どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第十二話 日々は、移ろう

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、今日の炒飯は普通だった。

 曰く「材料がなくて」とのことだが、米と葱、卵にハム。これ以外に必要なモノがあるのだろうかと黒江双葉は思う。まあ、今日は助かったと思うしかない。

 

「…………美味しい、です……」

 

 そして、対面に座る女性――出木希はいつもの無表情で炒飯を平らげている。

 双葉の所属するA級六位部隊、加古隊隊長の作る炒飯は割合で言うなら八割は普通の美味しい炒飯が出来上がる。だが出木が来ると、彼女は何でも美味しいと言って平然と食べるのもあって確率が上がる。悪い意味で。

 

「そう? 折角来てくれたんだから、もっといいのを用意しようと思ったのだけど」

 

 そして元凶はというと、残念そうにそんなことを言っていた。正直勘弁して欲しいと思うが双葉には言えない。

 それにしても、と双葉は思った。相変わらず、表情と感情が読みにくい人だ。

 背負ってきた背景を双葉は聞いたし、あの話の後に出木希という人物の表情から感情が消えた理由も加古から教えて貰った。〝瞬間完全記憶〟――便利そうだと思った力は、今や呪いとしか思えない。

 無論、便利なところもあるのだろう。だがそれ以上に、辛い事の方が多いはずだ。双葉自身、思い出したくないことはいくつもある。その程度の差はあれど、だ。

 加古が心配するのも当然だろうと事情を聞いた今なら思う。出木希という女性は、いつの間にかいなくなっている。視界の端に、関心を持たれないように。そういう風に振舞っているように思えるのだ。そしてそれはきっと、今までの彼女の人生がそうさせた。

 

「…………それは、またの機会に……」

「出木ちゃんは量を食べられないのが少し残念ね。女の子だから当然だけれど。……昨日、堤くんと風間さんに振る舞って、材料を買うのを忘れてたのよね」

 

 とりあえずアレは惨劇だったと双葉は記憶している。風間はともかく、堤の顔は青から白、そして無色となり、風間も瞠目していた。それでも美味しいと言い切った二人は凄いと思う。

 そしてそんな二人と比べて、出木希は味覚そのものについては普通に見えるのに平然としているのが異様だ。加古隊の残り二人も当初は味覚の好みなのかと思っていたのだが、どうも違う。味覚は普通なのにアレを美味しいと本気で感じているのだ。

 

「それで、スカウトされたのよね? えっと、柿崎隊、諏訪隊、鈴鳴第一ね?」

「…………先程、荒船さんと犬飼さんにも……」

「引く手数多じゃない。選び放題よ」

 

 にこにこと楽しそうに笑う加古と、相変わらず無表情な出木。ただ、今回は双葉にもなんとなくわかった。アレは困っている。

 

「でも実際、どこにするの? 別にどこを選んだとしても、恨み事を吐かれるようなことはないと思うけれど」

 

 そもそも今までスカウトもなかったんだし、と言う加古。出木は相変わらずの囁くような声で、言葉を紡ぐ。

 

「…………元々、選べるような立場では……ありませんでしたから……、どうしたら、いいのか……」

「難しく考えなくてもいいと思うわよ? それにしても、二宮くんがスカウトっていうのも意外ね」

 

 呟くように言う加古。その言葉には悪意はないが、どこか面白くなさそうな響きがある。

 まあ、元々〝最初の狙撃手〟東春秋の下で一緒に隊員をやっていて、しかも両方がボーダートップクラスの射手である。それは色々あるだろうなと双葉も思った。

 ……そもそも、隊長が東春秋。その下に加古、二宮、三輪である。シャレにならないチームだ。

 

「…………犬飼さんは……学校で、私に声をかけてくださる……数少ない、方で……」

「そうなの? ああ、でもそういえば進学校だものね」

 

 加古や双葉はこうして交流があるから実感が湧かないが、出木希という少女の交友範囲の広さは異様に狭い。実は電話帳の登録件数は十件を割っていたりする。

 その彼女に声をかけるというのは、それだけで貴重だ。

 

