「これだけの大軍ともなるとどこかで補給地点が欲しいわね」
公孫瓉が他の諸侯と今後の進撃ルートを確認中に言った。今、連合軍がいるのは済北の町から川を渡った岸の済南の町だ。騎馬隊の持つ機動力を極力利用しながら、南皮へ攻め入ることを目標としたため川をギリギリまで渡らないようにしたのだ。
その計画の元順調に済南の町まで来たものの兵も馬も共に疲労している上、これから袁紹軍と戦うと兵糧の心配があったのだ。当初は少しの急速の後、渡河をして韓馥から補給をしてもらおうと考えたが、韓馥からの返事が芳しくなかったために急遽別の場所での補給が必要となった。
「では、我が領地で如何でしょう?」
鮑信がにこやかに言う。
鮑信は済北相であり、彼の治める地は目と鼻の先にある。公孫瓉は遠回しに補給をさしてくれと言ったのだ。これは公孫瓉の面子上、補給をさしてくれとは頼めない。彼女にもプライドはあるし、部下達もいる。そのような人間が他人に頭を下げるというのは、かなり問題となってくる。それを鮑信も察して自ら名乗り出てくれたのだ。
「それはありがたい」
そう言って補給地を鮑信の治める済北の地で行うことにした。
済北の地に着いた各軍は休息を取り始めた。
それは将軍達に関しても同じである。
「いや~、長旅ってのはここまで疲れるもんなんだね~」
「白蓮姉さん、爺くさいこと言わないの。ただでさえ爺くさい性格がもっと悪化するよ」
「なんてことを言うんだ、凪水! 私は爺くさくなど無いだろ!」
久しぶりの風呂につかりながら、言い合うのは公孫瓉と従妹の公孫越だ。
彼女たちは鮑信の屋敷の一室を借りており、そこの風呂を使わせてもらっていた。
「白蓮姉さん、でも最近、『肩こった~』だの『腰が痛い~』だの口癖のように言ってるよ」
「それは仕方が無いだろう。領主の仕事は忙しいのだから、体調の一つや二つおかしくはなる」
「これだから最近の若者は……」
ため息交じりに悪態をつく公孫越に公孫瓉が言い返す。
「お前だって、最近の若者だろ! っていうか、それこそ年寄り臭いし!」
「あ~あ。やだやだ、老人は説教くさくて嫌になっちゃう」
「な~に!」
そう言って取っ組み合う二人ではあるが、これは一種の愛情表現と言えた。彼女らはこれから戦を控えた身。もしかしたら、これが最後の日になるかもしれないとその日その日を家族と楽しんで暮らすのが彼女たちの大切なことであった。
しかし、楽しかった時間はあっという間に過ぎていった。
3日後。
補給や休息を終えた連合軍は、いよいよ袁紹の治める南皮の地を目指し、済北の地を出発。
全軍、渡河を開始した。
「公孫将軍、この戦い厳しい物となるでしょうね」
鮑信が不意にそんなことを言った。
「ええ。おそらくは多大な犠牲が出ることでしょう。しかし、いずれは戦わなくてはならない存在です」
「そうとは言えど、他に方法なかったのでしょうか?」
「分かりません。ただ、これ以上はこの話はなしです。兵士の士気に関わります」
「これは出過ぎた真似を致しました。申し訳ありません」
そうは言ったモノの公孫瓉自身もこの戦いに疑問を感じていた。本当に戦うしかなかったのかと。
しかし、その疑問をすぐに捨て去る。
そう賽は投げられたのだ。後は戦うしかない。
そう考え、余計な邪念は捨てる。
そして公孫瓉は真っ直ぐ目の前にある対岸の南皮の方を見つめた。
その対岸においては袁紹軍が今、正しく公孫瓉軍に攻撃を行おうと待ち構えていた。
「ほへ~! 敵は多いな!」
文醜がのんびりとした声で呟いた。
「文ちゃん! 一応作戦なんだから隠れてなきゃだめでしょう!」
「斗詩、そんなこと言ったって偵察はやっぱ重要だろ?」
「これ、そこの若いのもちっと頭を下げろ。目の良い奴はそろそろ見つけられる距離だぞ」
文醜をたしなめたのは、廬植だ。
「それに戦場で油断は禁物。命に関わるぞ」
「すいません」
「お主も一角の将軍なのだから、もう少し規律を守って兵士達の見本とならんか。郭奉孝殿が敵に見つからないようにと命令なさったのだから、命令を守らねば軍隊の規律は保てんだろう」
そう言って文醜をしばらくの間、説教し続けた。
そして、その説教が佳境に入り始めた頃、突然見張りの兵士が声を上げた。
「敵が間もなく上陸します!」
その瞬間、廬植は説教を止め、一気に指示を出し始めた。
「弩弓隊は直ちに矢の準備を致せ! 騎馬隊は馬に騎乗しいつ攻撃命令が出ても突撃できるようにしろ! 盾隊は盾を構えて弩弓隊の前面に出よ! 歩兵は騎馬隊の後方に控え、騎馬隊と同時に攻撃を開始せよ、良いな!」
「「「おう!」」」
「では文将軍と顔将軍の両名は直ちに配置についてください」
「はい!」
「了解!」
そう言って二人は顔良が歩兵、文醜が盾隊に着く。騎馬隊を率いるのは廬植自身だ。
「それでは、辛将軍。攻撃の開始はこちらから合図します。もし敵の進軍が私の指示より早く始まるようでしたら攻撃を開始してもかまいません」
そう言って弩弓隊を率いる辛評に言った。
彼は体がかなり大きい人物だが、頭も切れ基本的に兵を率いさせて失敗はないと判断した人物だ。郭図などと同じ地域の出身で彼女とも仲が良い。万が一何かが起きても彼ならば安心して任せられると踏んだのだ。
「御意!」
力強く答え、連合軍の船団を見つめる。先頭部隊が到着し、徐々に上陸を始めた。
上陸した兵士達は直ちに周囲の警戒に移る。襲撃に備え、盾隊も盾を構えさながら戦場にいるかのようであった。実際、袁紹軍はその襲撃をこれから行おうとしている。
その襲撃の作戦の概要について簡単に説明しよう。
まず袁紹軍が陣取っているのは岸を若干見下ろす形となっている小ぶりな丘の頂上だ。作戦としては敵の半数が上陸を始め簡単に撤退できない状況となってから、弩弓隊にて矢を浴びせ敵の混乱を招く。そこを騎兵隊と歩兵で殲滅するというのが今回の作戦の目標だ。
ただ、これは時期が大事で遅すぎても早すぎても危ない。それ故、指揮官は歴戦の猛将廬植となったのだ。
そして、ついに約半数が上陸し終えた頃に廬植から早馬が来た。
「廬将軍より伝令! 攻撃を開始せよ! 繰り返す攻撃を開始せよ!」
辛評が命令を出した。
「弩弓隊、構え!」
数千の弩弓隊の兵士が一斉に矢を天に向けて構える。
「放て!」
そして弓から放たれた矢は敵陣目掛けて一斉に降り注いだ。
ここに袁紹軍の命運をかけた一戦が幕を開けたのである。