リハビリシリーズーデレマス短編集ー   作:黒やん

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Be your……《新田美波》

『こんなところにいたんですか、先輩』

 

面倒な雑事から逃れ、学校の屋上で空を見上げる。季節のせいか、上着を着込んでいてもまだ寒さを感じるくらいだ。制服の胸元には造花があり、手には筒。しばらくすればこの見慣れた景色からもお別れである。

自分にしては珍しく黄昏ていたところへ、やはり聞き慣れた声がかけられる。何故かこの後輩には俺の行動が筒抜けらしく、この一年ほどはこいつの追跡から逃げられた覚えがない。

 

『また新田かよ……』

 

『何か文句でもあるんですか』

 

『ある。たまには副会長じゃなくて書記とかの癒し系女子に優しく連れ戻されたい。毎回新田じゃ面白みないし』

 

『わかりました。じゃあ今から会計連れてきますね』

 

『野郎はやめろ野郎は。新田さんでよかったですー』

 

そんな軽口を叩き合うが、もはやお約束のようなものだ。新田もまともに受け取ってはいない。証拠に俺を見る奴の表情は一本取ったぞ、という軽いドヤ顔だ。微妙に腹立つがそれはまぁいい。

 

『で、何だって俺を呼びに来たんだよ。卒業生代表スピーチも生徒会の打ち上げの店の予約も終わったぞ?』

 

『その打ち上げに先輩が来ないから呼びに来たんですよっ。本当、自由人なんですから……』

 

『照れるぜ』

 

『褒めてませんっ』

 

さっきとは打って変わってぷんすか、という擬音が当てはまる表情で怒る新田。大方これまでの苦労でも思い出しているのだろう。不憫な奴だ。

 

『……ところで、先輩はここで何を?』

 

そんな風に新田をからかって遊んでいたのだが、新田はふと疑問に思ったのかそんなことを聞いてくる。

 

『俺は東京の大学に進学だからな。しばらく帰って来れなくなるだろうし。見納めってやつかね』

 

『先輩……』

 

新田が優しい目で俺を見つめる。心なしか、目元が潤んでいるようにも見えた。

 

『ーーとかいう理由とかで来てたら格好つくんだけどなぁ。実際は知らん。来たかったから来ただけだ』

 

『先輩……』

 

新田が残念なものを見る目で俺を見据える。間違いなくジト目で睨んできていた。

 

『ま、俺はようやく新田お母さんの呪縛から逃れられる。お前は俺を追いかけ回さずにすんで無駄な体力を使わなくてすむ。良いことづくめだな』

 

『誰がお母さんですかっ。私先輩より年下ですからねっ』

 

『んなわけあるか。俺、割とお前のせいで高校生活中に彼女作れなかったんだぞ!』

 

『その言葉そっくりそのまま返しますっ! 私生徒会入ってから『会長の秘書』とかいう不名誉なあだ名付けられたんですからねっ!?』

 

『エロいな! 響きが!』

 

『誰のせいだと思ってるんですか! 責任取って下さい!』

 

『いや、俺彼女が欲しいとか言う女は守備範囲外なんで……』

 

『そこは状況に応じて変えてくださいよ!? 私女! ノーマルですから!』

 

『お前同性愛者の人たちバカにしてんのか!?』

 

『なんで私怒られてるんですか!?』

 

ヒートアップしてしまったせいか、互いに息を切らせてしまう。一息で話しきるには中々に長かった。

しばらくは肩で息をしていた俺達だったが、やがて新田が深く息を落とした。

 

『……いいです。決めました。私も東京の大学に行きます』

 

『あ、そういうのいいです』

 

『行くんです! それで先輩に彼女を作らせないで私だけ彼氏作ります! この一年間の仕返しです!』

 

何て迷惑な仕返しだろうか。

そしてまた不毛なやり取りが繰り返される。最終的に何故か『きのこたけのこ論争』に発展したところで、屋上の扉が開かれる。そこから生徒会の残りのメンバーと、新しい生徒会のメンバーが入って来た。

先頭にいた新会長が、肩で息をし、更にヒートアップしたせいでかなり至近距離にいた俺達を見て、明らかに張り付けた笑顔で一言、

 

『あ、お邪魔しました。先に行ってますんで、後から追い付いて下さい』

 

