なので、少しだけ。
「おらぁ! 三番テーブルの料理いつまでまたせてんだ!」
「う、うっす!」
慌しい厨房の中、肉付きのいい固太りの男性が、忙しなく中華鍋を振る青年に向けて怒号を放つ。
周りのコックたちはそんな彼のご立腹な様子にも目もくれず、各々の調理に没頭している。
肉を焦がす音、野菜を刻む音、具が煮え立つ音。様々な騒音が厨房を打ち鳴らしている最中、固太りの男の声は一際目立っていた。
背後で腕を組み、貧乏ゆすりをしながら鬼のような形相を蓄えて、無言の圧力を終始かけている。そんな苦々しい雰囲気にもめげず、青年は調理を終えるとおたまで器用に料理を掻き出し、丁寧に皿へ盛り付けた。
「ったく。きびきび働かねーと警察に突き出すぞ!」
「さーせんっす!」
そう言って、青年は逃げるように受け取り口へ運ぶと、声高々に叫んだ。
「ピトー、野菜炒め上がったぞ!」
「は、はいニャ!」
そこへばたばたと駆け寄って来たのはウェイトレス姿のピトーだ。
耳や尻尾を隠すこともなく、モノトーンの服装に白い前掛けを召して、ふんわりとしたカチューシャを頭に乗せて引っ切り無しにあちらへこちらへと走り回っている。
猫耳尻尾と整った容姿であるが故に他のウェイトレスよりも際立っているのは言うまでもなく、現にテーブルに着席している男性たちの視線はピトーの足やら尻やらに集中していて、鼻の下を伸ばしている者や、特になにか食べたいわけでもなくコールを鳴らしては彼女を呼びつけたりと、終始引っ張りだこの様子だ。
「ノア、これ何番テーブル!?」
「三番だ! いいか、次問題起こしたら尻尾を固結びしてやるからな!」
「わ、わかってるよ!」
「後絶対キレるな!」
「わかってるってば!」
エレノアの念押しに業を煮やしながらも、ピトーは慎重に料理を三番テーブルへと運ぶ。
三番テーブルには柄の悪い三人組の男性がタバコを吹かしていた。
足をだらしなく広げ、背もたれに肘をかけながら「まだかよおせーな」「いつ来るんだよ」と呟いているところに、ピトーが「お、おまたせいたしました」と引きつった笑顔を作らせて彼らの前に立つ。
すると彼らは灰皿にタバコをぐりぐりと押し付けて、
「おっせーよ! いつまで待たせてんだよ!」
「……は?」
「俺たちは客だぞ? 頭下げて詫びいれろや!」
「ぐ……ッ」
「その猫耳尻尾可愛いねぇ! コスプレかな? 写真撮とらせてよ!」
「…………」
ビキビキとピトーの額に血管が浮き上がる。
こんな言葉を言われて彼女が耐えられるわけがない。自身よりも明らかに劣っている奴らにそこまで挑発されてしまっては、いくら改心したピトーといえども我慢の限界というものがある。
引きつった笑顔が失いかけ、爪を剥き出そうとした、その時。
ふと尻目にエレノアが手を大きくクロスさせて「抑えろ! 今は抑えろ!」と無言のジェスチャーを送るのが見えた。
エレノアは必死に手を合わせて拝んだり、少し離れたところで店主が睨みを利かせていることを指をさしてアピールしたりと、なんとか抑え込もう必死だ。
ピトーは致し方なしと一度深呼吸してから、人形のようにギギギと首を戻して、
「タイヘン、モウシワケ、ゴニャイマセン」
と、ぶっきらぼうに会釈を済まし、彼らの言葉も待たずその場を後にしたのだった。
――最悪ニャ……。
数刻前に遡る。
エレノアとピトーは真っ先に、東ゴルドー共和国の首都であるペイジンへ向かった。
記憶が戻ったとはいえ、森から直接宮殿へ向かうまでの道は覚えていない。しかし幸いにもエレノアはペイジンまでの道のりは知っている。ピトーを治療するために買出しに行った場所も実はペイジンで、そこからであれば宮殿とは目と鼻の先であることはピトーも覚えていた。
やがてペイジンへ到着した彼らではあったが、宮殿の周囲数キロ圏内が立ち入り禁止になっていることを住民から知る。
なんでも非常に危険なウィルスが蔓延しているとか、たちまち死に至る呪いだとか、様々な憶測が飛び交っている様子で、実際に死人が出ているのも確かではあるが、正確な理由までは誰も知らないのだと彼らは言う。
唯一知り得たのは、後二、三日もすればペイジンも立ち入り禁止区域になってしまうということ。
つまり、安全が確保されるまでは東ゴルトー共和国には誰も立ち入ることができない。――というのは、実は建前だ。
国のトップであるデイーゴが死亡し、補佐であるビゼフも行方不明、その他の幹部も死亡または逃亡したことにより、東ゴルトー共和国は国としての体裁を失う形となった。国際保安維持機構の暫定統治後、後にミテネ連邦の西ゴルトー共和国、ハス共和国、ロカリオ共和国によって国家財産を等配分され、国土を共同管理されることになる。
