どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第五話 雨はまだ、止まない

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉狛支部。

 ネイバーに対して友好的な態度をとろうとしている支部――そんな話を、本部長補佐である沢村響子から聞いた事がある。

 無茶なことを、とか、馬鹿なことを、とか、そんなことは思わなかった。ただ純粋に、そうなのか、と思っただけだ。

 出木希にとって近界民というのは恐怖の対象であったし、立ち向かうべき相手であった。眠れないということこそなくなったが、未だあの時の恐怖と絶望は残っている。

 しかし、彼らはその近界民と友好を測ろうとしている。空閑遊真――彼を見ていると、不可能ではないのかもしれないとそう思った。少なくとも彼は、自分達を殺そうとはしていない。

 そんな玉狛支部に、希は足を踏み入れたのだが――

 

 

 

 

「どらやきしかなかったけど、でもこのどらやきいいやつだから。食べて食べて!」

 

 そう言ったのはメガネをかけた女性――宇佐美栞だ。かつて風間隊のオペレーターをしていたこともあり、その腕は一級品。更にエンジニアとしても優秀な人物である。

 

「これはこれは立派なモノを……」

「……いただきます」

 

 堂々とした空閑と違い、三雲と雨取の二人は緊張した面持ちだ。希自身、無表情を通しているが正直かなりいっぱいいっぱいなところがある。

 そんなことをしていると、カピパラに乗っていた男の子――林藤陽太郎が横から空閑のどら焼きに手を伸ばした。その額にチョップを入れ、空閑が笑う。

 

「わるいなちびすけ。おれはこのどらやきというやつに興味がある」

「ぶぐぐ……おれのどらやき……」

 

 本気で悔しそうにする男の子。どれだけ食べたいのだろうか。

 

「わたしのあげるよ」

 

 そんなことを言っていると、雨取が男の子にどらやきをあげていた。とてもできたいい子である。

 そんな姿を見、希は自身の前にあったどらやきを雨取の前に移動させた。えっ、と驚く少女に頷きを返す。自分は本部所属とはいえボーダーの隊員であり、彼女は客人だ。優先すべきは彼女である。

 

「あ、あの」

 

 戸惑う少女に首を振って応じる。甘いものは好きだが、どうしても欲しいというわけでもない。それに腹も膨れているのだ。主に炒飯のおかげで。

 

「ありがとうございます」

「…………どう、いたしまして……」

 

 応じ、改めて視線を巡らせる。話こそ聞いていたが、支部の中に入るのは初めてだ。ボーダー最強の部隊――玉狛第一部隊。彼らの能力の高さはよく知っているし、特に木崎には一度レイガストについて寺島チーフ経由で聞いたことがあったり、烏丸については木虎がよく話してくれていたので知っている。イケメンだ。個人的には嵐山の方が好みではあるが。

 ちなみに小南についてはよく知らない。滅茶苦茶強いとだけは聞いているが、戦っている所を見たことがないのだ。

 雨取がボーダーに興味を持ったのか、宇佐美に色々と話を聞いている。そんな風にして時間を過ごしていると、迅が入出してきた。

 

「よう、三人とも。今日はウチに泊まってけ。ここなら本部の人たちも追ってこないし、空き部屋もたくさんある。希ちゃんはどうする?」

「…………折を見て、帰ります……」

「そっか。宇佐美、面倒見てやって」

「了解っ」

 

 こちらに泊まることを迅が提案しなかったのは、彼なりに気を遣ってくれたのだろう。先程来る途中に聞いたのだが、空閑遊真の黒トリガーについて色々と揉めているらしい。もしここで玉狛に泊まれば、巻き込まれることは想像に難くない。

 

「あ、それと遊真、メガネくん。一緒に来てくれ。――ボスが呼んでる」

 

 ボス、というのは支部長の林藤だろう。煙草をくわえた姿をよく見かける人物で、仕事がよくできるが飄々としていて掴みどころがないとのことだ。

 二人を連れて迅が出て行くと、宇佐美が三人の泊まりの準備を始めた。それを静かに眺めていたのだが、あの、と雨取が声をかけてくる。

 

「出木さんは、ボーダーの隊員なんですよね?」

「………………」

 

 頷きを返す。分類上は本部所属の正隊員だ。とはいえ部隊に所属していない――というかできていないので、下っ端だが。

 雨取はそんな自分の反応を見て、意を決したように言葉を紡ぐ。

 

「あの、ボーダーの隊員って……どうやったらなれるんですか?」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 とりあえず、とてつもなく要領の悪い説明を出木希は行う羽目になった。普段から会話という行為をしなさ過ぎるせいで、話す能力が壊滅的になっているのである。