『『違うから!?』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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やかましい音を立てる目覚まし時計を叩きつけて黙らせる。時刻は午前六時。また奴が勝手にセットしたのだろう。今日は授業は昼からだと言うのに。

季節がら、布団を手放すのが惜しいので、そのまま寝返りをうって目を閉じる。しかし、その温もりが突然奪われた。

 

「寒っ!?」

 

「当たり前ですよ。今十一月ですし」

 

思わず飛び上がると、目に入ったのは布団を持って仁王立ちしている新田の姿があった。新田はすでに普段着に着替えており、ロングスカートに厚手のブラウスを着ていた。

 

「……なんでいんの」

 

「私もここに住んでるからです。何回同じこと言わせるんですか」

 

そう、この女実は俺の借りてるマンションに居候している。どうやらウチの母親と新田の母親との三人で結託してしまっていたらしい。やたらとワンルームからマンションに引っ越すのを勧めてくると思えばこんな罠があったのだ。あの頃の部屋が広くなることに喜んでいた俺をブッ飛ばしたい。

しかし今聞いているのはそういうことではないのだ。

 

「いや、なんで俺の部屋にいんの? 鍵閉めたはずなんだけど」

 

「鍵? かかってませんでしたけど」

 

きょとんといった様子でそう言う新田。どうやら本当のことらしい。昨日、というより今日は朝の二時までバイトがあった。それで疲れて忘れたまま寝てしまったらしい。

とは言え、男の部屋に堂々と入ってくるわ、むしろ男の独り暮らしに乗り込んでくるわ、しかも自分の部屋に鍵をかけるのをかなりの確率で忘れるわ、新田の警戒心のなさには呆れるものがある。一度新田弟に『お前の姉ちゃん無防備すぎね?』とラインを送ったら『諦めてください』と返ってきたことがあるくらいだ。

 

「とにかく、早くご飯食べちゃって下さいね。学校に行く前に洗い物しておきたいですから」

 

「いーよ洗うよ自分で……」

 

「先輩は適当に洗っちゃうからダメですっ」

 

そんなことを言いながら、二人でリビングまで出ていく。

高校最後の約束から数年。もちろん俺には新田のせいで彼女は出来ていない。だが、新田も俺のせいで彼氏が出来ていないそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新田がアイドルになった。それを知ったのは新田と夕食を食べていた時だった。何故かやたらとニコニコしていて、しきりに時計を気にしていたのを覚えている。

新田は突然テレビを切って、ラジオをかけ始めた。何かあるのかと聞いてみれば、いいから聞いて欲しいの一点張り。よくわからないまま聞いていると、やがて気付いたら番組の時間がカツカツになっていることで有名な番組が流れ始めた。そして何故か、そこによく知っている声が混ざっていた。

番組が終わるまで、俺は黙って聞いていたが、終わったと同時に箸を置き、新田に一言だけ言った。

 

「明日中にここから出ていけ」

 

新田の笑顔が瞬間、固まった表情に変わる。それを見て少し心が痛んだが、そんなことに気を使っている場合ではない。

新田の顔を見ればわかる。こいつは今の状況を全くわかっていない。チャレンジするのはいいことだが、それがもたらす影響も、何もわかっていないのだ。

新田は幼い。何も外見やスキルの問題てはない。よく言えば純粋無垢、悪く言ってしまえば無知で無防備。精神性といったものがどうしようもなく幼いのだ。だからこそ、今の状況に気付けない。

 

「せ、先輩……?」

 

「今回に関しては聞く耳なんざねぇぞ。明日中に荷物をまとめて出ていけ。アイドルの事務所なら寮なりなんなりあるはずだ。そこに入れ」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「お前が出ていかないのなら……俺が出ていく」

 

「ーーーー!!」

 

信じられないというような、何かに裏切られたような、複雑な表情を浮かべながら、顔を赤くしたり青くしたりと忙しい動きを見せる新田。普段ならば何かしらフォローは入れていただろうが、今回はそれをする訳にはいかない。

そのまま席を立ち、自分の部屋に戻る。言い表し用のない喪失感に襲われながら、俺はゆっくりと布団を広げて倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ喧嘩を続けてるのか、お前達は」

 

「別に喧嘩してるわけじゃねーんだけどなぁ」

 

大学の講義室で友人の一人に話しかけられる。この一ヶ月ほど、新田は俺を避けるような振る舞いを見せていた。流石にああ言った手前、嫌われるであろうと予想はしていたが、実際にそうなると中々キツいものがある。目の前のこいつを始め、友達連中には絶対に言わないが。

