「はい?」
郭図は読んでいる書簡から目を離さずに言った。
「だから、田元皓と組んで今回の演習に参加してほしいんですよ」
田中は手を前で合わせながら頼み込む。
「なぜ、私が冀州名士の代表格でもある田さんと組まなければならないのですか?ましてや私は田さんとは仲が悪い。演習に参加しても袁刺史の名をおとしめるだけですよ」
「そう言わずにどうか手を組んでやれませんか? 彼女にはできないことがあなたにはできるんですから」
そういったとたん、郭図は少し眉を動かし田中を見る。
「彼女にできなくて私にできること……?」
「ええ。ありますよ」
「それは一体何なのですか?」
「元皓は大局は見れるが細かい戦術方面になるとどうしても疎くなる傾向があります。その点、あなたはそれが得意だ。それに今回の演習では顔良、文醜といった古参の武将達を中心に参加させる予定のため、元皓だけでは性格や得意な戦闘などを把握し切れていない可能性があります。どうか彼女の面倒を見てやるといった思いでできませんか?」
「そ、そこまで言われれば」
郭図は少し気恥ずかしげに話を受けることにした。
「ありがとうございます!」
田中はお礼を言うと静かに部屋から出て行った。
あくまでも余談ではあるが、このすぐ後に田中を見かけた衛兵は次のような証言を残している。
「田中殿は部屋を出られると顔を後ろに向けられ、言ったのですよ『計画通り……』と。そのときのあくどい表情は未だかつて見たことが無いほどゆがみきっていましたね……。今でも思い出すと寒気がしますよ」
ちょうど袁紹陣営全体がこの大演習で大忙しの頃。曹操陣営では別の騒ぎが起きていた。
「はあ、このタイミングでこれが起きるのは行幸と言うべきか、それとも起きたこと自体が最悪と言うべきか……」
曹操は次から次へと来る書簡に目を通しながら、ため息をつく。
「これはタイミングとしては最高と言うべきでしょう」
横に控えていた荀彧はそう答える。
「まあ、そうね。現在袁紹は勢力を急激に拡大しすぎたが故に、休息を必要としているわ。彼女たちが動く前にこの問題が持ち上がってきてくれたのは良い事ね。ただし、規模がもう少し小さければの話だけど」
曹操がそう愚痴った。彼女が愚痴りたくなるのもやむを得まい。何せ彼女が統治している地のすぐ近くで大規模な反乱が起きたのだ。これは瞬く間に兵力をふくれあがらせ、近くにある兗州へと流れ込んだ。これを迎え撃とうとした兗州牧劉岱は敗走し、手が付けられない状況となったのだ。そこで曹操はここぞとばかりに兗州牧の地位になろうと朝廷に使いを送ったのだ。
普通は誰も考えないことである。何せ自分のみを滅ぼすかもしれないところに自ら飛び込んでいくのだ。常人の考えとは思えない。しかし、彼女はあえてその危険を冒した。それは彼女の知恵袋でもある荀彧の入れ知恵によるモノであった。
もしこのまま何もしなくても、黄巾賊は曹操のやってくる地帯に攻め込んでくる可能性が高い。それであれば多少、兵力や金銭の自由が利く州牧の地位に昇って彼らに挑んだ方が勝ち目はあるという彼女なりの考えであった。
朝廷としても政治的な空白を作り出し当地域の状況を悪化させることを恐れ、曹操の考えを受け入れることにした。というよりそれ以外、手が無かったのだ。他に統治する人間を選ぼうとしても誰もがやりたがらず途方に暮れていたのだ。
「すぐに軍議を開き、賊への対処を計らなければいけないわね」
「既に主だった将士達は集めております」
荀彧は曹操に言った。
「桂花、ありがとう」
そう言ってすぐに会議の場へと出向いた。
そこには夏候淳、夏候淵、郭嘉といった主立った人間が並んでいる。
「このたび、私は朝廷から兗州牧になることとなった。これで名実ともにこの地を統治する権限を得たこととなるわ。ただ、この地には黄巾の生き残りが数多くいる。だが、我が軍はあなたたち精鋭がいる。故に曹操の名をもって命じる! この賊をなんとしても打ち払いなさい! 負けることは許されないわ!」
「「「御意!」」」
「これより軍議を始める! 桂花、敵の戦力」
「はっ! 現在黄巾賊は三十万と呼称されていますが、その実は非戦闘員を数多く含んでおり、実質的な戦力はその三分の一ほどと見られております」
「それでも十万か、多いわね」
「我が方の戦力としては、以前から調練している兵、およそ三万の他、州牧になったことで徴兵できる人数が増えましたので、さらに三万ほどが増える予定です」
「分かった。ありがとう桂花。以上のように我が軍の苦戦は免れない。何か策のある人間はいるのかしら?」
曹操は全体に響き渡るはっきりとした声で言った。
(敵を吹き飛ばせば良いだけでは無いのか?)
(姉者、それができるのは姉者だけだ。普通の兵士にはできない。あとそんなこと言ってみろ。桂花に馬鹿にされるぞ)
(う~む)
夏候姉妹が何か言っているが、あえて曹操は無視をする。
「華琳様。私に一つ策がございます」
そこで出てきたのは戯士才だ。
「竜刃、言いなさい」
「彼らを懐柔するのです」
その言葉に誰もがざわめいた。何せそれができたら誰も苦労はしない。にもかかわらず曹操の知恵袋として長年仕えてきた戯士才があえてそのことを言ったのだ。
「いかにして?」
曹操は試すように戯士才を見た。