「まあ、二宮くんは暗いし堅物だけど、悪人ではないし。ただ、やっぱり自分で考えなくちゃ駄目よ?」

「…………それは、わかっているのですが……、何を基準にすればいいのかが、わからず……」

 

 彼女の悩みの結論はそこだ。どこかが、誰かが、もしかしたら――ある意味で藁にも縋るような気持ちで居続けたのだ。それがいきなり選べと言われても、どうしたらいいかわからないのだろう。

 

「…………私などが、選ぶ立場というのは……」

 

 相変わらず自己評価が低い。うーん、と加古が腕を組んで唸った。

 

「双葉ならどうする?」

「……単純に、一番強いところでしょうか?」

 

 正直、どこに入っても大差がない気はする。要はそこで何をやれるかだ。

 そういう意味で、強い――順位の高さは選考理由になるだろう。特に出木の実力ならば尚更だ。

 

「…………強さ、ですか……」

「成程、一理ある――」

 

 わね、と言いかけ、加古は閃いた、と言わんばかりに顔を輝かせた。

 双葉は覚えがある。こういう表情をしている時のこの人は、大体ロクでもない。

 

「ねぇ、出木ちゃん。提案があるんだけど――」

 

 そうして、セレブ風自由人が楽しそうに提案する。

 出木の表情が驚きに変わっていくのが双葉にもわかり。

 ――やはりロクでもないことだったと、双葉は内心で呟いた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 クリスマスが近付くと、俄に基地内も賑やかになっていく。ボーダーでは毎年、イブに有志の者でパーティーを開くようになっている。特別な日であるため、家族やそれこそ恋人と過ごす者が多そうに思えるが、意外と参加率が高い。

 まあ、元々が第一次進行において家族や親しい者を失い、一人で過ごすしかない者たちを励ますために始められたものである。今では楽しく騒ぐためのお祭だが。

 嵐山が基地内を歩いていると、ランク戦室の机を囲むようにして見覚えのある顔がいくつも並んでいた。見たところ、パーティーの打ち合わせらしい。

 

「とりあえず、こんなもんでいいだろ。食い物に関してはいくつか取りに行かなきゃならねぇが」

「ケーキが問題ですが、手分けをすればどうにかなりますね。後は何か足りないモノとかありますか?」

「あ、七面鳥食べたい!」

 

 諏訪の言葉に柿崎が頷くと、緑川が手を挙げてそんなことを言い出していた。馬鹿野郎、と諏訪が呆れたように言う。

 

「アレ値段の割にはそこまで美味くねぇぞ」

「そうなの?」

「前に頼んだ時はマジで不味かった」

「アレは選ぶお店間違えましたねー」

 

 思い出したくないと言う諏訪に、うんうんと頷くのは犬飼だ。相変わらずの、二宮隊隊服であるスーツ姿である。隊長である二宮も辻も彼自身も非常に似合っているのだが、何故だろうか。微妙にコスプレ感がある。

 

「ただまあ、唐沢さんから予算貰ってるしな。どうしても食いたいなら予約するぞ。間に合うかは知らんが」

「ええー……、それ聞いちゃうと頼むのもなー……」

「まあいいんじゃないっすか。とりあえず、明日は朝からここに机運び込んで――」

 

 米屋が楽しそうに言う中、こちらに気付いた。ども、と彼が軽く手を挙げて挨拶してくる。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様。明日のことか?」

「お、嵐山。お前も来るか?」

 

 諏訪がこちらに声をかけてくる。元々そのつもりだったので頷いた。今日はこの後も仕事があるのだが、それも明日と明後日の二日間に隊員全員が休みを貰うためである。

 

「そのつもりです。何か手伝うこととかありますか?」

「あん? 忙しいだろお前ら。佐鳥の奴がさっきそこで太一とぶつかって書類ぶちまけてたぞ」

 

