どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第十三話 その変化を、少女は知らず

 

 

 

 ある種、逃げるように出木希と嵐山准の二人は基地を出た。元々、二人の役割はケーキを受け取ることである。あの場にいても得られるものはない。

 しばらくは互いに無言だったが、人通りが増えてくるとどうにか落ち着いてきた。希自身、爆発するのではないかと思うくらいに高鳴っていた心臓も、どうにか収まっている。

 

「しかし、驚いた。随分印象が変わったな。前髪も……切ったのか」

 

 嵐山の言葉に、希は小さく頷いた。服装については綾辻と加古のアドバイス通りにしただけであり、正直何がよくて何が悪いかは希にはわからない。記憶には膨大なサンプルがあるが、価値判断の基準がないのだから当然だ。

そもそも他者と意見を交わすことさえほとんどしない彼女には、標準的な価値観というモノが微妙に欠けていた。それでも少なくとも表面上は普通でいられるのは、その記憶が示す膨大なサンプルデータによるものだ。模倣という行為が、彼女を常道たらしめる。

 まあ、そういうわけで服装に関しては彼女の意見は一ミリも入っていない。一応最初に好みを聞かれたが、いつものような格好をしようとして即座に却下された。木虎には同情めいた視線を向けられ、黒江には背中をさすることで慰められた。普段は仲が悪い――といっても黒江の一方的なものだが――木虎と黒江が少し団結したのは余談である。

 

「…………変わろうと、思いました……」

 

 今までは、踏み出すことができていなかった。だから、変わろうと願ったのだ。

 手を借りてでも、変わろうと。

 

「…………最初は、消えない隈を隠すためのモノで……、そのうち、見ないようにするためのモノになって……」

 

 気休めにしかならないが、前髪を伸ばすことで少しでも自身のサイドエフェクトを否定しようとした。本人は知らないが、菊地原も同じ思考である。

 

「いいことだな。自分自身で決めたなら、それはいいことだ」

「…………はい……」

 

 やはりというべきか、嵐山はそんな自分の選択を肯定してくれる。それが嬉しい。

 認めてもらえること、受け入れて貰えること――それは、救いであるが故に。

 

「…………ただ、どうしても……違和感が……」

「まあ、それは仕方がないだろう。ただ、似合っていると思うぞ。俺はそっちの方がいいと思う」

 

 どきりとした。小さく頭を下げ、礼を言う。

 目の前の青年は、変わらず微笑んでくれていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 復讐の鬼と謳われ、どこにも所属しようとしないと噂されていた少女――出木希。

 前半部分の噂はともかく、後半については否定された。忍田本部長直々である上に、上層部が何処かに所属しろと命令を出したという噂もある。

 出木希という少女は復讐者だ。少なくともそう信じられているし、人と会話することもほとんどないせいでその真意を知る者は少ない。だがその実力を知る者は多く、欲しがる隊はそれなりに多いのも現実だ。究極的な事を言えば、その本心や信念がどうであれ隊員として活躍できるなら問題ない。

 現状、彼女を勧誘した部隊は、柿崎隊、諏訪隊、来馬隊、二宮隊、荒船隊の五つである。噂が流れて即日でこれなのだから、評価の程が窺い知れる。

 まあ、単独で迅速に敵を討てるかというと正直微妙と言えるのだが、彼女の真価はその防御にある。前衛の壁としての役割は勿論のこと、厄介な相手を抑え込める技術があるのだ。集団戦においてこの力は重宝する。

 

 

「実際、どこに入るんだろうな」

 

 準備を進めながら、そんなことを呟くのは出水だ。先程の出木の恰好で周囲は持ちきりであり、色んな意味で盛り上がっている。

 

「順当にいけば一番強いとこじゃねーの?」

「ニノさんのとこか?」

「……あそこに出木が加わるとか洒落にならねーな……」

 

 出水の言葉に対し、呻くように米屋が言う。噂の中で、先程加古が現在出木にスカウトをかけている隊のことを話していたのだ。合わせて五部隊。それも話題の中心である。

 