難民扱いとなった住人は、この三国が受け入れることとなった。
統治する人間が死んだと知れ渡れば、ただでさえ貧困と富裕の格差が激しいこの国のことだ。瞬く間に暴動と略奪が飛び交うだろう。
それを何とか阻止すべく、苦肉の策として用いたのが、
毒を理由に一度国外へ追放してしまえば等配分後に再度難民を受け入れ情報統制してしまえばいい。そうなれば暴動が起きる前に軍事介入が可能となり沈静することもできる。
そんな裏事情など知る由もなく、立ち入り禁止を知ったピトーは「構うもんか」と興奮を露にしていたのだが、エレノアは頑なに彼女を引き留める。
「いいか? 致死性の高いウィルスとか、死に至る感染症が蔓延しているのだとしたら、あそこへ行っても無駄だ」
「王がそんなことで簡単に死ぬものか! ボクは……ボクはなんとしてもあそこへ行かなくちゃならないんだ!」
「分かってる。でもその王は死なないとしてもだ。コムギって子はどうなる? その子は普通の人間なんだろう?」
「そう、だけど……」
「仮に王が生きていたのだとしたら、とっくにその選別ってやつを終えているだろうし、ここに人間なんて存在していない。違うか?」
「……じゃあ死んだっていうの? 王も、プフも、ユピーも、コムギも……。みんな……みんな……!!」
「――いや、それも違う。本当に王が死なないのなら、コムギやその仲間たちも安全な場所へ避難していると考えた方が妥当だろう。何かしらの事情があって、きっと動けないんだ。だから、先ずはお前たちを討伐するためのー……なんだっけか」
「……ゴン?」
「そう、その人に会って居場所を聞くのが確実だろ。安否の確認も含めてな」
「教えてくれるわけないよ……。だってその人の仲間をボクは――」
「分かってる。だから言ったろ、半分背負うって。誠意と償いを示せばきっと応えてくれるさ」
そうして、二人の目的はかつての敵である『ゴン』という人物を探し出すことに。
無論、手がかりは名前だけだ。ピトー曰く、恐ろしく強い人物あることには間違いない。
ならば、少なからず名が通っているのでは? というエレノアの考えを元に、腹の空き具合と情報収集も兼ねて近場の飯屋に足を運んだのだった。
*
「ふにゃ……やっと終わった……もうこりごりニャ……」
「誰のせいでタダ働きさせられたと思ってんだ……」
閉店後、机に突っ伏してため息を吐く二人はすっかり意気消沈していた。
「俺がトイレ行っている間に予算以上の飯を食ったのはどこのどいつだ……」
「そんなに食べたかなぁ……」
「五万ジェニーだぞ五万ジェニー。俺は千ジェニーまでって言ったよな?」
「ぼ、ボクお金とかそっちの事情は知らニャいしぃ……」
「渡したお小遣いをその日の内にぴったり使い切った奴が言うセリフかよ……」
「……お腹減ったニャ……」
「もう怒る気にもなれん……」
要は無銭飲食だ。
千ジェニーまでなら好きなものを頼んでも構わないと告げて、ピトーから目を離したのが決定的なミスだった。
実はエレノアの忠告は、メニューに目を奪われていた時点でまったく耳に入っておらず、この時既にピトーの頭の中には一面のお花畑が広がっていた。
自分の食べたいものを頼むだけで、食事が運ばれ、食べたくないものは頼まなければこないというシステムに、ピトーはすっかり心を奪われてしまったのだ。
エレノアとの生活中、そんなことはありえない。それだけに今まで雁字搦めに縛られていたピトーの食欲は、糸が切れたように開放されて――。
『お肉おかわり!! あと、ここからここまで全部もってきて!』
案の定エレノアがトイレへ向かっていた数刻の間の内に、ピトーはとんでもない量のメニューの数々を平らげてしまい、彼が戻ってくる頃には幾枚の皿が何層にも重なっている状況となっていた。
これにはエレノアも茫然自失。満足気なピトーに怒りすら覚える間もなく、店主に首根っこを掴まれてしまったというわけだ。
二人ともぐったりしているところに、後方の扉から「よう! おつかれさん!」と、固太りの男――もとい、店主が顔を出す。
おもむろにテーブルの上にサンドイッチやら果物やらを並べると、エレノアたちの対面にドカッと腰掛け、「食いな!」と歯を見せて笑顔を振りまいた。
仕事中、終始纏っていた、あの刺々しい雰囲気とは間逆の素顔に、エレノアは戸惑いを隠せず、恐る恐る尋ねる。
「い、いいんですか? 無銭飲食した上にこんな食事まで頂いてしまって……」
「気にすんな。今までで一番の売り上げだったからなぁ。お前らいい仕事っぷりだったぜぇ。あんたの飯も美味かったし、嬢ちゃんの客引きも上場だった。支払い分以上の働きだったし、これ以上の金はとらねぇさ」
「……恐縮です。お言葉に甘えさせていただきます。ほら、ピトーもちゃんとお礼を――」