 しばらくすると宇佐美が戻ってきたのでバトンタッチした。正直これ以上自分が説明してもある意味迷惑になっていただろうし、丁度よかった。

 ――きっと、彼女は隊員になるのだろう。

 理由はわからない。そこまで踏み込むことはできなかったし、してはいけないと思ったのだ。ただ、彼女の意志の強さは伝わってきた。きっと、それだけの理由がある。

 空閑遊真――彼についてはよくわからないままだ。とはいえ、害がないならそれでいいのだと思う。

 夜道を一人歩いていく。月が、酷く幻想的に輝いていた。

 

「――――」

 

 不意に携帯が鳴った。着信音からするに、知らない相手だ。

 

「…………はい……」

『お、よかった。出てくれたか』

 

 聞こえてきた声の主は迅悠一だった。思わず即座に電話を切る。

 希の携帯番号を知る者は両手の指以下しかいない。上層部でも番号を知っているのは忍田本部長と鬼怒田室長ぐらいだろう。いや、個人資料に載っているので知ってはいるのかもしれないが、電話がかかってきたことがあるのはこの二人だけだ。

 迅悠一――彼に教えた記憶はない。即座に切ってしまったが、怒らせたかもしれないと戦慄する。すると、もう一度かかってきた。

 

「…………はい……」

『いやあの、ボスに教えて貰ったんだよごめん』

 

 ものすごく申しわけなさそうな声が聞こえてきた。彼の言葉に成程、と思う。支部長なら個人のデータを視ることぐらいできるだろう。

 

『伝えとこうと思ってさ。……あの三人は、遠征部隊を目指すらしい』

「…………遠征部隊……」

 

 迅の言葉を、確認するように繰り返す。遠征部隊――近界に派遣される、ボーダー最精鋭部隊だ。現在もA級トップの三チームが遠征に向かっており、それに選ばれる者たちは『黒トリガーに対抗できる』と判断された者たちである。

 ある意味ではボーダーの頂点とでも呼ぶべき領域。そこを目指すというのか。

 

『三人で部隊を組んで、千佳ちゃんの友達とお兄さんを探しに行くんだそうだ。メガネくんと遊真もそれに協力する』

 

 攫われた者を探しに行く――その理由に、再び成程と思った。彼女の意志の源泉は、そこにあるのか。

 多くの人間は不可能だと断じるだろう。だが、希にはできないししようとも思わない。目的は大切であるし、理由は重要だ。出木希という存在が、それに縋って立っているのだから。

 

『だから、もしよかったら鍛えてやってくれないか?』

「…………え……?」

『希ちゃんの実力は知ってる。一人で、ほとんど独学でよくそこまでって思うよ。その力をさ、少しでもいいから貸してくれないかな』

 

 お願い、と彼は言った。言葉を紡げずにいる自分に何を思ったのか、迅は更に言葉を続ける。

 

『ネイバーと親しくするのはしんどいのかもしれないから、無理にとは言わない。けど、ほんの少しでいいんだ。力を貸してくんないか?』

「…………どうして……私を……」

 

 どうして、と思った。

 こんな、どうしようもない人間に。どうして、皆は。

 

『〝未来〟が、視えた』

 

 彼は、言った。

 

『希ちゃんが遊真とバチバチにやり合って、メガネくんと話をして、千佳ちゃんと一緒にお菓子食べて……、おれが視えるのは光景だけだ。心までは読めない。だけどきっと、これは悪い未来じゃない』

「………………」

 

 答えられない。そんな未来が、本当にあるのだろうか。

 彼らの側にいる自分――それが、どうしても想像できない。

 

『返事は今すぐじゃなくてもいいよ。ただ、待ってる』

「…………私は……」

 

 おそらく電話を切ろうとした彼に、希は言葉を紡いだ。

 

「私は」

 

 言葉が、出なかった。

 何を言えばいいのか――言うべきなのか、わからなかった。

 

『前にも、言ったけど』

 

 迅は。

 未来を視るという、重き業を背負った青年は優しく告げた。

 

『大丈夫だ。未来は必ず、やってくる』

 

 通話が途切れた。希は、静かに息を吐く。

 部隊を組む。あの三人は、それを成した。焦がれるほどに――ひたすらに求めるモノを、彼らは手にした。

 羨ましいと思う。けれど、妬むことはない。

 彼らはできて、自分はできない。ただそれだけで、それ以上のことはなくて。

 

 どうしたら、いいのだろう。

 答えは未だ、見つからないままだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 紙一重でかわす、という技術がある。一見、例えば槍の突きなどを紙一重で避ければ即座に横薙ぎの一撃によって薙ぎ払われるように思えるが、現実はそうならない。