「でも、出木ならうちにも欲しいけどな」

「出木の後ろでお前が弾幕張るとか何の悪夢だ」

 

 冷静に考えると中々に恐ろしい事態である。ただでさえ緻密なコントロールと豊富なトリオンを生かした『弾馬鹿』と謳われる出水である。前衛にあの鉄壁が入れば、それだけで落とすことが困難になるのは目に見えていた。

 そもそも太刀川隊は唯我というある種最大のウイークポイントになりかねない隊員を持ちながら不動のトップにいる隊である。そこに更にもう一人マスタークラスが加わるなど、最早悪夢だ。

 

「ただ実際のところ、どうなんだろな。どっかに所属したかった、ってのは本当なんだろうけど、それならなんで加古さんと嵐山さんのとこの提案断ったのかわかんねーし」

「――あら、何の話?」

 

 いきなりの声に、二人して飛び上がりそうになった。振り返ると、セレブ風自由人がにこにこと笑みを浮かべて立っている。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様です。いや出木のことなんですけど、加古さんスカウト断られたんですよね?」

「あら、そんなのどこで聞いたの?」

 

 首を傾げる加古。いや、と出水も肩を竦めた。

 

「有名ですよ? 嵐山さんも断られたとかで」

「そうなの? 嵐山くんはわからないけど、そもそも私は出木ちゃんをスカウトしてないわよ? 冗談で提案したことはあるけど、具体的な話にはなってないし」

「そうなんですか?」

 

 驚いた調子で米屋が言うと、ええ、と加古は頷いた。

 

「だってあの子、『K』じゃないもの」

 

 そんな理由かよ、と思うと共に、そういえばこういう人だったと二人して納得した。

 

「主義を曲げるのも考えたんだけど、それはあの子自身が断ったの」

「あー……成程」

「正直、私があの子をスカウトしてこっちに連れ戻す形になっちゃったから、気になってるのよ。色々事情もあるし……」

 

 その言葉に二人は納得の頷きを返すが、そもそもその『色々』について致命的な認識の違いがあることにこの場の誰も気付いていない。

 

「実際、加古さんはどこに入ると思います?」

「……ちょっと予想できないわね。あの子の場合、他人にあまり求めることをしないから」

 

 それは、己の中で全てが確定しているからであろうと二人は思った。出木希は復讐者だ。戦場に立てるのであれば、おそらくその形に拘らない。だから他人に求めない。

 事実、混成部隊で模擬戦をする時などに彼女は驚くほどに主張をしない。だが周囲が視えていないわけではなく、己を置くにはどこが一番か、何をすべきかは常に考えているように見えるし、事実、かなり戦いには貢献している。

 己自身さえも駒の一つとするのが、出木希という少女の在り方なのだ。

 

「ただ、どこに入るにしても……後悔だけはしないで欲しいわね」

 

 その時の、加古の表情は。

 まるで、妹を思う姉のようだった。

 

 

 ……一つ懸念がある。

 出木希――彼女がどこにも所属する意思を持たないという噂は間違いであったことが周知のこととなった。だが元々、その噂には前提条件が二つあったのだ。

 一つは、嵐山隊と加古隊のスカウトを断ったという話。これにより、スカウトに誰もが二の足を踏むようになった。だがこれは誤解であり、前者はむしろ断った側。後者は隊長の拘りにより、そもそも話が具体化していないというのが事実である。

 問題はもう一つ。彼女が〝復讐者〟であるということ。

 近界民に家族を奪われ、日常を奪われ、その人生を破壊された者。その復讐のためにこちらへ戻り、黙々と戦い続ける少女はそれ故に己が満足できる部隊を見つけられないでいたとされていた。故に一人で戦い続けているのだと。

 

 ――その認識は、未だ消えていない。

 

 彼女の真実を知る者はいる。だが、彼女が話した相手はわざわざそれを吹聴するような者たちではなく、そもそも本人が自身の評価について気付いていないふしがある。更に言えば、本当に心の底の想いを聞いたのは僅か二人しかいない。