 何やってるんだと思ったが、別役太一という本物が関わっているなら仕方がないと思った。とりあえず、書類を少しずつ終わらせないからそうなるのだと注意しようと決める。

 

「今日は確かに厳しいですが、明日なら。事前の準備とかもあるでしょう?」

「あー、それなら受け取りを手伝ってくれ。色んなとこに注文したせいで手が足りねぇ」

「ケーキですか?」

「ケーキだ。頼んでいいか?」

「ええ、勿論です」

 

 頷く。このパーティーの特徴に、ケーキは様々な店から買うというモノがある。その理由は少し複雑で、最初に催されたのはまだボーダーが表に出て間もない頃――それこそ、三門市の復興も完全ではない頃だった。そのため巨大なケーキを一つ、というわけにいかず、いくつもの店で買うようにしたのだ。

 その時は希望者を市民からも募って催されたのだが、それ以来暗黙のルールとしていくつものホールケーキを用意するようになっている。

 

「とりあえず二つか三つくらい受け取ってきてくれ。リストは渡す。後は……予算の残ってるのどうすっかだな……」

「余ってるんですか?」

「唐沢さんがいつもみたいに用意してくれたんだけど、去年より多くてね。折角用意してもらったのに、返すのもどうなのかと思ってるんだけど……」

 

 苦笑しながらそんなことを言うのは堤だ。成程、と嵐山は思った。唐沢営業部長は以前に悪の組織に努めていたと噂される敏腕営業マンである。おそらくだが、隊員数も増えたボーダーの為に多めに金を工面してくれたのだろう。

 

「無駄に使うわけにもいかねぇからな。さてどうするか」

「――あら、じゃあ私が炒飯を作ろうかしら」

 

 いきなり現れた声に、全員がぎょっとして身を竦ませた。いつの間にか、まるで当然のように自由人がいる。

 

「んなっ、加古!? いつの間に!?」

「何か楽しそうな話をしてるみたいだったから、お邪魔させてもらおうと思って。明日の打ち合わせ?」

 

 机の上に広げられた、予算などが書き込まれた紙を見つめながら言う加古。堤が青い顔になっていたが、敢えて誰も触れなかった。触れたらヤバい。

 そして、こちらにゆっくりと歩いてくる出木希と黒江双葉。嵐山はその二人にも声をかける。

 

「二人とも、お疲れ様」

「お疲れ様です」

「…………お疲れ様、です……」

 

 相変わらず黒江はクールで、出木は蚊の鳴くような声だった。実にいつも通りである。

 ただ、嵐山の挨拶によって炒飯から話題が逸れ、ほぼ全員が内心でガッツポーズを作った。特に堤大地。加古の炒飯は八割で絶品に当たるが、二割で死ぬ。八割は命を懸けるのには低い確率だ。

 

「つっても飯は十分だろ。下手に増やして余ったらそれが一番最悪だ」

「確かに」

「それよりケーキ取りに行くのと準備手伝ってくれる方がありがたいんだけど、どうかな?」

 

 説得しようとする堤の必死さに泣けてくるレベルである。それほどヤバかったのか。

 

「んー、午前中?」

「いや、時間は特には」

「……明日はちょっと、午前中は予定があるのよね」

 

 チラリと、加古は出木に視線を向けた。向けられた出木自身は僅かに首を傾げていたが。

 

「まあ、無理にとは言わないから」

「ただ人手がな。しゃーねぇ、何往復かするしかねぇか」

 

がしがしと頭を掻く諏訪。そんな中で、あの、と声を上げた。

 

「…………よければ、私が……」

 

 精一杯の勇気だったのだろう。瞳が微妙に潤んでいた。

 以前の彼女だったら考えられないような行動に、全員が驚く。嵐山自身も驚愕していたのだが、諏訪が特に気にした風もなく言葉を紡いだ。

 

「本当か? そりゃ助かる。あー、それならアレだ、嵐山と一緒にケーキの受け取り行ってくれ。一人より二人の方がいいだろ」

「…………え……」

「ああ、確かにそれだと助かります。出木、構わないか?」

 

