「ついにこの日が来たのか……」
田中は目の前に広がった光景を見つめていた。鄴の町並みは色とりどりの装飾で飾り付けられ、お祭り騒ぎだ。
今日、「茶会」が行われるわけであるが、田中達が考えてたものとは大きく違うものとなっていた。何せ道ばたには露店が建ち並び、各地から諸侯や豪族達が招かれ道には朝から護衛の兵士や遣いの者が乗った車の列が絶えない。完全にただの、いや大規模な祭りだ。
「田中殿、こんなところにいらしたのですか?」
声をかけてきたのは田豊だ。普段は落ち着いた色の着物を着ていることが多いが、今回は赤色の色鮮やかな晴れ着を身につけている。凜とした雰囲気を感じさせる田豊のつり目とよく似合っている。
「元皓殿ですか」
彼がいるのは鄴の街で比較的高台になっている場所だ。ここであれば街を一望できる地で、田中のお気に入りの場所であった。当初はここで茶会を開こうと考えていたのだ。無論、袁紹の手に渡ってから全く違うものになってしまったために、この場所はそういった催し物が開かれない。故に人っ子一人いない。
「きれいな着物ですね」
「ありがとうございます」
少しほおを染めながら田豊は礼を言った。
「元皓殿はよろしいのですか? そろそろ演習が始まりますが……」
田中は尋ねる。今回の催し物で最も袁紹軍が力を入れているのは董卓軍と行われる演習だ。このために袁紹軍は厳しい訓練を行っていた。
「そんなこと言ったら今回最も注目されている田中殿がこんなところで油を売っていることのほうが問題では?」
「これは言われてしまいましたな」
田中は苦笑しながら一本取られたと頭をかいた。
実は田中は今回の式典の中心人物として袁紹のすぐ脇の席を用意されていた。通常であれば袁紹の次点に位の高い人物ないしは袁紹の側近中の側近である田豊辺りが座るべき場所なのであるが、今回の催しの企画者として袁紹の隣の席を与えられるという破格の扱いを受けていた。
今まで田中の名前は一部の人間にしか知られておらず、これを知った諸侯や豪族は田中の情報を集めようと躍起になっているという噂だ。まさに最も注目を受けている人物といっても過言ではない。
「では、共に参りましょうか」
田中はそう言って静かにその場を後にした。
演習は鄴の郊外で行われる。といっても近くに森や川などがあり自然の地形に富んでおり、戦術次第では小勢力で大規模な敵を打ち破ることも可能な地形だ。演習と言いつつもかなり実戦を意識した作りとなっている。
「郭公則殿との調整はうまくいきましたか?」
「ええ……。まあ」
田豊が明らかにお茶を濁した言い方をした。あまりうまくいっていないようだ。
「やはりですか……」
「すいません。私も幾度となく彼女に意見を言おうとしたのですが、こちらの言い分をまるで聞いてくれなくて……」
田豊にこの話を任せるときに彼女も、かなり難色を示したが田中が無理を言って聞いてもらっているのだ。それで無下に扱われたら彼女としても腹に据えかねる物があるだろう。
「元皓。君はかつて僕の部下だったことがあるね?」
唐突に田中が砕けた口調になった。まるで子供諭すかのような口調だ。
「ええ」
「君は実に優秀だ。おそらくは歴史に名を残せるほどであろう。だが、どんな優秀な人物にも弱点はある。かつて漢を作った高祖(劉邦)と天下を争った項羽は天才的な将軍であった。戦ではほとんど負けなしの彼も結局は高祖に敗れることとなった。彼はその強さを自覚していたが故に何が欠点なのか真剣に学ぼうとしなかった。これが彼の弱さだ。君もまたそのように郭公則殿から何も学ぶことが無いと思っていないか?」
「うっ!」
どこか彼女にも思い当たる節があったようだ。気まずそうに顔を背ける。
「郭公則殿は確かにあなたよりも知識などは無いかもしれない。しかし、彼女は以前、袁董連合軍ができたときに戦争の指揮を執って敵を打ち破ったこともあるし、何よりも元皓よりも古参の諸将の性格を熟知している。彼女の経験値とその采配は最良では無いかもしれないが学ぶことはあると思うよ」
「はい」
「試しに彼女の戦ぶりを見てみなさい。そして何か必要なときに補佐をしてあげてください」
田中は田豊に言った。
「御意」
「良い返事だ。では演習の勝利を心待ちにしておりますよ」
田中の言葉をかみしめながら田豊は演習場へ足を早めた。
「郭殿」
田中は演習場に既に着いていた郭図を呼ぶ。
「何でしょう?」
「元皓についてですが、今回の演習ではなにとぞよろしくお願いします。彼女はまだあまり戦などの経験がない身。ご経験を生かしてご教授をいただければ幸いです」
「無論です。袁刺史の一将として恥をかくような行為をされては困ります故」
彼女は凜と言った。彼女は田豊は気に入らないが袁紹軍の一員としてしっかりと育てるつもりではあるらしい。
「それと元皓の元上官として一言だけ。彼女は経験こそ少なくはありますが、能力は優秀です。もし何かを言ってきたときは、下らぬと切り捨てるのでは無く少し助言を聞いてくだされば幸いであります。必ずや郭殿のお役に立てるかと思います」
「分かりました」
その瞬間、演習開始が近い合図の銅鑼が鳴った。
「では私はこれにて」
田中はそう言って袁紹達がいる方へと向き歩いて行った。