 出木希の心の内を知る者たちと、知らぬ者たち。いや、知る者でさえ正しくは認識していない。

 彼女が、真に何を求めているのか。

 どうして、戦うのかを。

 完全には噛み合わぬまま、歯車はずれたままに……動き続ける。

 

 それが、悲劇を招くとも知らずに。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 そんな風に基地では凄まじいことになっているのだが、嵐山准と出木希の二人はそんなことは知らない。いや、希は何を提案するかについては聞いているが、本人は割と楽観視している部分がある。

 そもそも、彼女の自分に対する認識と周囲の彼女に対する認識の違いが色々と事態をややこしくしているのだが、人と話さぬ少女にはわからない。ある種悲劇だが、どちらかというと喜劇である。

 

 

「しかし、凄いな。地図いらずか」

「…………一度見た場所は、忘れないので……」

 

 ケーキの箱を一つ持った嵐山の言葉に、隣を歩く希はそう応じた。これはただの事実だ。出木希はその生涯において、道に迷った記憶がない。

 そもそも道に迷うというのは自身のいる場所と目指す場所の認識がおかしくなった時に起こる場合が多い。希の場合、そもそも一度見た道は完全に記憶するので自分の場所を見失うことはなく、道に迷うことはない。

 呪いと断じるこの能力の、数少ない利点だ。

 

「それにしても……本当に驚いたな。昨日加古さんに連れられて行ったのはこのためなのか?」

「…………美容院に、初めて行きました……その、変わるには、何かがいると思って……」

 

 これは一種の決意表明であり、覚悟のつもりだった。最初は目の下の隈を隠すために、いつしか世界そのものを見ないようにするために伸ばしていた前髪を切り、世界をちゃんと見ようと思ったのだ。

 ……まあ、切ったと言っても完全に切ったわけではなく、俯けば相変わらず目は隠れる。正面を向けばちゃんと目が見える程度だ。ここがギリギリの妥協点だった。

 

「いいじゃないか。似合ってる。その服もな」

「…………こういうスカートは、初めて着るので……どうにも、慣れず……」

 

 普段からロングスカートを着、トリオン体はともかく生身では極力肌を晒さない格好をしていたのが出木希という少女である。故に短いスカートには慣れず、どうにも歩き辛かった。

 ちなみにこの服を選んだのは加古、綾辻、木虎、黒江の四人である。午前中に入った事もないお洒落な店へと連れて行かれ、服を選ぶことになった。最初は四人も希の意見を尊重しようとしていたのだが、あまりにもいつも通り過ぎて結局却下されることとなったという経緯がある。妥当っちゃ妥当。

 

「…………嵐山さんは、凄いですね……」

 

 ポツリと、希は呟いた。同時、目的の店の看板が視界に入る。

 

「凄い?」

「…………広報部隊というのは、私にはとても……」

 

 人と会話をすることさえ苦労しているくらいなのだ。広報部隊などできるはずがない。

 

「まあ、俺の場合は慣れの部分もあるからな。そもそも、出木に声をかけた時はそれも考慮してたんだぞ?」

「………………」

「いやそんな死にそうな顔をしなくても」

 

 言われてみればその通りである。嵐山隊には憧れがあったが、それを考えると結果オーライだったのかもしれない。特に木虎などは凄く楽しそうなので、まあ良い方向に決まったのだろう。

 

「まあ、向き不向きがある。広報をしているから偉いわけではないしな」

 

 爽やかに笑う嵐山。そして、二人は二件目の店へと足を踏み入れる。

 ポツリと、頬に冷たい雨が当たった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 三件目の店からケーキを受け取り、基地へと戻ると外は大雨になっていた。幸いというべきか、希と嵐山は僅かに濡れただけで済んだのだが。

 

(……どうせなら、雪でも……)

 

 季節が季節なのだから雪は降ればいいと思うのだが、そう上手くはいかないらしい。まあ、ホワイトクリスマスが美しいのは物語の中だけだ。現実だとひたすら寒いだけである。

 

「うーん、やっぱりこの方がいいわね」

「そう思います」

「…………あう……」

 