 問うと、驚いた様子だったが出木は頷いた。出木ならミスも起こらないだろうし、手を貸してもらえるなら実にありがたい。

 と、そこで何故か加古の表情が輝いていた。出木の手を取り、それじゃあ、と軽く手を挙げる。

 

「明日は楽しみにしてるわ!」

 

 そして、急ぎ足で移動していく。

 何だったのだろうか。残された黒江も呆然としている。

 

「……なんだありゃ?」

 

 ポツリと諏訪が呟く。その視線の先にいるのは黒江だ。

 

「えっと、出木さんは加古さんがスカウトしたので……」

「へぇ……にしても加古のあの顔、絶対また余計なこと考えてるぞ」

 

 全員が同意した。悪い人では決してないが、加古は超がつくほどの自由人である。その性質は炒飯に如実に現れていると言っていいだろう。

 とりあえず、ああいう時の彼女は確実に何かを企んでいる。何だろうか、と思うが、あの人の思考を理解できるわけがないので断念した。

 その場の者たちに別れを告げ、隊室へ向かう嵐山。とりあえず、明日は出木と一緒に雑用だ。

 ……服装を、少しだけ考えようと思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 加古にしばらく手を引かれ、廊下に出た。何事かと希は混乱していたのだが、足を止めると表情を輝かせて加古がこちらの肩を掴む。

 

「チャンスよ、出木ちゃん」

「…………え……」

 

 いきなりの言葉に、反応が追いつかない。何の話なのか。

 

「さっき提案したこと、やっぱりやりましょう」

 

 にこにこと満面の笑みを浮かべる加古。う、と希は言葉を詰まらせた。

 先程の話の中で加古がした提案――アレはアレでとんでもないことだったのだが、それとは別に希がポツリと漏らした言葉に加古は異様に反応したのだ。

 だがそれは、恐怖が伴うことだ。だからどうしても尻込みしてしまう。

 

「私は無理強いをしたいわけじゃないわ。最後にどうするかを決めるのは出木ちゃん自身じゃないと駄目だと思うし、変わろうってもがいて、足掻いて、頑張ってるのも知ってる。けれど、変わりたいなら相応の覚悟は絶対に必要になるわ」

 

 加古望という女性は、本当に優しい人だ。そしてだからこそ、厳しい。

 相手をちゃんと想うから、ちゃんと真っ直ぐに相手を見る。

 

「大丈夫よ。私も双葉も、最後まであなたの味方だから」

 

 勿論、ランク戦は別よと彼女は笑う。どうして、と希は思った。

 どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。

 

「…………どうして、そんなに……」

 

 ――優しくしてくれるのか。

 問いかけることは、出来なかった。

 

「私はね、頑張ってる子は好きなのよ?」

 

 微笑む彼女を前にして、嗚呼、と思う。

 出木希という存在は、こんな言葉を貰うほどに上等な存在なのだろうかと。

 

「…………変われる、でしょうか……」

 

 ポツリと、呟く。もちろんよ、と彼女は微笑んだ。

 

「自分自身が変わりたいと願うなら、世界はいつだってあなたの味方よ?」

 

 その眩いばかりの在り方に、憧れる。

 だから、頷く。

 一歩を、踏み出すために。

 

「……あ、でも、二人っきりってことは明日のあれ、嵐山くんとデートじゃない?」

 

 ――心が、折れかけた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 クリスマス・イブ。

 神の子が誕生した日の前日、と言えばそれなりに大仰に聞こえるが、日本人の認識はそんな風ではない。精々イベントの日、という認識である。

 今日は朝から生憎の天気で、空はどんよりと曇っていた。まるで自身の心の内のようだ、と三輪秀次はらしくないことを思う。

 

「……くそっ……」

 

 呟きが零れる。あの日――黒トリガーの争奪戦を繰り広げたあの日から、どうにも調子が出ない。

 出木希――彼女の存在が引っかかっているのもあるが、それは主な理由ではない。彼女の過去と想いは衝撃だったが、冷静に考えてみると納得できる部分も多い。今から考えると、あの少女はどうにもちぐはぐだったのだ。

