袁紹を活躍させてみようぜ!   作:spring snow

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第四二話 静かな帰還

「見えました! あれです!」

 

 逢紀が不意に川の上流を指した。

 現在、顔良隊が董卓の救出を成功させ川を下ってきているとの情報を聞き、袁紹が直々に出向いてきたのだ。

 

「陛下をお早くお迎えせねば! 慣れぬ船旅に加え、長い逃亡と疲労も限界に達しているでしょうし!」

 

 袁紹は皇帝に会うと言うことで先ほどから髪は大丈夫かなど服装は変でないかなど落ち着きが何一つ無い。

 

「袁刺史殿、少しは落ち着かれよ。かような姿を陛下にはお見せしてはみっともないですぞ」

 

 見るに見かねて田中がたしなめるように言う。

 

「あ、そうでしたわね……。こほん」

 

 咳を一つして、居住まいを正す袁紹。流石名家の出と言うだけあって、ここら辺の切り替えや落ち着いたときの堂々とした態度は見事である。

 

「間もなく、接岸です!」

 

 徐々に見えてくる船の様子を見て誰もがあっと叫びそうになった。

 普通であれば、帰還を喜ぶなり出迎えの音楽が鳴るなり、何かしらの反応があるであろう。

 しかし、誰もがそれを出来ぬほどの衝撃的な光景がそこには広がっていた。

 

 船自体には幾つもの矢が突き刺さり、所々火矢を射かけられたのか焦げ跡が付いている。

 船上には兵士が立っているものの誰もが疲労困憊の様子で鎧には幾重もの傷が走り、中には怪我をした状態で立っているものもいる。

 どうにか隠そうとしたのであろうが、甲板上には所々に血だまりが出来ており赤黒く染まっている。

 

 何も知らないで見たならば、完全に敗残兵の集団を乗せた船でとても皇帝をのせた船とは誰も気付かないであろう。

 

「……一体、これは……」

 

 あまりの光景に袁紹は言葉を失っている。

 

「これはやられましたね~」

 

 ぶすりと沮授が言う。

 のんびりとした口調とは裏腹にその顔には苦渋の表情が浮かんでいる。

 

「とにかく、出迎えに行きますわよ!」

 

 そう言って袁紹は岸壁に近づいていった。

 

 

 

 船は無事着岸し、中から顔良をはじめとする洛陽救出隊の幕僚が出てきた。

 そして袁紹に気付くと彼らは一様に浮かない顔で袁紹の元へとやってくる。

 

「洛陽方面救出隊、ただいま、帰還致しました」

 

「ご苦労でした」

 

 袁紹は帰ってきた面々を見て一つのことに気付く。

 

「子幹(廬植)さんはどこですの?」

 

 袁紹の言葉に誰もが言葉も無く、ただ俯くばかりである。

 

「まさか……。そうですか」

 

 袁紹は最初こそショックで絶句していたものの、しばらくしてから静かに頷いた。

 

「ご苦労でした」

 

 袁紹は長い沈黙の後、一言だけ言った。

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 顔良が大声で叫んで土下座をする。

 

「私がもっと強ければ、廬先生は死なずに済んだのです! 私めが不甲斐ないばかりに!」

 

 顔良の悲痛な言葉に袁紹は言葉もなく項垂れた。

 

「顔将軍、報告は後で聞きます。今は疲れたでしょう。馬は用意しておりますのでそれで、あなたの部隊と共に鄴の町まで帰りなさい」

 

「御意」

 

 袁紹の言葉に頷いて、顔良達は静かにその場を後にする。

 

「あの顔将軍を持ってしてもこれほどの被害が出るとは一体誰が……」

 

 審配が言う。彼女は文醜の元で汜水関方面の作戦を執っており、文醜の実力を目の前でまざまざと見せつけられている。その文醜と双璧をなす存在が顔良であり、彼女の実力がどれほど凄いのかは分かっている。その実力を持ってしてもこれほどの被害が出るのは信じられなかったのだ。

 

「敵はおそらくは紀霊」

 

 そばに控えていた郭図がぼそりと言う。

 

「紀霊? 誰です?」

 

 審配が郭図に聞く。

 

「優秀な人材が揃う袁術軍の中でも名将と謳われる人物。直接見たことはないが腕も相当な人物で頭も切れる文武両道の逸材と聞いている。董仲潁殿を発見できていない袁術は彼を配置し、彼女を探そうとしたのだろう。いや、袁術ではなく、その配下のあの女狐だろうけど」

 

「女狐?」

 

「……」

 

 審配の問いかけに今まで饒舌であった郭図の言葉が止まる。よほど言いたくは無いのであろう。

 

「とりあえず、その紀霊とやらの攻撃でこれほどの被害が出たのですか。恐ろしい奴ですね」

 

「いや、むしろあの紀霊相手にこれだけの被害で済ませたのだから顔将軍は相当な人物だ」

 

 郭図は顔良のことを称えた。その言葉には妬みなど一切無い、純粋な賞賛の思いのみが感じられる。

 

「さて、そろそろ天子様が降りてくる頃合いだ」

 

 そう言って郭図は袁紹の元へ向かう。

 

 袁紹はかなりショックを受けていたようだが、それを隠そうと必死で堪えている感が感じられる。

 

「皇帝陛下のご到着である! 臣下は頭を垂れて拝謁せよ!」

 

 皇甫嵩が甲板上から大きな声で叫んだ。

 その瞬間、袁紹を含めたその場にいた誰もが一斉に頭を下げる。

 

 田中は今までそういった場面に遭遇したことがないために周囲に習って頭を下げた。

 すると船から誰かが下りてくるような雰囲気があり、そのまま袁紹の前まで歩いてくる。

 

「袁冀州刺史、面を上げよ」

 

 その人物は幼い声でそう言った。

 袁紹はその声を聞き、ゆっくりと頭を上げる。

 

「袁冀州刺史よ、この度は朕をこの地まで護衛したこと、大義であった」

 

「いえ。臣下として当然のことをしたまでです」

 

「お主は朕を護衛する際に賊の攻撃で配下の廬植を失ったそうだな」

 

「……仰せの通りでございます」

 

 その人物の言葉に袁紹は一瞬固まったが、絞り出すように言った。

 

「朕も廬植の事はよく知っている。先帝の時には黄巾の乱を鎮圧する際に良く仕えてくれた。それにあの者の儒学に残した功績は大変大きなものであり、朕としても大変尊敬していた」

 

「ありがたきお言葉。廬植も陛下のお言葉を聞けば浮かばれましょう」

 

「廬植の葬儀は朕も参列する。日程は決まり次第、董卓を通して報告せよ」

 

「御意」

 

 袁紹の言葉を聞くとその場を立ち去ろうとしたが、不意に止まり、袁紹に語りかけた。

 

「良い臣下を持ったな」

 

 そしてその場を後にした。

 

「ひぐっ、うぅぅぅ!」

 

 袁紹はついに耐えきれなくなったのか糸の切れた人形のようにその場で座り込み泣き出した。

 

「麗羽!」

 

 思わず近くにいた逢紀は袁紹の真名を呼んで、抱きかかえる。

 

「悲しきかな、悲しきかな、子幹よ! 悲しきかな、悲しきかな、子幹よ!」

 

 袁紹は二回叫んで慟哭した。その悲痛な叫びは青く澄み渡った空に溶け込んでいった。


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