 

「他の人達が騒いでたよ? 新田さんが彼氏に愛想を尽かしたなら自分たちにもチャンスがある、とか言ってさ」

 

「彼氏じゃねぇっての。というかあいつそんな有名だったのか?」

 

「新田さんを嵌めてミスコンに出した挙げ句、トトカルチョで大儲けした奴の台詞とは思えないな」

 

なるほど、大学では有名人だということか。

まぁそれ自体に言うことは何もない。何より俺にブーメランのように発言が返ってくるなら尚更だ。

 

「そういう神崎は新田にアピールしなくていいのか? 今なら彼氏がいないらしいぞー」

 

「話に繋がりが見当たらないよ。新田さんに彼氏がいないからといって、俺が新田さんを好きになるわけじゃない」

 

「そーだね、お前は鷺沢ちゃんだもんね」

 

俺がそう言うと、神崎はおもしろいくらいに口をパクパクと動かし、こいつにしては珍しくしどろもどろな説明を始める。俺はそれを聞き流しながら、自分でも何が原因なのかわからないため息をこぼすのだった。

 

「というかお前って新田さんいないと生活破綻者じゃないか。奥さんに逃げられて困ってるのお前の方でしょ?」

 

「誰が誰の奥さんだコノヤロー。俺あいつが来る前は普通に独り暮らししてたからな? まぁ、ようやく彼女作るチャンスが出来たとでも思っとくさ」

 

「でも意外だな。お前達があれだけ仲良いのに付き合ってなかったのは。意識したりしなかったのか?」

 

恐らく純粋な疑問なのだろう。含みのない表情で神崎は首を傾げる。

正直な話、意識しないわけがない。今更だが、アイドルにスカウトされるだけの容姿はあり、中身も世話焼きな後輩だ。更に言うなら無防備極まりない。こいつ襲われるの待ってんじゃねぇかと考えたことも一度や二度ではない。理性が強くて良かったと日々思っていたのだ。

しかし、それをしてしまうと俺を信じて新田を送り込んだ新田家の全員や、俺の家族。そして何より新田自身を裏切ってしまう。いくら適当な俺でもやっていいことと駄目なことの区別位は付く。

 

「そんなことより、お前はさっさと鷺沢ちゃんに告って来いよ。んで派手に粉砕されてこい。盛大に笑ってやるから」

 

「お前最低だな!? 後俺と鷺沢はそんな関係じゃないとどれほどーー」

 

神崎の話を再び聞き流し、俺は窓の外に意識を向ける。

群れに取り残されたのだろうか、小さな鳥が一羽、哀しそうに鳴いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今年も残すところ十日を切った。世間はクリスマスムード一色に染まり、バイト先でもクリスマスフェアの準備で忙しくなっている。

だが独り者の俺には特に関係のないイベントだ。いつものように家に帰り、適当に昨日の残り物を温めて食べる。最近はテレビもラジオもつけていない。学校に行き、バイトに行き、帰って寝る。それだけのルーティンが俺の生活になっていた。

学校では今までと変わらない振る舞いが出来ている、と思う。思うものの自信はない。追い出しておいてなんだが、俺の中で新田の存在は大きいものだったらしい。逃がした魚は大きいどころではなかったようだ。

友達に聞いた話だが、新田はどうやらしっかりと活躍出来ているらしい。最近ではテレビで見る機会も多くなったのだとか。

 

「……女々しいなー俺」

 

我ながら本当にそう思う。今まで延ばし延ばしにしていたツケが回ってきただけなのに。

今日はレポート課題をする必要があったのだが、どうにも集中できそうにない。夜は負の感情に陥りやすいとも言う。仕方ないから今日はもう寝てしまおうか。そんなことを考えながら洗い物をする。あの時に比べると大分しっかり洗えるようになったが、まだ新田には怒られるかもしれない。

 

洗い物を終え、自分の部屋に向かおうとしたとき、インターホンが鳴った。時計を見ればもう夜の十一時を回っている。誰だよ、と毒づきながら応答する。

 

「はい、どちら様ですか」

 

『え? 男? いえ、すみません。こちら和久井圭さんのお宅ですか?』

 