 だから、彼女のことではない。いや、正確には彼女の言葉が原因だ。

 

〝羨ましい、です〟

 

 彼女は、そう言った。

 復讐に取りつかれた自分に対し、そんなことを。

 あの言葉がこちらを侮辱する意図を纏っていないことはすぐにわかった。彼女は本心で、あんな言葉を紡いだのだ。

 

 三輪秀次は、あの日、鬼になることを決めた。

 大切な人を奪った近界民という存在を、殲滅すると心に誓った。

 しかし、その根本が揺らいでいる。揺らいではいけないというのに、揺らいでしまっていた。

 

「秀次」

 

 そんな彼に声をかけたのは、かつて彼が所属した部隊の同僚、二宮匡貴だ。現B級トップ部隊の隊長を前に、三輪も軽く頭を下げる。

 相変わらずのブラックスーツを纏うその人は、こちらを見ながら僅かに眉へと皺を寄せる・

 

「どうした? 顔色が悪いぞ」

「いえ……」

 

 首を振る。これは他人においそれと話すようなことではない。そもそも、どう話せばいいかもわからなかった。

 そんな自分を見て二宮は追及することをせず、まあいい、と頷いた。

 

「無理に聞こうとはしないが、あまり思い詰め過ぎるなよ」

 

 一部では冷たいと思われることの多い彼だが、意外と面倒見はいい。三輪自身も所属したかつてのA級一位部隊、東隊隊長東春秋の影響か焼肉にチームで行く事も多いという。単純にいつも仏頂面をしているので勘違いされ易いだけだ。あと言葉が悪い。

 

「はい。肝に銘じておきます」

 

 きっと、まだ大丈夫だと思う。己を見失ってはいないから。

 

「ならいいが……秀次、確かお前は出木と仲がいいらしいな?」

 

 思わず噴き出しそうになった。二宮の口から、あまりにも予想外の名前が出たが故に。

 

「何故、出木が……」

「知らないのか? 新しく入隊する先を探している、と噂になっている。犬飼が獲得を推していたから一応声をかけたが、俺は詳しく知らん。実際のところ、使えるのか?」

 

 聞いていない、と思ったが、当たり前だと気付く。ここ数日は顔を合わせ辛く、避けていたのだ。いつの間にか、こんなことになっているとは。

 

「使えるとは思います。……腕はマスタークラスですし、そのスタイルも援護向き。最前線に放り込むだけである程度仕事ができるタイプだと思います」

「成程、お前が言うなら信用できる」

 

 頷く二宮。しかし、まさか二宮隊からスカウトが来るとは。実力は知っていたが、そういう意味でやはりずっと勿体なかった。

 その時、ふと視界にその少女が目に入った。

 ボーダーの制服、或いは隊服を着ている者が多いため、基地内を私服で歩いていると案外目立つ。三輪も私服や学生服の時は視線を感じることが多い。

 しかし、そんなボーダー内にあってその少女は異質だった。

 黒のストッキングと、膝上までの短いスカート。そして暖かそうなブーツ。上半身も、それこそ本屋におかれた雑誌に出てくるモデルが着ているようなお洒落な服で包まれている。

 誰だ、と首を傾げた。見覚えがない。あんな恰好をしている者なら、見覚えぐらいあると思うのだが。

 

「――――――」

 

 少女と、目が合う。

 その、感情の読み取り難い瞳は。

 

「………………出木?」

 

 呆然と、呟く先で。

 少女は、居心地が悪そうに歩いていく。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 普段置かれているソファーを移動すると、ランク戦室は随分と広くなる。そこへ机を運び込み、嵐山たちは準備を進めて行く。

 

「そろそろ出ますか、嵐山さん?」

「ああ、そうだな。さっき出木からも連絡があった」

 