 ある程度準備も終わった頃、加古と黒江の二人に希は捕まっていた。その生い立ち故に人の視線には敏感な希だが、いつも以上に視線を感じてどうにもやり辛い。

 視線に慣れていないため気付いていないが、大部分は好意的な視線である。良くも悪くも、普段とは大きく印象の異なる格好をし、しかもそれが可愛い少女となれば視線が集まるのも当たり前だ。ただ声をかけないのは彼女についての噂のせいで、今回はその噂に拍車をかけることになりかねない。割とこの辺は悲劇。

 

「それで、嵐山くんとのデートはどうだったの?」

「…………あの、デート、では……」

「手は繋いだ?」

 

 満面の笑みで聞いてくる加古に、全力で首を左右に振る。楽しい時間でこそあったが、そんなことは考えもしなかった。

 嵐山は希が自然にいられる数少ない相手の一人である。加古や黒江もそうだが、そういう意味でその時間はとても楽なのだ。

 

「残念ねぇ」

「流石に荷物を持った状態では無理なのでは……」

 

 黒江の冷静なツッコミが入る。そういう問題でもない、と思ったが、口に出せなかった。

 

「まあ、今日は楽しみましょう。後で炒飯も用意するから」

 

 こちらの会話に耳を澄ませていた何人かが絶望した表情を浮かべた。黒江も目を見開いている。

 

「…………楽しみ、です……」

 

 それに対し、当り前のように頷く希。「こいつ正気か」と近くにいた二宮が彼らしからぬ狼狽した呟きを洩らしていたが、幸いなのかどうなのか、誰にも届かなかった。

 

「ええ、今日は良いモノが手に入ったから楽しみにしていて頂戴」

 

 黒江の表情が絶望に染まり、近くにいた堤が全力で立ち去って行った。二宮も心なしか表情が暗くなって立ち去っていくが、相変わらず希も加古も気付かない。

 彼女がいいモノと言い出す時は、大体人が死ぬ。普通に作れば絶品なところが性質が悪いと言えるだろう。

 そして加古が移動しようとする時、彼女は優しく言葉を紡いだ。

 

「……あんまり、思い詰めないようにね」

 

 軽く肩を叩き、加古は言う。

 

「随分昔に両親に言われたことがあったんだけど、『自分の幸せとは何か、について考えるほど無駄な時間はない。そうする間に前に進むなり横にずれるなりした方がいい』らしいの」

 

 幸せとは、何なのか。

 それはきっと、確かに答えの見つからないことだ。

 

「…………素敵な、言葉です……」

「でしょう? だから、あまり考え込まない方がいいわ。大丈夫、あなたならどこでだってやれるから」

 

 根拠の無い言葉だ。だが、少しだけ。

 本当に少しだけ、救われた気がした。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 ボーダーというのは非常に若い組織である。前身の組織はともかくとして、現在市民に認知されているボーダーという組織は四年前の第一次近界民侵攻の際に生まれたものだ。

 そのためメンバーも若い者が多く、学生が中心となる。そこにはメリットとデメリットが当然存在しているが、今日のようにイベントがある日はメリットの方が大きくなる。

 

「………………」

 

 カフェオレを飲みながら、ぼんやりと希はその光景を眺めていた。傍目から見ればのんびりと見守るようにしているが、実情は大きく違う。

 

(…………話しかけるには、どうしたら……)

 

 ただコミュ症が端にいるだけである。ただでさえ対人スキルが皆無なこの少女、声のかけ方すらわからないという有様だ。

 いつもならここで諦めて人知れず消えるのだが、今日はそうはいかない。変わると決めたのだ。だから、少しでも勇気を出さなければ。

 ……実は誰も声をかけないのはただでさえ普段から何を考えているかわからないことに加え、いきなりのイメチェンのせいである。腰まであった髪も肩より少し落とした位置で切り揃えられており、その恰好と相まって話しかけ難くなっていた。