 伸びきった腕、というのは次の動きをするために一度腕を引き戻す必要がある。その隙を衝くため、紙一重という近距離での回避術が必要なのだ。

 だが――米屋陽介が使う『幻踊孤月』を相手にすると、その行為は致命となりかねない。

 

「くっそ、堅ぇ……!」

 

 振るわれる槍の猛攻を、ブレードを槍のように細くしたレイガストで受け止める。受ける際は弾くように外に流さなければらない。まともに受ければ、曲がる穂先に首を狩られる。

 米屋陽介の槍術はボーダー内でも並ぶ者なき技量だ。まともに打ち合えば必ず押し切られる。とはいえ、通常のブレードでは重くて速さで追い付けないし、シールドでもそれは同じ。手数を相手に大きな盾は、時として邪魔になる。

 故にこの選択だ。希は無表情に、ただひたすら槍を弾き続ける。

 

「――チッ」

 

 埒が明かない――そう判断したのだろう。米屋が強引に踏み込んできた。孤月の長さを変え、至近距離でも取り回し易くした一撃が迫る。

 右の肩口に、斬撃が入った。だが、同時、空けていた右手から一手が放たれる。

 

「メテオラ」

 

 自分を中心とした周囲の爆破。自身を巻き込むことを厭わぬ一撃により、二人の姿が土煙に隠される。

 

「くっ――」

 

 呻き、相手――出木希を探す米屋。左右、後ろ、或いは上――周囲に意識を集中させる中、彼女は正面から現れた。

 煙を引き連れ、無事な左腕でレイガストの柄を握り締めている。

 

「しまっ――」

 

 反応が、僅かに遅れた。だが、これは米屋のミスというのはあんまりである。相手の視界を奪ったのだ。通常、正面から向かってくることはしない。

 振り抜かれる拳。刺し違える覚悟で槍を放つ米屋。だが、その一撃は僅かに首筋を掠めるに留まった。

 轟音。踏み込みと腰の回転、そこにスラスターによる加速が加えられた剛速の拳が炸裂し、米屋のトリオン体が破壊された。玉狛第一の木崎レイジが得意とするレイガストスラスターパンチである。まともに入れば、戦闘体をその拳で粉砕できる。

 

「米屋、ダウン」

 

 ランク戦が終了し、体がブースへと移動した。米屋陽介――いつも通りブースに籠っていた希に彼が十本勝負を提案し、それが今終わったのだ。

 ブースを出、息を吐く。すると、丁度米屋も出てきたところだった。

 

「6-4かぁ。今日のところは俺の負けだなー。あー、最近なんか負けてばかりな気がする」

「………………?」

 

 首を傾げる。彼との戦績は通算で考えても五分がいいところだ。負けてばかり、という感覚はないと思うのだが。

 

「いやいや、こっちの話。でもあれだな、やっぱあれだけ近距離になるとキツいなー」

 

 槍はそもそもその利点がリーチの長さにある。それを潰してしまえば利点が失われ、紛れも起きる。今回はそのパターンだった。

 

「そういや、出水の奴は明日帰ってくんのか。今回の遠征はどうだったのかね」

「………………」

 

 出水公平――A級一位部隊である太刀川隊の射手であり、その規格外の技術で弾丸を放つ『弾バカ』と呼ばれる人物だ。彼の姿を見ると、上位の射手というのは本当に異常だというのがよくわかる。

 いつもなら『槍バカ』と呼ばれる米屋とよくいる彼だが、ここ数日は遠征に出ているため姿を見ていない。明日に帰ってくるようだ。

 

「とりあえず、俺は帰るわ。そっちは?」

「…………私も、そうします……」

「そっか。んじゃ、またよろしくなー」

 

 ひらひらと手を振って米屋が立ち去っていく。希はトリオン体を解除すると、ゆっくりとした足取りで基地の外へと向かって歩き出す。

 相変わらずというか、彼女に声をかける者はいない。遠巻きに何かを言っていることはわかっても、努めてそちらへ意識を裂かないようにする。

 聞こえてしまえば、もう二度と忘れなれない。

 視えてしまえば、もう二度と消え去らない。

 ならば、初めから――

 

「あれ、出木さんじゃん」

 

 声をかけられ、思わず体を震わせた。顔を上げると、そこにいたのは犬飼澄晴――二宮隊の銃手であり、希の隣のクラスにいる同級生だ。学校では同学年でほぼ唯一希に声をかける人物でもある。最近荒船がすれ違えば挨拶をしてくるようになったが。

 