声は女だとわかるが、何分相手がインターホンに近付き過ぎているために顔がわからない。名前は合っていたので俺には間違いないのだろうが。

 

「そうですけど」

 

『すみません、少し下まで降りてきてもらえますか? 新田美波さんを送って来たんですが……』

 

は? という声が出そうになったが、なんとか飲み込んで簡単にわかりましたと相手に伝える。

しかし、今まで俺を避けていた新田が来るとは思わなかった。送って来たと言うが、あいつが酒を飲むとも思えないので疲れて寝たとかそんなのかもしれない。だが今あいつは寮暮らしのはずだ。そこが少し腑に落ちない。

などと考えながらも、足はすでに部屋の外へと体を運んでいた。我ながらチョロい男である。

 

下へ行くと、どこかで見たような女性が新田を背負っていた。というか元アナウンサーの川島瑞樹がそこにいた。

 

「あ、こっちこっち。早く美波ちゃん受け取って」

 

「いや、どういう状況ですかこれ。というより新田は寮暮らしじゃないんですか川島さん(仮)」

 

云々言いながらも川島さん(仮)から新田を受けとる。気持ち良さそうに寝息を立てているが、少しだけアルコールの匂いが漂ってきた。信じ難いことに、新田が酒を飲んだようだ。

 

「あ、私のこと知ってくれてるのね。合ってるから(仮)はいらないわ。実は、美波ちゃんを食事に誘ったんだけど、私が美波ちゃんを二次会に連れていっちゃってね。色々話していたら美波ちゃんが間違って私のウィスキーを一気に煽っちゃったのよ」

 

「未成年を二次会に連れていくとか何してんですかいい大人が」

 

「正直、本当にごめんなさい。反省してます」

 

川島さん(ガチ)も反省しているらしく、どうにも申し訳なさそうに頬を掻いていた。

 

「それで、何だってここに? こいつ確か事務所の寮暮らしだったと思うんですが」

 

「それが、美波ちゃんが『お家帰る』って聞かなくて。この子どうにも甘え上戸みたいね。それで家を聞いてみたらここの住所と部屋番号を教えてくれたのよ。チャイム鳴らせば大丈夫、って」

 

新田は酔うと甘えるのか。いや、そうではない。問題はその先だ。新田は紛いなりにもアイドルで、未成年だ。そんな奴が男の家に上がり込んでいたなど、スキャンダルにしてくれと言っているようなものだろう。

そのことを川島さんに伝えれば、彼女は苦笑いして答えてきた。

 

「ああ、大丈夫よ。ウチの事務所は恋愛禁止してないし、なんなら事務所のアイドルとプロデューサーで付き合ってる人とかもいるわ」

 

「それでいいのかアイドル事務所……」

 

「いいのよ。私達だって人間なんだから」

 

酔いが覚めていないのか、川島さんはケラケラと笑いながらそう言う。だが、その直後、妙に真剣な顔になる。

 

「美波ちゃん、酔いながら泣いてたわよ」

 

「え?」

 

「貴方、美波ちゃんをここから追い出して寮に入れたんでしょう? 何で追い出されたのかわからないって、一番応援してほしい人が応援してくれなかったって泣いてたわ」

 

「…………」

 

「寮に入ってからはもう凄かったわ。毎日のようにオーバーワークで仕事にレッスン。いつ倒れてもおかしくないから皆でヒヤヒヤしてたもの。それが今の人気に繋がっているのだから皮肉なものだけれど」

 

「……そっすか」

 

その姿は簡単に想像できる。高校生の頃からそうだ。努力するやつだった。努力しすぎるやつだった。誰かが手綱を握ってやらないと天井知らずに突っ走ってしまう。

 

「そいつに会ったら一発ガツンと言ってやろうと思ってたんだけどね……貴方どうにも追い出したくて追い出したわけじゃなさそうだし」

 

そう言って川島さんは俺に優しい目を向ける。正直内心を見透かされているようで恥ずかしい。これが年の功というものだろうか。

背中の新田が小さく身動ぎをする。それを見た川島さんは小さく笑い、手で俺に部屋に戻るように指示する。

 

「しっかり話し合いなさい。明日はこの子学校もレッスンも仕事もオフらしいわ」

 

「……そうします。ありがとうございました」

 

「いいのよ。貴方の気持ちもわかるもの。……でも一つだけ。女の子が覚悟も決めないで、いつまでも男の家に居座らないわよ」

 