 あらかた準備を終えたところで、側にいた佐鳥が紡いだ言葉に嵐山はそう応じた。何でも朝から加古や黒江、綾辻に木虎というメンバーと用事があったらしく、出木は未だ姿を見せていない。

 あの少女が誰かとどこかへ行くという事実に驚いたが、同時に嬉しくもあった。変わりたいと願い、しかし、変われなかった少女は前へと進んでいる。それがただ、嬉しい。

 

「デートですね!」

 

 そんな自分を見て何を思ったのか、佐鳥がそんなことを言い出した。あのな、と息を吐いて応じる。

 

「まだ言ってるのか」

「えー、でも嵐山さん、いつもより気合入ってません?」

 

 そんなことを言い出す佐鳥。何だ、と近くにいた諏訪が近寄ってきた。

 

「嵐山はデートか? 別に構いやしねぇが、ちゃんと帰ってこいよ」

「いやデートじゃありませんから」

 

 言いつつ、そもそも、と佐鳥に言葉を紡ぐ。

 

「いつもの恰好だと流石に失礼だろう?」

 

 その言葉に、二人は顔を見合わせた。そして、少し離れた場所へと移動する。

 

「……お前のとこの隊長はいつもああか?」

「……ファンクラブできるくらいですよ?」

「……ああ、そりゃお前とは違うわな」

 

 どういう意味ですか、と佐鳥が騒ぎ、諏訪がそんな佐鳥の頭をわしわしと撫でる。微笑ましい光景だ、と思っていると、声が聞こえた。

 

「…………遅れて、すみません……」

 

 聞き覚えのある、蚊の鳴くような声。振り返り、そして、固まった。

 

 ――出木希という少女は、ある種独特の外見をしている。

 不細工というわけでは決してない。むしろ容姿は整っている部類に入るだろう。しかし、その前髪がそれを台無しにしていた。目を覆うような長い髪がその瞳を隠し、また、よく言えば大人しい――悪く言えば暗い雰囲気が、彼女の評価を下げてしまっている。

 更にはその服装もだ。トリオン体とは真逆に、自身の肌を全て覆うような服装を好む。その上、人の視界から外れるような在り方をしているせいでどうしても良い印象を抱くことは難しい。

 嵐山自身はそれも個性だし、特に気にもしていなかったのだが――……

 

「出木、か……?」

 

 自分だけでなく、周囲の人間もフリーズしているのがわかった。視界の端、あの緑川ですら完全に固まっている。

 ――可愛い、というのが第一の印象で、全てだった。

 今までの彼女とは180度違う印象の服装。それこそどこぞのファッション誌に載っていそうな少女が、そこにいる。

 

「――――」

 

 ふと見ると、離れた場所で加古が親指を立てて満面の笑みを浮かべていた。成程、この事態を首謀者はあの人か。

 とりあえず、何か言わなければ、という焦燥が嵐山を襲った。人は予想外の状態に追い込まれるとこんなことになるのか、とどうでもいいことが脳裏を過ぎる。

 

「よく、似合ってるな。いつもと印象が違うが、良いと思う」

 

 噛まずに言えたのは奇跡だと思った。おそらく、普段から愛する弟や妹に褒める言葉を吐きまくっていたからだろう。経験というのは実に素晴らしい。

 背後で感心するような息が漏れたが、嵐山に気にする余裕はない。当事者の少女は、う、と小さく声を漏らし、頬を赤く染める。

 ――しかし、彼女は微笑んだ。

 小さく、微かに。その瞳は――かつては前髪に隠されていた瞳は、外気に触れ、こちらを見つめている。

 

「…………ありがとう、ございます……」

 

 安心したような、柔らかい声だった。同時、間違えなかった、と嵐山はそんなことを思う。

 ただ、一つだけ。

 この少女のこんな表情を見るのは、初めてだった。

 

 とくん、と心臓が鳴る。

 その音に、微かな戸惑いを覚えた。

 



















いつの間にやらお気に入り400超え。
感謝しかありません。
ありがとうございます。

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