 とりあえず、と少女は歩き出す。

 ちなみに離れたところでは加古が用意した炒飯を食べ、堤大地と太刀川慶が死んでいた。悲劇。希がいれば防げたであろう分、よりその悲しみの度合いが増している。

 知らない人物、というのは出木希の視点では存在しない。全員の顔と名前を覚えているし、人によってはその言動すらも完全に記憶しているのだから当然だ。だが、それでも知り合いと呼べる者は異常に少ない。

 おっかなびっくり歩いていく希。女性にしては身長が高い方であるため、どうしても目立ってしまう。視線を感じながら歩いていると、隣から歩いてきた人物に軽くぶつかった。

 

「…………あ、す、すみません……」

 

 慌てて頭を下げる。いやいや、とその人物は優しく言った。

 

「こっちこそ――って、出木さん」

「…………あ、寺島、さん……」

 

 元アタッカーのエンジニアであり、鬼怒田と共に希のサイドエフェクトの研究を担当する人物――寺島雷蔵だ。その他にもレイガストの使い方や、希の戦闘体の設定もしてくれた人物である。

 まあそのせいで最近、一部で変態呼ばわりされているが割と自業自得である。だが逆に女子高生の生足を合法的に見れるようにしたため尊敬もされている。建て前と本音がよく出た結果だ。

 

「え、どうしたのその恰好?」

「…………あ、その……」

 

 どう説明したらいいかがわからず、俯く希。その姿を見てどう思ったのか、いいじゃないか、と彼は笑った。

 

「似合ってる似合ってる。勿体ないと思ってたからねー」

「…………ありがとう、ございます……」

「いやいや。……あ、そうだ? 暇にしてる?」

 

 その問いに、小さく頷いた。暇も何も、そもそも出木希という少女に予定というモノは基本的に存在しない。一人きりで活動しているため、予定が入ることがないのだ。

 

「じゃあ、こっちに参加する? 今ちょっと諏訪たちと遊んでるから」

「…………参加しても、良いのなら……」

「大歓迎だよ。…………よしこれで勝ち確定」

 

 小さく寺島がガッツポーズをしたが、希は気付かなかった。その寺島に連れられ、一つのテーブルに辿り着く。そこには数人の男性が集まっていた。

 

「遅ぇぞ雷蔵……って、出木連れてきたのか?」

 

 最初に声を挙げたのは諏訪だ。他にはまるでバーのマスターのようにテーブルの向こうに一人東春秋がおり、こちらがわには諏訪の他に二宮、唐沢営業部長、柿崎、荒船がいる。

 

「出木か」

「…………お疲れ様です……」

 

 唐沢に頭を下げる。二宮が興味深そうにこちらを見ているが、希は気付かない。それで、と諏訪が言葉を紡いだ。

 

「出木にも参加させんのか?」

「そのつもり。出木さん、ブラックジャックのルール知ってるよね?」

「…………一応は……」

 

 やったことはない。ただどういうゲームで、どういうルールであるかは知っている。そして、勝ち方もだ。

 

「出木も参加するのか?」

「雷蔵さんと入れ替わりですか?」

 

 柿崎が笑顔で歓迎の意を示し、荒船が確認する。雷蔵が頷くと、二宮と柿崎の間へと座ることになった。

 両方に頭を下げる。見たところ、お金を賭けているわけではないらしい。単純に遊んでいるだけだろう。……と、思ったのだが。

 

「一応、最下位が一位に今度昼飯を奢るルールだが、それでいいか?」

「…………はい……」

 

 成程、わかりやすい遊びである。希自身は初めての経験だが、こういうことをやっていることは知っていた。

 

「じゃあ、改めて仕切り直そうか。本来なら五セットらしいが、数が足りないからカードは四セットだ」

 

 言いつつ、東がカードを切り始める。ブラックジャック自体は有名なゲームであり、ルールも難しくはない。それゆえに親しまれているゲームでもある。

 

「出木はやったことあるのか?」

「…………やったことは、ないのですが……この間、寺島さんに借りた映画で……」

 