川島さんがそのまま駅の方へと立ち去っていく。それを見送ってから、俺は新田を背負い直して部屋へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「んぅ…………」

 

日の光に刺激されて、意識が浮かび上がる。目を開けば、見慣れた、けれどしばらく見ていなかった景色が広がる。

あれ、どうして私はここにいるんだろう。確か楓さんと川島さんとプロデューサーさんとご飯に行って……そうだ、川島さんと二軒目に行って間違ってお酒をのんじゃったんだ。

そう考えをまとめて起き上がる。頭が痛い。当たり前なのは当たり前だけど、やっぱり辛い。朧気に残っている記憶を頼りにするなら、かなり恥ずかしいことも暴露しているので余計に。

そこでようやく今いる場所が事務所の寮の部屋でないことに気付く。見回してみるまでもない。少し前まで私も住んでいたマンションの、先輩の部屋だ。下宿用ではなく家族用の、広めのマンション。お母さんに東京に行くと言ったら邪推したのか、先輩のお母さんと一緒になって嬉々として用意していた場所だ。その代わりにお父さんが血の涙を流していて、弟は東京の方に向かって合掌していたけど。

と言うより、そうならこの布団は先輩の……。

そう意識してしまうと、顔が火照ってしまうのがわかる。仕方ないじゃない、好きな人の布団で寝ているなんて思わないもの。誰にともなく言い訳してみるものの、恥ずかしいものは恥ずかしい。

先輩を男性として意識するようになったのはいつからだろうか。少なくとも東京に着いてからなのは間違いない。高校生の時は意地悪なお兄さんとしか思っていなかったのだ。でなければこんな押し掛け女房のような真似はしない。できるわけがない。

こっちに着いてすぐに先輩が隠し持っていたお酒を処分したときも、えっちな本を先輩の部屋で見つけたときも先輩を意識することはなかったはずだ。本当にいつのまにか、としか言いようがない。

アイドルは楽しい。それは間違いない。でも先輩に追い出されたときから何かが足りなく思えるようになった。そのせいかアーニャちゃんや他のCPの子達には心配され、武内プロデューサーにも「笑顔が曇ってしまっている」と心配されてしまった。原因はわかってはいたものの、理由はわからないままで、今まで来てしまっている。

 

先輩の枕をぎゅっと抱き締める。しっかり洗っているのか、匂いはない。それに安心したのと同時に、少し残念に思う自分がいた。けれど、落ち着く。

しばらくそうしてから、立ち上がる。時計は朝の十時を指している。お礼を言って、出よう。そう思いながら、私は先輩の部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コーヒーを飲みながら久しぶりにテレビを見ていると、新田が部屋から出てきた。少し顔がやつれているのはご愛嬌といったところだろうか。それとも疲れが顔に出ているのだろうか。

 

「おはよう、新田」

「……おはようございます、先輩」

 

このやりとりもずいぶんと久しぶりになったものだ。俺は立ち上がり、新田のカップにコーヒーを入れてテーブルに置く。布団や私物こそ寮に持っていった新田だったが、こういった細々とした物は置いていったままだ。

新田は少しためらったが、やがておずおずと座った。いつになくしおらしい姿だ。

 

「アイドル、いい感じに活躍出来てるみたいだな」

 

「……はい」

 

「楽しいか?」

 

「はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

会話が続かない。わかっていたことだが、この一ヶ月ほどで俺達の溝はかなり深くなってしまったらしい。そのことに少し寂しさを感じてしまう。

しばらくコーヒーを飲む音しか聞こえなくなる。このままではどのみち埒があかない。俺は覚悟を決めて、斜め前の新田に向かい合った。

 

「新田、この前は悪かった」

 

「……!」

 

俺が頭を下げれば、びくりと新田の肩が跳ねる。頭を上げて新田の目を見れば、四方八方に泳いでしまっている。

 

「多分、無意識に俺はお前なら大丈夫だと、わかってくれると高を括っていたんだと思う。理由もわからないで追い出されるお前の辛さもわからずに」

 

「先輩……?」

 

「言い訳になるけど、お前を追い出したのはお前を思ってのことだ。アイドルが男と暮らしてるなんざスキャンダルにしてくれって言っているようなものだからな。しかも、お前はラジオに出ていた。成功しかけてたんだろ? 余計に危ないと思ったんだ」

 

「…………」

 