「…………お疲れ様、です……」

「お疲れ~。あれ、帰るの?」

 

 頷きを返す。そっかそっか、と学校でも人目を集めるイケメンが笑った。

 

「俺らはこれから防衛任務でさ。いやー、最近寒いよね」

 

 うんうんと頷く犬飼。とはいえ、彼の恰好はスーツ――二宮隊の隊服だ。つまりはトリオン体ということのはずなので、寒いはずがないのだが。

 

「犬飼、何をしてる」

 

 いつも通り――といってもほとんどないことではあるが――犬飼が世間話を始めようとすると、別の声がかかった。そこにいた人物に、思わず肩を震わせる。

 

「あ、二宮さん」

 

 ――二宮匡貴。

 シールドの性能が上がり、ソロで点数を取り難くなったと言われている射手というポジションでありながら、その絶対的なトリオン量と緻密な戦術で相手を圧殺する規格外の実力者。

 №1射手であり、ソロ総合№2。あの太刀川慶に次ぐ怪物が立っていた。

 

「お前は……」

 

 眉をひそめ、二宮がこちらを見据える。何というか、非常に格好が様になる人だと希は思った。スーツ姿がとても格好いい。たまに読むスパイ映画のエージェントのようだ。最終的にその力で建物ごと破壊しそうな辺りとか特にそう思う。

 

「この子ですよ、二宮さん。前に言ってたレイガスト使いの」

「……成程な。話は聞いている。見かけたこともある」

「そうなんですか?」

「毎日のようにランク戦で誰かと斬り合っていれば、嫌でも目につく」

 

 ふん、と鼻を鳴らして二宮は言う。だが、彼のそんな言葉に希は内心で驚いていた。部隊に所属できていない自分を、彼の様な人が知ってくれていたとは。

 

「悪くはない。だが、一人であり続けるならそれまでだ」

 

 言うと、二宮は立ち去って行った。その背を見送ると、ごめんね、と犬飼が両手を軽く合わせながら苦笑する。

 

「二宮さん、いつもあんな感じだから。それじゃ、また学校で」

 

 言うと、犬飼は二宮の背を追って行ってしまった。二宮隊――現在はB級でこそあるが、それは事情があってのことだ。彼らの実力は、A級部隊のそれとも遜色ない。

 いいな、と少しだけ思った。犬飼は二宮という隊長を信頼している。その姿が少し、羨ましかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 玉狛第一へと向かっていると、途中で見覚えのある背中を見つけた。非常に大きな背中――鍛え上げられた肉体は、服の上からもよくわかる。

 声をかけようか迷っていると、向こうの方が気付いた。出木、と頭のいい筋肉――木崎レイジがこちらの名を呼ぶ。

 

「来たのか?」

「…………ご迷惑、でしょうか……?」

 

 立ち止まって待ってくれる辺り、優しい人だと思う。そもそも以前、本部を歩いていた時に希が声をかけた時もそうだった。こちらのたどたどしい言葉を待ってくれ、レイガストの基本的な使い方と体を鍛えることの大切さを教えてくれた。

 ちなみに希は毎日、夜にランニングをしている。人と会わないようにするために警戒区域の近くを走っているのだが、それを目撃した隊員から自主的にネイバーを見つけ、殲滅するために走っているという噂が流れている。ちょっと悲劇。

 

「いや、助かる。三雲がレイガストを使っているからな。教えてやってくれ」

 

 支部の扉を開けながら木崎は言うが、教えるというのはいくらなんでもハードルが高過ぎる。昨日の迅もそうだったが、少々自分を過大評価し過ぎではないだろうか。

 

「レイジさん、お疲れ様~。って、あれ、出木さんも」

「………………」

 

 中へ入ると、モニターに向かっている宇佐美がそう言った。頭を下げると共に、来る途中で買っていたどらやきの袋を差し出す。他の隊のところに行く時はこうするの礼儀、と以前木虎に教わったためだ。

 ……残念ながら、それが生かされたことは数えるくらいだが。

 

「えっ、いいの!? ありがと~! 気を使ってくれなくてもいいのに~!」

 

 受け取った宇佐美の反応からするに、間違えてはいなかったらしい。よかった、と小さく息を吐いた。

 

「なんだ、まだやってるのか」

「そうですよ~」

「そうか。なら出木、すまないが京介と三雲のところへ行ってやってくれ」

「…………はい……」

 

 頷く。えっ、と宇佐美が声を上げた。

 

「出木さん手伝ってくれるの?」

「…………御迷惑で、なければ……」

「そんなことない大歓迎だよ~! 迅さんが言ってたけど、微妙って言ってたからね~!」

 