 ラスベガスで一山当てようとした学生たちの映画だ。希が現在暮らすアパートには実はテレビがない。しかしノートパソコンがあるため、たまに映画のDVDを借りるのだ。数少ない、親交らしい親交である。

 

「ほう、映画」

 

 キラリと荒船の目が輝いた気がしたが、気付かない。アクション映画好きの荒船としては思うところがあるのだろう。とはいえ、希は特に好きなジャンルはない。強いて言うならホラーが嫌いだ。苦手ではなく嫌い、である。

 

「手加減はしねぇぞ出木。スカウトの話は別の話だ」

「…………はい……」

 

 相変わらず諏訪はさっぱりした性格である。希も小さく頷いた。

 

「そういえば、ここにいる四人は丁度出木を勧誘してるのか」

 

 思い出したように東が言う。その通りだ。全員ではないが、希を勧誘している隊長たちである。

 

「そういやそうか。……よし、あれだ。俺が勝ったらウチんとこ入れ」

「いや無茶苦茶ですよ」

「…………ふん」

 

 荒船のツッコミに、興味なさげに鼻を鳴らす二宮。とりあえず、彼の目の前に置いてある飲み物はジンジャーエールなのだろうか。真面目に気になった。

 

「あーでも、実際勝ったら優先的に考えて貰うとか?」

「それありだな」

 

 そんなので良いのだろうかと思ったが、いいらしい。良い意味で実に適当である。

 

「よし、やるぜぇ」

「まあ、最後は運ですしね」

「よーし、負けねぇぞ出木」

 

 やる気満々になる諏訪、荒船、柿崎。そして言葉こそ発さないが足を組み直し、若干身を乗り出す二宮。そんな彼の様子を見て寺島が笑いを堪えていたが、希は気付かない。

 

(……えっと、確か映画では……)

 

 映画の記憶を引っ張り出す。絶対に勝てるわけではないが、闇雲にやるよりは勝率が上がる方法というのがある。名を――〝カウンティング〟。

 その手段は一つ。〝記憶〟だ。

 そしてここにいる少女は、その能力において他の追随を許さない。

 

 ちなみに同じ頃、オペレーター陣を中心とした女性隊員たちのスイーツ食べ比べが離れた場所で行われているが、希は気付きもしていない。この辺はちょっと悲劇である。彼女を探していた木虎が見つけられなかったところなど特に。

 

 カードが配られる。とりあえず、やれることをやろうと希は決めた。

 ――男衆が絶望するまで、後僅か。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ブラックジャックには、理論上ではあるが必勝法が存在する。

 無論、全てのゲームに勝利できるわけではない。だがそれは、より確率の高い手段を選び続ける戦い方――要は、トータルで勝つ方法だ。

 ブラックジャックは10と絵柄のカードを「10」とカウントし、それとAを合わせた「21」が最強となるというルールであり、21を超えればバースト。そうならないようにして高い数字を競うゲームだ。そしてゲームの性質上、使われたカードは除外されていく。

 ならば、自分と他のプレーヤー、そして親のカードを全て記憶すれば確率論で計算できるようになる。

 後は、最善の手を選び続けるだけだ。大局で勝つことが大切である以上、それで戦える。

 そして、結果は――……

 

 

「……出木の勝ちだな」

 

 冷静に――まるでわかっていたことであるかのように、東が宣言した。上から順に希、柿崎、諏訪、二宮、荒船の順位である。

 序盤こそ競り合っていたが、徐々に希が勝ちを積み重ね、気がついた時には取り返しがつかなくなっていた。コイン代わりの麻雀の点棒が、希の前に積み上げられている。

 騒がしかった為か、いつの間に観戦者が増えていた。といっても数はそう多くなく、出水に米屋、緑川に加え、嵐山に来馬、村上といった希と交流がある者たちが中心である。

 

「強ぇ……」

 

 呻いたのは諏訪だ。それはそうだろう。単純なゲームである。故に理解が及ばない。何故か勝てないのだ。いや、単発で勝つことはある。だが、続かない。気が付けば負けている。

 

「運、じゃない、よな……?」

「………………」

 