新田は何も言わずに俺の話を聞いてくれている。だがその目は確かに潤んでしまっていた。

そんな顔をさせたかったわけではない。その思いで席から立ち、新田の頭をポンポンと叩く。高校生の時、一度したことがあるのだが、文句を言いながらもされるがままになっていたのを思い出したのだ。今は憎まれ口でもいいから、何か返しがほしい。

しかし返ってきたのは憎まれ口ではなかった。新田が思いきり俺に抱きついてきたのだ。その勢いのまま、たまたま後ろにあったソファに倒れ込む。しばらくは突然のことに唖然となっていたが、服から伝わってくる冷たさを感じて、そっと新田の頭に手をやる。あの頃と変わらない柔らかさだ。

 

「……ずっと」

 

しばらくそのままでいたのだが、新田が顔を俺の胸に押し付けたまま話し出す。

 

「追い出されてからずっと、嫌われたんじゃないかって考えてました。先輩は優しいから、迷惑なのを我慢してたんじゃないかって」

 

「…………」

 

「だったら私はいない方がいいんじゃないかって、そう思い込もうとしても無理で、レッスンや仕事で忘れようとしても忘れられなくて、謝りたくても迷惑じゃないかって……!」

 

「……悪かったな」

 

「練習して上手くなっても今までみたいに嬉しくなくて! ライブが成功しても同じで! みんなには心配されて迷惑かけて……!」

 

「……ああ」

 

「始めはアイドルになったの隠してたのも、テレビのリモコンを独占してたのも、先輩に見てほしくて、それで……!」

 

ーー褒めてほしかっただけなのに。

 

「なのに何で! 何で……!」

 

再び泣き出した新田を前に、俺はかける言葉を見つけられない。

謝るべきではない。黙るわけにはいかない。ここまで新田を追い込んだのは俺だ。ならそこから俺は新田を救い出さなければならない。

適当に生きてきた人間だからこそ、適当に済ませてはならない場所はわかっているつもりだ。

 

「……頑張ったな新田。よくやった」

 

「……! うああああ……」

 

優しく頭を撫で、新田を引き寄せて強く抱き締める。それが新田の何かを刺激したのか、新田は声を上げて泣き始めた。

 

 

 

 

 

それから何分経っただろうか、泣き止んだ新田はゆっくりと体を起こす。

 

「すみません、ご迷惑おかけしました」

 

「いや、大丈夫だ。俺の説明不足でお前を傷付けたんだしな。川島さんに言われないと気付けなかっただろうし」

 

「もう……こんなときに他の女性の名前を出すのは禁止ですっ」

 

すっかり以前の調子を取り戻したらしい。俺の胸にコツンと拳を当ててくる。笑顔もこの家で見ていたものと変わらない。

しかし……

 

「まぁとりあえず……早く退いてくれるか?」

 

「えっ? ……!?」

 

どうやら今の体勢に気付いたらしい。俺の腰の辺りに馬乗りになっており、拳を当てているために少し前屈み。顔は泣いていたせいで赤く上気している。

元も子もない言いぐさだが、反応しかけているのだ。このままでは俺の理性が先に根を上げてしまう。

 

「あ、あう……その……」

 

「いや、早く。俺の中の野獣が目覚める前に」

 

「せ、責任取ってくださいねっ!?」

 

「あさっての方向に話飛ばすんじゃねぇよ!?」

 

「きゃ!?」

 

とんでもない方向に話を飛躍させかけた新田を何とか横に落とす。それによって何とか駄目な展開になることは防ぐことができた。

 

「あう……」

 

「もっと自分を大切にしやがれアホ」

 

「アホは先輩の方です……」

 

「あん?」

 

新田が思いもしない返しをしてきたので、思わず聞き返してしまう。新田は何かいいことを思いついたような顔で、俺に艶かしい笑顔を向けた。

 

「ここまできて覚悟を決めてない女の子なんて、いないんですよ?」

 

その笑顔はあまりに妖艶で、ソファから落ちた時にゴムが切れたのか、ぱさりと広がった長い髪がそれを助長する。

何とか理性を止め、もう一度新田に問う。

 

「……本気か?」

 

「はい。ただ……私のこと、名前で呼んでくださいねっ」

 

それ以降のことは、あまりよく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

I didn't hope to become the goddess of somebody.

What I prayed for,Be your Special.

 


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