 満面の笑みを浮かべる宇佐美。とりあえず、邪魔だとは思われていないらしい。

 

「雨取はどこ行った? もう帰ったのか?」

 

 室内を見回していた木崎が問うと、宇佐美も首を傾げた。

 

「千佳ちゃんですか? そういえばまだ出てきてないですけど」

「…………!?」

 

 木崎が駆け出す。それを見送っていると、所在なさげにしていた希に宇佐美がえっと、と言葉を紡いだ。

 

「二人は001号室にいるから、そっちに行ってもらっても?」

「………………」

 

 頷き、指示された通りの部屋へと歩いていく。不思議な場所だ、と希は思った。ここは非常に生きている空気を感じる。少なくとも、自分が暮らしているアパートの部屋よりは余程。

 

「………………」

 

 異物感。まるで己が場違いなところにいるような感覚。

 いつだってそうだ。一人でいると、余計なことを考える。だから本を読むし、ランク戦をするし、訓練をするのだ。考える時間があると、どうしても思い出してしまうから。

 ただ、少し。

 ほんの、少しだけ。

 

〝だけどきっと、これは悪い未来じゃない〟

 

 その言葉を信じてみようと、そう思った。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ……………………………。

 

 

 希が立ち去ったのと入れ替わるように、レイジが千佳を連れて出てきた。それと共に、実力派エリートも帰ってくる。

 

「ただいまー」

「お、迅さん。お疲れ様ー」

「どこに行ってたんだ?」

「お疲れ様です」

 

 迅悠一の帰還に、三者三様の返事が返ってくる。おお、と迅が楽しそうな表情を浮かべて千佳の頭を撫でる。

 

「初めての訓練はどうだった?」

「はい、頑張りました」

「後で計測するつもりだが、雨取のトリオン量は異常だ。忍耐力と集中力もあって性格も狙撃手向き。『戦い方』を覚えれば、十分エースになれる素質がある」

「おお~」

「ほほう、レイジさんがそこまで褒めるとは。流石だな千佳ちゃん」

 

 何故か自慢げな顔をする迅。その迅に、それよりも、とレイジが言葉を紡いだ。

 

「出木を引っ張り出すのに、どんな手を使ったんだ?」

「お、希ちゃん来てくれたのか」

 

 ははっ、と笑う迅。宇佐美と千佳がその言葉に反応した。

 

「あ、それ私も気になります」

「出木先輩も来てるんですか?」

 

 昨日、真摯に千佳に説明していたためだろうか。千佳の中で出木希というのは悪いイメージが無いらしい。ふむ、と迅は顎に手を当てて言葉を探す。

 

「宇佐美、希ちゃんについてどんな印象がある?」

「へっ? うーん、噂ぐらいしか知りませんけど……元々三門市に住んでて、四年前のアレで三門市を離れたけど、戻ってきた……とか」

 

 復讐や家族のことを口に出さなかったのは宇佐美の配慮だろう。迅はそうだな、と頷いた。

 

「それは全部事実だ。ただ、それとは別に色々あるみたいでさ。ちょっと気になってたんだ。今出てたのもそのため。……最初から、ちゃんと話しとけばよかったんだろうな。そうすれば、多分、こんなことにはなってない」

 

 ままならないな、と迅は笑った。

 

「でもさ、多分ここが分岐点なんだよ。とんでもなく不器用な女の子の、大切な分岐点」

 

 だから、と〝未来〟を視る男は言う。

 

「ちょっとぐらいは、頑張ろうかなって思ってさ」

 

 そう言った時の、彼の表情は。

 どこか、寂しそうだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 死んだ回数は、十四回目から数えていない。

 自分と同じレイガストの使い手だという出木希という人物の登場に驚いたものの、修は進んで彼女との模擬戦を望んだ。

 言葉はない。その辺は師匠である烏丸京介と全く違う部分であったが、そこは気にならなかった。

 烏丸に比べ、その速度は速くない。速いのは勿論速いし、修よりは遥かに速度がある。だが、追えない速度ではない――そう思ったのが、間違いだった。

 

(……一撃も、通らなかった……)

 

 烏丸との戦闘は一撃も当たりさえしなかった。それはそれで絶望感があったが、彼女の場合は全く違った。

 レイガストの盾が全てを防ぎ、容易く受け流す。下手に全てを避けられるよりも遥かに絶望感があった。全てを防がれ、そこにカウンターのように毎度一撃を打ち込まれては、攻撃することさえ躊躇してしまう。

 そして、その躊躇いを見透かすようにして彼女はこちらを攻撃してくる。カウンター戦術だけではないのだ。己から攻める術も、ちゃんと持っている。

 何より打ちのめされたのは、最後まで正面以外の場所からの攻撃が無かったことだ。その気になれば側面、或いは背後をとることぐらい容易かっただろうに彼女はそうしなかった。最後まで、真正面からこちらを貫いた。

 

「何この数値!? 黒トリガーレベルじゃん!