「もごもごもごごごーっ」
「見境なしかお前は……」
「わっはっはっは! ま、ゆっくり食えや!」
食事も終える頃には日もすっかりと暮れていた。
避難勧告や食料の事情も相まって、都市であるペイジンも着々と過疎化が進み、店主も今日でこの店を閉じなければならないと肩を落とす。
外に街明かりはなく、点々とした明かりだけが都市を照らし、屋内からでも住人の減少が伺える。
昼頃まではそれなりに人がいたものだ。日が沈むまでは客足も絶えることがなく、二人とも忙しさに時間を忘れていた程に。
が、ある時間を境に、ぱったりと途絶えてしまったのだ。
店主曰く、その時間が国外へ行ける飛行船の最終便とのこと。その時間までに退去しなければ命の保障はないと言う。
無論、エレノアたちもそれに乗ることができなければ取り残されてしまうことになる。
店主は、長く続けていた老舗を閉じるのはどうも悔しくてならないと愚痴を溢しながらも、エレノアへ言葉尻に尋ねた。
「そういやお前さんら、寝泊りするとこはあんのかい?」
「いえ、お金もありませんし、どこかで野宿しようかと」
「寒いのは苦手ニャ……」
しょんぼりと垂れ下がった耳に、エレノアはため息をついて、
「これに懲りたら少しは反省しろ」
「にゃ……」
肩肘をついて目を尖らせるエレノアに、しゅんと萎縮してしまったピトーを見た店主は一笑してから、
「とりあえず今日は泊まっていけや。こんな場所で野宿なんてしたらあっという間に身包み剥がされちまうぜ」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「遠慮すんな。どうせ明日には俺もここを出て行くんだからよ。二階に空き家があるから好きに使いな」
「……本当にありがとうございます」
エレノアは深々とお辞儀をして、ちらりとピトーを見る。
それに合わせてピトーも「あ、ありがと、ニャ」と頭を下げて不器用ながらに感謝を示す。これには店主も「気にするな」と陽気な笑みを綻ばせた。
彼女がここまで素直に頭を下げたのは初めてのことだ。エレノアがトイレから戻ってきた時は、食い逃げしようと企てたり、怒る店主に食ってかかったりとそれはもう傲岸不遜な態度であった。
しかし、なんたがかんだ言いながらも、客や店主に一度も手を上げることなく事なきを得たのは、エレノアとの生活を経て彼女なりに成長した証拠でもある。
それが唯一の救いで、だからこそエレノアは必要以上にピトーを叱ることはしなかったのだ。
と、ふいに店主がピトーの頭を指差した。
「嬢ちゃんのその頭と尻尾。つけものじゃねーだろ?」
突如、空気の冷たさが二人の肌を刺す。
ピトーは、きゅっと僅かに口を噤む。
そんな彼女の表情を見てエレノアは何を悟ったのか――。ほんの少し間をおいてから、観念したように言の葉を吐いた。
「……やっぱり、気づきますよね」
「こんだけ近くで見てりゃな」
エレノアは庇うように手で遮り、
「でも、悪い奴じゃないんです」
「……テレビでやってたぜ。新種の魔獣だろ? 《ネバスカの獅子男》ってやつが女を食ってた」
「…………!!」
ギシリ、と店主が腰を掛け直す。
ピトーは驚きに目を丸くする。
そう、彼女は知っている。その《ネバスカの獅子男》の正体を。
妙な緊張感が、場を支配する。
「……その様子じゃ、知ってるみたいだな」
表情を読み取った店主は組んでいた腕を解くと、険しい表情を晒して、おもむろにポケットへ手を突っ込んだ。
瞬間、ピトーの時間が歪むように圧縮する。
思考が加速し、全身の毛が逆立ち始める。
――ポケットから何を出すつもりだ? 食べもの? お金? 部屋の鍵? いいや違う。
…………武器?
思考が先へと進み、やがて一つの解を得たその直後。ピトーの心臓の鼓動が、急激に早さを増した。
――本能が叫ぶ。
攻撃される、と。
――血が訴える。
殺られる前に殺れ、と。
瞬く間に瞳孔が開き、殺意が露になる。
ピトーは無意識の内に鉤爪を剥き出すと、目の色を変えて店主へ飛び掛った。
「ピトー!!」
エレノアの大喝も虚しく、彼女は大きく右手を振りかざす。
――殺さなきゃ! 攻撃される前に! ノアが傷つく前に!!
「――――ッ」
刹那。
無情な兇器は無慈悲に
今回も読んでいただきまして、ありがとうございます。
五月四日が一周年ということで、その先駆けとして短いながらも書かせていただきました。
当日にも投稿できれば良いのですが、まだ日程が定まっていないだけになんとも言えません。
ですが、ここまで読んでいただいた皆様に少しでもお礼ができたらと思います。
ほんの僅かではありますが、お楽しみいただけたら幸いです。
おもちーっ。