 呟くように柿崎が言い、二宮も眉間に皺を寄せていた。

 希はその状態に恐縮しきりである。途中手を抜くことも考えたのだが、寺島に絶対手を抜くなと言われて全力でやった。〝瞬間完全記憶〟をフルに使った確率計算である。

 

(……まさか、本当に勝てるなんて……)

 

 ただ、驚いているのは本人もである。理論はあくまで理論。実戦では役立たないことも非常に多い。だというのに、ここまでとは。

 

「あー、今度昼飯を奢ろう。また後で連絡先教えてくれ」

「…………え、あ、はい……、ありがとう、ございます……」

「礼を言うことでもないと思うが」

 

 苦笑する荒船。肩身が狭い、と嫌な汗をかいていると、緑川が首を傾げながら言葉を紡いだ。

 

「これってそんなに差がつくの?」

「そりゃ、運が良ければそうなるんじゃねーの?」

 

 米屋は言うが、その言葉には実感が篭っていない。いやいや、と言葉を紡いだのは寺島だ。

 

「普通は無理。アレは出木さんだからできたことだよ」

「そうなんですか?」

 

 問いかけるのは出水だ。言葉を発さずとも、ほぼ全員が寺島の言葉を待っているのがわかる。だが、答えたのは別の人物だった。

 

「その通りだな。出木のサイドエフェクトだからこそできたことだ」

 

 そんなことを言い出したのは東だ。彼はカードを整理しつつこちらを見る。

 

「サイドエフェクト?」

「出木、話してもいいか?」

 

 二宮が眉をひそめて問いかけると、東がそう問いかけてきた。特に隠していることでもないので、頷きを返す。

 

「わかった。……あくまで理論上だが、ブラックジャックは場に出たカードを全て記憶できれば確率の計算で最善手を選び続けることができる。勿論、全てに勝つとはいかないがトータルで見れば負けない方法がとれるわけだな」

「どういうこと?」

「今回は四セットだが、要はこのカードの枚数を記憶するんだ。例えばAが何枚出て何枚残っているか――それを記憶して、次に出るカードの確率を計算する。そうすれば勝てる」

 

 緑川の頭がショートしそうになっているが、何人かは得心がいったようだった。つまり、と荒船は言葉を紡ぐ。

 

「出木にはそれができるってことですか?」

「――〝瞬間完全記憶〟。それが出木のサイドエフェクトだ。その目で見たモノ、耳で聞いたことを完全に記憶する」

 

 全員の視線がこちらに集中する。少し居心地が悪く、首を竦めた。

 この呪いと呼ぶべき力は、こういうことにしか使えない。本当に……重い力だ。

 

「そんなのあるんすか……?」

 

 思わずといった調子で米屋が呻くが、在るのだから仕方がない。……正直、無い方が嬉しいが。

 

「それこそ論より証拠だ。実践してもいいかな、出木さん」

「………………」

 

 頷く。昔はこの能力を隠そうとして、誰にも関わらないようにしてきた。だが、ボーダーでは一度もこの能力について嫌みを言われたり、それこそ悪意をぶつけられたことはない。それ故に、無意識の内に希は隠すことをやめていた。

 それは立派な変化であり、ある種成長と呼べるものなのだが……本人は気付いていない。

 テーブルの上にカードが乱雑に並べられていく。数は二セットの、ジョーカーを合わせた108枚だ。それを眺めていると、じゃあ、と寺島が言葉を紡ぐ。

 

「出木さんには一度後ろ向いて貰って、カードを移動させないように全部ひっくり返そう」

「なんだ? 神経衰弱でもすんのか?」

 

 諏訪が問いかけてくる。これは実際、サイドエフェクトの力の範囲を確かめるために何度かやった実験だ。その結果は希にとって絶望とも言えるものであったが。

 

「似たようなものだね。……よし、オッケー」

 

 頷き、振り返る。テーブルに並べられたカードは108枚。微妙な移動はあれど、位置の移動はない。

 

「108枚の神経衰弱とか流石に無理だろ」

「……どうかな」

 