「千佳ちゃんすごーい!」

 

 わいわいと騒ぐ声が聞こえてくる。千佳――彼女のトリオン量はやはり規格外のようだ。しかも、その素質は折り紙つきである。

 

「でもうちの遊真の方が強いよ! 今だってB級上位ぐらいの強さはあるし、ボーダーのトリガーに慣れればすぐA級レベルになるんだから!」

「こなみ先輩より強くなります」

「それはない。調子に乗るな」

 

 早速馴染んでいるようでなによりである。というか、あの空閑遊真ですら勝てないのかと修は戦慄した。

 

「そっちはどうなのよ、とりまる。そのメガネは使い物になりそうなの?」

「……うーん……」

 

 長考。何となく、答えは読めた気がした。

 

「今後に期待、としか言えないすね」

「なにそれ。つまり現時点で全然ダメって事じゃん」

「出木はどう見る?」

 

 僅かに前髪を揺らし、出木が木崎の言葉に反応した。前髪の奥にある感情の読めない瞳が、こちらを見据える。

 どれぐらいそうしていたのか。成程、と木崎が頷いた。

 

「コメントなし、か」

「ちょっと、ちゃんと強くなるんでしょうね? うちに弱いのはいらないんだけど」

「うっ……」

 

 ぐさりとくる言葉だった。あの二人に比べると、自分は才能というモノに全く恵まれていない。強くなれるのか――そこに、強い不安があった。

 

「いや、でも小南先輩。――こいつ、小南先輩のこと『超可愛い』って言ってましたよ?」

「!?」

「えっ!? そうなの!?」

「うむ。言ってた気がする」

「ホントに!?」

 

 嫌なところで変な連携を見せる師匠と隊員である。小南は顔を真っ赤に染めた状態でこちらに詰め寄ってきた。

 

「ちょっとあんた、やめてよねそういうお世辞! お世辞じゃないのかもしれないけど!」

「いや、その……」

「すいません、ウソです」

「「…………!?」」

 

 小南と共に驚愕の表情を浮かべる修。この無表情な師匠のことが、修は本当にわからない。

 もう一人の師匠――と呼んでいいのかわからないが――の姿が目に入った。彼女はしかし、変わらず無表情に、距離をとるようにして立っている。

 何故か、その姿が酷く寂しそうに見えた。

 

「騙したな!? このメガネ!」

「騙したのは僕じゃないですよ!?」

 

 だが直後、ヘッドロックを決められてそれどころではなくなった。

 

「傷ついた! プライドが傷つけられた!」

「だからぼくじゃないですって――」

 

 賑やかな光景。そこから、その少女は立ち去ろうと背を向ける。それに気付いた空閑が、あ、と声を上げた。

 

「出木先輩、帰るの?」

「ちょっと、どうして出木は最初から先輩呼びなのよ!」

 

 空閑にくってかかったために開放される。出木は振り返ると、小さく頷いた。その出木に、空閑が笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

 

「出木先輩も一勝負どう?」

 

 その瞳が、僅かに見開かれたように見えた。だが彼女は、首を左右に振る。

 

「…………また……」

 

 蚊の鳴くような声だった。おっ、と空閑が笑みを浮かべる。

 

「約束だな、先輩」

 

 そして出木は頭を下げ、支部を出て行った。その姿を見送り、相変わらず、と小南は呟く。

 

「表情が読めないわね。とりまるより難解」

「あれは副作用みたいなものだからな。俺も本人から聞いたわけじゃないが」

 

 小南の言葉にレイジが言う。どういうこと、と小南が問いかけるとレイジが机の上の食器を片づけながら言葉を紡いだ。

 

「俺も直接本人に聞いたわけじゃない」

「何かあるんすか?」

 

 烏丸が問いかける。レイジは頷いた。

 

「サイドエフェクトだ。……本人は別に隠していないようだから、話そうか。〝瞬間完全記憶能力〟――それが出木の能力だ」

 

 サイドエフェクト、と聞いて修は空閑を見た。空閑遊真という少年は、『嘘を見抜く』というサイドエフェクトを持っている。

 それは人の能力の強化であり、天から与えられた天恵だ。

 

「随分と大仰な名前ね」

「だが、名称以上の力だ。出木はその目で見たモノ、聞いたこと、その全てを完全に記憶する。思い出せないということはあり得ないそうだ。少しでも思い浮かべようとすれば、それこそ映像、画像問わない形で思い出せるらしい」

