢はともかく、すずかは既に女であり、なのはは未だ少女であった。それだけのことである。恐怖からか、完全に我を取り戻したのは僥倖であろう、多分。
「席外すわ。保健室行ったとでも言っておいてくれ」
「じゃあ、付き添うね」
しれっと同行を決定するすずか。彼女は猫好きなのに反対の犬属性を発揮している。逆にアリサは犬好きなのに猫属性である。世の中というのは不思議で満ちているものだ。
「な、なんだか分からないけど置いていかないでなの!」
「はぁ、私も行くわ……ねぇ、アンタ、空知となのはが体調崩して、私とすずかが付き添いって、先生に後で伝えておいてくれる?」
隣の男子にさっさと強引に了解を取ったアリサが一番最後となり、四人は足早に教室を後にした。転校生は脱出する四人に気づいたものの、暴走した女子生徒に囲まれ、強引に振り払うことも出来ずに即座に追いかけるのはままならなかったようである。
「……大翔くん、あの人、すぐに追ってくるよね?」
「そりゃなぁ。あの熱狂ぶりだと、もう一時間目は授業が成り立たないだろうし」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! あんたたち、どれだけ早足なのよ!」
「……あ」
忘れがちだが、彼女達は小学二年生である。毎日のトレーニングで身体機能を強化し続けている大翔や、元々の超人的身体機能を持つすずかは、あくまで小学二年生である。前話の冒頭であわや青年誌の世界を繰り広げていようとも、くどいようだが二年生は二年生なのだ。
「なのはなんか、息を切らしてるじゃない。ちょっとは周りを見なさい、らしくない」
アリサの普段の二人への評価は、年不相応に落ち着いている親友と男友達、といったところだ。例に漏れず、彼女も精神年齢は二年生の範疇を超えているので、クラスメイトの中でもすずかや大翔と過ごすことが多いが、子供らしくない二人と他のクラスメイトと距離が開き過ぎるのも問題だと思っている。
まして、ここ最近のすずかはゾッとするほど熱を帯び、潤んだ瞳をしていることも、アリサにはお見通し。あれはまるで少女漫画で見る恋するヒロインそのもの。想いが通じれば情事に及ぶことすら悦びになりかねない──。
(すずかは元々が大人しいし、思慮深い性質だから、大人びるのも無理ないと思うけど、それでも色んな意味で早過ぎるわよ! 大翔も馬鹿じゃないから、自制はするでしょうけど、私もストッパーにならないとダメよね)
四人の中の良心、常識人。アリサ・バニングスは友達思いのいい子である。
「すまん、バニングス。焦ってるな、俺」
「あの転校生と比べて、顔が人並みのアンタがウリの冷静さを失ってどうするのよ、全く」
「大翔くん、カッコいいよ?」
「すずか、それは貴女の主観。否定するつもりは無いけど、世間一般の評価はまた別。ごちゃまぜにしちゃダメよ」
「……カッコいいものはカッコいいよ?」
凄味のある微笑みに、アリサはため息をつく。いっそ、感情を露わに罵声を浴びせる勢いでくれば、まだ対応が変わるのに、と。素直に悪感情を出さないぐらいに、すずかの振る舞いは既に完成してしまっている。
「すずか。バニングスを困らせるな。お前が俺を認めてくれてる、それは良く伝わってるから」
大翔もため息混じりの苦笑いと共に、すずかの頭を軽く撫でると、彼女の圧迫感が霧散し、微笑みも少しだけ、頬が緩んだものに変わっていく。
「うん、わかったよ……」
「ああ。いい子だよ、すずかは」
「同じ年の癖に子供扱いするわよね、アンタ。すずかが納得してるからいいけど」
やがて、なのはも追いついてきたものの、激しく息を切らせたまま。移動もままならないということで、大翔がおぶることにするのだが、軽い一悶着があったのはお約束。
すずかさんマジ正妻の風格。多少執着が過ぎるのはご愛嬌。
受ける側に余裕があり、本人にも改善の意志があれば大丈夫。……あるのかな。