 先程のゲームに参加しなかった唐沢が煙草を咥えながら言う。上層部は希のサイドエフェクトを知っているはずなので、わかるのだろう。

 事実、この程度ならば何の問題もない。

 

「じゃあ、Aから順番でいこうか」

「え? そんなのできるの!?」

「マジかよ……」

 

 後ろで見守っている緑川と米屋が呻いている。彼らだけでなく、全員がこちらに注目していた。

 

「…………ハート……スペード……、スペード……クローバー……」

 

 近くにあるカードから、順番に捲っていく。希にしてみればこれは写真を見ながらの作業と同じだ。淡々と、一枚ずつ捲っていく。

 最初の頃は歓声や驚きの声もあがっていたが、徐々にそれもなくなっていった。最終的に、一枚のミスもなく全てを表にする。

 

「…………凄ぇ……」

 

 誰の呟きだったのか。そこには呆然、という感情が込められていた。

 記憶力が良い――これはそういう次元ではない。ただただ純粋に、〝天恵〟と呼ばれる能力だった。

 

(あ、間違え――)

 

 だが、その中心にいる少女は焦燥感でいっぱいだった。間違えた、という言葉が思考を埋め尽くす。

 この力を知られて、良いことなど一つもなかった。わかっていたのだ。けれど、ボーダーではそうではなかったから。だから、油断した。

 どうしよう、と、答えの出ない問いだけが浮かび続ける。折角、変わろうと思えたのに――

 

 

「……出木」

 

 

 諏訪の呼びかけに、びくりと肩を震わせる。記憶の中の罵倒の言葉が、いくつも浮かんだ。

 彼はこちらの肩を掴み、真剣な視線をこちらに向ける。彼が何を言うのか、と周囲の緊張も高まったところで――

 

「――俺と一緒にラスベガス行くぞ」

「…………え……」

 

 流石に予想外の台詞に、希もフリーズした。後ろの何人かも言葉を失くしている。

 

「お前の能力なら一攫千金どころじゃねぇ。アメリカンドリームだ!」

「いや流石に色々間違ってます諏訪さん」

 

 いち早く冷静になった嵐山によるまともなコメントである。しかし、諏訪には届かない。

 

「あぁ? いやお前、勿体ないだろこれ。下手すりゃカジノ潰せるぞマジで」

「割と笑えない話だが……カウンティングはバレると摘み出されるぞ。厳密にはイカサマではないし、出木なら素振りを見せずにできるだろうが。胆力もあるしな」

 

 東が言うが、大いなる誤解である。カジノとかその場に立っているだけで吐く自信があった。というか金を賭けている状態で冷静にいられる自信がない。

 

「イカサマなんですか?」

「厳密には違うと思うが、ラスベガスだと指で数えたりメモを取ったりすると即アウトだな。彼女の力なら両方必要ないが」

 

 来馬の問いに、苦笑しながら説明する唐沢。へー、や、ほー、という感心した声が漏れた。

 場の空気が変わっていく。希は内心で小さく息を吐いていた。その生い立ち故に、人の悪意や敵意には非常に敏感な少女である。故に、空気の変化も感じられた。

 

「……成程、その能力については把握した」

 

 ジンジャーエールを飲み干し――何というか非常に絵になっていた――二宮が立ち上がる。そして、見下ろすように椅子に座るこちらを見つめてきた。

 

「お前をスカウトしたいと犬飼から聞き、承諾したが……話が具体化してから実力の把握をしようと思っていた。だが、丁度いい。興味も湧いた」

 

 何言ってんだこいつ、という表情を諏訪がしていたが、二宮は華麗にスルーする。というか多分気付いていない。

 

「――ブースに来い、出木。その力を見せて貰う」

 

 あの太刀川慶に次ぐ総合№2の怪物にして、№1射手。

 その男が、宣戦布告の言葉を紡いだ。

 

「…………え……」

 

 そして、当事者の少女は。

 思考が未だ、追いつかない。

 

 

 

 

 

 














お気に入り500突破です。
ありがとうございます。

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