「とんでもない能力ですね……」

 

 宇佐美が絶句している。ああ、とレイジが頷いた。

 

「俺も東さんに聞いただけだからな。どうも鬼怒田さんたちは出木のサイドエフェクトについて有効利用できないか研究しているらしい。その関係で俺も聞いた。ただ……正直、羨ましいとは思わん」

「なんで? 凄い能力じゃない」

 

 はてな、と首を傾げる小南。その小南に、レイジはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「小南。出木は第一次近界民侵攻の被害者だ。それも、目の前で家族を殺されている」

 

 全員が言葉を失った。レイジは更に続ける。

 

「話すかどうかは俺の判断に任せると迅は言っていた。……どう受け取るかは自由だが、それが真実だ」

「ちょ、ちょっと待って下さい。それじゃ、出木先輩は……」

 

 修の表情が青くなっていく。何もかもを覚え、忘れる事の無い力。それは言い換えれば、『絶対に忘れる事のできない力』なのではないか――?

 目の前で家族を奪われた。それはつまり、見たということだ。その惨劇を、絶望を。

 

「ふむ。おれにトリガーを向けたのもそれが理由か」

 

 空閑が呟く。そうだ、そういうことだ。ネイバーと聞き、反応した彼女。その反応は当然だったのだ。彼女は眼の前で家族を奪われたのだから。

 そんな相手に、自分は何を言った?

 

〝空閑は悪い奴じゃありません〟

 

 自己嫌悪で吐きそうになる。今考えれば彼女がトリガーを収めたのは奇跡に近い。三輪秀次――空閑を襲撃してきた彼の対応は、きっと正当な感情からくるものだったのだから。

 

「じゃあ、あの噂って……」

「そこまではわからない。俺は出木から直接聞いていないしな。嵐山隊や三輪辺りは何か知っているかもしれないが……」

 

 出木希が嵐山隊のエースである木虎と同期であり、関わりがあるのは有名な話だ。特にオペレーターの綾辻についてはあの城戸司令を瞠目させ、唐沢営業部長に冷や汗を流させた芸術を真顔で称賛したという伝説があり、それ以来交流があるという。

 三輪についてもだ。時折彼らが共にいる所が目撃され、噂になっている。それが〝復讐〟という噂の源泉になっているのだろう。三輪がネイバーに対して強い復讐心を抱いているのは有名な話だ。

 

「ふーむ……」

「俺が話せるのはここまでだ。ただ、三雲。お前は今日、出木と戦ったんだろう? どんな風に戦った?」

「え、ええと……」

 

 いきなり振られ、修は考え込む。確か――

 

「最初は、正面から貫かれました。次は、首を飛ばされて……えっと、パンチでやられたのもあります」

「レイジさんもよくやる手だな。ただ、レイジさんと違って拳の周りに小型のブレードを纏うようにしていたみたいだが」

「他にはシールドで突き飛ばされて、体勢が崩れたところに一撃を入れられたり……受け流されて、防がれて、こっちの攻撃は一度も届きませんでした……」

 

 言ってて悲しくなってきた。だが木崎は、ふむ、と顎に手を当てて考え込む。そうしてから、確認するように問いかけてきた。

 

「三雲、出木はレイガスト以外を使ったか?」

「ええと……いえ、使ってなかったと思います」

「――なら、出木はきっちりお前を指導している」

「そっすね」

 

 木崎の言葉に頷く烏丸。どういうこと、と小南が首を傾げた。

 

「聞いてたらそこのメガネがやられてるだけじゃないの?」

「そうでもない。レイガストはそもそも使用者が少ないトリガーだ。……出木は、レイガストで相手を倒す方法をひらすら実践したんだろう」

 

 その言葉に、思わずハッとなった。レイガストは防御寄りのトリガーだ。こちらの攻撃を受けていたのも、わざとそうしていたのだとしたら?

 カウンター主体の動きも、己から攻める動きも。全て正面から行っていたのは、自分に見せるためだったとしたら?

