山小人(ドワーフ)の姫君   作:Menschsein

18 / 26
散華 1

 リ・エスティーゼ王国の王都の最奥部に存在する城壁に囲まれたロ・レンテ城。その城を守る十二もの円筒形の巨大な塔は、その城を攻城しようと思えば嫌でも目につく。巨大な塔に無数に空いている窓は、戦時ともなればそこに弓兵や魔術詠唱者《マジック・キャスター》が張り付き、近づく敵に向かって容赦の無い攻撃を加える。リ・エスティーゼ王国の王を守る最後の砦である。

 

 その巨大な塔にある大広間。訓練所では鎖着《チェインシャツ》を着ながら一心不乱に剣を振っているクライムの姿があった。既に顔や体中から汗が噴き出ており、剣を一度振り下ろす度に、汗が地面へと飛び散り落ちていく。

 大型のグレートソードを使っての素振り。その素振りの回数が五百に達したとき、クライムはガゼフ・ストロノーフのことを思い出した。

 

(そういえばあの時、素振りの回数が五百を超えたとき、ガゼフ様に止められたんだっけ)

 

 以前のクライムなら、この辺りで限界に達していただろう。しかし、セバスという老人に出会い死の恐怖を越えた。また、サキュロントとの戦い。そして毎日欠かさず行っている訓練。それらがクライムを成長させた。

 五百を越えたというのに、まだクライムの両腕は限界には達しない。まだ、いける。素直に自分自身の成長を感じられて嬉しい。が—— その反面、切なさを感じる。あの時、声をかけてくださり、訓練を授けてくれたガゼフはもうこの世にいない。ガゼフを本気にさせることすらできなかった。

 

「……もしよろしければまたこのように稽古をつけてもらってよろしいですか?」

 そのクライムの問いにガゼフは応諾してくれた。しかし、その機会が巡ってくることはもう永遠にないかもしれない。

 

 素振りの回数が六百を超えた。しかし、まだクライムの両腕の限界はやってこない。しかし、それでも、自分の剣はガゼフに届かない。ガゼフ・ストロノーフを本気にさせることすらできないだろう。

 そのガゼフ・ストロノーフですらまったく歯が立たない化け物が存在する。自分の剣の未熟さを痛感せずにはいられない。訓練を死ぬまで行ったとしても、ガゼフ・ストロノーフの足下にすら及ばないかもしれない。アインズ・ウール・ゴウンに自分の剣が届くなどというのは夢のようなことのように思える。

 

 しかし、自分はそれが夢であると諦めることなどできない。もう一つ、自分には夢ができた。目標ができた。ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。貴族の中の貴族、王女の中の王女。その女性にクライムは忠誠を誓っている。自分の命を投げ出しても惜しくはない。ラナー様が窮地に立たされた際、ラナー様の命が助かる可能性が塵ほどでもあるのなら、そのために命を投げ出しても構わない。

 そして、そのラナーへの揺るがない忠誠の中に、別の感情が混じっているということを、クライムは自覚した。剣の訓練とは、肉体のみを鍛えるのではない。単調な素振りの繰り返しの中で、自分の精神を高めていく。剣を振り下ろす筋肉の細胞一つ一つに無駄がないかを検証していくと同時に、己の精神を昇華させていく。その精神の成長の過程で気付いた一つの事実。ラナーへのもう一つの感情それは――

 

「――それぐらいにしたらどうだ?」

 

 クライムは振り下ろす途中だったグレイトソードを即座に止める。地面へと振り下ろされる加速した剣を、瞬時に止める。それは、両腕の筋肉と、そして剣の技量が無いとできない芸当であった。

 

「ほう、随分と上達したようだな」と、そのクライムの太刀筋を見て、ブレイン・アングラウスが言った。

 

「ありがとうございます……。ブレイン様も訓練ですか?」

 

「ああ。次は、あのシャルティアの爪だけでなく、指まで切り落としてやろうとおもってな」と、ブレインは真剣な眼差しで語る。

 

 爪を切り落として歓喜するブレイン。その異様さは悪魔騒動のときに目撃した。そしてその異様な姿を見て、奇異と感じたが、そのブレインの気持ちも今ならクライムも理解することができる。

 

 一見したら実現不可能と思われるほどの目標。他人からは愚かだと馬鹿にされる目標。子供の時に聞いた英雄譚の意味がやっと分かった。

 

『むかし、一人の男が地平線に向かって石を投げ始めた。その男は、毎日毎日、石を地平線に向かって投げ続けた。多くの人間が、その男に何をやっているのかと尋ねた。男は、地平線の先にまで石を投げられるようになりたいんだ、と真面目な顔を為て答えた。

 その答えを聞いた人々は、その男を冷笑しながらその場を去った。だが、その男はそんなことを気にも留めなかった。雨の日も、風の日も、太陽が残酷に照りつける夏も、雪積もる冬も、その男は地平線に向かって石を投げ続けた。

 

 来る日も来る日も、地平線に向かって石を投げ続けた男。いつしかその男は、伝説の英雄となった。その男は、やがて、十三英雄を束ねる男となった。そして、幾多の困難を乗り越えて、大陸を脅かした魔神達を倒した。

 決して、その男が地平線に向かって石を投げ続けた日々は無駄では無かったのだ…… そう、英雄譚は語り継がれている……』

 

 その話を聞いた子供が真っ先にすること。それは、地平線に向かって自分も石を投げることだ。

 地平線に向かって一心不乱に石を投げ続ける――が、ほとんどの子供がそれは愚かなことだと一時間もしないうちに悟る。そして、地平線に届くように石を投げることを辞めてしまう。辛抱強い子供でも、三日もそれを続けようなんて思わない。

 

 リ・エスティーゼ王国の誰もが知っているこの英雄譚。この英雄譚が語り継がれてきている理由は、英雄を目指す行為など愚かなことだ、と子供に教え諭すことが目的だと思われてきた。夢見がちな子供を正しく導くために受け継がれてきた英雄譚。夢など見ないで、日々の生活と厳しい現実に目を向けて生きるべきだ、そう子供に諭す物語だと思われいる。クライム自身もそう思っていた。クライム自身も、ラナーと出会う前にこの物語を聞かされ、沈みゆく夕陽に向かって石を投げたものだ……。

 石が遠くに飛ぶようになったかを確認する前に無情にも地平線の下へと沈んでいく太陽。英雄になるという夢に対して、厳しい現実を突きつける。そして、変わらぬ過酷な日々……。

 

 しかし、今ではこの物語は、真実の物語であったとクライムは確信している。これは、子供に英雄となることを諦めさせる物語などではない。強くなるための、英雄と呼ばれる存在となるための心構えを教えてくれているのだとクライムは悟った。才能が無いと言われても構わない。無理だと言われて馬鹿にされても構わない。無駄だと嘲り笑われても構わない。ただ愚直に、地平線に向かって石を投げ続けていくことが大事なのだ。クライムに立場を置き換えるなら、ただ寡黙に素振りを毎日続けていくことなのだ。

 

「クライム君。良かったら手合わせするか?」とブレイン・アングラウスが言う。

 

「はい! お願いします」とクライムは迷い無く答えた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。