 

「――休憩は終わりだ。訓練の続きをするぞ」

 

 木崎が言い、千佳を連れていく。空閑と小南も部屋を出て行った。

 

「さて、おれたちも行くぞ三雲」

「――はい」

 

 烏丸の言葉に、頷きを返す。

 教えてくれていたのだ、己の技術を、戦う術を。言葉ではなく、その刃で。

 ――応えなければならない。

 そうでなければ、三雲修は間違えてしまう。

 

 疲労は消えていた。

 あるのはただ、純粋な猛りのみ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 出木希が暮らすアパートには、驚くほどに物がない。文字通りの最低限。とても18の女子高生とは思えない部屋である。

 ヤカンに水を入れ、火を点ける。用意するのはカップラーメンだ。料理のできない希にとって、食事は基本的にインスタント、それもラーメンやうどん、そばがメインである。

 

「…………」

 

 お湯が湧くのを待つ間、携帯電話を取り出す。かける相手は、この世で唯一の肉親二人だ。

 

「……あ、お婆ちゃん……? うん、ごめんね、こんな時間に……」

 

 肉親が相手なら、ちゃんと話せる。そんな自分が嫌いだ。自分を見捨てないと、そう信じられなければちゃんと話せない。

 そんな自分が、誰より嫌い。

 

「学校は、うん、楽しいよ。友達も、いるし」

 

 嘘だ。友達などいない。学校は楽しくもなんともない。ただ行っているだけ、空気としてそこにあるだけだ。

 

「仕事も、うん。大丈夫。皆いい人だから」

 

 半分嘘で、半分本当。皆はいい人だ。いい人ばかりだ。だけど――大丈夫ではない。

 いい人ばかりなのに、一人きりでいるしかない。

 

「でも、ここにいないと。……誰も、お墓参りもできないから」

 

 両親と弟が眠る場所のことを思い浮かべる。同時に、あの日の記憶がフラッシュバックした。

 忘れ去れない記憶。恐怖と絶望が、心を――

 

「――――ッ、大丈夫。大丈夫だよ。うん、ありがとう。年が明けたら、できるだけそっちに行くようにするから」

 

 電話を切る。それと共に、お湯が湧いた。

 火を消し、携帯を机の上に置く。

 

「……っ、ふ……うっ……」

 

 涙が、溢れて止まらない。蹲り、膝を抱え、声を殺して涙を流す。

 表情が死んでいることには、ずっと前から気付いていた。顔に感情が出ない――かつてはそれを不気味だと、そう何度も言われた。

 ボーダーに入り、研究に協力する中でその原因を知った。〝瞬間完全記憶能力〟――僅かでも思えば思い出すこの力が、表情を奪ったのだ。思い出す全てにいちいち反応できない。故に精神と表情が完全に切り離されたようになっているのだろうと、鬼怒田は言っていた。

 事実、外で表情が動いた記憶はほとんどない。覚えていない以上、本当に無かったのだ。

 だが、一人こうしていると、無性に涙が零れてくる。絶望と恐怖、そして己に対する自己嫌悪が止まらなくなってしまう。

 そして、思い出すのは決まってあの日の記憶だ。

 

〝逃げなさい! 速く!〟

〝振り返るな! 急げ!〟

 

 振り返った。見てしまった。そして、記憶に刻んだ。

 両親の身体が貫かれ、絶命するその瞬間を。

 

〝姉ちゃん、無事か……?〟

 

 そして、己の腕の中で冷たくなっていく。

 

〝姉ちゃん、逃げろよ。速く。急げって〟

 

 いつも自分を守ってくれていた、弟の体。

 

〝くそ、なんだよこれ、怖いよ〟

 

 動けぬ自分に、弟は言ったのだ。

 

〝――死にたくないよ、姉ちゃん〟

 

 何もかもを失った、あの日のことを。

 ずっとずっと、忘れられない。

 

 小さな音を立て、何かがポケットから落ちた。

 ――ハーモニカ。

 弟が誕生日に贈ってくれた、数少ない形見の品だ。

 

「――――――――」

 

 頭を抱え、歯を食い縛る。この記憶は呪いだ。これさえなければ、と何度も思った。

 ――だが、それが逃避だともわかっている。

 前に踏み出せばいいのだ。勇気を出し、誰もがそうしているように手を伸ばせばいい。きっと、誰かが手を掴んでくれる。手を伸ばさなければ、誰も手を掴んでくれないのは道理だ。

 しかし、できない。

 だって、もしもだ。

 もしも、この手を振り払われたら。

 

 もう二度と、出木希は立ち上がれなくなる。

 手を伸ばすことを、振り払われた記憶が許さなくなる。

 

 夜はまだ明けない。

 あの日の雨は、ずっと心の奥に降り続いている――……

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

『ゲート発生、ゲート発生。遠征艇が着艇します。付近の隊員は注意してください』

 

 現れる巨大な艇を、四人の幹部が見つめていた。満足そうに、開発室室長――鬼怒田が頷く。

 

「待ちくたびれましたな」

 

 本当に待ちわびた。あの艇に乗るのは、今回の状況を打破し得るカードたちである。

 

「遠征部隊の帰還です」

 

 


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